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青天の霹靂  作者: 桂まゆ
7/8

tern3 荒ぶる神の社(中編)

 話は少し遡る。

 尾咲かえでが語る物語を聞きながら、上谷秋紀はとうてい我慢できない眠気に襲われていた。

 こんな、ありがちな話を聞かされたせいだろう。

 正体不明の睡魔を、つまらない物語のせいだと勝手に解釈する。

「おい、死神」

 小声でそっと囁くと、彼に取り憑く死神が静かに傍らに降り立った。もちろんその姿は、秋紀にしか見えない。

「なに? 呼んだ?」

「ヨーコと人形とユウたちの様子見てろ。オレは寝る」

 ユウとレイは、同じように秋紀に取り憑いた子供の悪霊。昔から、色んなものを憑けているせいで、オカルト系の話は免疫がある。というか、聞き飽きている秋紀だった。

「無責任だね、人形フラフラなのに」

「人形は神隠しのケに当てられでもしたんじゃねーの? とりあえずこんな眠い話、聞いてられるか」

 ソファに身を横たえ、熟睡体勢を整える。

「英雄ねぇ。それに『今までも、そうだった筈』か。――ボクが説教でもしてこよーか?」

 少し考える死神に、秋紀は「やめとけ」と手を振った。

「いらん世話焼くな。今は旅行中だ、テメーも休めるだけ休んどけ」

「りょーかい。手は出さないし、口も出さない。何かあったら助け舟くらいは出したげるよ、一応『神』だしね」

「安らかな眠りでも与えてくれんのか? 死神さん」

「それもいいんじゃない?」

「ぜってー殺されてやんねーよ。ど阿呆」

 にっと笑って死神を小突く。死神もまた、笑っていた。

 では、そろそろ本気で眠るかと思っていたら、

「ちょっと、アキちゃん。寝ててもいいの?」

 再び、邪魔をされる。ヨーコだ。

 寝入りばなに揺り起こされて、秋紀は不機嫌に重い瞼を半分だけ開ける。

「ここの主はいないんだろう? だったら後で直に聞いた方が楽だし手っ取り早ぇ」

「あらヤだ聞いてたの。レディの話に聞き耳立てるなんて……アキちゃんたら、ぶ・す・い」

 小首をかしげ、ヨーコが秋紀の鼻先をちょんちょんと突く。

「無粋で結構。そういや人形、もう起きられるか?」

「ごメンマスター。神隠し酔いきつくて……」

 人形の声は、気をつけないと聞き取れないぐらいに小さく、かすれていた。

「ま、色んなものが混じっているみたいだからね」

 そんな人形の額に手をやりながら、ヨーコがぽつりと呟く。

 やっぱり何か知っていやがると、秋紀は改めて思う。だが、本人が語らないという事は話す気は全くないのだろう。

 しかし、色んなものが混じっているって?

 見回す秋紀の周りには、死神、亡霊、それにヨーコに人形。

 まさか、ね。

 秋紀はヨーコの手を引き、半ば強引に隣に座らせると、目を閉じた。

「結局なんにも聞かない?」

 呆れたような声が降りかかってくる。

「聞きたいなら、お前が聞いとけ」

 心の内にわき上がった不安のような何かを元の場所に押し込め、秋紀は眠りの世界へと身を投げた。いつでも眠りから覚められるよう常に周囲の空気に気を配りながら……。



 一方、陽水咲季は。

 机の上に並んだ果物やクッキーに、満悦していた。丁度小腹もすいていた頃だ。こういう気遣いが有り難い。

 さて。

 尾咲かえでの話も、実に興味深いものだった。

 よくある感じの御伽話かとも思う。でも、この類の――民話や伝承は、完全な創作ではない場合の方が多いのだ。本当に神様が居たということではなく、それに近い存在がいて、それが基になっている事が多い。

