第二章 昭和三年 (1928年)夏 英国 ハムステッド近郊
なにか思わせぶりで奇妙で、どこかしらとっても不安な夢から醒めて、浅野和三郎は、自分が大きな異国のベッドの上に横たわっていることに気づいた。
頭の上には、白く塗った木枠の窓が嵌めてあり、気持ちの良いあたたかな陽光が部屋に入り込んできている。穏やかな、イングランドの田園都市の朝。頃は8月。浅野の故国のような湿気のある暑さはなく、まるで、軽やかな小春日和のようだ。
そのまま、いつまでも微睡んでいたい気持ちを抑えて、浅野は起き上がった。やや古い、錆びついたスプリングが、彼の体重を受けてぎしぎしと軋むような音を立てた。彼は手早く着替えを済ませ、部屋を出て階下に降りると、数名の先客が居るホテルの食堂に着座した。
倫敦郊外、ハムステッドにある小さな田舎のホテルである。名は素人亭。その名の通り、素朴な、しかし心のこもったサービスを提供する気の利いた宿屋で、やや大きめの民家を改装した六部屋だけの設えだが、常連客が多く、常に賑わいを見せていた。
いかにも大英帝国然とした仰々しいフロントもホールも無かったが、空間は明るく小奇麗で、食堂の脇には古いピアノが置いてあった。ここにはもちろん、古典小説に出てくるような忠良で恭しい執事は居ないが、フロント係の恰幅のいい赤ら顔の中年男は愛想がよく、投宿している他の客たちも皆にこやかで感じがよい。
下水の匂いがどこからともなく微かに漂い、年代物の石造の建物が街路を両脇から圧迫し、どことなく道行く人々の表情にも翳がある倫敦の陰鬱さに較べて、ここはまるで別天地の感があった。
浅野が着座すると、さっそく、給仕が注文をとりに来た。この近所に住む、十三歳のスコッティという子供である。ホテルのオーナーの、妹の夫の甥だったかなんだか、詳しくは忘れてしまったが、投宿して以来ほぼ3週間にもなるこの頃には、浅野はスコッティと大の仲良しになっていた。
「ミスタア・ヒャキョウ、いつもの紅茶とスコーンで良いですね?」
「あァそうだね。あとサラダも頼もう。いいお天気だね!」
「はい、今日は村の友だちと、釣りに行くんです。」
「そうかい。それは楽しみだね。うんと釣ってきて、美味しい鱒でも、夕食に出しておくれよ。」
いつもの朝のような、軽い会話を交わしながら、浅野は新聞紙を手にとった。
ヒャキョウ、とは、浅野がかつて文筆で身を立てようとしていた頃に、いわば筆名として使っていた馮虚という雅号を、スコッティが彼なりに一生懸命発音してくれようとした音なのである。浅野をこの名で呼べるのは、少なくとも英国のハムステッド界隈においては、スコッティただ一人であった。
浅野は、長らく日本で英文学者として生計を立ててきた。東京帝国大学において小泉八雲に師事し、ディケンズやアーヴィングのような英米文学の初翻訳を行い、さらに建軍まもない日本海軍の未来を担う、横須賀海軍機関学校における英語講師としての勤めが長かった。
そして若い頃はみずから筆を執り、小説を草して名を成したこともあった。それだけの文筆家としての蓄積と、卓越した英文学の素養があり、彼は英文の読解には何ら不自由を感じない。
話すことにかけても、おそらく多少の東洋訛りはあるだろうが、相手を苛立たせない程度の発音で、円滑に意思疎通をはかることができた。
やがて出てきた朝食を口に運んでいると、かなたから、フロント係のウィリーがこちらを大きな身振りで手招きしているのに気づいた。浅野が食事を中断しフロントに行くと、ウィリーは一通の大きな封書を彼に手渡した。
「つい今しがた、郵便屋が持ってきたんですよ、ミスター・アサノ。お国からかと思いましたら、違いましたな。」
浅野は、微笑してそれを受け取った。ウィリーは切手の収集家で、この封書が遠く日本からのものであることを期待したに違いなかった。残念ながら、発信地は、同じイングランドの地方都市、クルーだった。ここからは、汽車で数時間ほどの距離である。つい5日前、浅野は、倫敦の各地に住まう数名の日本人と一緒にこの町を訪れていた。
朝食のテーブルに戻り、まずは食事を続けようとすると、スコッティが興味津々で、ついてきた。
「どうしたんだね?」
「ミスター・ヒャキョウ、それは、ひょっとして・・・」
「あァ、そうだった。君には、話していたよね。そうだ、あのときの写真だよ、中身は多分ね。」
いったんティーカップを手にとったが、スコッティがなおもそこを立ち去ろうとしないので、浅野も観念した。たしかに、好奇心旺盛な子供には、この中身はとても興味を惹かれるものに違いない。親しみのあまり、また相手を子供と軽く見て、中途半端にこの写真についての話なんかするんじゃなかった。浅野は軽く後悔した。
