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山で女に逢う  作者: あぐさん
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溝口2

 溝口は呆けたように胡坐をかいたまま、ぽつりとそこにいた。

 二度も同じ相手に敗北を喫した。その事実が溝口の心中に深く突き刺さっている。

 動きたくなかったのだ。いや、心に穿たれた敗北の意識が、動くことを出来なくしているのかもしれない。


 勝機は確かにあったように溝口は思うのだ。


 最初に蹴りを小次郎の顔面に放った時だ。あの時、確かに一瞬だけ小次郎の眼は溝口を見ていなかったように見えた。そのほんのわずかな隙を、完璧についたと感じたのに、小次郎はあっさりと、かわしてみせた。


 するりと溝口の射程距離から逃れてみせた。

 ふわりと跳んでみせた。


 届かなかった会心の蹴りが心の底から悔やまれた。だけど溝口には分かっているのだ。もう一度その蹴りを出す機会があったとしても、やはり小次郎には届かないだろうということを。


 かえすがえす無念としかいいようがない敗北だった。


 掴みにいった手を逆に掴まれ、空中でくるりと回転され、腕を折られそうになった。後ろを取られた。

 溝口に出来たことといえば、無様に転がり、必死に逃げようとするだけだ。

 それすらも読まれ、首を後ろから絞められた。蛇のように首に巻きついた小次郎の腕が、溝口の脈を止めた。

 その後は、闇が待つだけだった。落ちていく感覚が気持ちよかった。それを快楽と感じてしまった自分が信じられなかったのだ。


 柔道はすばらしい。


 それは溝口の中で敗北を喫した今でも変わりはない思いだ。自分が負けたのは柔道が弱いからでは決してない。

 それは俺自身が弱かっただけだ、それだけの理由だと溝口は思った。

 それとは別に、自分の中に打撃にたいする強い憧れのような気持ちがあることも溝口は気付いている。柔道の練習とは別に、蹴りの練習もしていたのがその証拠だ。

 その蹴りは不意をついたにもかかわらず、小次郎には通用しなかった。

初めての闘いの最中、溝口の鼻を折った小次郎の蹴りを思い出す。それは溝口にとって理想的な蹴りだったのだ。

 無駄のない、相手の身体を砕く、一撃必殺の打撃。

 あの時、小次郎が本気で蹴りを放っていたら、鼻だけでは無く顔面を砕かれていたのではないだろうかと思う。


 ―ならば。


 ならば、ここにしゃがみこんでいることに意味はない。

 動かないといけない。

 動かなければ、なにも動き出さない。

 自分の遙か先に小次郎がいる。そこに向かって動くしかない。

「なぜ俺は、しゃがみこんでいる」

 思わず声が出ていた。


 ―俺は全力を出して負けた。なにを恥じることがある。


「俺は弱いなあ」

 ハッキリと口にした。

 だから努力をするのだという決意だった。目標は見えたのだ。小次郎という目標が。

 溝口は両足に力をこめ、右手をついて、立ち上がった。


 ―ここから始めてやる。


 溝口の立つ空き地に風がまいた。雑草がざあざあと音をたてて揺れ動く。

 溝口は歩を進め、空き地から出る。

 思えば柔道部の主将である後藤とは、練習でも勝ったことがない。それはまだ溝口自身が高校生のレベルに戸惑っているからに過ぎない。後藤が卒業するまでには、三度に一度は勝てるのではないかと思っている。その自信が溝口自身の心の中にある。

 だけど、だけれども、あの小次郎には勝てるかどうかさえもわからない。どの程度自分の実力を上げればよいのか、さっぱり見当もつかない。

 それほどに、自分と小次郎には実力差がある、と溝口は理解している。

 自分自身だけでの努力では限界があるのである。だれか、導いてくれる人物が必要だ。自分を高みに導いてくれる優れた人物が必要不可欠だ。


 だけど溝口にはその人物に心当たりはなかった。


 柔道部顧問の愛田は確かにいい教師ではある。溝口を使って柔道部を躍進させ名将といわれたい、という野心のようなものも感じられた。

 それは強くなるために必要なものである。

 だが、それでは小次郎に追いつくことは出来ないように溝口には思えたのだ。

 小次郎に勝つためには、さらにその上に進まなければならない。

 溝口の心は袋小路に迷い込み、身体はただあてもなく街を彷徨い始めていた。


 そうして溝口三番勝負。その第二幕は終わった。


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