第三十七章 安貞二年(1228年)秋 長門国伊輪
夜明け前に、この唐突で奇妙な戦闘は終わり、四郎と蛇丸一党は、伊輪の山砦の中庭で静かに凱歌をあげた。
輪になって中庭に集まった彼らのあいだに、半裸の敵の遺骸が五つ、並べられていた。残り二人は、後ろ手に縛られ、脇に座らされている。その二人、そして既に死んだ五人とも、ちゃんと頸があった。そして、不思議なことに、さして大柄でもない、ただの人間であった。
蛇丸の側では、多少の手負いは出たものの、驚くべきことに、死人は一人として出なかった。妖魔の騎士たち相手に人が立ち向かって無傷で勝つのは驚きだが、相手も人間ならば、百人と四人で戦えば、こうなるのは必然のことである。
蛇丸は、やはり優れた戦闘感覚を持つ、手練の実戦指揮官であった。彼は、夜闇のなか四郎に檄を飛ばされ、迷わず、即座に彼へ味方すると決めた。そしてまず配下の者らに、こう声を掛けた。
「桜梅は、もう居ねえ、死んだ!これからは、儂が頭領だ!文句あるやつは、前へ出ろ!」
そして、誰もそれに反抗しないのを見届けると、言った。
「ではよ、さっさと、あの魔兵ども討ち取れや!儂の命じゃい!」
これまでの数十年ずっと、皆の念頭へ不気味な重石のように載っていたあの桜梅。すなわち平維盛が突然この世に居なくなったことで彼らは混乱し、瞬間、心に大きな穴が開いたが、蛇丸は、有無を言わさぬ新たな秩序を示し、次に彼らがやるべきことだけを簡潔に指示して、彼らに多くを考えさせなかった。
そして、すぐさま門扉を閉めさせ、魔兵どもが一騎足りとも外に出られないようにした。この視覚効果は絶大であった。それまで無言で周囲を威圧し睥睨していたはずの魔兵どもの戦闘意欲がみるみるうちに萎み、そのうち二騎は、なんと、戦闘を自ら停止して馬を降り、その場に膝を屈して降伏したのである。
頸のない、身体の大きな異界の妖かしが、ふたり並んで命乞いをする光景は、どう見ても異様なものだった。しかし、蛇丸の勢が戦闘に加わったことで手の空いた四郎が、彼らのほうに駆け寄り、大声でなにごとかを命じた。言葉が通じないと見るや、彼は、乱暴にひとりを立たせ、その頸の無い大鎧の胸板のあたりを掴み、剥ぎ取る仕草をした。
四郎の勢いと力におたおたと足を踊らせた魔兵は、わかったというように手で合図すると、少し離れて、自ら障子板のあたりに手を廻し、身に纏っていた弦走や脇楯、大袖などを外し始めた。脇に座って、まだ降を乞うていたもう一名も、彼にやや遅れて、同じことをし始めた。
やがて中から現れたのは、やや細身で大柄とはいえ、あの魔兵に化けていた時の巨大な影とはかけ離れた、ただの人間の姿であった。二人は、彫の深い容貌をし、目の色が鈍色で天狗のような鼻をした異国人だった。伊輪衆の怒りを感じた彼らは怯え、差し迫った死の脅威から少しでも我身を遠ざけんとするかのように、なんどもぺこぺこと頭を下げ、なにごとかわからない言葉でいろいろなことを喚いていた。
蛇丸の指示のもと、統制の取れた動きで連携し、速やかに残騎を砦内の一角の闇の中に追い詰めながら、伊輪衆の手練どもは、その異国の降兵の惨めな有様を目の当たりにした。篝に照らされ、ほぼ半裸となった異国人の前には、自ら剥ぎ取った大鎧の各部が前に放り出され、それらが中身の彼らとはまるでかけ離れた大作りな偽物であったことを示していた。