 話を聞いた咲季の率直な感想は、「至極当然の結末」の一言に尽きる。

 「神」は「英雄」に力及ばず敗北した。負けたからには、命令に従うのは当然の義務だ。弱肉強食。力の劣る敗者が、勝者に踏み躙られるのは昔からの道理。勝利を掴んだ者が、己の意を他者に強い、隷属させ従わせるのも当然の権利。

 それに対してどんなに悔やもうとも、悲しもうとも、敗者には何をする事も出来ない。敗北した以上、神はこの話にあるように大人しく言う事を聞くしかないのだ。

 そう。負けたのだから。

 それは、村人にしたって同じ事。荒ぶる神の横暴に異議があるなら、力で神を倒せば良かった。たまたま、村人に代わってそれを行ってくれた英雄とやらの存在がなければ、村人たちは果たしてどうしていたのだろうか。考えるまでも、なさそうだ。

 神が、もし本当に英雄の言い付けを不服に思うなら、復讐でも雪辱戦でも何でもやって、相手を倒し返せば良かった。そして命令を撥ね退けて、もう一度したいがままにすれば良かった。

 ここで物語が終わっているのなら、この神様とやらはそれをしなかったんだろう。現状に満足してたのか、考え方を変えたのか、潔く全てを諦めたのか、どうなのかは知らないけど。でも英雄の言い付けや敗者としての在り方に甘んじていたなら、彼には何も言う権利はない。粛々と命令に従うのが正しい姿勢だ。

 だからこそ、この物語はあって然るべき終わり方。そう思う。

 敗者には、何を言う権利もない。

 そうでなければ……

「陽水さん」

 はっとして、声をかけられたほうを伺う。朝霞が、いつものように微笑みながら自分の眉間を指でつついていた。

「ここ。女の子がいるから。ね? リラックス」

 朝霞に指摘され、自分が考えすぎていることに、咲季は気づいた。

 若かりし頃――もちろん今でも若いのだが――今より少し、やんちゃだった頃に戻っていたようだ。

 無意識のうちに、険しい顔をしていたのだろう。

「あはは、すいません。ちょっと疲れてただけですから。でも、もう大丈夫ですよ」

 空気を吸い込んで、リラックスする。

 気持ちを切り替えると、周りの人たちが眠そうにしているのが見えた。

 お婆さんやカップルの佐藤さんたちはすっかり寝入っている。

「そういえば先ほど『この辺りでは人が消えるのか』と、そちらの朝霞さんがおっしゃられました。私は万が一にでも人が消えるなんていうことがあるなら、ものすごくおおごとだと思うのですが。あなたはそう思われませんか?」

 不意に、尾咲かえでが話の矛先を変えて来た。

 話を向けられたのは、谷川裕と名乗った高校生だ。いきなり話を向けられ、戸惑ったような顔をしている。

「確かにそう思います。人が消えるとなればかなりの大事でしょう。しかし実際にそれが起きています。この辺り昔から人が消えるとかの話はありませんか?」

 多分、思ったことをそのまま口に出したのであろう谷川裕の言葉に、尾咲かえでは――咲紀にとっては意外な事に、驚愕の表情を見せた。

 おや? と、咲季は小さく首を傾げる。 

「聞いた話だと、昔からこの辺りは迷子というか、目的地になかなかつけないような事が結構あったみたいなんだってね。それはやっぱり、さっきの御伽話に出て来た神様だかの仕業だったりするのかな?」