「よし。じゃ、ここでちょっとばかり開封してみよう。でも本当は、人目のあるところで見るようなものじゃないぞ。」
浅野は釘を差しつつ、優しく言った。だが、そうと決めた理由は、写真見たさに、このあとスコッティに部屋の中にまでついてこられては堪らない、そう思ったからだ。長滞在の気安さ、先ほど目覚めてから下着や靴下などを、そこらかまわず部屋じゅう投げ出しているのを見られたくなかったのである。
数日前、彼がスコッティに教えた話は、以下のようなものである。
イングランド中部、人口数万の小さな郊外都市クルーの職工ウィリアム・ホープは、新世紀の初め頃、一般にはまだ珍しい乾板式の写真機を入手した。それで昼休みに煉瓦の壁を背にした仲間の写真を撮影し、現像してみたところ、彼とは別に、見知らぬ一人の女の姿が写り込んでいることに気づいた。女の姿はなかば透けてしまっていて、その向こうにうっすらと背後の煉瓦が見えている。撮られた本人にそれを見せると、はっきりとはしないが、女はかなり昔に亡くした姉の姿にそっくりだという。
別の仲間にそれが心霊現象だと言われ、興味を持ったホープは、翌日、また同じ場所で、今度は誰も立たせず写真を撮ってみた。するとまた、同じ場所に同じ透けた女性の姿が写り、しかも今度は、かたわらに小さな子供を連れているように見えた。
やがて彼は、心霊現象に理解のある有力者の支援を得て、同郷の霊能者バクストン夫人と組み、「ザ・クルー・サークル」と称する心霊写真専門の研究団体を設立した。彼の元には数多くの著名人が訪れ、あまたの写真が撮られたが、そのすべてではないにせよ、かなりの確率で何らかの霊の姿が写り込み、ウィリアム・ホープと「ザ・クルー・サークル」は、この世とあの世をつなぐ窓口として、英国中で非常な評判となった。
以降十数年、倫敦から離れた田舎町クルーの一角で、ホープは心霊写真の第一人者としての地位を保っていたが、やがて、大きな敵が立ちはだかることになった。
今から6年ほど前の1922年、英国心霊現象研究協会 (SPR)のメンバーであるハリー・プライスという男が、ホープのもとを訪った。彼は、SPRに所属しながら、真正の心霊現象を検証するためと称して、それまでも数多くの詐術やいかさまを容赦なく暴き立てて名を挙げた男である。
プライスは、自らがあらかじめ持参しホープに渡しておいた通常の写真乾板のうち半分を、あとからひそかに、乾板メーカーのライオンのトレードマークがエッチングされた別の乾板に交換しておいた。
撮影された乾板の数枚には、心霊と思しきものが写り込んでいたが、そのいずれも、プライスが後から仕込んでおいた乾板ではなかった。プライスは、このことからホープの心霊写真を、何らかの詐術であると見做して告発した。なにか、奇術師のような早業で、ホープが、事前に渡された乾板をあらかじめ用意していた細工済のものに交換しているというのである。
このことは、長年にわたる大きな論争を呼んだ。彼が属するSPRの大立者である小説家のアーサー・コナン・ドイル卿は、「クルー・サークル」の支持者であり、ホープの味方だった。ドイルとSPRの幹部たちは、このプライスの不完全な告発を執拗に攻撃した。いっぽう、主としてSPR外の、心霊現象に疑義を呈する者たちの間ではこのプライス説は大いに支持されたとはいえ、そもそもが、信ずる者と疑える者との信念の較べ合いであり、議論は噛み合わず、もちろんいっこうにそれが終息する気配も見えず、現在は自然、両陣睨み合ったままの暫時休戦状態のようになっている。
当のホープら「クルー・サークル」の面々は淡々としたもの。もとより詐術による大儲けをはかるような怪しい素振りを一切見せぬ彼らは、田舎町の写真館程度の収益を挙げることに満足して日々を過ごしている。
そして、浅野はそうした論争の渦中にいる「クルー・サークル」を訪れ、そのあまりにも素朴な田舎町の写真館然とした佇まいに驚き、老いたるホープとバクストン夫人によるあまりにも無造作な撮影の工程に驚いたのだった。
もとより、利用者の、詐術に対する警戒心をあらかじめ織り込んだ彼らは、撮影に使用する写真乾板を、あらかじめ利用者自身に持参するよう求める。それを受け取り、家屋の居間を改装しただけのようなむき出しのスタジオで撮影し、階段の下の空間に設えた即製の暗室に利用者を呼び入れ、ともに現像する。
詐術なぞ、入りようもない。普通の写真館との違いは、老いたるサークルの主宰者二人が、各工程ごと、手を置いてともに眼を瞑り、精神を集中してなにごとかぶつぶつと小声で呟くことくらいである。