大鎧は、いわば将帥の腹部と胸部を包み込む、大きな箱のようなものである。身体の三面を、予め固着した弦走という皮革で覆い、残る一面を脇楯で塞ぐ。これらをすべて大きく作り、頭部が完全にそのなかに没するようにして、前後を強化した特別誂えの障子板で繋ぎ固定するのだ。
そうすれば、馬上の高みを下から仰ぎ見る者たちの眼からすると、あたかも巨大な体躯をした頸なしの武者が動いているように見えるであろう。少なくとも陽光の降り注がない夜間では、この虚仮威しは、視覚的に充分に効果を発揮するものであった。
この子供騙しの仕掛を眼にして激怒した伊輪衆は、大いに血が猛り、追い詰めた残り二騎が闇のなかからまろび出て仲間に倣って降伏しようとするのを赦さず、容赦なく四方から薙刀を振るって膾にしたのである。
ばらばらになった彼らの身体と、血飛沫と、少し前まで大鎧だったものの雑多な欠片とが、一緒くたになって一面に飛び散った。
戦闘がやにわに終結してから、新たな長、蛇丸の明確な指示のもと、伊輪部落の兵も民も、全員が総出で迅速にあとを片付けた。散らばった人間の肉片や武具を取り除け、死んだ馬を引きずって行き、地に染みた血のあとへ砂を撒いて浄めた。打ち捨てられていた維盛と巌鴨の頸は、丁寧に洗われて、いったん首桶に収められた。
作業が終わる頃には、しらじらと夜が明けていた。
四郎と狩音は、並んで立ち、彼らの、新たな部落を作るための最初の共同作業を見守っていた。互いに、言葉は交わさなかった。ただ狩音は、闇の中でいち早く拾い上げた、あの草薙剣の指してある革鞘を、黙って四郎に手渡した。
ひと段落し、蛇丸がおずおずと、こちらのほうにやって来た。
「いろいろ、あったけどよ・・・恨まねえでくれよな。なにしろ、俺たちゃあ、桜梅と宕が、死ぬほど怖かったんだぁ!」
四郎は表情を変えず、答えた。
「過ぎたことじゃ。それよりも、お主が衆をまとめる手際は、見事じゃ。」
「いつも一緒に、やってるからだよ。仲間だからな。」
「その仲間たちと、これから、どうする積りじゃ?」
「それだよ・・・それを考えてたんだよお、さっきからな。」
蛇丸は頭をかくと、こう言った。
「俺たちゃ、かつて平家の軍勢に属していた者共の子孫だ。だがよ、もう今さら平家でもねえ。あの芳一が現れるのは怖ぇが、とにかくもう桜梅は居ねぇ。もし、霜降の厚東さまがよ、俺たちを宕から護ってくださるのなら、俺たちゃ、今からでも厚東に帰順してえ・・・どうかな?甘いかな?」
「落人部落は伊輪だけではないぞ。他の集落はどうする?このあたりの山中に数多、あるであろうが。」
「全員、顔見知りだよ。奴らには、必ずおいらが話をつける。なに、桜梅が死んだとあの頸を見せりゃ・・・それに、みんな、最近から現れるようになってた、あいつらに恐れおののいてたんじゃ。」
そう言って憎々しげに、地面にぺたんと座る、異国の降兵ふたりのほうへ、顎をしゃくった。
「まさかよ・・・毎週のように粢島の前で顔を合わせる、あの異国の水夫たちだとはよ、まるで思わなかったぜ。糞ったれ!」
蛇丸は、足元の石を蹴った。それは正確に二人のほうへ飛び、びくっとした異国兵は、腰を浮かして後ろに飛び退いた。
「彼奴らは、宕の使いなのか?宕のことを、少しは知ってるのか?」
