第三十五章 安貞二年(1228年)秋 長門国伊輪
頸のない魔兵は、門扉の内側へそのまま、ずいと馬を乗り入れて来た。
すぐ後ろに、同じような出で立ちの、そして同様に頸のない異形の騎馬武者が六騎続き、しずしずと進んで、門扉の前で横一列に並んだ。彼は、砦内の人間どもを背の高い馬上から睥睨した。顔を持たぬ彼らの沈黙を、もしそうと呼んで良いのであればだが・・・。
しかし、彼らは七騎だけで、百名に近い人間どもをただ黙って威圧し、その場のすべてを支配していた。彼らは、頸から上を欠いていてもなお、通常の騎馬武者よりひと回り大きく見えた。目を合わせぬようにして近くに立っていた衛兵数名が、たまらず、そのまま数歩後退りするのが見えた。
門内に歩を進めてきた先頭の幽霊騎兵は、右手に提げていた丸いものを、いとも無造作に、維盛の足元へと抛った。ごろごろと転がり、砂を拾って少し白くなったそれは、死んだ男の頸であった。四郎にも見覚えがあった。頸は、この日の朝に斬られた、巌鴨の変わり果てた姿だったのである。
「これは・・・真に申し訳なき次第でございます!この程度の下郎の頸では、やはり宕のお気に召しませぬか!さて、さて・・・困った困った。」
維盛は、魔兵からの恐ろしい無言の叱責にも関わらず、実に面白げに言った。
頸なし武者は、そのまま数歩、馬の歩を進めると、維盛の前で停止し腰に帯びていた剣を抜いた。見たこともないような、妖しく湾曲した妖刀であった。そして、次に欲するものを維盛に無言で言い聞かせるように、まっすぐこちらのほうを指さした。
「なるほど・・・あの者らの頸を!」
維盛は、わざと眼をまるくし、ひときわ大きな声を張り上げて、魔兵に向かって言った。
「あ、いや・・・そのまま擒とするがご所望でございますな。ふむ、畏まって候!」
そのとき、門衛たち同様、魔兵のほうを見ないよう顔を背けていた両脇の蛇丸配下の兵どもが、維盛の声に呼応して一斉に横移動を始め、四郎と狩音の背後に廻った。そして、二人の背中に薙刀の鋒を突きつけ、峯のほうで軽く押した。
「進め・・・はよう、進め!行ってくれ!」
俯きながら薙刀隊の指揮を執る蛇丸が、廻りに聞こえないよう、こっそり四郎の耳元に囁いた。
「手向かいしなけりゃ、すぐには殺されねぇ。だが、もしあんたが獲物振り廻す気なら、砦の外でやってくれや。それまでは、後ろ手に隠しとけ。俺たちの薙刀に隠れて、向こうからは見えねえよ。」
四郎は、それには答えなかった。もしはっきり答えて会話なぞすれば、手下たちのうちの誰かに聞かれ、蛇丸にとってその後、大いに好ましくない状況となるだろう。だから四郎は、ただ黙って彼の言葉に従った。
蛇丸率いる薙刀隊は、全員、少し下を向いて俯き、魔兵を正面から見ないようにしながら、四郎と狩音を、黙って広場の中央に連行した。異様な光景であった。そして任務を遂行しおわると、彼らは地面を見たまま、駆け足で四方に散って闇の中に隠れた。
広場の中央には、僅かな篝の焔に照らされて、二人だけがぽつんと残された。
数間さきの門扉の内側には、維盛と彼の配下の門衛数名、そして先頭切って砦内に入ってきた幽霊騎兵どもの将が、黙って二人を見ていた。やがて、維盛が、頸のない将に向かい阿るように口を開いた。
「さてさて・・・あれなるが、宕にいまだまつろわぬ、不埒なる霜降厚東氏の一族、四郎忠光にてございます。脇に居るは、多々良より厚東に入れし間者。しかしながら、遺憾にも我らを裏切り、いまや四郎の味方となっておる模様・・・あの両名こそ、我らが捧げられる、いまもっとも脂の乗った粢にてございます。そして我ら、いままさに両名の籠もれし家を焼き、この草薙剣を地上に於いて我身に帯びる代わりに、解死人として差し出す所存。煮ようと焼こうと、ただ宕の御心次第。これにてなにとぞ、この維盛に対する宕のお怒りを解いていただきたく。」
平氏きっての実戦派将帥にして、怜悧な頭脳を持つ優れた戦略家。この、地上に卓越した高貴なる武家の王子は、いまや、頸なし武者に仕えるただの下人に過ぎなかった。
平維盛は、自分がかけた網に捕えた、このひときわ上等な獲物を、嬉々として頸なし武者どもに献上しようとしていた。
その獲物、いや粢となる運命の四郎は、得物の木刀の半ばほどを握り、薄暗がりに紛れ、後ろ手に隠して持っている。真横に居る狩音も、弓矢を同じように背中に隠していた。例の忍びの小刀は、見えないように懐中に入れているのであろう。二人は無言のまま眼と眼で会話し合い、この想像を絶した異形の妖魔に対し、最期の逆襲に転じる機会を窺った。
気がつくと、会話しているのは、彼ら二人だけではなかった。なんと、維盛と頸なし武者の隊長とが言葉を交わしていた。しかも彼らは、実際に低く声を上げて会話していたのである!
