第三章 安貞二年(1228年)秋 長門国 霜降城
厚東四郎忠光と女は、深い山中のかすかな踏み跡を辿ってそのまま南下し、翌日の夕刻、長門国全域を統べる山塞、霜降城へと至った。
すでに日は暮れなずみ、この地方特有の、あのとっぷりと暗い夜の闇が迫ってきている。二人は、山裾を縫ってぐるりと廻りこむように流れる黒い川の流れに沿って歩き、城下に広がるわずかばかりの邑の灯りを横目に、古びた木橋を渡って、城の大手門にまで駄馬を曳いて行った。
門脇に控える番兵が誰何すると、四郎は、
「わしじゃ、四郎じゃ。」
とだけ言った。
すでに話が通っているらしく、兵は威儀を改め、
「こちらに。」
と腰をかがめて案内し、脇の潜戸を叩いて中から開けさせた。
「おぬしは、ここで待て。しばらくして戻らねば、儂は城中に逗留するが故、邑のどこかに宿でも取れ。」
四郎は、馬の引綱を手渡し、女に言った。女は頷いた。
霜降城は、椀を伏せたような形の大きな山を、そのまま城郭に仕立てた巨大な山塞である。通常、国主は麓に居館を置いて政務を執り、日常もそこで起居するものであるが、この山塞の主は常に山上に在り、彼に対面を望むものは、必ず山道を登らなければならない。彼が山を降りるのは、都や鎌倉からよほど高貴な使いが来る時と、春と秋に行う領内の巡検、そして戦がはじまる時だけである。
大きな山体を、まるでとぐろを巻いた蛇のようにぐるぐると取り囲む山道の上りは、急ではないが距離が長い。四郎は、番兵の一人に松明を持たせ、肩に小さな行李をひとつ掛け、樫の木刀を腰から提げて、のっし、のっしと段を登って行く。大きく四角い頭に、張り出した肩。まわりを包む強靭な筋肉が、かすかに汗の玉を載せながら、波頭のようにうねっているのが着衣の上から見てとれた。
この坂道を登り慣れているはずの番兵が、頂上に差し掛かる頃には顔を赤く染め、大きく息をついていた。しかし、四郎は顔色一つ変えず、息も全く乱れていない。
ほどなく、この巨城の本丸が見えてきた。
巨城の主は、奥まった御殿の奥で四郎を迎えた。いくつか灯明が入ってはいるが、板張の奥座敷は薄暗く、主の顔は影になってよく見えない。ただ、痩身の入道姿で、首筋が皺だらけなのはよく判る。唯一、よく見えるのはその眼で、やや黄色く、どこか禍々しい輝きを放っている。
左衛門太夫、厚東武光。すなわち四郎の父親であった。
武光は、すでに六十を越えている。もう四十年近くも昔のこと、寿永年間の源平合戦において、まだ若き長門国の押領使 (軍事警察長官)であった彼は積極的に参戦、手勢を率い、平家の軍勢の兵站を背後からしっかりと支えていたが、一の谷、屋島と敗退が続くとこれを見限り、とつじょ源氏についた。
彼の裏切りは、衰勢の平家にとって決定的な一撃となり、戦局は一気に動いて壇之浦での破滅につながった。潮流が疾く流れの複雑な壇之浦を知り尽くした水主衆をいちはやく取りまとめて舟ごと戦場に供給し、源氏に最後の勝利をもたらしたのも武光の働きである。
その偉功は破格のもので、今では長門国全域が事実上、厚東氏のものとなっている。長府に形ばかりの国司が置かれているが、実権はすべて霜降城の武光が握り、国司に鎮座する守護代は、あくまで武光が決定した物事を事後決裁するだけの形骸化した存在であるに過ぎない。
薄暗い奥座敷には、他に人はだれもいない。
親子は数年ぶりの対面となる。国主と家臣としての、形式張った書簡のやり取りや、使者を介しての口上を交わす以外、直接に口を聞くのも久方ぶりのことであった。
「壠の具合はどうじゃな?」
開口一番、武光が訊いた。
「まるで変わり無く。日々平穏で、海も静かでございます。」
四郎は答えた。
「いつも、静かなわけではあるまい。」
父は、少し笑いながら言った。
「確かに。風雨の吹きすさぶ頃合いなど、高みから見下ろせばなかなかに凄みが。冬の海も、荒れた際には、大した見ものでございます。」
四郎は、表情を変えずに答えた。
厚東四郎忠光は、武光の妾腹である。晩年になってからの子であり、上には何人も別腹の兄がいて、家内の継承順位は高くない。また嫉妬深い正妻に疎まれた生母はさまざまに迫害され、そのかたわらで辛酸を舐めた四郎と武光には、日頃の接点もあまりなく、父子のあいだは、今でも近いとはいえない。
ただ厚東兄弟の中でも卓越した勇気と膂力を持つ四郎忠光の令名は内外に高く、彼は長門鎮護の守将として山陰側の護りの拠点、「壠」とのみ通称される城壁の守備に任じていた。