「いや、たぶん知らねえよ、奴ら宋の水賊くずれの、色目人だぁ。舟を操るのはべらぼうに巧いが、それ以外のことは、なにもできねえ。俺らが岸辺の洞穴に積み上げておく精錬銅を、コロに積み替えて舟に乗せて、あの急流を越えて粢に渡るだけだ。たぶん、粢も、突き立った崖と崖のあいだの水路を通り抜けるだけだろうぜ。宕の姿も、見ちゃいねえだろ。」
「彼奴らと、話ができればな。」
「そりゃ、無理だな。奴らの言葉を知ってるのは、桜梅だけだった。」
「なるほど・・・そしてそのあと、粢島から沖合に抜け、そのまま流れに乗って勢い良く・・・。」
「あっという間に、韓か宋だよ。彼奴ら、それでべらぼうに儲けてやがるんだ。」
「儲けて、それでなにをする気だったのだ?」
「そんなとこまで、わからねえ。俺たちゃ、ただの下っ端だ。」
蛇丸は、苦虫を噛み潰したような顔をして、言った。
「だがよ。」
「だが、なんだ?」
「どうも、桜梅も、阿弥陀寺の芳一も、あいつら色目人も、みんな宕の言いなりになって動いてる、そうは思ってたぜ。あいつら、まずは儲けて軍資金を作り、俺ら落人を纏めて軍を作り、この長門を従え、宕を地上に迎える積りだったんじゃ・・・長府に居る守護代も、裏では完全に、こちらの味方だしな。」
「同じようなことは、維盛も申していたな。だが、そのためには。」
「厚東が、じゃまになる。」
蛇丸は、即座に言った。そして、四郎の脇に黙って立っている狩音に気を使って、こう言い添えた。
「そしてそのあとは、多々良じゃな。」
「多々良は、維盛と、そして宕とすでに入魂ではないのか?」
四郎は、狩音のほうを見ずに、声だけで聞いた。
少し俯きながら立ち、右手であてどもなく自分の首輪に提げた貝殻や小石をいじっていた狩音は、少しむっとしたように四郎のほうを上目遣いに見た。そして、言った。
「平氏とは多少の通交がありましたが、宕とはありませぬ・・・実は四郎殿がこちらへ参ることになったのも、裏で多々良が、さまざま手を廻したからでございます。自分はこれまで四郎様の監視役でしたが、必然、四郎様に附いて長門の実情を探ることになりました。しかし、まさか、宕が。本当に在るものだとは、妾も知りませんでした。」
「はじめて、聞くことが多い。」
ここで、はじめて四郎が狩音を振り返り、正面から、このかつて愛した女の顔を見た。四郎は、笑っていた。そして、なんとも妙な褒め方をした。
「この、何も考えおらぬ猪武者の手綱を取り、よくぞここまで、操って参った。この先も、もしお主に手綱を任せれば、儂は、宕のもとへと参れるか?」
瞬間、狩音の顔が、ぱっと輝いた。
そして、すぐに言った。
「もちろんでございます。この大きな暴れ馬を御せるは、長門周防にただ妾ひとり在るのみ!」
首輪につけた、小さな石を握りしめて、そう言った。
「水を差すようで、悪いけどよ。」
四郎と狩音のあいだに通じる、ある種の感情の紐帯を感じ取って、蛇丸がおずおずと、言いにくそうに言った。
「あんたたちが行っちまったら、俺たちゃ、どうすりゃいいんだ?宕のところに行くだって?冗談言っちゃいけねえ、あの粢島への汐の流れを乗り切るのすら、素人には無理だよ。それに、宕は怖いぞ。さすがのあんただって、たぶん、生きては帰れねえ。このまま、ここに居なよ。あんたが頭になるなら、喜んで俺は譲るぜい。」
「いや、蛇丸。おぬしこそが、ここの長だ。」
四郎は言った。
