もうすぐ死ぬ僕らは、最期まであと一か月 ~残り少ない命の僕らが、ただイチャイチャするだけのお話~
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市役所の前で、タクシーのドアが開く。
先に降りた男性、環は、となりの女性、曜子の手を取った。
手を繋いで、市役所へと入るふたり。
「お誕生日おめでとう、環」
「ありがとう、曜子」
環は今日で、曜子と同じ18歳になる。
ふたりとも、高校は既に辞めていた。
環の手には、桃色の紙があった。
記入済みの婚姻届。
「私、まさか間に合うなんて思ってなかった」
「僕も。ギリギリセーフだね」
「神様って、ほんとにいるかも」
お互い見合って、微笑んだ。
環は、曜子の笑顔が大好きだ。
隣で笑う曜子。今、環は、とてもとても幸せだった。
ふたりの鞄の中には、痛み止めの、医療用モルヒネ。
環と曜子。
僕達ふたりは、余命一か月。
婚姻届けを出し終わると、ふたりはいつもの、近場のホテルへ向かった。
それは、ふたりの間で決めた約束事。
死ぬ前に、できるだけ愛し合う事。
一日でも多く。
一回でも多く。
ベッドの上で、ふたりは裸でキスの雨を降らせ合う。
口づけられるならば、どこだって構わない。
癌に全身を侵された環と曜子は、もう強く動くことはできなかった。
今では、途中で力尽きて、最後までできないことも多かった。
だから、スローペースで、優しく愛を交わす。
お互いの左手の、手のひらを合わせるふたり。今日からは、薬指には指輪が光る。
「私、環のお嫁さんになっちゃったんだね~」
「うれしい?」
「すごくうれしい」
抱き合ってキスをする。
出会ってから、もう数えきれないほどの途方もない数のキスをしたけれど。
決して飽きることなどなかった。
環と違って、曜子の両親は健在だ。
だけど、僕達のことは、容認してくれている。
優しいご両親だった。
残り一か月となった今、曜子の両親は、毎日僕達に会いに来た。
それも、環にはとても嬉しかった。
環の直接の両親は、交通事故で他界していた。
幸い、生きる分の遺産は残っていたが、友人も恋人も居なかった。
天涯孤独だった環。
でも、死の間際になって、こんなにかわいいお嫁さんができるなんて。
環は、幸せ過ぎて、今すぐにでも死んでしまいそうだった。
「曜子」
「なぁに?」
「一生大切にするよ」
「ふふ。もうあと一か月だよ?」
「うん。あと一か月で、一生分の愛をあげる」
「ありがとう、環。でも、この一生しか愛してくれないの?」
「まさか。生まれ変わってもだよ。また僕と出会ってくれるでしょ?」
「もちろん。何度でも」
となりで笑う曜子。
環は、曜子の笑顔が大好きだ。
環と曜子は、入居しているホスピスに帰る。
ホスピスとは、治療よりも、苦痛を取り除いて、安らかに最期を迎えることを目的とした場所。
この世には、こんなにも優しい場所があるのかと思った。
ホスピスのスタッフの皆は、とても親切な人たちばかりだった。
かわいいお嫁さんに、親切なスタッフさんたち。環たちと同じく、入居しているお年寄りの皆さん。
環は、死を目前にして、ようやく孤独ではなくなったのだ。
ひつじ雲の空に、ログハウス調のホスピスの建物が映える。
ホスピスの中庭のベンチに座るふたり。
環の灰色のパジャマと、曜子の黄色いパジャマ。
青いサンダルは、おそろいで。
ふたりは、点滴の袋がぶら下がった、キャスター付きの長い柄を持っている。
それぞれの腕に、点滴からの管が繋がれていた。
環と曜子は、もう食べることが、ほとんどできなくなっていた。
曜子は言う。
「死ぬときはさ、一緒がいいね」
「うん」
「でも、余命って、けっこう外れることもあるらしいよね」
「そうみたいだね」
「片方だけ、意外と長生きしちゃったらウケるよね」
「ふふ。僕は、最期まで一緒じゃなきゃ嫌だな」
「わがままさんだ」
おでこと、おでこを、こつんと合わせ。
柄にぶら下がった点滴が揺れる。
もし、一緒に死ねないとするならば。
一日でもいいから、僕が長生きするべきだと環は思った。
そうすれば、曜子を悲しませないから。
きっと、僕の胸は裂けそうなくらいの悲しみに襲われるだろう。
でも、曜子には穏やかに旅立ってほしい。
ふたりぶんの悲しみは、ぜんぶ僕が持っていくよ。
環は、曜子に出会うまでは孤独だった。
自分がステージ4の末期癌だと知って、ひとりで、この世の全てを恨んだ。
町中を歩く、幸せそうなカップルが妬ましかった。
きっと僕は、たったひとりで、寂しくこの世から消えてゆくんだろう。
このホスピスにやって来た時は、環はもう余命数か月だった。
ここで、曜子と出会った。
環と同じ、ステージ4で。
今と変わらない、お気に入りの黄色いパジャマで。
「私ね、いままでずっと、色んなことに遠慮してきたの。