 口を挟んだら悪いかとは思ったが、咲紀も気になっていた事を口にする。

「ちょっと待って下さい。そんなに簡単に人が消えるわけがないでしょう? むしろ……」

 明らかに彼女は驚き、戸惑っている。それが、逆に不思議だった。

 何故か咲季は、彼女のことを些細な事で感情を乱さないタイプだと思いこんでいた。

「そういえば、 さっきこんなものを見つけたんだけど……」

 入り口付近から、別の声がかかる。

 その時だ。

 突然の、閃光。そして、耳をつんざく轟音。

 隣に座る美智花ちゃんが、「ひゃあ」と叫んで咲季に抱きつく。

「美智花ちゃん、大丈夫? 此処には皆居るから、ほら、怖がらなくてもいいよ。僕もビックリしちゃったから、同じだね」

 そっと美智花の肩を叩き、頭を撫でて励ますと、美智花はがたがたと震えながらしがみついてきた。

 この子にとっては不幸の連続だなと、可哀想に思う。

 しかし、ますますもって尋常じゃない事態だ。

 お婆さんたちは、あんな轟音の後でもまだ眠っている。先刻までの青天からは想像もできない、にわかに曇った空と、激しい落雷。まるで、神社に足を踏み入れた事で逆に不思議な空間に隔てられたようだ。

 そんなことを考えていると、尾咲が全員に向けて一礼し、「ちょっと失礼しますね」と言いながら出入り口に向かった。駆けつけた朝霞と扉の辺りで少し言葉を交わした後で、早足で出ていく。

 悩むように社務所内を見た朝霞と、目が合った。

 彼は咲紀と、その隣に座る美智花を見てその口元をそっと緩める。

「ちょっと行ってきますね。美智花さんはここにいるんですよ」

「神社の中でこういうのもなんですけど、気を付けて下さいね。なんていうか、色々と妙な事になってる感じですから。僕はこのまま居ますから、美智花ちゃんの事は御心配なく」

 その背に声をかける、咲紀。だが朝霞は振り返ることもせずに、部屋を出た。

 気になりはしたが、今は心細そうにしている美智花ちゃんの側に居てあげる方が大事だ。

 それに、どうせだからここいらで情報交換でもしておきたいし、と、咲季は改めて谷川裕に話しかける事にした。

「谷川君って言ったよね? なんだか変な事になってきたみたいだけど、君はこの状況どう思う? やっぱりオカルト的な力でも働いてるのかな? 僕はあんまり信じないタチなんだけど」

 これだけ妙な出来事が重なると、流石にね。そう続いた咲季の言葉に、裕は小さく首を傾げた。

「う〜ん。僕もあんまりオカルトとかは信じません。でもこんな状況になると……」

 何か気になることでもあるのか、彼の視線は出入り口の方を何度もちらちらと伺っている。

「何? 何か気になる事でも?」

 「実は」と、裕が切り出した。

「さっきのバスの中で、ひとが消えるのを見たんです」

 おやと、咲季が眉を上げる。

 それは、新情報だ。

「白いワンピースを着た女性だったんです」

 「白いワンピース?」と、えらく含みのある裕の言葉を反芻する。

「尾咲さんだったんじゃないかなって」

「それってつまり、バスが走ってる時に尾咲さんを見たって事かな?」

 「多分」と、谷川裕が答える。これは、ますます面白い展開になってきたな。頭のどこかでそう考えて、咲季は苦笑した。

 面白いとか思ってる場合じゃないのに、なんだろう、どこかでわくわくしている自分がいる。

「それってどの辺りだったか覚えてる? 僕等が降りたバス亭の近くだったら、彼女である可能性もあると思うけど。でももしもっと別の場所だったなら、きっと人違いだよ」

 彼が見た「尾咲さんらしい人影」の場所とバス停までの距離は、けっこう重要だ。

 だって、尾咲さんは自分たちがバスを降りてからほんの数分後にはあの階段の下に来ているのだから。

「君がその人を見た場所とバス亭までの距離を考えてみて。僕等がバス亭で留まっていた時間を差し引いたら、人間の脚で走行中のバスに追い付けたかどうか。無理そうなら、それは尾咲さんじゃないと。そうなるよね」

