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海峡奇譚  作者: 早川隆
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第四十二章   昭和三年(1928年)晩秋   米国 ボストン

浅野は駅頭からタクシーを拾い、エスターの勧めてくれたリッツ・カールトン・ホテルへと走らせた。それは、ホテルというよりも、天空高くまで(そび)え立つ、がっしりとした城塞のような構造物だった。その高さはかつての浅草凌雲閣(りょううんかく)をはるかに凌ぎ、幅は法隆寺並みに広い。浅野は、この新大陸の底知れない経済力の偉大さを、今更ながら思い知った。


その城塞へチェック・インする前、フロントで電話を借りてクランドン邸へ到着報告を行うと、電話口にル・ロイ・クランドン博士自身が出てきた。そして待ちかねていたように、こう言った。

「浅野さん、ようこそいらっしゃいました。長旅お疲れでしょう。余裕のないなか、誠に申し訳ない。ところで、今はどちらに?ボストン駅の構内ですか?」


「いえ、親切な御婦人にお勧めいただき、リッツ・カールトン・ホテルにちょうど着いたばかりです。ひとまず荷物を置いて、八時には間に合うよう、お伺いしたいと思いますが。」


「いやいや、それは困る!」

ル・ロイは、電話口の向こうから声を大きくして言った。

「おそらく、紐育(ニューヨーク)の桟橋に送った心霊協会の使者が伝え忘れたのでしょう。拙宅ではすでにあなたをお迎えする準備をして、お待ちしております。ホテルのほうには私から申しておきますから、貴方はすぐ、こちらへお向かいください。」


「いや、いきなり御宅にお邪魔するのは、あまりに不躾(ぶしつけ)では・・・。」

「いえいえ、全く問題ございません。むしろ、そうしていただきます。こちらこそ、連絡の不行き届きをお詫びいたします。」

議論の余地もない断固とした口調で、ル・ロイは言った。




このわずかな行き違いのあと、浅野は乗ってきたタクシーにまた飛び乗って、ライム街十番地に向かった。土地勘のない浅野は知らなかったが、目的地は、そこからすぐ歩いて行ける程度の距離しかなかった。ホテルの正面に広がる黒ぐろとした公共庭園の敷地に沿って数百メートル進み、そのまま脇道に入って三ブロックだけである。


その周囲は、全部赤い煉瓦造りで統一された三〜四階建ての瀟洒(しょうしゃ)なビルディングがずらり並んでおり、住宅街というよりは、充分に計画されて作られたオフィス街といった風情である。そして、ライム街入口の角から数棟が、クランドン博士の住居兼書庫として使われていた。


通りに直接面した、周辺の建物とさして変わらぬ簡素な(しつら)えの扉についた呼鈴を鳴らすと、中から、なんとも見慣れた顔が出てきた。ホテルのボーイのような白服を着ているが、浅野と同じ膚の色、髪の色、瞳の色をした、明らかに東洋系の執事か使用人である。


浅野を見ると、彼は笑顔を浮かべ、完璧な日本語でこう言った。

「いらっしゃいませ。ボストンへようこそ。」




続いて、玄関口にル・ロイとミナのクランドン夫婦が姿を現した。


ミナは金髪で丸顔の美しい中年女性で、つい先ほどまで一緒だったエスターと同年輩くらいだったが、受ける印象はまるで正反対だった。彼女は常に目を細め、目尻に小皺を寄せてにこにこと笑っており、人の心を捉える愛嬌と、その存在自体に、えも言われぬ明るさをまとっていた。(たと)えるならばエスターは三日月、ミナは燦々たる太陽といったところである。


いっぽうル・ロイは、身長190センチを越える痩身で銀髪、いかめしい顔つきをしている。こちらはおそらく浅野と同年輩だが、その笑顔は、笑顔というよりも、口元へ意図的に皺を寄せ、なんとか努力してその状態を維持しているといった風であった。新大陸の医師というより、英国あたりの峻厳な将軍のような雰囲気の男である。