「壠」は、いつ誰が造ったともわからぬ古代からの城壁で、両手で抱えられる程度の平たい岩石を、人の背の三人分ほどの高さに積み上げてある。盛り土はされておらず、ただ剥き出しの石積が、遠く北の海を睨みながら延々と連なり、寒風にびゅうと吹きつけられているだけだ。
その物言わぬ長城は、萩の泊の東、鵜山の岬から数里、長大な海岸線に沿って高低問わず曲線をなして伸び、蛇のようにうねうねとのたくっている。長年月に亘り無人で、ところどころ叢木に埋もれてしまっている奇妙な石塁だが、不思議と大きく崩れたった部分はなく、一定の間隔で、人の出入りできるこれも奇妙な形の、どことなく異国風な半円形の出入り口が設けられている。
四郎はその壁の背後に小さな居館を建て、僅かな手勢とともにそこへ移り、以降数年、霜降城には帰っていなかった。
歩けばさして遠い距離ではない。深い山越えの道とはいえ、ほぼ三日もあれば、今回のように、まずまず難なくやっては来れる。しかしこの任命が、厄介者を遠隔地に飛ばすための措置であることを敏感に察していた四郎にとっては、自分がふたたびこの道をとってかえすことになろうとは、思いもよらぬことであった。
「それは、何かな?」
どこかぎくしゃくした、弾まぬ親子の会話の中、武光は、その間を埋めるように、訊いた。
「詑粉でございます。」
四郎は、そう言って傍らに置いた木箱を手に取り、武光に渡した。
「拙者の任地にて作付されております赤米を搗き、捏ね、そこらじゅうに生っておる柘榴の実をすり潰し甘味など付け、丸めた菓子でござる。ぷつぷつとした種子の舌触りと、赤みのなかへ苦味渋味が残り、なんともいえぬ深い味で・・・民は、神に供えるべきものとしてこれを実はあまり食しませぬが、まあ当地の名物であるが故。数函、手土産として持参致しました。」
「詑粉、か・・・。変わった名の菓子じゃ。詑とは、あざむくという意味であろう?」
「さよう。何をあざむくのか、拙者も意味は知り申さぬ。古より伝わったもので。だご、あるいは、だんご、などと呼ぶ者もおりまする。お口にあえばよいのですが。」
「貰うておこう。さて、早速じゃが、おぬしを急ぎここに召した理由についてじゃ。」
かつて、この一円を大いなる武威を以て平定し、都から落ち来たる平家の大軍団に最後の引導を渡した英雄に相応しく、武光はてきぱきと要件に入った。
「おぬしも感じておるかも知れぬが、近年、なにかと領内が不穏でな。」
武光は、言う。
「まずは、流行病じゃ。疱瘡や、あとは何ともわからぬ奇妙な病が流行り、難儀しておる。都より流れて来た者に取り憑いて、領内にひろまったもののようだが、どうも、そうとばかりは言えぬのじゃ。」
「と、おっしゃいますと?」
「疱瘡そのものは、いつも、流行りの波がある。今年の夏が盛で、それからあとは、いつものように、だんだんと落ち着いてきた・・・と思った。」
「思った?」
「そうじゃ。いったん収まったと思ったが、秋口より、また別の病が流行り始めての。」
「それは、どのような・・・拙者の任地では、あまり聞き及びませぬが。」
「儂も薬師ではない。詳しくはわからぬが、見た目は疱瘡に似ておる。はじめ、大いに熱を発し、そのあと顔や身体に瘡ができる。そのまま生きるか死ぬるかの境を漂い、或る者は死に、また或る者は生き残る。」
「それでは、疱瘡と、同じでございます。」
「しかし、この病は違うのだ。疱瘡は、生き残った者が二度と再び罹ることはないが、この病は、数日ごと、同じ者にまた取り憑く。そして、大いに熱を発し、瘡を発し、顔色が青白くなり、びっしょりと汗をかいて・・・そして、踊り出す。」
「踊り出す?」
四郎は、びっくりして聞き返した。
「いったい、なんのことでございます?」
「本当に、踊り出すのじゃ。まるで、なにかに取り憑かれたかのようにな。そして、何ごとか訳のわからぬ譫言を叫びながら、あるいは歌いながら、とつじょ、ばたりと倒れる。」
「それは・・・聞いたこともござらぬ、斯様な病など。」
「儂も、はじめは信じられなかった。しかし、勢い盛んでな。一月ほど前に、西の方から流行りはじめ、そのうち城下にまで伝染って来た。そして今では、この城内にも病者が居る。」
「なんと・・・して、その患者は?」
「いまは地下に座敷を設え、そこに起居させておる。他の者に伝染っては事であるからな。安堵いたせ、命に別状はない。」
四郎は、しばらくだまり、眉をひそめた。そして言った。
「父上。いま、安堵せいと仰られましたな。なぜ拙者に?」
武光は、かすかに溜息をつき、四郎の眼をまっすぐ見つめて、言った。
「なぜなら・・・その病者とは、おぬしの母だからじゃ。」
四郎は、ぎょっとした。