序章 文化二年(1805年)秋 肥前国彼杵 式見村〜福田湊周辺
さて、それから半年が経過した、秋のこと。
大村藩領外海の式見村という小さな漁村で、おゆきという名の十五歳の娘が、夜更けにふと目を覚ました。
彼女は、この村の人口の大半を占める浦百姓のうちのひとり、喜八の末娘だが、幼時より異様な千里眼や予知の能力を発揮し、浦人たちに畏れ敬われていた。
おゆきがまだ八歳のころ、突然、小さな足に草履をつっかけて庭先からパタパタと走り出し、浦を出てゆく小舟を見下ろして、手を振り大声で「おじちゃん、さいなら、さいなら!」などと叫び始めた。
何事かと後を追ってきた家人に、おゆきは、あの船がもう戻って来ず、海の底に棲む龍神様のもとへ行くのだと告げて、うっすらと涙を浮かべた。船の主は、喜八と仲の良い漁夫で、この家にもなんども遊びに来たことのある、おゆきにも馴染みの者であった。そして、彼はおゆきの言葉の通り、そのまま突然の時化に遭って、二度と戻らなかったのである。
またあるときは、病に苦しむ村外れの老婆が、七日あとに全快するなどと言い出し、嬉しそうに笑った。もう何年にも亘る長患いで、年齢のこともあり先は短いだろうという周囲の覚悟をよそに、老婆の病気は、おゆきの言葉のとおり、七日目の朝にぴたりと治り、老婆はその後、六年間も元気に生きた。
こうした具合であったから、浦人たちは船出する前、おゆきのところにやって来ては、この航海になにか支障は出ないか、あるいは何らかの危険はないか、確かめにやってくるのが行事のようになった。おゆきはその都度、なにが起こるかをほぼ正確に言い当て、彼女が危ないと言えば、たとえ漁期であっても、浦人たちはその日の船出を見合わせるようになった。以降、この漁村から遭難者や水死者は、皆無となった。
そんなおゆきが、突然眼を覚まし、粗末な上着だけを羽織って、夜更けに表へ飛び出した。そのまま、坂道を転がるように駆け下り、村の真ん中に建つ番所の扉をドンドンと叩き、なにやら差し迫った声音で、「たいへんじゃ、たいへんじゃ!」などと喚き始めた。
式見村は、懐に長崎の港を抱える半島の反対側にあり、そのあたりは「外海」と呼ばれていた。幕府は、鎖国を犯す外寇に備えて、外海に面した各村にそれぞれ番所を設け、そこに数名の下士や早馬を配し、なにか海に異常を視認したら、最寄りの大番所へと急報する仕組みを整えていた。
ここ式見村は、そのなかでは比較的小さな漁村であり、番所の建つ地積も狭い。なかに詰める下士もほんの数名の若者だけである。彼らは、夜中にも関わらず扉を叩く闖入者を叱りながら、不承不承に戸を開けた。
おゆきは、中に飛び込むと、突然、訳のわからぬことを叫び始めた。
「たいへんじゃ!持ってゆかれるぞ!護国の宝が!救国の御剣が!」
「な、なんじゃ、なんじゃ、何がじゃ?」
下士たちは、飛び込んできたおゆきのことを、皆よく知っている。侍身分と浦百姓という身分差はあれ、お互い、この小さな漁村に生きる者同士だ。飛び抜けた千里眼の持ち主であることも、もちろんよく知っている。しかし、今彼らには、おゆきが何を言っているのか、まるでわからない。
「御剣じゃ!みつるぎじゃ!帝のつるぎじゃ、おまえら、わからんのか!」
おゆきは、口から泡を吹きながら、なおも叫び廻った。
「御国が滅ぶぞ!追いかけろ!でないと・・・。」
「でないと、何じゃな?」
おゆきは、少しだけ黙り、下士たちのほうを睨んで、恐ろしそうに首を竦めた。そして、ゆっくりと、言った。
「でないといずれ、奴らが、あがってくるぞ。」