ル・ロイは言った。

「ようこそ!待ちかねていましたよ。すっかり強行軍になってしまいましたな。さ、お上がりください。」

ミナが、にこにことしたまま、こう言い添えた。

「こちらのハジメさんは、日本から来ている留学生なのです。学業のかたわら、拙宅で働いていただいていますわ。実はもう一人いますの。二人ともたいへんな精勤ぶりで、私たち本当に助かっています。」


ハジメ、と呼ばれた先ほどのボーイ服の男は、笑顔を浮かべながら軽く頭を下げた。よく見ると、決して若くはない。おそらく三十歳くらいであろう。彼は、上目遣いに浅野を見上げ、ちらと思わせぶりな目つきをしてみせた。




ミナ・クランドンは、当代きっての優秀な物理霊媒(ミディアム)として、全世界にその名を知られる存在であった。彼女がその異能を(あらわ)しだしたのは、このほんの数年ほど前、1923年の春のこと。日頃はこうした超常現象になんの関心も示さぬ夫のル・ロイがある日、「テーブル・ティッピング」という、降霊会(セアンス)に使う文字盤の一種を持ち込んだことがきっかけだった。


このとき観測されたテーブルの不規則な揺れが、ミナの力によるものであったことから、夫妻は、一気に降霊会(セアンス)の開催にのめりこむようになった。その年の夏から冬にかけて、自宅にボストン社交界のさまざまな人士を招いたクランドン夫妻は、またたく間にその盛名を高めることになった。


もともとがハーヴァード出の知的な名士である(ホスト)に加えて、笑顔が美しく、決して人の気をそらさぬ(ホステス)の組み合わせによる降霊会(セアンス)は、ボストン名物の、夜毎の素晴らしく神秘的な娯楽となった。


最初は「テーブル・ティッピング」のほか、幾つか数えるほどの分野に過ぎなかったミナの異能は、やがて大いにその幅を広げ、テーブル浮揚、自動書記、遠隔談話、物品の移動など、実に多岐に亘るようになっていった。そして、そのどれをやらせても彼女の見せる霊能力は抜群で、その容姿がまとう魅力とあわせ、アメリカ各地に散らばる同様の霊媒のなかで、もっとも抜きん出た知名度を誇るようになっていた。


特徴的だったのは、彼女の降霊会には常に、実の兄が守護霊として付いていることであった。ウォルター・スティンソンという名のその兄は、十数年前、鉄道事故で悲惨な死を遂げていた。しかし、クランドン邸の降霊会では、いつもこのウォルターが降りてきて、あまり愛想のない口調で客とやり取りし、いくつもの驚くべき奇跡を起こすようになっていたのである。




やがてミナは、「マージナリー」という異名で降霊会(セアンス)を主催するようになり、ここライム街10番地のクランドン邸は、アメリカ東海岸きっての心霊主義者たちの聖地となった。夫のル・ロイ・クランドンは、その財力にあかせて大いに財を散じ、自宅の四階を心霊実験専門の研究室に改装し、また求めがあれば米国と欧州のどこへでも行き、各地で「マージナリー」の奇跡を起こしてみせた。


その異能に接し、強い印象を受けたひとりが、あの英国神霊界の「顔役」サー・アーサー・コナン・ドイルである。マージナリーの能力を本物と認めた彼は、懇意にしている「サイエンティフィック・アメリカン」の編集者、マルコム・バードを動かして彼女を絶賛する記事を書かせた。はじめて公式に「マージナリー」を情報メディアに乗せたのは、実は他ならぬ科学界を代表する学術雑誌だったのである。


もちろん、当時から懐疑の声はあった。ある参加者は、ウォルターの声が、どうやら真暗な部屋の別の方角から聞こえてくるようだと思ったし、またある者は、ミナが催眠状態になって寝息を立てている最中も続くウォルターの長口舌に (それが降霊した、ミナとは別の主体であるという説明内容は把握しつつも)なんとなくいかさまの匂いを感じ取る者も居た。