魔兵は、頸から上を欠いているのにも関わらず、いったい、どのような発声器官を通じて声を上げているのか。厚東四郎は、中世人らしからぬ合理的思考で、その仕組を考えた。考えて、考えて・・・やがてひとつの結論を得た。
よく聞くと、維盛と頸なし武者は、なにやらこちらには理解できぬ言葉で話している。一連の巻き舌による発音が連なり、切れ目なく、多少の抑揚がついて、そのままずっと流れていくような独特の発話方法だ。維盛も、彼の周囲の数名の侍にしか聞こえないように声を潜め、遠目にはなにやら暗黙の指示を受けているかのようにあちこちに眼を泳がせつつ、同じような言葉で答える。
しばしの間、伊輪の部落内に居るすべての者がその動きを止め、なんらかの意思疎通を交わしている二人の首領同士の相談が終わるのを静かに待った。風にそよぐ遠くの樹々の音と、篝にはぜる火の粉のパチパチという音だけが、暗い虚空に響き、どこかに流れていった。
やにわに、維盛が頸なし武者のほうに身を捩らせ、激しくこう叫んだ。人間の言葉だった。
「それは・・・それは、成りませぬ!約定と、違うではござらぬか!」
そうして、身を屈するようにその場で両膝をついて崩折れ、顔だけはなおもかき口説くように遥か上方の馬上の武者を向き、泣声を迸らせた。
「あまりでござる・・・あまりでござる・・・地上の統治は、すべてわが維盛に任すと、斯様に宕は仰られた!芳一殿が、しかとそのように仰った!」
魔兵の長は、なおも低い声で例の異形の言語を呟いていたが、自らの馬の腹でただ駄々っ子のように泣き喚き、何事か哀訴する維盛の様に呆れたかのように、黙ってしまった。
齢七十になる桜梅少将、平維盛は、烏帽子と半白になった鬢をぶるぶる震わせ、鉄漿をした歯をむき出しにしがら、遂に、この降魔どもに対し露骨に反抗し始めた。彼は、人間の言葉でこう叫んだ。
「水底の妖かしめ!地獄の嘘つきめ!そしてお主ら・・・その犬どもめ!貴様らは、儂が長年かけて築いた儂の王国を、労せずして奪い取って行く気か!儂は、従わぬ!この剣だけは、如何なることがあっても、儂は手放さぬ!」
そう言って立ち上がり、よろめくように後退りして、魔兵の馬から離れた。そして、そのまま四郎と狩音のほうに近づいてきた。
状況を理解できない二人は、顔を見合わせると、そのまま倒れ込むように後退してきた維盛の身体を、両脇に退いてそのまま通した。我を忘れた維盛は、二人が得物を隠し持ち、後ろ手に武装していることを視界の端で捉えたはずだが、そんなことを気にしている余裕は無いようであった。彼はそのまましばらくよろよろと後ろに進み、とうとう、闇に向かって半身を向け、蛇丸を大声で呼んで、命を発した。
「斬れ!あの妖かしどもを、斬り捨てよ!」
それまで、維盛が嬉々として四郎に語った、新たな秩序に対する反逆である。どうやら、宕と維盛の締結した、海底と地上の世界を統べるための同盟は、宕の側による無慈悲な裏切りによって、かくも早々に破れてしまったようであった。
しかし反逆は、同時に維盛の下からも起こった。闇の中から、蛇丸の冷静な声が、維盛にこう尋ねた。
「そは、いかなる趣にて?我ら伊輪は、宕に従うと、桜梅様ご自身のご決断でございます。」
「下郎如きが、何を申すか!主はただ、わが命に従え、彼奴を斬れ!」
維盛は、草薙剣を抜き、頭上に振りかざし、それを意味もなく左右に振り回しながら、蛇丸に向かって喚いた。
