序章 文化二年(1805年) 春 筑前国 博多
木宮稜庵は、もはや無用の長物となったそれを、博多の町でも一等の古道具屋、増田鼎蔵という男に売り渡した。稜庵は、鼎蔵とは顔なじみであったため、日頃は査定に厳しい増田から、なんと三両もの大金をせしめることができた。おそらくは人生最後の個人的取引として、これは上々の首尾である。稜庵の頬はほころび、満足の態で増田の大店から立去って行った。
鼎蔵は、主に馬具と刀剣、各種の古道具を扱うが、このところの主な顧客である出島の阿蘭陀人たちに望まれるまま、さまざまなものを商った。たまには、信頼できる相手に対し、ご禁制品を高値で密かに譲り渡すようなこともしている。なかでも、由緒のある甲冑や刀剣は、そのわかりやすい美術的な価値から、極めて良い値で売れた。
そして、いま懇意の稜庵から手に入れた、この妙なものである。まずは、表面にこびりついた様々な付着物をかき落とし、何であるのか明らかにせねば。鼎蔵は砥師ではないが、多少の砥石の心得はあった。日頃、こうした作業は下の者にやらせるが、この興味深いものについては、自分でその正体を突き止めてみたかった。真贋鑑定者としての、純粋な職業的関心である。
数百年は海底にあったものと思われた。手に持った感じと目方から、銅製の錫杖かなにかだと当たりをつけた。錫杖そのものとしては寸が足らないが、おそらく長年月のうちに海底で木製部分が腐食、消失し、頂部の遊環と、それを着脱するための金属部分だけが残ったのであろうと考えた。おそらく、付近の海辺でなにかの荒行でもしていた上古の僧侶が取り落としたか、あるいは自らの身体ごと海に没した、その名残なのではないかと思った。
まずは荒砥で、表面にゴツゴツと付着した海底の老廃物の塊をかき落とす。ついで庭の井戸脇へ行き、手桶で水を流し続けて凹部の底に残った滓などを根気よく取り除く。繊細な透かし彫りかなにかのように思えたのは、実はそのすべてが固まった海藻や昆布、海底の砂や小石などの残骸であった。
引き続き、より目の細かい砥石を使い分け、繊細な掌の感覚で、表面を傷つけないように気を配りながら汚れや固まった付着物を落としていく。
やがて、銅製の細長い構造物は、その全容をあらわし始めた。先は尖り、錫杖の石突などよりも遥かに薄く鋭利である。木製の杖を着脱するものではなく、これは、まっすぐ伸びた、平たく長い、重みのある銅製品である。遊環の取り付け口に見えたものは、柄の部分と、鋭利な平たい本体とを区分けするための、仕切りのようなものである。
「これは、上代の太刀じゃ。」
鼎蔵は、そうひとりごちた。
「上代の刀じゃ、きっと。なにか謂れのあるものに違いない。」
鼎蔵がそう思ったには、理由がある。まず、その刀は、刀身がまっすぐに伸び、湾曲していない。
たたらを吹いて溶かされた玉鋼を、そのあと水で冷やしながら延々と鍛え続ける日本刀は、自然な鉄分の収縮運動によって、かならず片側に反る。むしろ、その反りや湾曲をひとつの美と靭さの基調とし、賞翫するものなのである。もちろん、人体やその他の対象物を断ち切る機能も、その硬さゆえ、極めて優れている。
ところが、この刀は、湾曲していない。また、鉄製の日本刀の持つ、特有の刀身の鋭さを持ち合わせてはいない。どちらかというと、刃の切れ味よりも、少し肉厚で重量のある刀身の質量をぶつけ、その重みで対象物を叩き潰すかのような、異質の戦闘思想を感じさせる。
次に、この刀はどうやら、鉄製ではなく銅製である。経験深い鑑定者である鼎蔵には、まず手に持ったときから、掌で感知できる重みからある程度うかがい知れることであったが、そのことは、こうして汚れを取り去ってみて、あらためて明らかになった。刀身には、あちこち緑青が浮き、まるで翡翠でできた勾玉のような輝く碧みを残しているのである。これは、銅だけが長年月のうち身にまとう、独特の色味である。
ものごころついたときから、内外のさまざまな珍しい物品にじかに触れ、その価値を鑑定することに慣れた鼎蔵は、これがはるかな昔、朝鮮か唐より舶来し、そのまま虚しく海底に沈んだ輸入品の名残だと考えた。おそらくは、外地の古代王朝より、古の朝廷へと献じられた本物の遺産だ。値打ものである。
優れた商人特有の直感でそのことを感じ取り、その場で三両もの大金を支払って、稜庵からこれを手に入れた。もちろん、三両のなかには、藩の上層部に多面的な人脈を持った稜庵とさらに誼を深めるための、先行投資的な意味合いもある。しかし、そのぶんを考えなくとも、これだけの値打ちものをたかだか三両で仕入れることができたのは、鼎蔵にとって思いもよらぬ僥倖というべきであった。
なぜなら鼎蔵は、もうすでにこの刀を売り捌くべき相手に、心当たりがあったからである。彼らには、こうした古美術品の正確な鑑定はできない。そのかわり、彼らを納得させ、その価値を信じ込ませることができれば、唸るほどの大金を支払う者たちであった。