だが、第一次世界大戦終結からまだそれほど時間の経過していなかった当時、戦地に散った夫や息子と会い、会話したいという願望を持つ大衆は、そのような細かなことには頓着しなかった。「マージナリー」の名声は、サニー・ブロンド・ヘアに包まれたその見た目(ルックス)の華やかさとともに太陽のごとく登り続け、いつしかクランドン邸は、世界有数の降霊の名所となっていった。




ところで「サイエンティフィック・アメリカン」は、マージナリーという存在がボストンに出現する前から、一定の監視下において文句のつけようのない超常現象を起こすことのできた者に対し、多額の賞金を支払うというキャンペーンを張っていた。


これは、超常現象に対し大いに注目が集まっていた当時、時宜を得た販促活動であるといってよかった。超能力者や霊媒たちを利用した話題作りは、他のメディアをも巻き込んだ好奇の眼と関心とを呼び、日頃はごく限られた範囲の読者にしか読まれない四角四面のお固い科学雑誌の出版社を、大いに(うるお)すことになったのである。


「サイエンティフィック・アメリカン」による調査がはじまり、マージナリーの魅力と能力とを認めた委員会の数名が、彼女の異能を真正の霊能力と認め、彼女に対し賞金を支払う準備をしている素振りを見せ始めた。




しかし、この動きを数ヶ月遅れで知った「サイキック・ハンター」ことハリー・フーディニが、マージナリーの前に立ちはだかった。


急きょ旅先でのすべての公演予定をキャンセルして、アシスタント一名とともにボストンへ乗り込んできた彼は、調査団の数名が、マージナリーの女性としての魅力に文字通り骨抜きにされているように感じた。さらに、ボストン社交界きっての名士であるクランドン教授の権威とその人脈に近づくことで得られるさまざまな余得、夫妻による贅を尽くした接待は、調査そのものの公平性を著しく損なっているようにも思えた。


そこでフーディニは、さらに自ら一千ドルを拠出して、自分が彼女のペテンを証明できなかった場合にそれを支払うと言明した。そして、自分を含めた数名の調査隊をクランドン邸の降霊会に参加させるように求め、マージナリー陣営もこれに応じた。ここに、名うての霊媒と世界一の奇術王との一騎打ちが実現することになったのである。




直接対決の第一ラウンドは、1924年7月23日のことであった。この日、熱波に見舞われたボストン市街はたいへんに暑く、大汗をかきながら5名の紳士がクランドン邸を(おとの)うた。


一人目は、「サイエンティフィック・アメリカン」編集部のJ・マルコム・バード。彼は同誌を代表して一団に加わった、いわば行事役であったが、これまでの継続調査で一貫してマージナリーに支持を与えてきた彼女のシンパであった。さらにハーヴァード大学の有名な心理学者ウィリアム・マクドゥーガル。|マサチューセッツ工科大学《M  I  T》の物理学者ダニエル・カムストック。コナン・ドイルの影響下にある心霊現象研究協会(S P R)からは、ヘイワード・キャリントンとウォルター・プライス。このうち、プライスはどちらかといえばフーディニに近く、心霊主義者でありながら、その証明には厳正な手順が必要だと信じてやまぬ男である。いっぽう、キャリントンはバードとともに過去何度もマージナリーと(こん)を通じ、彼女の能力を(ごう)も疑っている様子がない。




クランドン邸の四階、屋根裏に接した狭い空間が対決の場所であった。ここは、降霊実験に備え光を自在に調節できるように改装されている。参加者一同は、まず椅子を輪にしてならべ、各々、両脇の参加者と手をつなぎながら、大きな円となってそこに座った。マージナリーの背後には、中華風の三面衝立(ついたて)が置かれ、彼女は夫のル・ロイ・クランドンを右手に、宿敵フーディニを左手にして座り、重々しく実験の開始を告げた。