「皆の心を、ひとつに掴んでおる。お主に任せておけば大丈夫だ。さっきの言葉、忘れるな。必ず周辺の落人どもを説いて、お主が率い厚東に帰順せよ。」
「わ、わかった・・・任せろ。でも、よ・・・・」
「ここを発つ前に、父に宛てた手紙を二通したためておく。一通は、今すぐ誰かに持たせて霜降へと放て。もう一通は、お主が自ら長府の小田村光兼のもとへ行き、手渡せ。不埒な裏切りが露見したことに奴は蒼くなろうが、お主ら山中の落人をこれまで通り優遇し、貢納だけ怠らずに今後も務めるならば、霜降に報告はしない、そう認めておく。」
蛇丸は、眼を丸くして頷いた。たったの数刻前まで、儂は妖かしの手下として、この男を害すべき立場だったのに。人の世の有為転変とは、まるでわからないものだ。
しかし、ふと思いついて、彼は四郎に尋ねた。
「だがよ・・・厚東の坊ちゃまよ。まだ、わからねえことが、あらあ。」
「何なりと。」
「頸なし武者は、偽物だとわかった。だが、芳一のあの異能は、俺もこの眼で見た、たしかな怪異じゃ。それと、墓場から蘇りふらふらと歩き廻る屍体。これは、俺は見ちゃいねえが、何人も見た者がある。あんたは、怪力乱神はこの世に無いと言うが、これをどう判じてくれる?わかりゃ、こんなに心安らぐことはねえんだがよ。」
「芳一には、儂はまだ会うてはおらぬ。だが、お主が言うならば、それは確かな怪異なのであろう。なぜ眼も見えぬのに、山中を猿のように素早く動き回れるのか。それにも必ず仕掛けがあろうが、それはおいおい究明致そう。だが、現時点で、ひとつわかることがある。」
「そりゃ、なんですかい?」
「維盛の前で、かつて壇ノ浦に沈みし平氏の武者に次々となり変わったという、あの話じゃ。お主もたしか、その場に居ったのじゃな。」
蛇丸は、勢い込んで頷いた。
「そは、病じゃ。」
「病?」
「まったく同じ症状を呈した別の病者が、ひとり霜降にも居る・・・儂の母じゃ。」
「なんだって!」
「儂は、母の中に居るそれらの者のうち一人と話し、取引した。長門に起こる様々な怪異の理由を解き明かし、元凶となっている妖かし・・・いま思えば、宕じゃな・・・どもを討ち果たして帰れば、必ず母の容態はもとのまま回復しよう、とな。」
蛇丸は、四郎の決意に打たれたように、つと姿勢を正したが、
「あんた・・・本当に、それができると思うてなさるのか?」
と、心配そうに聞いた。
「言うたであろう。妖かしなど居らぬ。宕も、おそらくはただの人じゃ。なにか、この地上で良からぬことをたくらむ、ただの人じゃ。儂は、それを解き明かしに参る。そして、生きて戻る。だからお主は、部落の民どもをしっかりまとめ、さっき申したことを、必ず実行せよ。さすればすべて、うまくいく。」
「わ、わかったよ。」
蛇丸は、ついに言った。
「あんたに、賭けるよ。恨み重なる厚東一族でも、あんたなら信用できそうじゃ。少なくとも、あの桜梅よりゃ、遥かにましだろうて。」
ここで唐突に、狩音が口を開いた。
「蛇丸。もうひとつ知りたいことがあったのではないか?」
「へ?」
「蘇る屍者のことじゃ。その正体が知りたいと、お主は言うたではないか。」
「あ、ああ・・・そうじゃ。」
蛇丸は、いぶかしげに言った。男まさりの卓抜した戦闘能力を持つ多々良の間者とはいえ、しょせんは小娘だ。なにを知っているというのだ?
