tern2 神隠し峠(後編)
その青年は、山田という名だった。ひと目でコンビニのアルバイト店員だと解る。
何故解るのかというと、その大手フランチャイズコンビニの制服(名札付き)姿だからだ。その格好で通勤するのは立派な社則違反なのだが、彼の勤めるコンビニ店長はかなり大雑把で、そういう細かい事は特に咎める事もない。
それを幸いとバイトの日は制服を着て通勤、帰宅をしている山田青年。そんな青年が、気になる美少女と出会った。
雛には稀な……ごく稀。ごくごく稀ぐらいの美少女で、しかも格好がまたすごい。ゴスロリというのだろうか、このあたりでそんな格好をする人間が居るとすれば、小学生のピアノの発表会ぐらいのものだと思う。
まるで、ネタが服を着て歩いているようだと、山田青年は思った。いや、服からしてネタなのか。
バスを降りてからは、これ幸いと彼女がよく見える位置につけ、携帯で隠し撮りをしてみたり。
そんな時だ。その少女の姿がいきなり、見えなくなったのは。
えっと。
山田青年は、考える。
バス停の「夜久峠」の文字に思い出される追憶が、彼にはあった。
そう。峠道でかくれんぼをしていて、ばあさんにこっぴどく怒られた記憶。
ばあさんは、何て言った?
確か……。
ひとりの男性が、山田青年に近づいて何かを話しかけた。
だが、山田青年は聞いちゃいないし見ちゃいない。
そういえば、さっきあっちのカップルが何か言っていたな。女の方は知っているぞ、観光協会の鈴木さんだ。
山田青年は、二人に声をかける。
「ちょっと確認したいんだけど」
二人が、振り返る。
「そっちの人が言っていたのって、アレのこと? ほら、昔この先の峠が『神隠し峠』って呼ばれてたっていう、アレ」
二人は、即座に固まった。
鈴木さんが、ことさら大きな声で「ああ、迷信ね」と答える。
「うんうん。昔、このへんで肝試しをしたら叱られたよ」
鈴木さんの彼は、はははとわざとらしく笑っていた。
空気の読めない山田青年に、出世の道は険しい。
― ― ― ―
人が消えただの、「神隠し峠」だの。
そんな無責任な話が、バス乗客たちの間で行われている事など知るよしもない三人は、実は同じ場所に居た。
そう。
居る場所はバスを降りた直後と、全く変わらない。
須藤隼人は神社の階段近く。
氷月沙弥は、バス停がよく見えるあたり。
白雪ミコトは、すこし人を避けた場所。
違うとすれば、人が居ない。まずは、その一言に尽きる。だから須藤隼人も、最初は他の他の乗客が自分達を置いてどこかに移動したと思った。
残っているのは、二人。ブタだかタヌキだかのぬいぐるみを抱いた少女には、見覚えがある。同じバスに乗っていた乗客に間違いない。もうひとりのショートカットの女性は覚えていないが、明らかに旅行者風。やはり同じバスに乗っていたのだろう。
隼人がそんな事を考えていると、ショートカットの方がぬいぐるみの女に近づいて行くのが見えた。
「ちょっといいかな? 他の人達、どっちに行ったか知りませんか?」
「わたくしは、気付いたらここに居たのでございます。ゆえに他の方のことは存じません。ですがもしあなたも遭難していらっしゃるのであれば、一緒に元の道を探しませんか?」
えらくまた、まどろっこしい話し方をする女性だなと、隼人は小さく肩をすくめた。
しかも、遭難?
俺たちは、一歩も動いていないのに、どうやって遭難するっていうんだ?
だが、少女の言葉が正しい事を、隼人はすぐに認める事になった。
一歩も動いていないのに、明らかにさっきまでと違う点が見つかったからだ。
隼人が足早に歩み寄ったのは、峠へと続く道だった。
アスファルトだった筈の道路は、砂利道になっている。
それとも、最初から砂利だったのか? 砂利に残る跡を見ると、そこにはタイヤの跡はなかった。
代わりに、何かの車輪の轍と足跡がかなり残されている。
バスのタイヤのように大きなものではないし、その傍らについている足跡、真ん中についている獣の足跡から察するに、荷車とそれを引く獣、そして荷車を押す人間の足跡のようだ。しかもその足跡は、どうやら靴ではない。いびつな楕円形の足跡。隼人もあまり詳しくはないが、草履で歩くとこんな足跡がつくかも知れない。
荷車に、草履履き。俺たちは江戸時代にでも迷い込んだのか?