灯火が完全に落とされ、あたりは真暗闇になった。いくら待っても慣れることのない、光の(もと)が皆無の真正なる闇である。参加者は完全に視界を喪い、前後左右の感覚を喪い、遠近感を喪い、それぞれの意識は闇の中にゆらゆらと揺蕩(たゆと)うた。


すぐに、マージナリーの守護霊、ウォルターが闇の中から現れた。それどころか彼は、彼の存在を否定しようと企むフーディニの腿の内側を、そっと撫でてから位置についた。


フーディニの足元には、ボタンを押すと絶縁された電気コイルに通電して鐘が鳴る仕組みの、ドアの呼鈴などに使われる電気ベルが置かれていた。その周囲は木枠で覆われ、いくら闇の中とて、そうそう気軽には触れることができない。


当初、それはマージナリーの足元に置かれていたが、フーディニは、自分の脚のあいだに移すことを提案した。マージナリーは、夫と少しだけ顔を見合わせてから、それを了承したのである。




しかし、そのベルが鳴った。

ちりちりちり。


何度も鳴った。

ちりちりちり。




そして、ウォルターは蛍光塗料を塗ったメガホンを皆の眼前でひょいと空中浮遊させてみせた。メガホンはそのまま、ふわふわとあてどもなく宙に浮かび、やがて闇の中から

「さて、どなたにお渡しすれば良いかな?」

という声が響き、ウォルターは暗にフーディニを挑発した。


「私に。私のほうに置いて欲しい。」

フーディニが言うと、そのメガホンは宙を飛び、そのまま正確にフーディニの足元に落ちた。


以降、数十分のあいだ、何度も足元の電気ベルが鳴り、ウォルターはフーディニを軽く(あざけ)りながら、思うがままに闇の中を駆け巡り、最後にはマージナリーの背後に立てた衝立をぽん、とひっくり返してから、去った。




不思議と驚異に満ちたこのサイキック・セッションは、マージナリー陣営の圧勝を予感させるものであったが、納得顔でいったんその場を辞し、ホテルに戻ったフーディニは、記者を集めて声明を出した。


「すべてが詐欺だ。種も仕掛けもあるトリックだ。世界一の奇術師で、サイキック・バスターでもあるフーディニは、マージナリーのまやかしをすべてを見通した。」




フーディニの主張は、こうであった。


マージェリーの夫、ル・ロイ・クランドン博士は、なぜか常に彼女の右側に座っている。それは、彼女を夫として励ますという以上の意味を持っているのかもしれない。すなわち、もし彼がマージナリーと共謀していれば、真暗闇のなかでマージナリーの右腕は、限られた時間であれば完全にフリーハンドとなり得ることを意味する。これはまず、両者の関係性や利害を考えた場合、あるていど蓋然性の高いことであろう。


そう仮定すると、闇の中を飛行し、フーディニの足元に落ちたメガホンの謎が解ける。つまり、一瞬のあいだだけ夫に手を離してもらったマージェリーは、自由になった右手で静かにメガホンを手に取り、それがさも宙に浮いているかのように自分の頭の上に載せた。そのまま、小学校で劣等生が罰ゲームのとんがり帽子(フールズ・キャップ)を被せられているような格好でバランスを保ち、そののち、頭を滑らかに左のほう、すなわちフーディニのほうへ傾け、その足元へすべり落ちるようにしたのである。


前後左右の感覚を喪っている参加者は、フーディニを含め、相互の位置関係をうまく把握できない。闇の中での人間の感覚逸失をうまく利用したトリックだ。フーディニは、そう断じた。




次に、闇のなかで何度も何度も鳴った、フーディニの足元の電動ベルの件は、トリックとしてはより単純である。なにしろ、身体の柔らかなマージナリーが、手を繋いだフーディニにそうと悟らせることなく、巧みに左脚を伸ばして電動ベルのボタンに触れただけの話なのであるから。