「おゆき、落ち着けや。おぬしが何を言うてるのか、わしらにゃあ、まるでわからん。」
「上がってくる、陸へ上がってくる。おぬしら、むしゃむしゃと喰われてしまうぞ!皆、殺められてしまうぞ。おぬしらだけでないぞ!赤子までじゃ。」
半刻 (一時間)後、ともかくも昂奮するおゆきを落ち着かせた下士たちは、彼女の伝えたいことの概要を漸く理解し、半信半疑ながら、いちおう彼らの上士の詰める、福田の湊の大番所にこれを伝えることに決した。
話そのものは、まだ細部が茫洋としていて、わけがわからない。しかし、おゆきの異能はすでに広くこの地域に知られたもので、その彼女が度外れた惑乱ぶりを示し、何者かによる切迫した侵略の危険を喚き立てたことから、常に外辺の異国の脅威を感じつつ任に当たっていた式見の下士たちも、 (事が事だけに)形式だけでも注進しておく必要性を感じたのである。
最初は、番所に繋いだ早馬一頭に、騎乗の巧みな銑三という若者が乗るだけの筈であったが、おゆきは、一緒に参ると言って周囲の制止の声をまったく聞かない。やむなく、彼女を背にし、銑三は馬の尻に鞭を呉れ、早足で歩ませた。
式見から福田まで、歩くと半日は掛かってしまうが、馬ならばその半分くらいの時間で着ける。おゆきは、銑三の背中にしがみついたあとは、もう喚かずにすっかり大人しくなった。
馬は、海辺の崖と山間の細くうねる道筋を、急ぎ足で進んでいく。ちょうど満月の頃合いで、視界のかたわらには、細々と千切れた白く光る波が、月の光を受けてきらきらと輝いていた。ゆったりと上下動する馬の背に揺られて、銑三はついその美しい光景に見とれていたが、彼の腰帯につかまるおゆきは、彼にこう言った。
「さっきは、すまねがった。おら、もう、怖くて怖くて・・・迷惑かけた。あやまる。」
美しい風景に心休まる心地がしていた銑三は、この若い娘の素直な詫び言に、優しい声音で答えた。
「なあに。式見と外海の安寧を保つのが、我らのつとめじゃ。」
おゆきは無言のまま、背後でこくり、と頷いた。
銑三はその仕草を背中で感じ、なおさら愛おしく思い、優しく言った。
「もし、おぬしが言うように、よからぬ企てをなす夷狄どもがやがて海の向こうから寄せ来たって、式見に揚がってくるとしたらな・・・儂らが命さかけて戦って、必ず護ってやる。だからよ、もう心配するな。安心せえ。」
おゆきは、こんどは答えなかった。ただ黙って、銑三の帯につかまっていた。
かすかに揺れる馬の背で、銑三は背中におゆきのたおやかな身体の曲線と温みを感じ、海より吹き付けてくる、少しばかり湿り気を含んだ微風に、おゆきの膚のかぐわしい香りが交じっていることに気づいて、しばし、無言のままうっとりとそれを嗅いだ。
やがて、つかまっているおゆきの身体が、かすかに、小刻みに震えていることに気づいた。
「どうした?うン?」
銑三は、またしても、優しく聞いた。そして、気づいた。
おゆきは、身を震わせて、しくしくと泣いているのである。
「泣くことはあるまい。いま、福田に向かっとる。あと一刻もすりゃあ、着くよ。そこで、大番所のお奉行様に説明すりゃあ、すぐと長崎へ早馬を飛ばしてくださるじゃろ。長崎は藩の外じゃが、どんな船が居て、なんか怪しい動きをしちょらんか、確かめてもらうくらいのことは、できる。心配することは、ないよ。」
大村藩は、天領である長崎の港の検断権を持ち合わせてはいない。しかし、このところ、出島の周辺でさまざまなよからぬ取引や密貿易などの噂があり、阿蘭陀ではない別の国の船が出没し、沖合でなにごとか企てているなどといった、国禁を冒しかねない不穏な話まで流れていた。