首を振り、もう一度バス停の様子を確認する。
隼人は思わず笑ってしまった。
笑うしかなかった。
バス停を意味する標識も、その横に置いてあったベンチもない。
「あの?」
その頃になって、後ろの方でもうひとりと話していた女性が隼人に声をかけてきた。
「ちょっとお伺いしたいんですが」
振り返った隼人に、不安そうだった女は少しほっとしたようだ。
「さっきのバスに乗っていた方ですよね? 他の方がどこに行ったかご存知ですか?」
「他の乗客が何処に行ったのかは解らないが、どうやら俺たちが別の場所に移動したらしいな」
自分で言っておきながら、あまりに信じがたい出来事に隼人は心の中では動揺していた。
本当はバスの中で眠っていて、これは夢なのだと言われた方が、よほど信じられる。
「別の場所?」
案の定、女は訝しげな様子になり、周りを見回した。
「俺たちは、バス停で降りた筈だろう?」
隼人の言葉に、女はバス停の標識がなくなっている事に初めて気がついたようだ。固まった後に、小さく身を震わせる。
不安そうな女の表情に、ぶっきらぼうな態度を取りすぎただろうかと、隼人は少し後悔した。
「さっき、白雪さんも遭難だって言ってました」
女はそう言って、背後に広がる鎮守の森と、その脇の鳥居、階段とその上に見える神社の屋根へと視線を移動させる。
まるでそこに、彼女の不安の権化がいるかのように。
解りやすい女の行動に、隼人も神社を見た。
そして今度は、側に建つ民家を伺う。
これからどうするかを決める為には、調べられる事を調べておかなければならない。
ここは、そんな場所であるような気がする。
「私は、氷月沙弥って言います。あちらに居るのは、白雪ミコトさん」
隼人が彼女から視線を逸らすと、女は慌ててそう告げる。
「もしも、もしもですよ。何ていうのか、超常現象? みたいなものが働いて、私たちが遭難したのなら。やっぱりひとりで行動するのは危ないと思いませんか? だから、その……」
「そうだな」
と、隼人は小さく苦笑した。
氷月沙弥という女性。本当に、解りやすい。だから、ある意味安心できる。
「確かに一緒に行動した方がいいだろう。だから、ちょっと待ってくれないか?」
荷車と足跡は、この峠を昇って行ったようだ。
足跡の数は、かなり多い。ならば、かなりの人間が峠に向かって移動したという事になる。そして、民家は静まりかえっている。
それらからはじき出される結論は、この辺りの人間は今、集団でどこかに行ったという事になる。ならば、民家を尋ねるのは時間の無駄か?
待ってくれと言われた氷月沙弥は、やはり落ち着かなげにしていた。と、何かを拾い上げる。
光にそれを透かすようにしてから、沙弥はそれを隼人に差し出した。
「これ、何なのでしょう……?」
沙弥は、階段から転がってきたと言う。
隼人はそれを借り、手に取った。
一センチぐらいの大きさの、琥珀色の玉。本物かどうかは解らないが、中には木の葉のようなものが入っているので、本物かも知れない。糸を通す穴が空いている所を見ると、アクセサリーの一部だろう。
階段から転がってきたというのなら、上に誰か居るのか?