彼女は巧みな曲芸師であり、マジシャンの素養がある。フーディニは、それを認めていた。が、しかし、断じて霊媒などではない。魅力に溢れた優秀なエンターテイナーではあるが、霊界と交信する超能力者などではないのだ。このときも彼女は、人並み外れた身体能力と平衡感覚とを駆使し、手をつないだすぐ横の相手にそうと悟らせることなく、滑らかに脚を伸ばし、(あしゆび)の先でボタンにちょんと触れた。


フーディニですら、見逃しそうな巧妙さであった。しかしこの日、フーディニはこうした事態を予期し、自分の身体にある細工を施していた。それは、長年の「脱出芸」の鍛錬を続けるうち身についたちょっとした知恵だった。この日、朝から彼は右膝の下あたりを包帯できつめに縛り、その部位の感覚がいつも以上に鋭敏になるようにしていたのである。


しかも彼は、実験中はパンツの裾を(まく)りあげ、脛のあたりを通る物体の気配を、はっきりとは触れなくても感知できるくらいに自らの膚の感覚を研ぎ澄ましていた。だから彼には、マージナリーの脚が闇のなかで自分の股間の下あたりにするする伸びてくるのが、よく分かったというのである。


衝立を倒すのは、この二つの大技に較べれば、児戯に等しいくらいに簡単だ。再び脚を滑らかに後ろへ滑らせ、(かかと)のあたりで引っ掛けて、ちょいと宙に浮かせてやるだけで足りる。衝立は大きな音を立てて倒れ、暗闇に風圧を起こして視力を喪った参集者みなに襲いかかる。その場を誰かが立ち去るかのような気配を演出するのには、最高のトリックであると言うべきであろう。




フーディニは得意満面で、こうしたマージナリーのごまかしを暴露したが、残念ながら、すべてが詐術であると皆に納得させるには、彼自身の主張の根拠がまだ弱かった。それはただ、優れた詐欺師のトリックを、優れたマジシャンが、常人にはうかがいしれないその鋭敏な感性で詐術と見抜いたというだけの話である。マージナリーの奇跡を、奇跡と信じたい大衆を納得させるには、フーディニの反証には、なにかがまだ足りなかった。


フーディニは一計を案じ、「サイエンティフィック・アメリカン」側に再検証を申し入れた。ひとつ条件があり、その実験にはフーディニ自らが考案し作成した仕掛けを使う。これにより、マージナリーの能力は完全に封殺され、今度こそサイキック・バスターはいかさま霊媒師に完全なる勝利を収めることができる。フーディニは自信満々で、「いかさま防止箱」と名付けたその大きなキャビネット・ボックスを、敵陣であるクランドン邸へ堂々と運び入れた。


驚くべきことに、このいささか無礼な再挑戦を受けて立ったマージナリーは、8月25日、この箱に入ったまま降霊会を行った。フーディニの考案した拘束装置は、椅子に腰掛けた彼女の周囲を覆うかのような大きな木箱で、その上半分は前方斜めに大きく傾斜しており、最上部に空いた孔から彼女の首が出るように設計されていた。さらに、箱の両脇にも孔が開けられ、マージナリーは両腕をそこから突き出して他の参加者と手を繋ぐ。


すなわち、両腕と頭以外は完全に箱の中に没してしまった状態で、前回のような、フーディニの主張するトリックは一切使えない仕組みになっていた。




こうして戦われた第二ラウンドは、しかし、見苦しい、壮絶な泥試合となってしまった。


完全なる闇のなかで、ふたたび電動ベルがしきりに鳴り響いたが、あとで点灯してみると、いったん塞いだ筈のキャビネット・ボックスの天頂部の屋根が開けられてしまっており、しかも悪いことに、ボックスの中に木製の折りたたみ式ルーラー (定規)が置かれているのが見つかった。


これは、建築現場などで使われる頑丈で、かつ伸ばせば六十センチを越えるほどの長さになる代物で、もしマージナリーが口に(くわ)えて重さに耐え、これを巧みに操作すれば、「いかさま防止箱」の真ん前に置かれたテーブルに載った電動ベルのボタンを、押そうと思えば押せるように思われた。