横で四郎も、少し驚いた顔で狩音を眺めていた。少し得意げな表情で、狩音は蛇丸に命じた。
「お主の手下ども、おおかた片付けを終えたようじゃの・・・声をかけて、まだ力のありそうな十人二十人ばかり、呼び集めよ。」
「そりゃ、多々良の姐さんが、そうせよと仰せなら、やりますがよ。」
蛇丸は、不思議そうに言った。
「でも、そんなに大勢揃えて、なにをするんで?」
「知れたこと。今から墓を掘り返す。それで、すべて判る。」
狩音は、さらりと言った。
はじめはさんざん抵抗した蛇丸だったが、最終的には墓の掘り起こしに同意した。狩音の自信に満ちた態度もあったが、それを見て頷いた四郎の仕草を見て、彼も遂に観念したのである。
やがて、手の空いた者から順次、部落の西の谷間にある墓地に駆り出され、この一ヶ月以内に死んだ、すべての者の墓を掘り起こした。そして、なかの瓶を割れないように転がしながら、広場までごろごろと運んできた。その数は、なんと十三個にもなった。
「疱瘡が、流行ったからの。身体の弱った者共が、今になってつぎつぎ死んだ。」
蛇丸は言った。霜降にも聞こえた、屍体の頸を落したのは隣接する別の部落の話だが、それとほぼ同時期の死者ばかりで、なかには子どもも多い。
「秋口とは言うてもな・・・すぐに腐っちまう筈だ、とてもではないが見られたもんじゃあるまい」
蛇丸は口を歪めながら、そう予想した。
狩音は構わず、並べられた瓶の状態を、次々と確かめていった。ひとつだけ保存状態の悪いものがあり、割れ、なかば崩壊してなかの腐敗した小さな遺骸の足が覗いていた。それを見ていたひとりの女が、不意に顔を抑えて嗚咽した。
「これは、腐っておる。もう骸じゃ、蘇る気遣いはない。」
狩音は、前列に並べられていた瓶のうちふたつの口のあたりを軽くコツコツと拳で叩き、
「しかし、これは・・・まだ腐ってはおらぬぞ。蘇る気配がある。あとで口を開けて、しっかと冥土に送ってやらねばの。」
残りのひとつについて、そう戯言ぽく言った。
そのような具合に、完全な状態の瓶十二個のうち、四個の上に石を置いて他と区別した。
「蛇丸、妾が石を置かなかった瓶をどれでもひとつ、開けてみよ。中は必ず腐っている。」
そう命じた。
蛇丸はもう抗わず、若い手下に合図して、自ら指揮してひとつの瓶を開けた。瞬時に、ひどい臭いがあたりに漂い、瓶の口を覗いた若者のうちの一人が顔をしかめ、脇にしゃがんで吐き始めた。蛇丸は、見るまでもないと慌ててまた口を閉めた。
いっぽう、狩音が石を置いた瓶の中の屍体は、いずれも腐敗していなかった。驚いた皆は、その四つの瓶から骸を外に出し、硬直したまま膝を折って座るそれらを仔細に検分したが、四体いずれも、まだ生きて寝ているだけであるかのように、肌合いがつやつやしていた。もちろん、なんの悪臭もしない。そして驚くべきことに、爪と髪が伸び、成人の男は口のまわりの髭が濃くなっていた。
ただ、口もとや耳元、頬などに血が流れた痕があり、その目蓋は重く閉じられ、また開く気配はない。これが、死者の骸であることは一目瞭然であった。
「これでわかったか。骸にも二種類ある。腐るものと、腐らぬもの。」
狩音は、部落の皆に言った。
「それ、すなわち、生き返らぬ者と返る者、ということか?」
蛇丸は聞いたが、狩音は即座に、かぶりを振った。
そして、ならべられた瓶を指さして、言った。
「理由は、あれじゃ。」
広場に集まってきた部落の者、みなの顔を見渡し、
「妾はさっき、ひとつひとつの瓶の口を覗き、触り、叩くなどして、どれだけ厳に閉めてあるかを確かめた・・・そして、きちんと密封されていたものが、この四つの瓶じゃ。」
そう言って、いま遺体を出した四つのほうへ、顎をしゃくった。
「わからぬか?死後、瓶に入れられて、もしその口が少しでも空いておれば、気が入る。そして、その気の中には、我らの眼には見えぬ、小さな小さな虫が居る。」
部落の民どもは、みな、口を開けてぽかんとしていた。