「斬ると言われましても・・・なにを斬ればよいのか?そちらなる宕の御使いには、頸がありませぬ。胴を斬るにしても、我ら、その御姿を直に見るなと、桜梅様ご自身より固く命ぜられ、ずっと俯いて地面を見ておりまする・・・さて、まずはどちらに刃を向ければよいものやら・・・?」
維盛は、やっとその動きを止めた。どうやら、そちらの方角に、自分の味方はもはや誰も居ないと気づいた様子だった。彼は、得意の絶頂から、突然訪れた破局に突き落とされた自らの運命をしばらく受け入れられないというような、呆然とした顔をし、その涼やかな眼を少し丸くしたまま、じっと四郎のほうを見た。
しばらく眼があったまま、維盛と四郎は互いの顔を見ていた。が、やがて維盛は、我に返ったかのようにため息をつき、神剣をそっと革鞘に戻した。
「儂は・・・儂は、馬鹿じゃった。やはり、水鳥の音に驚いて逃散るが似合いの、愚にもつかぬ馬鹿な大将じゃった。よりにもよって、水底の悪魔にわが魂を売り渡し、そして、その悪魔に裏切られたのじゃからのう・・・もはや、逃れるべき先はない。四郎、これを受け取れ。」
力なくそう言って、鞘を腰から解き、四郎の足元のほうへ、抛った。
そのあと、また頸なし武者のほうを振り返り、大音声でこう言った。
「我が名は、平維盛!平氏嫡流にして、この地上の全てを統べるべきであった者!水底の宕どもに物申す!この地上は、我ら人間が領分なり!決して、お主らにはまつろわず!早々に、もと居た昏き海へと立ち戻れ!」
そう言って、神剣と二本差しにしていた太刀を抜き、ひとり前を向いて歩き始めた。蛇丸や配下の者どもは、闇の中で俯いて沈黙し、このさまを眼にしないように努めている様子であった。なにしろ敵は妖魔である。彼らの、その身を護るための反応は、人として、もちろんごく自然なものであった。
孤独な進軍を始めた維盛に対し、頸なし武者も反応した。彼は、片手を大きくかざし、門扉の外にずらり並んでいた魔軍の六騎を、砦の中へと導き入れた。番兵、門衛、誰一人彼らの邪魔をする者は居ない。全員が、顔をそむけ、地を見て彼ら首なし騎兵どもの姿を視界に入れないように努めている。
後衛の六騎は、悠々と馬を進め、先頭の隊長のすぐ後ろに、横一列に並んだ。
維盛と七騎は、しばらく沈黙したまま睨み合った。そして、維盛が剣をかざし、「きええ!」と大きく気合を発すると、先頭を目掛けて斬り掛かっていった。しかし相手は巧みに馬を操って機敏な動きでこれを躱し、維盛の一撃めは空を切って、白刃が虚しく闇のなかへ消えていった。すかさず背後の六騎が動き出し、彼らの中に踊りこんだ維盛の老躯を取り囲むように、環を作るようにその周囲を走り出した。
まるで人が、締める前の鶏や鴨と庭先で遊んでいるかのような、悠々とした虐殺の前戯であった。
死の連環のなかに姿を没した維盛は、しばらくなにか気合を掛けながら周囲の頸なし武者どもに斬りかかっているようだったが、どうやら、一騎たりとも傷つけることができなかったらしい。やがて闇のなかで断末魔の呻きが聞こえ、馬蹄の響きが止まり、訪れた静寂の中で、ごりごりと、なにかを掻き切る音がした。
やがて、篝に照らされ明るくなった頭上の一角を黒い塊のようなものが飛び過ぎ、狩音の足元あたりで、ぼとり、という音がした。なにが飛んで来たのか、もう確認する必要もなかった・・・桜梅少将・平維盛は、史書に記録されているより四十五年もあとになってから、この山中の砦の中庭で、齢七十の波瀾の生涯を終えたのである。