 咲季に言われ、裕は少し考えるようなそぶりを見せる。

「バスを下ろされる、十五分くらい前だったかな。何気なく窓の外をみたら女の人が立っていて……」

「十五分? 僕たちがバス停に居たのはほんの五分ほどだよ」

「う〜ん、そうですよね。やっぱ違ったのかな」

 この子も、自分が見間違えたなんてことは本当は納得してないんだろうな。と、咲季は思う。

 でも、その人がいない場所でああだこうだと推測するのは、欠席裁判のような後味が悪い印象がある。

 まさか幽霊って事は無いだろうが、やっぱり尾咲さんに直接聞いてみる他ないよね。正直に教えてくれるかどうかは別問題だけど。

 そんな結論に達した時に、やっと気がついた。

 美智花が、しきりに咲季の袖をひいているのだ。

「ああ、ごめんごめん。何かあったのかな?」

 美智花の視線に促されて、窓の外を見る。激しい雨が、窓を叩いていた。

「ねぇ、サキおにいちゃん。外にいる人たち雨で困ってるよね。尾咲のおねえさんに傘を借りて、一緒に探しに行こうよ」

「え? 外の人達? 電話が出来る場所を探しに行った人たちかな?」

 咲季が思い出したのは、タクシーを呼ぶべく携帯の電波を探しに行った三人だ。彼等が尾咲さんに自分達が立ち往生をしていることを知らせてくれて、おかげで今も雨に遭うことなくここで休めているわけだ。

 その三人が雨に遭っていたら、確かに気の毒だと思う。

「違うよ。ブタさんのぬいぐるみを持っていたおねえさんたち。きっと、この雨で困ってると思うの」

 はっと、咲季は美智花と、そして裕を見た。

 消えた三人。

 その中でブタのぬいぐるみを抱えた少女は、確かに目立っていた。

 彼等の消息は、咲季も気になっていた。しかし、この落雷と雨の中を美智花を連れて当てもなく探すのはどうかと思う。

「僕も賛成だよ。外の人達は心配だもんね。でも……」

「でも、雷も鳴っているし、危ないよ」

 すかさず、谷川裕からフォローが入る。

 咲季は、少しほっとして美智花の頭を撫でる。

 今、ここを離れるのはあまり得策ではない。ただでさえ人が消えているような状況だ。迂闊に動き回らない方がいいよう思う。

「とりあえず、雷が止むまで待っていよう。外にいた人が傘を持っているかもしれないし、どこかで雨宿りしてるかもしれない。もしかしたらここに向かっているかもね。だから今はここで待って外の天気がましになったら一緒に捜しに行こう」

 咲季の言葉に、美智花も不承不承頷いた。


 「うふふふふ」という笑い声が社務所内に響いたのは、その時だ。

 ちょっと驚いてそちらを見ると、楢木幸助が楽しそうに笑っている。

 気にはなったが、何かを聞いて良い雰囲気ではないと――いや、何となく身の危険のようなものを察したので、忘れる事にした。

 世の中には、いろんな人が居るのだと。あらためて咲季は思った。


 ― ― ― ―


 「物の怪の領域」という少年の衝撃的な発言に、三人はとっさに反応することが出来なかった。

 須藤隼人は、「何の話だ」という顔をして小さく肩をすくめている。氷月沙弥は、例の珠を胸の前で握り込んでいた。

 少年は、その沙弥が持つ珠をじぃっと見つめながら、小さく溜息をついた。

「その珠は、これの一部なんだ」

 ポケットから糸の切れた念珠のようなものが取り出される。

 赤や緑、ピンクや茶色の珠は、先ほど沙弥が拾ったという琥珀色の珠と同じぐらいの大きさだ。確かにその一部だという事は、納得できる。

「間違ってココに来ちゃった時に、いきなり糸が切れちゃったんだ」

 それを、しげしげと見つめている沙弥。

 須藤隼人は他に気になることがあるのか、周囲を見回している。

「どうかなさいましたか?」

 そっと、ミコトが尋ねる。

 隼人は小さく首を振った。

「いや、この神社の由来が書いたものがないかと思っただけだ」

 ああ、と、ミコトは納得した。

 「物の怪の領域」ですものね。と、心の中で少年の言葉を反芻する。

 ミコトにとって、大切なのはそこだ。

 いきなり「物の怪の領域」に迷い込んだと言われて、「だったら、どうすれば恋人の元に戻れるのか」と、すぐに思った。今すぐにでも会いたい相手なのに。あのままバスに乗っていたら、今頃会えているかも知れないのに。と、小さく唇を噛む。