他の人から嫌われたくなくて、本心なんて誰にも言えなかった」
珍しく同年代の入居者が入ってきた曜子は、すこし興奮ぎみに環に喋っていた。
「だけど、私はもう、誰にも遠慮しないって決めたの。
残された時間、思いっきり、やりたいことをやるの。
好きなものをお腹いっぱい食べたり、おしゃれしてお買い物に行ったり。
それでね、私……」
-私、恋がしてみたい-
ピンク色に頬を染める曜子に、環は見とれていて。
ふと気づけば、環の手は、いつのまにか曜子の手に触れていた。
(……あ、まずい)
付きあってもいないのに、女の子の身体に触れるなんて、まさに勘違い男のど真ん中だ。
瞬間的に、手を引っ込めようとする環。
でも、
曜子は、そのまま環の手を握った。
「ねえ、私たち、恋人になれないかな?」
まっすぐに環を見つめる曜子。
環と曜子。二人の瞳は合わせ鏡みたいに、お互いを映していた。
「私、もう遠慮はしないって決めたの。
あなたのこと、好きになれるかは、今はまだわからないけど……
もう躊躇なんかしてられないから」
「僕のことなんか、きっと好きにならないよ」
「だいじょうぶ。その時は、きっぱり振ってあげるから」
クスクスと笑う曜子。
環は、曜子の笑顔が好きになった。
そして、環も、もう遠慮はしないことに決めた。
「そのパジャマ似合ってるよ、曜子」
「髪の毛が、すごくきれいだね、曜子」
「四葉のクローバーを見つけたよ、曜子」
「今日のお出かけ用の服、とてもかわいいよ、曜子」
「好きだよ、曜子」
-愛してるよ、曜子-
環は、毎日、ありったけの愛の言葉を曜子に贈った。
残りの時間はどんどん少なくなっていくけれど。
反対に、愛しさは天高く積もっていった。
「ありがとう、環。私、とってもうれしい」
うっすらと涙を滲ませ、笑顔の曜子。
人を愛するという事は、こんなにも……
環の目からも、涙が一粒だけ流れた。
死に直面しなければ、出会うこともなかった曜子。
死に直面しなければ、ここまで深い関係になどなれなかったと思う。
環は初めて、自分の体中に住み着いた、病魔に感謝した。
残りの時間は、もう少ないけれど。
その時間を使って、一生分の愛の言葉を、お互いに与え合った。
ある日、環と曜子は、ホテルで愛し合うことを決めた。
もう、お互いの気持ちには、疑いようがなかった。
お金ならば、環の両親の遺産が残っていた。
ちょっとした罪悪感。でも、どうかこれは許してくれと懺悔する。
初めて同士の繋がりは、なんだかぎこちなくて。
最初が終わった時には、恥ずかしくて、ふたりとも顔を合わせられなかった。
環と曜子は約束した。
これから、なるべく多くの愛を交わそうと。
もし、二人とも18歳まで生き延びられたら、結婚しようと。
そのとき、残りの時間が、どんなに少なくとも。
曜子の両親にも、伝えた。
曜子の両親は、泣きながら笑い、全てを許してくれた。
「曜子。君と一緒なら、死ぬのなんて怖くない」
「環。私も。
もし私が生き延びちゃっても、ちゃんと一緒に連れて行ってね」
曜子と夫婦になってから、もうすぐ一か月。
環も曜子も、意識がもうろうとすることもあった。
病状の悪化と、モルヒネの効果で。
人によっては、モルヒネを打っても痛みが治まらないこともあるらしいけど。
僕たちは、運よく苦痛に悩まされることは無かった。
ある日。
弱り切った身体の僕たちは、ふたりで支え合いながら、ホスピスの板張りの廊下を歩いていた。
環のとなりで、曜子が、突然、かくんと倒れた。
点滴の繋がれた手で、曜子を抱きかかえる環。
駆けつけたスタッフたちが、ストレッチャーに曜子を乗せた。
環も、かよわくなった身体で、なんとか曜子たちを追いかける。
曜子は、一番奥の個室のベッドに寝かされていた。
一番奥の個室。
ここは、もう最期を迎える人だけが、おさめられる場所。
意外にも、そこには心電図すら無かった、シンプルな部屋。
環は、眠る曜子の隣に座り、曜子の髪を撫でていた。
曜子の両親も、既に駆けつけていた。
そしてしばらく経ったあと、曜子は目を覚ました。
「……環。なんだか、私の方が、先みたい」
「うん」
「今まで、愛してくれて、ありがとう」
「うん」
「待ってるから。迎えにきてね」
「僕も、すぐに、行くよ」
「約束」
「うん、約束」
小指と小指を結ぶ。
「お父さん、お母さん、お願いがあるの。
最期は、環とふたりきりで過ごしたい」
環にとっても、義父と義母になった両親。
二人は、既に泣いていた。
義父の胸に、顔をうずめる義母。
だが、二人は黙ってそのまま席を外してくれた。
そしてお医者さんも、スタッフさんも、みんな部屋から出て行った。
今はもう、環と曜子のふたりきり。
環は、弱った身体でなんとか曜子の近くに寄り。
環は曜子にキスをする。
既に手も動かせない曜子は、ただキスを受け止めた。
それを何度も何度も、繰り返す。
