第三十二章 昭和三年(1928年)秋 スイス・チューリッヒ湖畔
大正五年十二月、横須賀・海軍機関学校での安定した教職を辞し、家族とともに京都・綾部の雪深い大本の本拠地へと居を移した浅野は、その三日あと、教団本部にて、突然、とある日本海軍高官の訪問を受けた。
半信半疑で取り次いだ教団の者から名刺を渡され、浅野自身も、その場で腰が抜けてしまいそうなくらいに驚いた。
海軍少将 秋山真之。
日露戦争時の連合艦隊参謀長として、東郷平八郎提督を補佐し、数多くの優れた作戦を案出、奇跡的な日本海海戦での勝利に偉功を挙げて世界にその名を喧伝された英雄が、なんら予告もなく、身一つでふらりと、まだ引越しを終えたばかりの浅野を訪うたのである。
さっそく、取るものも取りあえず応接の場である統務閣に向かうと、そこでは既に教主輔・出口王仁三郎と差し向かいに、かの有名な鷲鼻を震わせて、秋山が愉快そうに談笑しているところであった。
卓越した知能を謳われた英雄・秋山は、しかし戦後はその声望ほどの地位を与えられず、早くも固陋な官僚組織としての体質を顕してきた日本海軍部内で、あちらこちらと小突き回され、ふらふらしていた。
あるときは軍艦の艦長になり各地を巡り、あるときは汚職疑獄に揺れる海軍当局の代表として、軍の腐敗を追求する議員どもと渡り合い、そしてまたあるときは軍務局長として海軍予算の確保に尽力した。第一次世界大戦が勃発すると、欧州の大国同士の総力戦を視察するため当地に派遣され、日本の国力では到底耐え得ない、近代合理主義を突き詰めた総力戦の過酷な現実を突きつけられて、ただ無言で帰国した。
そのあと秋山は、知性という最後のか細い糸が切れた凧のように、空のかなたをあちこち浮遊し、どことなく世俗から離れ神がかりした宗教者のようになってしまった。彼の言動は、周囲からやや眉をひそめて見られるようになり、その声望ゆえ正面から非難されることこそないが、あちこちから敬して遠ざけられ、居場所のない、過去の栄光の負債のような存在になっている。
しかし話してみれば、その異能は、ものの数分で居合わせた誰をも圧倒するものであることがわかる。秋山の頭脳は、高速度で鋭敏に回転し、常に会話の先を読み、的確に相手の意図を先回りする。そしてその思考は、決してひとところに留まるものではなく、次から次へと奇想が産まれ、まだ相手が前の話題について口にしている間に、秋山の意識は次へと飛んで行ってしまう。
あの優れた意思伝達者、出口王仁三郎ですらたじたじとなり、やがて黙ってしまうような、場を圧する知能が、同様に、浅野にも挑みかかってきた。
とはいえ、そのとき秋山は必ずしも、大本に敵対せんがためにやって来たわけではない。むしろその教義に興味を持ち、当時はまださほど先鋭化してしなかった、出口なおの社会批評的な「お筆先」の内容に純粋な驚きを覚えて、この新興宗教教団の姿を確かめようと、麾下の第二水雷戦隊の寄港地・舞鶴から、急に思い立って綾部にやってきたのであった。
この頭脳の野放図な暴れ具合と、それゆえの計画性のなさ。これこそ、秋山が秋山である由縁であった。そしてこの予測のつかない行動の突拍子のなさこそ、彼が戦後の官僚組織化した海軍組織の中で浮いてしまう要因であった。
「何処へ行き、なにを学んでみても、半歳か一年もする裡には、なんだか教わっている自分のほうが偉くなる気がして仕方がない。」
これは、そのとき秋山が浅野に語った、自身の正直な実感だった。
秋山は、その片手に、当時の大本の宣伝冊子を手にしていた。教団が宣伝のため京都周辺で撒いた、安手のガリ版印刷で、持っているだけであちこち墨が染みて指についてしまうような汚い冊子である。もちろん内容もまだ薄っぺらなもので、とてもではないが、大本なおが下す、あの圧倒的なお筆先の数々の質量を、その片鱗でも代弁できる代物ではない。
しかし、秋山の偉大な頭脳と、海軍部内に居場所を見つけられない天才ゆえの孤独は、この小冊子がきれぎれに語る大本の教義に、わずかな心の居場所を見つけたようであった。
秋山は、自分の立てた過去の偉功や栄光などについてはとんと無頓着で、まるっきり偉ぶったところがない。むしろ今では軍歴を向上させることそのものに、さして関心を持っていないようにも思われた。