当然のこと、両陣営はこれを、相手方による謀略だと非難し合った。マージナリー側は、彼女の信用を貶めるためのフーディニの策略だと主張したし、フーディニ側は、「いかさま防止箱」の投入で、もはや詐術が通用しないと悟ったマージナリーが、捨身の人格攻撃をかけてきていると反論した。


特に、霊媒としての妻の名誉と、人間としての信用を汚されたと感じたル・ロイ・クランドン博士は激昂し、上流階級の人士にあるまじき汚い言葉でフーディニを非難した。フーディニもこれに正面きって応じ、両者の応酬は多くのメディアを挟んでいつ果てるともなく続いた。クランドン博士にはマージナリーの多くの信者たちが加勢し、全米のあちこちで行われていた降霊会で、ウォルターを名乗る霊がフーディニを呪う言葉を発した。


この泥試合の結果、「サイエンティフィック・アメリカン」は、半ば決まりかけていたマージナリーへの賞の授与を、当座、見合わせると決定し、彼女を擁護し、癒着が疑われていたメンバーの数名が辞任した。


当代最高の奇術師と地上最高の霊媒による異世界格闘技戦は、こうして、勝敗のつかぬまま、場末の安酒場における喧嘩騒ぎのような場外乱闘で幕引きとなってしまったのである。




不思議なことに、フーディニの妨害により痛手を(こうむ)ったように思えたマージナリーの人気は、その後もいっこうに衰える気配を見せなかった。いっぽう、「サイキック・バスター」フーディニの晩年は、彼の全盛期に較べればいささか(かげ)りのあるものであったと言わざるを得ない。


もとは亡くした母と会うためだけに心霊現象に関心を寄せたこのユダヤの孝行息子は、やがてそれを詐術と見做(みな)してサイキック・バスターとなり、コナン・ドイルやマージナリーと対決した。彼はかつて奇術王、脱出王としてこの地上のショー・ビジネス界に君臨していたが、やがていささか生き方に迷いが見えるようになり、自分主演の映画を作らせたり、代筆家(ゴースト・ライター)に書かせた一人称の三文小説を自分名義で発表したり、やることに一貫性と節操が無くなっていった。


ハリー・フーディニの最期は、マージナリーとの対決の僅か2年後のことである。モントリオールでの公演中、楽屋を訪れた力自慢の学生が、「お約束」であった芸を彼に求めた。腹を思い切り殴り、それに耐えるというだけの他愛もないファン・サービスであったが、まだ準備をする前に殴られたことで急性の虫垂炎を発症し、そのまま帰らぬ人となった。


皮肉なことに、彼と非難の応酬をし合ったル・ロイ・クランドンは、虫垂専門の外科医であった。いっぽうマージナリーは、決してフーディニを嫌っていたわけではなかったらしい。まだ彼女の夫と舌戦を繰り返していたうちから、何度も両者の間に入ろうとした。フーディニの死を聞いた彼女は、いくつか悔みの言葉と和解の意思を表明し、彼の勇気と、サイキック・バスターとしての彼なりの固い信念とを称賛した。




マージナリー、または「ライム・ストリートの金髪魔女」ことミナ・クランドンは、疑いようもなく気配りの細やかな、優しい女であった。彼女は、遠来の客であるこの初老の日本人に対しても、かつてフーディニに対して示したのとなんら変わらぬ優しさを示した。


彼女は、広い邸内をあちこち案内しながら浅野に言った。

「寝るとも起きるとも、どうかご随意に願いますね。風呂場と化粧室は、ここ。食堂は、こちら。台所は地下室にあります。もし夜中にお腹がすいてしまったときなど、どうかご自由になすってくださいね。同じ心霊の世界を探求する仲間同士ですもの。あなたは家族と同じだわ。」

ミナは、そう言うと片目をつぶって、にっこり笑ってみせた。エスターとも、国に待つ自分の妻とも違う、華やかで嫌味のない魅力が、季節外れの春風のように、ほんのりと浅野に伝わってきた。

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