環の頬の涙が、曜子の頬に落ちる。
だんだん呼吸も弱まっていく曜子。
曜子は、かすれた声で、ひとことだけしゃべった。
「……環。好き」
そうして曜子は、天に召されていった。
その翌日。
朝、環は目が覚めると、身体がうまく動かなかった。
ふしぎなことに、自分にも今日、最期のときがきたのだと、悟った。
環は、うまく立てない足で、なんとか部屋の外に出る。
ちょうど側を通りかかったスタッフさんに、声をかける。
「たぶん、僕は、今日が最期だと思います」
スタッフは了承した。
どうやら、こういったことは、よくあることらしい。
今なら僕もわかる。
自分の死期というのは、わかるものなのだ。
曜子もそうだったのだろうか。
もう点滴もいらない。
苦痛を逃すための、医療用のモルヒネだけを打っていた。
神様、ありがとう。
あなたが本当に存在するのか、僕は知らないのだけれど。
もし存在するならば、精一杯の感謝をしたい。
僕が死ぬのを、一日遅らせてくれて。
おかげで、曜子の悲しみは、ぜんぶ僕が受け止められたよ。
そして、一日しか間を空けなくてくれて。
おかげで、僕は、曜子と一緒に旅立てる。
環は、一番奥の個室のベッドに寝かされた。
スタッフさんに、是非にとお願いしたことが、たったひとつだけ。
環は、最期の時も、曜子と一緒に居たかった。
環の右隣には、移動式のベッドに寝かされた曜子の亡骸。
お気に入りの黄色いパジャマで。
曜子の左手には、おそろいの結婚指輪が。
環は右手で、そっと曜子の左手に触れる。
その手は、ドライアイスで冷たくなっていた。
そして、部屋のドアが開くと、曜子の両親で、今は環の義父と義母になった二人。
「お義父さん。お義母さん」
「……環君」
義父が、環に声をかける。
義母は、昨日と同じように泣いているようだ。
「……僕の、ために、来てくれたんですか?」
「そうだ。当たり前だろう。環君は、もう俺達の息子だ」
環に、そっと触れる義父と義母。
その手は、とても優しくて。
かつては、ずっと孤独だった環。
曜子に出会っただけでも、幸せだったのに。
義理の両親まで、こんなに大切に思ってくれた。
死のおかげで、まさか、こんなに暖かい人生になるとは。
環の身体に巣食う病魔は、環にとっては天使だったのかもしれない。
環と義両親は、ひとときの間だけ、泣いて笑って、おしゃべりをした。
そして、環の息も苦しくなってきたころ。
環はひとつのお願いをした。
「お義父さん。お義母さん。ありがとうございました。
もし、わがままを言ってもいいなら、最期は、曜子とふたりきりがいいです」
義父は、すっくと立ちあがった。
義母と共に、背中を向ける。
背中越しに、義父が言った。
「環君。ほんとうにありがとう。
まちがいなく、曜子は君に会えて幸せだった」
義両親は、部屋から去り、環は曜子とふたりきりになった。
環はもう、動けない。
キスすらも、できない。
だから、精一杯の愛の言葉を贈る。
「そのパジャマ似合ってるよ、曜子」
「髪の毛が、すごくきれいだね、曜子」
「あのとき見つけた四葉のクローバー。
押し花にしてあるんだ、曜子」
「好きだよ、曜子」
「愛してるよ、曜子」
こんなにも満ち足りた死が待っていたなんて、ひとりの時には、思ってもみなかった。
僕の人生が、こんなに素晴らしい最期を迎えられるなんて。
僕はたった18年しか生きていないけれど。
もし死病に侵されずに、このまま数十年生きていたとしても、ここまで幸せになれただろうか。
ありがとう、曜子。
僕と恋人になってくれて。
僕と夫婦になってくれて。
僕と出会ってくれて。
君がとても大好きだ。
君とのキスは、素敵だった。
君の身体も、全部愛おしかった。
君の心も大好きだ。
君を、永遠に愛している。
ずっと、一緒、だよ……
曜、子……
そして、その部屋から生者の気配が消えたとき。
環の義両親は、ドアから顔を出し、ふたりを見た。
手を繋いで。
お気に入りのパジャマで。
おそろいの結婚指輪で。
ふたりして、やすらかな寝顔で。
その後、環の義父と義母は、小さな小さなお墓を建てた。
それはあまりにも小さくて、ふたり分しか入れないお墓。
この世でひとつだけの、ふたりのためだけのお墓。
そこには、四葉のクローバーの押し花。
魂というものがあるかどうかは、誰も知らないけれど。
少なくとも、身体だけは永遠に一緒になれた。
そして、義父の耳に。
聞こえた気がした。
「愛してる、環」
「愛してるよ、曜子」
空を仰ぐも、そこにはただの、ひつじ雲。
きっと気のせいでは、と思う。
義父は、娘と息子に祈りを込めた。
どうか、永久にお幸せにと。
そして義父は義母と一緒に。
ふたりのための、小さなお墓を後にした。
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