やがて、維盛を討ち取った魔軍の七騎は、闇のなかで隊列を整え、そのまま四郎と狩音を擒とすべく、篝の明かりのなかにその悍ましい姿を現した。
しかし、維盛が身を挺して稼いだそのしばらくの間に、四郎と狩音は、反撃の態勢を整えていた。狩音は、先ほど維盛が抛った神剣の鞘を拾って機敏に身を翻し、魔軍から離れて闇の中に姿を消した。そして四郎は、背後の闇のなかにいる蛇丸に声を掛けた。
「蛇丸!顔をあげよ。桜梅は討ち取られたぞ。そして、あの頸なし武者は・・・ただの人じゃ!」
「何じゃと?」
蛇丸は、闇の中から叫び返した。
「宕の遣わした、頸のない魔軍ぞ!楯突くことできぬ。儂らは、ただの人じゃ!」
「だから・・・奴らもただの人じゃと言うておる!」
四郎は、腰の引けたこの勇敢な手練を、叱りつけた。
「いま、その証を見せてやる!」
そう言うと、木刀を脇に抱えて闇の中に身を没し、そしてすぐにまた現れた。
一列に並んだ魔軍の、端に居た騎兵に飛び掛かり、木刀の一撃でこれを馬から叩き落としたのである。四郎の木刀は、ただの樫だけではなく、尖端と、周囲の要所に鋼を張って打撃力を強化してある。普通の人間よりも明らかに二回りは身体の大きな頸なし騎兵は、この人間離れした四郎の膂力と、尋常ならざる木刀の打撃力とに抗することができず、その足は鐙を離れ、手綱を握ったまま虚空に身を躍らせた。彼は、引っ張られて横倒しになった馬体の下敷きとなり、闇のなかでしばらく六本の脚がいっしょになって藻掻き、やがて動かなくなった。
この意表を衝いた迅速な奇襲は、魔軍の隊列を乱した。重量物の落下と大きな振動とが馬を脅かし、それぞれの馬がてんで勝手な方向に走り出した。その唐突な異変を制御し切れなかった魔軍の一騎が、たまらず振り落とされ、頸なし武者の腕が虚空を泳いで、地面に叩きつけられた。彼は、自らの馬に腰のあたりを蹴られ、よろよろと数歩歩いて、地に這った。
七騎のうち、二騎をたちどころに無力化した四郎であったが、残り五騎の頸なし武者は、さすがに態勢を立て直して、闇の奥から反撃して来た。数方向から、篝に照らされその身を暴露している四郎を目掛けて殺到し、その湾曲した得物を一斉に抜刀して、同時に左右から斬りかかった。
四郎にとって、もっとも危うい一瞬であった。しかし彼は、俊敏に身を躱して第一撃に空を切らせ、次の一閃には、手にした木刀の身をぶつけた。がりっと音がし、魔兵の妖刀が樫の刀身に喰い込む感触がした。四郎は、そのまま渾身の力を込めて木刀を跳ね上げ、喰い込んだ刀身とともに、その一撃を見舞った魔兵を、なんと空中に跳ね飛ばした。
長門国きっての豪腕を誇る、四郎の群を抜いた膂力は、この異界の妖かしをも、物理的に圧倒したのである。魔兵の身体は、やがて握った妖刀の柄を離れ、くるくると宙を舞って、数間さきの闇の中に落ちた。彼に続行していた後続の二騎は、これを避けて自重し、いったん両脇に別れて走り去った。
彼らが闇に消えた僅かな間に、四郎は、叫んだ。
「蛇丸!目を覚ませ、しっかと、この様を見よ!これら頸なし武者ども、魔兵に非ず!ただの人じゃ!頸もある!」
闇のなかから、蛇丸の声が響いた。
「な・・・なにを、すりゃいいんだ?」
苛々していた四郎は、その倍くらいの大声で、叫び返した。
「さあ、さっさと吾に加勢せよ!地上の人の世を護りたくば、お主らもいま起て!さすがに儂でも、七騎はちと荷が重いわ!闇に散った残りの四騎をば、お主らの薙刀の錆とせよ!」