「いったん、瓶の中に気が入ってしまえば、その骸は、外にうち捨てられているのと同じじゃ。みるまに虫から蛆が湧き、あちこち喰われてすぐと骨になる。じゃが、気が入らぬよう密封された瓶のなかには、虫は湧かぬ。よって骸は腐らぬ。妾の育った多々良はの、古より、こうしたことにたんと知識のある一族じゃ。腐らぬとて、骸は骸じゃ・・・だが、これで外の気に触れた。それら四体も、あと数日経ずして、腐り始めよう。早めに瓶に入れて、土の中に戻してやれ。」
「では・・・蘇りは?」
誰かが、おずおずと聞いた。狩音はまた、即座に答えた。
「案ずるな!蘇ることなど、無い。そこに座っておる、かちこちに固まった骸を見よ。これは、ただの骸であろう?いまお主らの眼に見ゆるもの、それがすべてじゃ。骸が吼えたの呻いたの、そんな話は、隣の部落からの伝聞であろう?嘘とは言わぬが、おそらく話が大きくなっておる。迷妄に囚われるな。この厚東四郎様の言われた言葉を、常に思い出せ・・・怪力乱神など、この世には居らぬ!」
その二刻ばかりあと、厚東四郎と狩音は、伊輪の部落を発った。
蛇丸はじめ、恐怖と闇の支配から脱したばかりの平氏一族の末裔たちが、ほぼうち揃って部落の出口の、長い吊橋を渡る二人の後ろ姿を見送った。
四郎は、狩音より受け取った草薙剣を、素の木刀とともに腰へ二本差しにしている。剣のほうは、例の革鞘の上に、蛇丸から貰った美麗な太刀袋がかけられていた。揚羽蝶を象った錦糸で縫い取られたそれは、平氏伝来のもので、維盛がずっと大切にしていたものだという。
ゆらゆらと揺れる橋を渡り終え、そこに控える番兵の最敬礼に応え、しばらく歩いて二人きりになると、四郎は、狩音に聞いた。
「本当に、まだ附いて参るか?陰謀は暴かれ、叛乱は未然に防がれた。お主は多々良に立ち戻りて仔細を報じ、今後のことなど議すのが本来の使命であろうが。ここから先は、いわば、儂の母を救うための、儂の旅路じゃ。」
狩音は、それを聞くと四郎の前に廻り込み、まっすぐ見上げて、こう言った。
「妾は、多々良です・・・先に申したように、多々良にとっても、宕は長らく謎でした。それを探りに参るは、我らにとっても大切なこと。」
「憎っくき宿敵の厚東と組んでも、か?」
四郎が、笑いながら言った。もうそんなこと、どうでもいいことだが。
狩音は、四郎の軽口を受け流して、真面目に言った。
「多々良は、遥かな古、韓の国より逃れ来たりし一族です。実はこのあたりの海にも馴染みがあり、彼奴ら海に居るという、深き者どもを、厚東より遥か昔より知っています。」
「深き者ども・・・宕のことか?」
「いかにも。彼奴ら、今は水底にて長い眠りについていますが、いつか目覚めて我らに祟りを為すと、斯様に言い伝えられて参りました。彼奴らが、人か妖かしか、それはわかりませぬ。しかし四郎様に附いて、そを確かめることは、多々良にとっても大切なことでございます。」
「そうか・・・それではまだ少しだけ、一緒に居られるな。」
四郎は、やや嬉しそうに言った。狩音は答えた。
「さあ、ご案内します。厚東の猪武者殿!粢島まで。あなたの行きたいと願う、その場所まで。ともに参りましょう、このまま、真っ直ぐに!」
「いや、その前に、行くところがある。」
四郎はしかし、意外なことを言い出した。
狩音は少し驚き、少し考えてから口を尖らせ、またですか、という顔をした。
「うむ・・・お主がいま察したとおりだ。まだ、挨拶を済ませておらぬではないか。その、芳一なる怪僧にな。まずは、そこじゃ。御裳裾じゃ、阿弥陀寺じゃ。ここから山の背を廻って行けば、さして遠くはあるまい。」
「かしこまりました・・・四郎様の、御心のままに。」
狩音は頷いて、言った。そして、愛する男の眼を、まっすぐ見つめた。
四郎は、やや恥ずかしげに、こう戯れた。
「母を一刻も早く救いたいのは、山々じゃ。だが、廻り道をすれば、もう少し、お主と共に居れるからのう。」
そう言って、笑った。狩音も笑った。
ふたりは、神剣を抱え、西のほうへ、太陽のかなたに向かって歩いて行った。