彼は初対面の浅野と和仁三郎に心を開き、他に誰にも言ってはいないが、と前置きをして、自分が日露戦争中、説明のつかない幻視によって重要な勝利を得たことを語った。もちろん、自慢話を聞かせるような調子ではなく、本当に、ただ不思議そうにそのことを語ったのである。
まず、幽霊のごとく日本近海に出没し、全軍の海上輸送に重大な脅威を与えたウラジオ艦隊の動きを、秋山は、瞬時の霊夢によって察知した。かねて見覚えのあるウラジオ艦隊の主力艦、「ロシア」「リューリック」「グロモボイ」の3隻が、津軽海峡を目指し、波を蹴立てて航進しているさまが見えた。
その告げるところに従い、何度もこの艦隊を取り逃がして全国民の非難の的になっていた上村艦隊にこれを急報しようと考えたが、その根拠が霊夢だとは言えず、自分の思考の結果の、ひとつの意見として伝えた。その結果、軍令部はこれを容れずにまたも長蛇を逸す結果となった。
しかしこの苦い経験は、のちにより決定的な霊夢を見、こんどはその中身を慎重に活かしたことで、完全に帳消しとなった。
すなわち秋山は、決戦三日前の夜中、疲れ切り、誰も居ない士官室の安楽椅子に身を投げてそのまま入眠し、そして対馬海峡に迫るバルチック艦隊の姿を、夢の中で事前に見たのである。それどころか、艦隊が二つの縦列をなして接近してくる様をも、仔細に観察することができた。
以前の経験に懲りて、次は必ず霊夢の結果を活かすと心に決めていた秋山は、起き上がると、すぐさま作戦計画を策定した。来るのは宗谷海峡ではなく、対馬。そして戦列は二列縦隊。彼は、これを迎え撃つための七段構えの作戦を、その場で案出し、東郷に提出した。三日後、バルチック艦隊は、その秋山の計画通りに撃滅され、日本は外国への隷属化の道から解き放たれることとなった。
「私はこのことを、他の誰にも言ったことはないし、これから言うつもりもない。なぜなら、ひそやかな神助がついているのは、帝国の最高国家機密に等しいから。わたしは、ただ私個人が虚名を博すためにこの機密を公開するつもりは一切ない。これは、あなた方を信頼し、あなた方だけに教えるのだ・・・一般には、東郷さんの山勘が当たったと思われている。だが、実は霊夢が告げたというのが、唯一の真実だ。日本は、この天佑神助によって救われたのだ。」
秋山は、こう言った。そのあとも浅野や和仁三郎と大いに弁じ、大いに談じ、大声で笑い、そしてとても喜んで帰っていった。
それを皮切りに、海軍部内から実にさまざまな現役将校たちが、雪深い綾部に居る浅野めがけて殺到するようになった。さすがに秋山より高位の将官級は来なかったが、佐官、尉官、将校、技術官、はては陸軍の将校に至るまで、これら制服を着た、非番のにわか修行者たちが徒党を組み、集団で押し寄せては、終電車の出る夜十一時頃まで教団の敷地内に居座るのである。
すでに出口なおの、平仮名による「お筆先」を書記し直すという非公式な任についていた浅野には、他にも大本の機関紙の創刊準備、あるいは和仁三郎から伝授されつつある審神者としての修行など、実にさまざまな仕事があった。
しかし、国軍内部に喰い込み、そこに信者を増やすことは、教勢の拡大をはかる上ではこの上なく重要な要素でもある。浅野は、和仁三郎らとともになるべく時間を作り、これら現役将官たちを応接し、彼らに霊学の基礎を説明し、鎮魂を行い、お筆先を講釈し、ときに審神者として彼らに憑いた悪霊を除霊するなど、出来うる限りの努力を行った。
「世界に冠たる日本海軍が、まるで、ひとつの宗教団体に魅入られてしまったかのようですな。」
カール・グスタフ・ユングが、驚いた声音で浅野に呼びかけた。
「サブ、こう言ってはなんだが、何処の国でも海軍とは、当代きっての優秀なテクノクラート達の集まりだ。そうでなくてはいけない。すなわち、おそらく貴国の海軍においても、そうした海軍将校たちは、多かれ少なかれ、欧州式の近代合理主義の徒であるはずだ。そうでしょう?」
4時間ほどまえ、手作りのシチューに舌鼓を打ち、いっしょに食べながら初対面の挨拶を交わしていた二人は、いまでは何杯目かの珈琲を呑んでゆったりと落ち着いている。
すでにチューリッヒ湖の湖畔はまるで灯りのない夜闇に包まれ、ただ深と静まり返っている。聞こえるのは、たまにパチパチとはぜる薪と火の粉の音だけ。電灯の引かれていないこのユングの石塔内には、その、あかあかと燃える暖炉の火と、屋根から吊り下げられたカンテラの灯りが、半分は闇の中といっていい部屋を、壁際と上方から、半端にぼうっと照らし出している。