 そんなことを考えると、沙弥が手に持っていた琥珀色の珠を少年に返すのが見えた。

「その念珠って物の怪に効果があるの? それに君は別の場所に行くはずだったと言ったよね」

「これを持っていたら、物の怪の世界に迷い込んでも、絶対に戻れるんだよ。でも、まだいくつか足りないんだ……」

 沙弥が、じっと少年を見ている。まるで、その動向に何か意味があるかのように。

 ミコトもそれに倣った。

「ここは、どこ?」

 沙弥の声は、少し震えている。

「徒歩以外に、帰れる方法はあるの?」

「旅の人なら」

 と、少年は茅の輪を見た。

「茅の輪を、普通と逆にくぐるんだ。普通は、本殿に向かってくぐって左に回ってもう一度くぐって右に回るんだけど」

「この輪っかをくぐれば、帰れるの?」

 沙弥は、じっと茅の輪を見つめている。触れようとして伸ばした手を、おびえるように引っ込めた。

 氷月さんの気持ちは、なんとなく解るなと、ミコトも思う。

 帰れると解っているなら、きっとミコトは躊躇わない。でも、もしもやり方が間違っていたら? 実際にこの少年は、間違ってしまったと言っていた。

 ミコトはおぶたさまをぎゅっと抱く。でも、おぶたさまからの答えはない。

 おぶたさまは、自分で考えろと申されておりますのね。

 ミコトは、小さく頷いた。

「くぐり方を間違えた場合にはどうんあるのでしょう?」

 それが、一番大事だ。

 これ以上、変なことになってしまったら。本当に戻れなくなるかもしれない。

 そんな間に、須藤隼人は本殿の辺りを見に行っている。少しは、こちらの会話に参加しくれてもいいのにと、ミコトは小さく唇を噛んだ。

「旅の人なら、何かをきっかけに戻れるって言われているよ。世界の方が異物を……」

 言いかけて、少年は不意に言いにくそうに口ごもった。

「とりあえず、比較的に「道」が開きやすいんだ。でも、僕は……ここから帰れないと、後はヌシにお願いするしかないんだって」

「ヌシ?」

 思わず繰り返したミコト。

 それをちらりと見た少年の目は、涙目になっていた。

「ヌシって?」

 沙弥もまた、少年に詰め寄る。

 彼の目から涙がこぼれた。

「ヌシは、ヌシだよ。迷い込んでしまった時には、正直に理由を話せって言われてるんだ。でも、ヌシは本当に気の荒い……」

 泣き出した少年。

 すると、それに反応したように、大地に陰りが落ちる。

 空を見上げたミコトの目には、徐々に広がって行く雨雲が見えた。

 少年も、はっとしたように空を見上げる。

「ねぇ、お願い。雨が降る前に一緒に探して! あと四つある筈なんだ」

「そ、そんな事を言われても」

 先刻から、ずっと落ち着きのない沙弥に、ミコトはおぶたさまを押しつけた。

 押しつけられた沙弥は、呆然とミコトを見て、次におぶたさまを見る。

 そう、落ち着きたい時にはおぶたさまを強く抱くと、落ち着けるのだ。少なくともミコトはそうだ。だから、他の人だって同じ筈。

 それが、ミコトの考えだった。

「落ち着かれましたか?」

 にっこりと笑うミコトに、沙弥も少し照れたように小さく笑った。

「ありがとうございます」

 次に、少年におぶたさまを押しつけた。

 少年もまた、いぶかしげにおぶたさまを見つめていたが、手触りが気に入ったのだろう。ぷにぷにと、いじっている。

「では、手分けしてその珠を探しませんか? 氷月さんは先ほど、石段の下で拾ったとおっしゃられましたわよね?」