鼎蔵は、もう少しだけ、この古代の刀に手を入れようと思った。付着物をほぼ掻き落とすことで、神々しい緑青の輝きを取り戻したこの古美術品を、さらに徹底的に磨こうと思ったのである。先代より受け継いだ、増田家独特の方法がある。ある種の酢を混ぜ特殊な研磨液を造り、それで時間をかけ丁寧に磨けば、上代の、緑青に覆われた銅製の剣や鏡などは、やがてほぼ往時のままの、黄金色の輝きを放つようになる。
緑青は、どんなに深みがあって美しくとも、あくまでも錆の一種であるに過ぎぬ。その下にある、本来の輝きを宿すことで、この「もの」の価値はさらにうんと上昇するのである。鼎蔵は、この作業がどんどんと楽しくなってきた。
半年ののち、鼎蔵は長崎へ向かう予定であった。そこに、商いの相手がいる。いや、正確には、もうすぐ来ると言ったほうが良い。
そのときまでにその上古の刀を磨き上げ、立派な鞘に入れ、いかにも謂れのありそうな装飾を施した櫃にでも収めて持って行こうと考えた。
彼は、当地の出島に住まう阿蘭陀の商館員たちに、強いつながりがあったのである。島は海中に孤立し、長崎の市街地からは一本の橋のみにて繋がれ、その出入りとて自由にはならない。しかしながら、既に数百年続いた泰平は、ここに住まう友好的な夷狄どもに対する警戒感をまったく弛ませてしまっていた。
すでに商館員どもは現地の役人の数名を買収し、長崎の町にしばしば出ては酒を飲み、女を抱き、遊興にふけり、本来は禁制品であるはずのさまざまな文物を密かに買い入れたりすらしていた。
鼎蔵は、何人かのそうした阿蘭陀人を識っていた。彼らが、時として裏の取引に手を染め、この孤絶した外地での無聊を慰めつつ私腹を肥やし、帰国したあとの自らの財産をうんと殖やそうとしていることも知っていた。
そんな彼らに、たとえばありきたりの陶磁器や織物、浮世絵などを売りつけるのは簡単なことである。いささかの覚悟があれば、より価値のある、武具や甲冑、高価な織物や緞帳、屏風絵や各国の絵図なども。
ただ、あまりおおっぴらにそれを行うと、取引自体が露見してしまう危険がある。また、彼ら自身が多少は小狡くなってきているため、しばしば交渉は不必要に長引き、手間がかかってしまうこともある。
しかし、鼎蔵はさらに深い事情を識っていた。
実はいま、彼ら阿蘭陀人たちは、故郷を持たぬ民である。すなわち、隣国・仏蘭西で起こった革命騒ぎが波及し、彼らの依る、欧土の小さな低地の国土は、数年前から外国の軍隊により蹂躙され占領されてしまっているのである。
この事実は、海外の事情を、他ならぬその阿蘭陀人たちからのみ聞き知っている幕閣には、まだまるで偵知されていなかった。しかし耳敏く、また一部の阿蘭陀人たちとは腹を割る仲で、利得でもって濃密に裏でつながる鼎蔵は、もう既に、彼ら国を喪いし民たちの立場をひそかに知っていたのである。
よって、彼らの本国から、船はやっては来ない。しかしその代わり、別の国の夷狄が代わりを務めている。すなわち亜墨利加なる、今からわずか二十数年前に建国されたばかりの別国の商人たちが、見た目はまるで変わらぬすくうな船に阿蘭陀国旗を掲げ、ここ出島にやって来ているのである。
欧土とは大海を隔てて別個に広がる大きな大陸があり、亜墨利加人らはその一隅に新たな国を構え、数本の大河の河口域などに、ひっそりと張り付くようにして生きている。阿蘭陀船を騙ってやってくる亜墨利加の貿易船の大半は、「せいらむ」という名の湊から出帆する。船乗りたちも、多くは其処に棲む者ばかりだ。「せいらむ」の周囲は敵意を持った異国や先住民に取り囲まれ、彼らは早急に国を富ませ、軍を整え、未開地へ侵攻して大いに国威を高めなければならない。
彼らもやはり、紅毛碧眼。膚の色は赤く背が高く鼻が尖り、側に寄ればむっと鼻をつく強い体臭を有している。外目は、阿蘭陀人たちとまるで同じだ。いや、亜墨利加の民そのものが、別の大陸に居を定めた阿蘭陀人たちの子孫であるとも聞いたことがある。すなわち全く同じ種の夷狄である。頭は、阿蘭陀人たち同様にとても良い。そして、利に聡く話が早い。やるべきことを、常にいっぱい抱えて、忙しくせわしなく立ち働く。
鼎蔵は、数年前、彼ら亜墨利加人たちに、すでに浮世絵や華美な着物などの商品を売りつけたことがあった。そしてそのとき、彼らと、祖を同じくする阿蘭陀人たちとのあいだに存在する、ほんの僅かな違いに気づいたのである。
すなわち、建国からさして日の経たぬ彼ら亜墨利加人は、まだ自国の歴史らしい歴史を持っていない。よって彼らは、古い謂れや歴史のある文物に、一様に深い興味を示すのである。たとえそれが、彼らの歴史と何ら関係のない、この東洋の一隅にある小さな島国 (世界事情に精通した鼎蔵はすでに、そのことを深く認識していた)の文物に過ぎぬのだとしても。
長い歴史、古い謂れを持つ遺物。彼らの欲するすべてを、この上古の剣は兼ね備えている。わずか三両で仕入れた、この剣をさらに磨いて、十両にも百両にもしてやろう。亜墨利加人たちは、眼を輝かせてこの剣に見惚れるに違いない。そして、いままさにこの長崎で阿蘭陀船に化けて儲けた巨額の利潤の幾分かを、この自分ひとりに、実に気前よく戻してくるに違いない。
鼎蔵の、剣を磨く手に力がこもった。