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海峡奇譚  作者: 早川隆
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第五十四章   昭和三年(1928年)晩秋   米国 場所知れず

ピイイと、どこからか、あの懐かしい石笛の音が響いてきた。




そして突如、浅野は(ひらめ)いた。


先ほど、窓の外にダゴンの赤い眼を見たあと気が遠くなり、ベッドに倒れ伏したときに、浅野は夢を見たのだ。


あの奇妙な、中世の夢。厚東四郎になり切った自分が、彼の肉体とともに櫂を操り、粢島に単身乗り込んでいく夢。遂に宕と(まみ)え、これと一騎打ちするクライマックスである。しかし、そのとき厚東四郎は、あの必殺の神剣を身に帯びてはいなかった。中身がいつのまにかすり替えられ、蝶模様の太刀袋の中には、宕には効かぬ木刀が入っているだけだった。




そして、いま現実のこの世界で、自分を殺しに来るエスターの肩越しに、瞬間であるが童子の像が現れ、指さしたその先にあるもの・・・。


先ほど、ラブクラフトが自慢げに見せびらかそうとした、珍奇な世界各国の骨董品が詰められた、細長いゴルフ・バッグだ!


その中身になど全く関心の持てぬ状況だった浅野は、バッグの存在を全く忘れてしまっていた。しかし、浅野が苛立って大喝したあと、その激しい反応にやや驚いたラブクラフトが、半ばおどけてのことではあるが、バッグから両手を離した。そしてそれはそのまま、ベッドの横へ、寄り掛かるように斜めにパタリと倒れたのだった。




おそらく・・・そうだ!


その、おそらくだ!




浅野は、自分のその閃きに、確信を持った。根拠といえば、先ほど現れた、あのクルー・サークルの写真にぼんやりと映っていた童子がそれを指差す姿のみ。しかもそれは、ほんの一瞬で消えてしまった。


浅野は、全く(またた)きをしないまま近づいてくるエスターの醜い顔を(にら)みつけながら、左手で必死にベッドの横を探った。手に、分厚い革の感触が触れた。が、あまりに激しく腕を振りすぎて、肝心のそのゴルフバッグを倒してしまった。浅野は身を翻して、右手でそれを拾おうとしたが、上にのしかかったエスターがその動きを押さえた。そして思念波で、またエスターの蠱惑的な声音に戻して、優しくこう言った。




「なにをしているの、サブ・・・また、なにかを企んでいるの?本当にあなた、悪い子ね。私もいい加減、頭に来てるわよ。さっき言ったことは、冗談のつもりだったのだけれど・・・だって、あたし、あなたのことが好きだから!だから、まさか生きたままフックに吊るして、内臓を全部ぶちまけるような真似をするわけないわ・・・あれは、別の生贄のときに、(たわむ)れでやること。絶望した顔で、泣きながら自分の(はらわた)を見下ろす哀れな人間の顔が大好きなの。でも、あなたには・・・もっと優しく。そう思ってた。けれど、このままだと、本当におしおきね。なるべく穏やかにダゴンの前に差し出そうと思っていたけれど、これ以上に抵抗するのなら、やむを得ないわ。あなたには、ダゴンに仕える誠意がない。ダゴンにひれ伏す気持ちもない・・・だからこのまま、観念しなさい。もし、観念しないのなら・・・。」




そう言って、まるで(なぶ)るように優しく、浅野の頬を撫でた。ぬらぬらとした、その(おぞ)ましい(ひれ)で。それは鰭だったが、そのさきにはまだ五本の指が伸び、それぞれに爪がついていた。


撫でたついでに、少しだけ締め付けが(ゆる)み、浅野の気道に少し空気が入った。喉仏(のどぼとけ)が上下し、浅野は、その一瞬間だけ、呼吸ができた。


「ごめんよ、私は、とても、とても悪い子だ!」

浅野は、とつぜん、大声で叫んだ。


夢の中で思念波を通じていた芳一が、たしか四郎が口で発話して聞き返すのを、ひどく嫌がっていた。それはとても体力を消耗させるのだと。だから、なかば思いつきで、そう叫んでみた。




効果は、てきめんだった。エスターは、瞬間のけぞり、両の(ひれ)で頭を抱えて苦しげに呻いた。それまで浅野の身体を抑えていた彼女の重みが消え、浅野は、身を翻してベッドを飛び出し、倒れた革袋の中に手を入れて、たまたま(つか)んだなにかの柄を引張って、外へと出した。


ずしりとした、金属質の重みが浅野の腕に伸し掛かった。柄には、滑り止めの薄い皮が巻いてあったが、その中身はすべて重量のある金属であった。そして、その柄の前には、四角く大きい粢鍔(しとぎつば)。緑青が浮き、翡翠色に輝くそれには、見たこともないような様々な意匠が凝らされており、さらにその先には、幅の広い、肉の厚い、反りのまったく無い刀身が伸びていた。


日本刀でも、西洋の剣でもない。中東のあたりに多い偃月(えんげつ)剣でもない。これは、まごうかたなく上古の、東洋の剣だ。刃の切れ味より、刀身の肉厚と全体の重量とで、対象物を、断つというよりは叩き潰すための武器である。




・・・そして、浅野は、その剣を既に、見たことがあった。


いや、それどころか、厚東四郎の身になり切って、自分自身でそれを振ってみたことがあった。物言わぬ多数の屍鬼たちを斬り伏せ、大臣の宿る芳一の肉体を裂いた。ずしりと重いが、先端部分が軽くなっており、(きっさき)を機敏に動かし、思うがままに一閃させることができる。そして、その刀身は、ただの青銅ではない。伝説の、(いにしえ)の金属が仕込まれ、その硬さで、この世にあるありとあらゆる対象物を、残らず切断し叩き潰すことができる。




これは、この地上に在る、最強の神剣だった。


草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれ、長くこの国の守護剣として守られてきたものである。そして、厚東四郎が生きたのと同じ時代、どことも知れず行方不明となった、幻の剣だ。


そしてそれは・・・ダゴンを、斬ることができる!




だから、当然・・・ダゴンの手下、「深きものたち」をも、一刀両断にすることができる!




エスターは、ベッドの上で、恐怖の叫び声を上げた。それは、叫びというよりも、ひきつけを起こしたような、(かす)れた苦悶の音だった。彼女は、のたうち、跳ね廻って、その場から逃れようと藻掻(もが)いた。無駄な努力だった。


浅野は・・・もはや完全に四郎に成りきって、その神剣を、抜群の膂力(りょりょく)で振りかぶり、そして、勢いよく振り下ろした。




ばしり、と何か大きく太いものが両断されるような手応えがし、断ち切られたものが、ぼとり、ぼとりと僅かな時間差で音を立て、相次いで床に落ちた。

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