「え、ええ」

「どうした?」

 不意に、隼人が合流してきた。

 多分、こちらの様子をずっと気にかけていてくれていたのだと知り、少し感心する。だからといって、必要以上のおしゃべりを、男性とするつもりはないのだが。

「ああ、この子が無くした珠を一緒に探そうって言っていたんです」

 ミコトに代わって、沙弥が答えた。

 簡単に説明され、隼人も納得したようだ。

「じゃあ、俺も一緒に探すよ。どこで無くしたんだって?」

 少年が茅の輪を指さした。

「僕が、ここから出てきた時に、ばらばらになっちゃったんだ」

 言われて、沙弥も隼人もその大きな茅の輪を見る。勿論、ミコトもだ。

 では、この輪がやっぱり元の世界と繋がっているという事だろう。でも、少年はあの念珠が揃わないと帰れないらしい。だったらまずは一緒に珠を探してあげなければ。

「それはそうと、須藤さん。今まで何を?」

 沙弥が、今、気づいたように問う。

「この神社の由来を書いた物がないかと探していたんだよ」

 隼人の答えに、「それなら」と少年が手水場を指さした。

「あっちに、そんな事を書いたものがあった筈だよ」

 少年のその言葉に、ミコトの中にふと疑問がわき上がった。違和感というべきか。

 だが、それは形になるまえに霧散した。

 恋人の顔が、脳裏に浮かんだからだ。そう。早く珠を見つけて。そして元の世界に帰らなければ。

 隼人が「では、それだけ見てから探すのを手伝うよ」と手水場に向かった。

 沙弥が「じゃあ、私はあちらを探しますね」と、茅の輪からさほど離れていない本殿に向かう。

 本殿から階段にかけては、ゆるやかな傾斜がある。転がりやすいものなら、ここから階段に向けて転がっても不思議はない。

「では、わたくしは階段を探します」

 そんなミコトの後に、少年が続く。三十段もある階段で捜し物をするなら、ひとりでは時間がかかる。

 雲が、さらに広がった。

 早く見つけなければ。ミコトにそんな焦りがあったのは事実だった。

 手すりのない、けっこう急な階段だ。捜し物をしていたので、足下の注意を怠った。

 三十段ほどの階段の、数段目で。ミコトは足を滑らせた。

 甲高い悲鳴が遠くで聞こえる。

 こんなところで落ちたりしたら、大怪我するんじゃないでしょうか……ミコト自身は、そんなことを考えていた。

 大怪我どころの話ではない、という発想だけはない。

 だって、わたくしにはおぶたさまがついていてくださるんだもの……。

 そう考えて、ミコトは気がついた。それは今、彼女の手にはない。慌ててミコトに駆け寄った少年の手に、抱かれている。

 おぶたさま。

 どうしましょう。わたくし、死んでしまうかも……。どこか遠いところで、そんなことを考えた。

 ミコトの身体が落下する直前。

 何かがその躯を支える。

 目に映った白い布を、ミコトはしっかりと握りしめる。

 顔を上げたミコトに目に映ったのは、白衣と緋袴。一目で巫女であると解る若い女性だった。結い上げた黒髪に映える、翡翠の髪留めが印象的だった。

「大丈夫ですか?」

 その人が静かに告げる。

 呆然としながら頷く、ミコト。


 彼女を注視していたミコトは、気づかなかった。

 田中明と名乗った少年が、彼女を見て恐れにも似た表情を浮かべた事を。


     ――後編に続く

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