傘 -先輩視点-
「あ…」
それは本当に偶然で。雨の予報だったからちゃんと傘持ってきてたのに、ビニ傘だったから盗まれたみたいでそこにはなくて。どうしようかなと下駄箱のとこで雨を見てたら、たまたまそこに人が来て。そしてその子がたまたま、見たことがあるというだけだったけど。つい、声に出してしまっていて。
「君、王子の……」
ハッとしたときにはもう遅かった。一瞬体を強張らせたその子が、警戒するようにこちらを見ていたから。
「あー……安心していいよ。別に俺、王子に恋してるわけじゃないから。ただのクラスメイトっていうか、割と仲のいい友人?」
「あ…そう、なんですね。よかった…」
最後の一言が紛れもない本音なんだろう。本気でホッとした顔をしていたから。
この子が陰で女騎士って呼ばれてるのは知ってる。あと一歩ってとこでいつも王子との仲を邪魔してくるから、それがまるで王子を守る騎士みたいだってことでついたあだ名みたいだけど。ぶっちゃけそれを言い始めたのが男だったってことに俺は驚いたけどね。お前らが邪魔された側なのかよと。
ちなみに王子の幼馴染らしく、よく登下校時に一緒にいるのを見かける。それもあって守ってるんだろうなーとは思ってるけどな。
「傘忘れたの?」
とりあえず話しかけてしまった手前、無難な話題を振っておく。靴を履き替えようとしないから、なんとなくそう思ったわけだけど。
「はい…。実は前に別の鞄に入れたのを忘れていて、折り畳み傘を持ってきているつもりになってました」
そうやって少しだけ恥ずかしそうに笑う姿は、普通に可愛い女の子なのに。いくら王子が傍にいるとはいえ、男どもはまずこっちに目を向けるべきだと思う。
あいつらやっぱり間違ってるよ。何が女騎士だよ、騎士要素どこにもないじゃねーか。
「先輩も傘忘れたんですか?」
「あー、いや。実は持ってきてたんだけど、ビニ傘だったから盗まれたみたいで…」
「え…!?」
「ま、名前も書いてないから仕方ないけどさー」
とはいえ、一応窃盗罪なんだけどな。犯人捜しなんて無駄だからしないけど。
「というか、傘ないの分かってるなら教室で待ってればいいのに。王子に連絡したら来てくれるでしょ?」
「それは……あ、いえ。確かに教室しばらく様子見ようかな、と…そう、思ったんですけど……」
「え、なに?なんかあったの?」
「その……入っていける雰囲気じゃなかったといいますか…」
「…あ、なんとなく察したわ」
今日まさに今、王子は女子に呼び出されているわけで。つまり、そういうことなのだろう。
王子は確か別の教室に呼び出されてたから、全然違うところで同じことが起きてたってことか。何なんだ?今日は告白大会なのか?
そんなことを思いながら、つい顔を見合わせて苦笑しあう。たぶん今俺とこの子、同じこと考えてるんだろうな。面倒だなーってさ。
「……ねぇ、なんで二人が一緒にいるの…?」
そしたら突然声がかけられたから、ちょっとびっくりしたけど。まぁ、声で誰なのかは分かってたし。二人で同時にそっちに顔を向けて、俺は軽く手を振って。王子の幼馴染の女の子は、小さく頭を下げてた。
「あ、王子だー。おっかえりー」
「お疲れ様です」
「それ、どっちの意味で……あぁ、うん、いいや。それより何話してたの?」
ここで俺にではなく彼女に話しかけた辺り、ん?と疑問に思った。しかもなんか、びみょう~っに機嫌悪そうだし。第一声が珍しく不機嫌気味だったから間違いない。
「傘がなくて困ってるって話してたんです」
「あれ?いつも折り畳み傘入れてなかったっけ?」
「……べ、別の鞄に入れたのを忘れてて…」
「珍しいね。愛ちゃんが忘れ物なんて」
さっきと同じように少し恥ずかしそうに言うのが可愛いなぁとか思いながらふと王子を見たら、ちょっと驚いたような顔をしてて。こっちもこっちで珍しい表情だな、とか思って俺も少し驚いたけど。
……ん?てか、待って?今王子、この子のこと"愛ちゃん"って言った?
「普段使わないのでついうっかりしてたんです」
「ふふ。可愛いうっかりだね」
「実害があるので可愛くはないと思いますけど…」
…………間違い、ない。王子の天然ドストレートな発言に一切顔を赤らめることなく、さも当然のように切り返すこの態度…!!この子があの愛ちゃんだ…!!王子の大切なお姫様…!!
っつーか、そしたら俺今ちょー邪魔してんじゃん…!!そりゃ王子不機嫌にもなるわ!お姫様が男と二人きりとか、いくら王子でも気に食わないよな!?
ってか、マジで王子がさらりとかわされてんだな!?直接向けられた王子の可愛い発言に、一切動揺すらしないとか…!確かに、これは強敵だわ……。正直今目の前で起こったことなのに、一瞬信じられなかったぞ?
「先輩は傘を盗まれたみたいで…」
「え、盗まれたの!?」
「あー…ビニ傘だったからな。置き傘じゃなかったのに最悪だよ」
そして多分、この対面も最悪だ。もしかしたら俺、王子に敵認定されるかも…。普段の感じからして、相当溺愛してるっぽいし。
恋人でもないのに溺愛ってなんだよ。だから王子って呼ばれるんだよ。……いや、呼び始めたのは俺だけどさ。
「先輩は傘持ってきてましたよね?」
「うん。俺のはあそこ」
「……よく、盗まれずに済んでますね…」
「ちゃんとしたやつだから、普通に考えて盗みにくいと思うよ?」
いや、たぶんその子はそういう意味で言ったんじゃないと思うんだけど。
けどまぁ、そんなことしたらやった方が袋叩きに遭うだろうからな。そういうとこだけ、お互いに牽制しあった結果平和なんだろうよ。本人は全く知らないっぽいけどな!!
「一応折り畳み傘も持ってるけど…」
「そっち俺に貸してくれねぇ!?」
っつーか、なんでこのタイミングでそれ言った!?言わなければ二人で一つの傘に入って相合傘ーとかできるだろ!?そういうとこは何で積極的に行かねぇんだよ!?ホント王子の考えてることよく分かんねーな!!
「え?うん、まぁ、いいけど…」
「そっちの傘なら二人で入れるだろ?帰る方向一緒ならそれでいいじゃねーか。ちゃんと明日乾かして返すから」
お姫様からは見えない位置に立って、ウィンクしてやる。それにハッとしたような顔をした王子は、もしかしてバカなんじゃないかと一瞬思った俺はきっと悪くない。
そうやってお膳立てして、じゃあな!サンキュー!と借りた傘をさして走り出す。あの場所から一秒でも早く退散しないと、王子の邪魔になるだけだろうからな。
……ところで王子、ちゃんとお姫様口説いてるのか…?
通学路を歩きながらふと思ったそれが、まさかあらぬ方向にいっていたなんて。あとから知った俺は驚愕したわけだけど。
まぁでも、お姫様の気持ちも分からんでもない。確かに王子って、誰にでも言いそうだもんな。
でも俺は知ってる。あんな風に真っ直ぐに王子が可愛いなんて言う相手、お姫様だけなんだってな。
先輩と愛ちゃんの出会いでした。
本編に入れられなかった一幕です。