銑三も、ただ波の彼方を見張るだけの単調な日々に飽いて、このような、出所不明の憶説を仲間と戯言まじりに言い交わしていたりする。
よって、行ってみて確証を伴う話であれば、あるいはその疑いの濃い話であれば、大番所の判断でなにがしか緊急の警告くらいはできるであろうと考えていた。
しかし、そんな銑三の考えをよそに、おゆきは道に迷った幼子のように泣きながら、静かに、こう言った。
「もう、だめだ。行ってしまった。夷狄の船の倉に、しまわれたのが見える・・・やがて出帆じゃ。もう、間に合わねえ。」
言ってまた、しくしくと泣き始めた。
「こら、なにを泣くか。」
優しく叱るが、おゆきは泣き止まぬ。鼻を詰まらせながら、訴えるかのごとくに、こう言った。
「もう、だめだ。間に合わねえ。だからもう、他に手がねえ。おらが、行くしかねえ。身を捧げるしかねえ。でねえと・・・。」
いったん収まったかと思った錯乱の気が、また出てきた。
口調は静かだが、おゆきの言っていることは、銑三には、わけがわからない。
銑三は、少し考え、おゆきの気が落ち着くまで相手にせず、彼女の発するたわ言を、柳に風と受け流すことにした。
聞かぬふりをし、関係のない話などして、ひたすら、この多感な娘の気を散じさせるようにしよう。そうすればきっと、また落ち着く。十四、五の娘は、気まぐれで振舞いに予想がつかず、時として、その存在が神秘そのものだ。
おゆきとはわずか五歳程度しか歳の離れていない銑三は、みずからの乏しい女性経験から、そう考えた。
銑三は片手を手綱から離して伸びをし、わざと欠伸する音など立てて、周囲を見渡した。そして言った。
「それにしても・・・なんと、美しい海じゃ。」
そのまま、胸いっぱいに甘やかな汐の香りを含んだ夜風を吸い込み、馬上でほっと溜息をついた。おゆきは黙り、ふたりはそのまましばし、ゆっくりと馬に揺られたまま前に進んだ。
唐突に、おゆきが言った。
「おめえ、わがってねえな。」
背中から聞こえた、先ほどの可憐な詫びの声とは違っていた。もっと、低く、重く、闇の中からこちらをズルリと引きずり込むような声だ。
銑三は、ぎょっとした。そのまま全身が総毛立ち、膚に粟を生ずるような心地がした。彼は、馬芸や武術全般に通じた勇敢な男だが、そのとき、なにか自分には抗し得ない、巨大な力があたりを覆ったような気がした。
「ぜんぜん、わがってねえ・・・ばかだな、おめえ。あいつらは、あいつらは、海の向こうからじゃねえ、海の、なかから来るんだ!」
おゆきではないその声は、さらにそう言った。そうして、銑三は、背後に捕まっていたはずのおゆきの重みがすっ、と消えるのを感じた。彼は自分がいま、非常な、なにかとてつもなく非常な状況に陥っていることを、はっきりと悟った。
次の瞬間、ガッ、と衝撃が頭に走り、銑三は馬からふっ飛ばされて宙に飛び、そのまま地面に叩きつけられた。視界が歪み、雷撃のような頭痛がし、彼の意識はそのまますうっと闇の中に落ちていった。まだ完全に気を失う直前、彼は、おゆきが馬の背の上にすっくと立ち上がり、まるで曲芸師のような手綱さばきで馬を駆けさせているのを遠くに見た。馬は、それまでの早足の、優に倍にはなるかのような恐ろしく速い駈足で、すぐに消えていってしまった。
おゆきは、あんなに上手く馬に乗れたかな・・・いや、彼女は、これまで馬に乗ったことすらなかったはずだ、おゆきは、漁村の浦百姓、喜八の末娘だ。この村には、いま走り去って行った番所にしか、馬はいない。おかしいな。なのになんであんなに上手いんだ?