しかし、ほどなく暗室で現像し終えた乾板のうちの何枚かには、しっかりと、なにやら妙なものが写っているようであった。同行者たちのうち、すぐ倫敦に取って返さなければならない者が居たので、数少ない汽車の時間もあり一行はいったんクルーを辞したが、浅野は、プリントしたものを後からここハムステッドの素人亭に送ってくれるよう、ホープに依頼してあったのだ。
封を切り、中身を取り出すと、いちばん上にはホープの添えた簡単なメモ書きが入っていた。曰く、現場でご覧いただいたとおり、多くの写真に霊が写りこんでいるようである。写っている霊の顔になにか覚えでもあれば、それが誰なのか、差し支えなければ是非知らせて欲しい、とのことであった。
浅野は、スコッティを座らせ、数枚の写真プリントを共に眺めた。位置やかたちは様々だが、暗い背景の前でポーズを取った同行者たちの背後に、雲のような白い靄がかかり、そのなかに、いろいろな人の顔が映り込んでいる。ぼけてはいるが、西洋風の顔は皆無で、いずれも、ほぼ日本人と特定できる顔貌や服装をしている。
浅野自身の写真に関しては、一枚だけ、二人の顔が映り込んでいた。いずれも女の顔で、そのうちの一人は、彼の亡き母親と思える顔であった。遠き極東の地で、何年も前にあの世に行った母親の顔を、イングランドの田舎町の写真館の館主ごときが、どうして知り得ることができるであろう?ましてや、浅野自身もどこに仕舞ったか覚えていない、数枚しか残っていない筈の母の写真を、どうやったら入手することができるのであろう。ホープの心霊写真が、詐術などであるわけがなかった。
母は、つねに彼の傍らにあり、彼を見守ってくれているのである。ただ彼の眼には、それが見えないだけなのだ。
「ヒャキョウさんのママですね、きれいな人ですね!」
傍らで、スコッティが年齢に似合わぬ、上手を言った。浅野は、微笑んで彼の頭を撫でた。
「この子は?娘さんですか?」
スコッティは左の脇に小さく映る、その童子のような顔を指差した。
「いや、私には娘はいないよ。息子が3人。いずれももう大きいし、元気だ。この子については、誰なのか覚えがないんだよ。」
「では、ヒャキョウさんの守護天使?」
「うむ、なるほど!私の国はキリスト教の国ではないから、もしかしたら呼び名は違うかも知れないが、君の言う通り、わたしの守り神のようなものかもしれないね!」
浅野は、そのスコッティの洞察を、慧眼だと思った。
「珍しい髪型をしていますね・・・日本の子どもの髪の結い方ですか?サムライの。」
「サムライなんて、そんな言葉を知っているんだね。」
「はい、よく知っています。僕は将来、バリツを習って、サムライになりたいんです。」
「バリツ?」
「えっ、ヒャキョウさんがご存じないんですか?おかしいな、シャーロック・ホームズが、ライヘンバッハの滝で・・・」
「あぁ、バリツか、わかった。わかった。」
浅野は、笑った。
バリツとは、明治期に日本で武術をマスターしたという英国人が、倫敦で始めた格闘技の流派のようなものである。なぜか西洋杖で暴漢を撃退するような珍妙な技もあると聞くが、欧州では、これが東洋で勃興しつつある神秘的な大国、大日本帝国の戦士たちの秘技であると信じ込んでいる者も多い。
浅野は、スコッティに事実を説明しようと思ったが、子供の夢を奪うのも大人げないと思い直し、適当に話を合わせることにした。
「そうだね、バリツを習えば、強い男になれる。ぜひ習いなさい。私は、先祖がサムライではないから、よく知らないんだよ。」
笑いながらそう言うと、また自身の横に写る童子の顔を眺めた。
彼女・・・いや、もしかしたら彼かもしれないが、とにかく、全く覚えがない。スコッティも訝しんだ髪の結い方は、全体的に白い靄の中にぼけていてよくわからないが、神代の角髪のようでもある。はて、本当に、これは誰の顔であろう?
しばらく黙って写真を眺めた浅野であったが、ふと、思い出してスコッティに言った。
「そういえばね、おじさんは来月、コナン・ドイル卿に会うよ。」
「えっ!」
スコッティは、眼をまるくした。
「本当さ。もちろん、親しくお話できるかどうかはわからないけれど。そしたら、卿にも言っておくよ。将来、バリツのマスター、ハムステッドのスコッティ君が、ホームズ氏を助けて、あの悪の教授、なんていったっけ・・・そうだ、モリアティ教授をやっつけてやります、とね。」
スコッティは、大喜びした。浅野は言った。
「これでワトスン君は、失業の危機だ・・・あァ、彼の本業は医者だったね。まあ、そういうわけだから、今日のところは、釣りに集中したまえ。必ず大きな鱒を釣って、わが食膳に供えるのだよ。約束だ!」
「イエス・サー!」
未来のバリツマスターは、そう言って、なぜか敬礼ではなく、日本風のおじぎをして、出ていった。