隼人がもう一度、神社を仰ぎ見る。
その時だ。
ずっと二人と――いや、その視線で解った。隼人と距離を取っていた白雪ミコトが、二人に向かって歩み寄って来たのは。
すうっと、優雅とも思える仕草で彼女の右腕が上がり、その白魚のような人差し指が階段の上に見える神社の屋根を指さす。
「神社に秘密があります。行きましょう」
「白雪さん?」
氷月沙弥が、驚いたように彼女を見る。
「その、根拠は?」
と隼人が言うと、白雪ミコトは少し嫌な顔をした。
「じっとしていても、事態が好転するようには思えません」
ミコトの答えは、正確には隼人の問いに応えたものではない。だが、彼女が言う事は正しいと、隼人は納得した。
「須藤隼人だ。動くにしても、氷月さんが言うように三人で行動した方がいいと思う」
ここが何処だか解らないが、ここにいるのは、三人だけ。協力は確かに必要だと思う。
隼人が名乗ると、ミコトもまた自己紹介をした。
「白雪と申します」
そう言って、ミコトはじっと隼人を見つめる。
美少女だが、表情をあまり感じさせないそのおもてに、隼人がやや居心地の悪さを感じた頃。
「須藤さん。貴方を信用することにいたします」
そう言って、ミコトは小さく笑った。
なんなんだ、この女は。
そうは思ったものの、別に何か反論する程でもない。
そんな隼人と、ふたりの言葉のやりとりの間、忙しく交互に見ていた沙弥に、ミコトはくるりと背を向ける。長いさらさらの黒髪が、ふわりと輪を描いた。
呆然と立ちつくすふたりを後目に、ミコトは先頭に立って階段を上り始めていた。慌ててふたりが後を追う。
「ミコトさん、行動がいきなりすぎ」
沙弥がたしなめると、
「そうでしょうか?」
ミコトが小首をかしげる。
三十段ほどの階段を上がると、二つ目の鳥居がある。
それを越えると、少し開いた場所に出た。
神社らしく手水鉢があり、そしてその先に本殿が堂々と建っている。
その本殿の前に。
多分、神社らしいのだろう。だが、隼人にはあまり馴染みのないものがあった。
多分、茅の輪というものだろう。
茅の輪くぐりという儀式があることは、隼人も知っている。でも、今の時期に行われるものだったかどうかまでは、覚えていなかった。
三人が何気なく茅の輪に近づいた時。
いきなり湧いて出たように、小さな人影が現れた。
無意識に、隼人はふたりを庇う位置に立つ。
「ぼ、ぼく美味しくないよ!」
その小さな人影は、三人に向かってそう叫んだ。
― ― ― ―
バスを降りてからというもの、陽水咲季はなんだか落ち着かずにいた。
何と言えばいいのか――そう、血が騒ぐ。
まるで、この暗い森の精に酔ったかのようだ。
優しげな顔立ちをしている咲季だが、かなりやんちゃをしていた頃もあった。危ない橋も渡って来た。そんな彼のとぎすまされた第六感が告げていた。
普通では、ない。そんな事が起こり始めている。そんな気がする。
バスの中で知り合いになった朝霞が、小声で「人が減ったような気がしないか?」と尋ねてきたのは、そんな折りだった。
「人が、ですか?」
陽水咲季は、周囲を見回し、確かに人が少ない事に気がついた。
特に、異彩を放っていたゴスロリな女の子や煙草を吸っていた男の子。そんな人たちの姿が見えない。
僕らが、美智花ちゃんに注意を向けてる間にどこか行ってしまったのかな? でも、そんなに長い時間じゃなかったよね。人が居た痕跡も残ってないって、そんなことあるのかな。
まさか、突然消えた?
ありえない。そんな、神隠しでもあるまいし。
咲季が、思った時だった。
『神隠し峠』。
その単語が耳に入ったのは。
まさにそんな事を考えていた咲季は、驚いて声のした方向を伺う。
コンビニの、アルバイト店員の格好をした青年が、カップル風の男女と話をしているのが見えた。
カップル男女は、焦ったように「迷信」とか「昔話」を強調している。それが咲季には気になった。
それより、「神隠し」。
自分の第六感と、フリーター男性が発した言葉の関連性に、驚愕する。
なんだろう、この符合は。
「朝霞さん。ここは、バラバラに動くのは避けた方がいいと思います。何が起こったのかは解りませんが――多分、一緒に行動した方が良い。そんな気がするんです」
咲季は、他の人には聞こえないように朝霞に耳打ちをした。
今、この場に居る人間は他人ばかりだ。だけど一緒に居た方が良いと咲季は思った。
朝霞は「僕もそう思うよ」と頷いた。
そして、バスを降りてから、ずっと一緒にいたお婆さんに話しかける。
「お婆さん、この神社にはどういういわれがあるんですか?」
神社?