彼は、そのまま気を失った。
銑三を蹴落としたおゆきは、そのまま、狂ったように馬を走らせて、間もなくまだ寝静まっている福田の湊に着いた。町はずれの辻に差し掛かるや、機敏に馬の背から飛び降り、そこから大股に駆け去った。
自らの能力を遥かに超える走りを強いられた式見村番所の早馬は、激しく汗をかき、白い湯気をたててそのままよろよろと数歩歩むと、前脚を折り、どうと前のめりに大地に斃れ伏した。
おゆきは、夜道をまるであらかじめ知っていたかのように福田の大番所まで走ってきた。だが、ぎろりとした眼でそちらを一瞥すると、そのまま、意を決したように前を走り去った。そのまま走って、走って、静かな波の打ち寄せる、汀までやって来た。
おゆきは、ここで立ち止まり、しばし涙に濡れた眼で、いま来た方角を見遣った。故郷の式見浦を、そしてそこに住まう家族のことを思い返した。なにかを呟きかけたが、言葉は出てこなかった。
彼女は草履を脱ぎ捨てると、そのまま、じゃぶじゃぶと白波を蹴立てて真黒い夜の海の中に入り、ずんずん沖に進んで行った。しばらく、犬かきをして泳いでいる風であったが、やがてその小さな頭も消えてしまった。
あとには、打ち寄せる波の音だけが残った。
福田湊にある大番所の、その日の記録には、こうある。
『式見村のおゆきなる浦百姓の娘が、夜半、番所にやってきて、奇妙なことを訴えだした。曰く、護国の剣が国外に持ち出されようとしている。長崎の港から、異国のよからぬ船が、なによりも大切な国の宝を盗み出そうとしている。いますぐ止めねばならぬ。長崎に兵を差し向けよ。湾口を封鎖し内海から出てくるその船を水軍で撃て。さもなくば、この国はじきによからぬ夷狄に蹂躙される。大略、斯様なことであった。またその宝が、古の壇之浦の合戦で安徳帝とともに海に没した貴き三種の神器のうちのひとつ、草薙の剣であるとも言い立てた。彼女は、間に合わぬと知るや、悲嘆のあまり番所の馬を奪って駆けてゆき、そのまま海に身を投げて死んだ。哀れな狂女ではあれ、その至情、覚悟の程は天晴至極。まこと、憂国の烈女ともいうべきではある。この真情を汲み、公儀からおゆきの身内にお咎めは無かった。』
実はこのころ、日の本の沿岸のあちこちに異国船が出没し出し、人心が動揺しはじめていた。
三十年ほど前、阿波国に異国船が現れ、「はんべんごろう」(ファン・ベンゴロ)なる船長が上陸を求めたが、拒絶されて去った。その後、立ち寄った奄美大島にて、北方のルス国 (ロシア)が日本侵略の準備をしているという内容の書付を残し、ちょっとした非公式な騒動になった。
また、いつの頃のことかいまひとつ分明ではないが、常陸国の海岸に、奇妙な形をした「虚舟」が漂着し、中には赤い色をした髪の女が乗っていたが、後難を恐れた人々によってまた沖に流された、などというまことしやかな話も、人々の口の端にのぼっていた。
人心の動揺は、さまざまな噂や怪異譚を発生させる。
長崎にほど近い大村藩では、領内から沖を行く異国船の遠い翳を望見することなど日常茶飯事であったが、それでも、当時のこうした世相の影響を受けていたのかもしれない。ただでさえ千里眼の異能を謳われ、また多感な年頃であったおゆきの狂乱と、理由のわからぬ自死は、こうしたさまざまな理由をつけて解釈され、そして、そのまま忘れ去られていった。
しかし、確たる理由はわからないが、この騒ぎのさなか、式見の下士ひとりが落馬して大怪我を負ったことが、前掲の大番所記録にみえる。
また、同日早朝、長崎港から阿蘭陀国旗を掲げた交易用のスクーナー船ノーラ号が出帆し、内海を通り抜けて国外へ去ったのも事実であるが、長崎の奉行所における出港時の臨検記録では、特に怪しむべき事柄は、報告されていない。