朝霞の言葉に、咲季は初めてそこにある鳥居に気がつく。
こんな所に神社があることに、咲季は全く気づいていなかった。というか、普通は神社の前なんだからバス停も「○○神社前」とかにしないのかな。その方がよっぽど解りやすいのに。
そんなことを考える。
そして、尋ねられたお婆さんは、「神社のゆらい」と言われてとっさに言葉が出なかったようだ。
「えっと。何て言われてたかなぁ。確か氏神さまが……」
最初から咲季は気になっていたのだが、このお婆さんの言葉は関西弁に近い。
生粋の地元の人ではなく、大阪のあたりから来た人なのかなと思う。
そのことを、朝霞に伝えようとした時だ。
「御前神社は、かつてこの土地の人々を苦しめた荒ぶる神を討伐した英雄を祀っております。他には失せ物探しや、つきもの落としのご祈祷に来られる方も多いですよ」
背後から、そんな声がかけられる。
朝霞と咲季は、ほぼ同時に振り返った。
二十歳前後の女が、立っている。
白いワンピースと、背中の中程まで伸ばした漆黒の髪が印象的だが、なにより目に力がある。
振り返った瞬間から、いきなり引きつけられた。今まで、何の気配もなかった筈なのに。
「あ、驚かせてしまいましたか? 私はその神社の者で、尾咲と申します。さっきのバスに乗られていた方ですよね? あちらで同じバスに乗られていた方から事情を伺いました。宜しければ、休憩して行かれませんか? 電話もありますよ」
多分、この女性が言うのは、さっき携帯の電波を探しに行った二人の女性とサラリーマンの事だろう。
女性の言う事に、別におかしな点はない。
だが、どうにも釈然としないものを、咲季は感じていた。
気配を感じさせなかったことといい、この胸騒ぎといい。どうにも、しっくりとしない。
カップルの男性の方が、女性に何かを囁く。
「トイレ? 勿論あるんじゃない?」
女がちょっと呆れたように、連れを見る。こういう時、女の方がデリカシーに欠けると思う。
逆の立場だったら、絶対に怒っているくせに。
「ええ、お手洗いもお使い下さい。みなさんも如何ですか?」
尾咲が声をかけると、離れた場所に居た人たちも頷いた。
あれ? と、陽水が不審に思う。
三人組のひとり、表情に乏しい青年が具合が悪いらしく、お連れの青年に寄りかかっている。
熱中症かな? けっこう涼しくなってきたけれど。
すぐにでも電話をかけたい美智花や、具合がわるい男性を連れた青年とそのお連れの意見も聞き、全員が神社で休む事に決まった。
だが、病院に行く筈だったお婆さんは足が悪いらしく、階段が苦手のようだ。
「陽水さん、一緒にゆっくりと登ってあげてくれるかな。美智花さん、おばあさんの荷物もってあげてくれないかな? 重い?」
朝霞さんに言われて、咲季は頷く。
膝の悪いおばあさんには、この階段は辛いだろう。
十歳の少女、日野美智花もお婆さんの荷物を手に取る。
朝霞はそれを見て、「僕は先に行って彼女を手伝って来ますね」と、さっきの女性について階段を軽やかに駆け上がって行く。
朝霞が去った後、おばあさんに手を貸しながら、咲季はなんとはなしにさっき変な事を言っていたカップルたちの行動に気をつけていた。
「人が、消えたと思う」
咲季が何とか聞き取れるぐらいの小声でそう告げたのは、「神隠し峠」とかいう重大発言をした、フリーター。
「まさか。神社のそばなのに?」
応えたのは、カップルの女の方。その後、更に声が小さくなった。よく聞こえない。
目立つ人が居たはずとか、本物の事件はやめてよとか。
そんな会話が断片的に聞こえて来る。
どうやら、観光協会か何かが自作自演で観光客を呼ぼうしたことがあったみたいだ。
はた迷惑な話だなと、咲季は苦笑する。
もしかしたら、今回の件もそうなのかな? 観光客を巻き込んだびっくり企画みたいな。
そう考えた方が、明らかに解りやすい。
だけど、この胸騒ぎは何なんだろう。咲季が、そんな事を考えていた時だ。
「『旅人』だから心配ないと思うけれど。古式にのっとって、氏神様にお願いしに行く?」
カップルの女性。話の流れから察するに観光協会の関係者の女性が、そう言って他の二人を見る。二人は神妙に、頷いた。
何だ?
この地域は、未だにそんなに信仰が深いのか?
咲季は自分が手を引く老婆をちらっと見る。
「大丈夫ですか? 辛いんだったら、僕が背負ってもいいですよ。こう見えても、体力には少し自信がありますから」
咲季は、先刻の三人の会話から、この地域に根付く氏神への信仰を大きさを感じていた。
「神隠し」という事が、実際にあるらしい。そして、この地域の住民は「氏神様」とやらへ縋っていたのかと。
自分で、何をするでもなく。
そういう、土地柄なのだろう。
咲季にとってものすごくもどかしいのは、ここの土地柄とは別の問題だ。
咲季は、思い出していた。
かつて、彼が居た不良グループの内で起こった闇討ち騒ぎ。犯人は判らない、でも何人も仲間がやられた。そこで皆が頼ったのは、何時も仲間内の色んな問題を解決してくれた人物。
結局、犯人はその人物という、実にお粗末な結末だった。
咲季は神社を仰ぎ見る。
考えすぎだよね。
「あの、お婆さん」
と、咲季は手を引くお婆さんを振り返った。
「この辺りの事、ここの神様の事も含めて、良かったら少し教えてくれませんか? 知ってる事だけでいいですから」
そうやなぁと、お婆さんは答えた。
「うちが嫁に来た頃に聞いたんやけど、この先の峠は神隠し峠って呼ばれていて、不思議な場所やったんよ。一本道やねんけど迷いやすいというか……一時間ほどで峠を越える筈やのに、半日ぐらい歩かされたり、元の場所に戻ったり。だから、峠を越える時は必ず、氏神さんにお参りしなあかんって言われてたなぁ」
もう、何十年も前の事やけどと、お婆さんは語る。
アスファルトが引かれ、観光バスが往来するようになってからはそんな話はとんと聞かなくなったと。
そうですか、と咲季が視線をバス停に向ける。アスファルトの道が、延々と伸びていた。
「一人では大変でしょう。手伝いますよ」
お茶と茶菓子の用意をしていた女性に、朝霞治がごく自然に語りかける。
尾咲と名乗った女性は、少し驚いたように振り返った。
「あ、これ。うちの店で出しているものですが、よろしければ」
朝霞が差し出したクッキーを、女性は嬉しそうに受け取る。
「では、お言葉に甘えて。じゃあ、水を汲んできて頂けますか?」
そう言って、尾咲は薬缶を差し出した。
「ここの湧き水は、日本の名水百選に入っているんですよ。あちらの階段を上がった所に亀の置物を置いた井戸がありますので、そちらで」
渡された薬缶を手に持ったまま、朝霞はじっと女を見る。
商売柄、人を見る目は肥えていると思っている。
「あ、電話を先に使われますか?」
訝しげに尋ねる、女。朝霞は率直に告げた。
「電話は、後で借りますね。……それで。人が消えるようですが、この辺り。消えた人はどうなるんです?」
「人が消える?」
その言葉を、何度か反芻した後で、尾咲はくすっと笑った。
「まさか。この先は迷いやすいので、『神隠し峠』って言われていますけど……人が消えたりしたらおおごとですよね」
教科書に書いたような、答えだった。
「そうだわ。確か頂き物の果物があった筈」
尾咲は、着々と準備を進める。なかなかに、手際が良いと朝霞は思った。
「僕は、朝霞治といいます。あなたは? この神社の方ですか?」
朝霞の言葉に、尾咲は「どうしてそんな事を聞くのか」と言いたげな、不思議そうな視線を向ける。
「尾咲かえで、です。この神社で生活を営んでいます」
確かに、彼女はどこに何があるかちゃんと解っている。
だが、何か引っかかる。
そんな事を考えている時だ。
遅れてたどり着いた人々が、社務所に入って来た。
その中にいたひとりの美女が、つかつかと尾咲に歩み寄る。
「ちょっと聞きたいんだけど、ヌシはお出かけ中かな?」
「ああ、神主ですか? 所用で出かけていますけど、御用ですか?」
尾咲の言葉に、美女は小さく肩をすくめた。
「ああ、別に良いんだけどねー。うちの連れが具合を悪くしちゃって。ちょっと休ませてやってくれない?」
二人のやりとりの間に、不意に薄暗くなったような気がした。
朝霞が窓を見ると、空には重い雲が立ちこめつつあった。
ゲームマスターの独り言
このターンは、けっこう難産でした。(苦笑)
登場人物が多い場合、自動的に「サブシナリオ」が稼働することは、最初から決めていました。
参加者を十人以下に限定したのも、十人を越えるとサブシナリオをもうひとつ考えないといけなくなるかと思ったからです。
シナリオを分けることで、ひとりひとりがよりクローズアップされる利点と、疎外感があるかもしれないという不安がありました。
クローズアップの利点は、小説には生かされたかなと思っています。
物語は、まだ続きます。
参加者の皆様。お時間を頂き、申し訳ありません。これからも宜しくお願い致します。