ソファに腰掛けた浅野は、ユングの言葉に頷いた。正面のソファに対座したユングは、さらに続けた。
「もちろん、我々キリスト教圏の諸国においても、ときにキリスト教は多くの軍隊組織の中に取り込まれ、さまざまな儀式や典礼の開催などに力を貸している。私の住むスイスにおいても、事情は同じだ・・・しかし、単にそうした儀仗的な役割を遥かに越えた精神的影響を、しかもその数年前より影響力を持ち出したばかりの新興宗教勢力が、一国の国軍に与えるようになっておるとは・・・驚きだ。」
すでに浅野は、巧みに誘導され、これまでの自分の人生の大半を、自分の言葉でユングに伝えてしまっていた。ユングは、質問者というより、無類の聞き上手であった。あのアンドレ・リペールのような、打てば響くような利発なタイプではなく、どちらかというと口重なくらいの無口だが、常に要領の良い、短い質問だけをして、あとはひたすら、相手に喋らせる。
ゆえにこの、大本が日本海軍部内に与えた影響力の大きさに驚く言葉は、今日のユングにして、一番の長口上であった。浅野は答えた。
「そうなんですよ、カール。もちろん、国民の大半がはっきりと帰依する単一の支配的な宗教が存在しないという、我が国独特の事情はあります。欧州各国ほどの、合理主義の歴史の蓄積がまだないという面もあったでしょう。しかし、あの状態は、むしろ布教者であり、教団側の当事者である私にも、なんだか異様な風景でした。」
ユングは、浅野に自らをカールと呼ばせ、自分は浅野をサブと呼んだ。こうして、質問者と回答者、診察者と患者が対等にリラックスして語り合うスタイルは、ユング式の治療独特のものである。
彼は、浅野の夢の中に出てくる交代人格を有する女性の話をする前に、まず浅野の心象風景のすべてを知りたがった。そこで、異文化に対する欧州人としての率直な疑問を幾つか浅野に投げかけ、それに答えさせることを皮切りに、巧みに浅野を誘導して、これまでの彼の驚くべき、有為転変の生涯のあらましを知ることに成功した。
次いで、倫敦における世界心霊大会に参加するための、彼のユーラシア大陸横断の旅についても聞き、その旅の途中で見る、続きものの奇妙な夢のことを聞いた。そして、そこに出てきた、交代人格を持つ中世の貴婦人についての話も。
そして浅野が、何者かに追われ、何者か良からぬ邪心を持つ存在につきまとわれ、数回、夢以外の覚醒意識下で、ひどく奇妙な体験をしたことも知った。自分を見送る純朴な英国の子供やロシアの亡命提督が、突然豹変し、謎めいた悪罵を並べ立てる光景。そして降霊会で、闇の中、べたりと耳に口をひっつけて警告を伝えて来た霊のイメージとその確かな触覚。
そして・・・こう当たりをつけていた。
浅野、いやサブは、とても傷つきやすい、純良な心の持ち主だ。それは、この数時間語り合って、はっきりと判ることだ。幼少時の彼に、なにか特別な心的外傷の痕跡は見られない。また特別に信心深い宗教的な家庭環境でもない (彼の生家は医者だ)。
だから、長じたあとのなにか大きな精神的挫折が、彼の心に大きな影響を与え、大きな圧迫を加え、このなにかわからぬ一連の精神的な作用を及ぼしてしまっているのではないか。すなわち、彼の夢の中に出てくる交代人格とは、現実世界の彼に加わった大きな精神的抑圧が、形を変えて、奇妙な女性の姿となって表出してしまっているのではないか。
そういえばこの女性は、夢の中で、サブの分身たる中世の武士の母親という役割だ。そして彼女は、強固な父権のもと地下牢に囚われ、サブと彼女のあいだには、どうしても乗り越えられぬ強固な竹格子が存在している。こうした思わせぶりな舞台装置も、ユングの仮説の有力な根拠となっていた。
こうした内心の仮説のもと、浅野に対する聞き取りを淀みなく進めていたユングであったが、途中、明らかになった日本海軍の、この組織ぐるみの宗教狂いは、そうした思惑をしばし忘れさせ、逆にユングの心をかきみだし、動揺させた。
精神分析は、あくまで、個人の内面世界に対するものだ。それなのに、この海を遥かに遠く越えた異国の戦士たちは、おそらくは近代合理主義に裏打ちされた教育を受け武装し、組織されているにもかかわらず、その組織ぐるみで宗教に帰依し、一時的にではあれ、これに集団で心の底から熱狂してしまっている。これは、どうしたことか?個人の意識の垣根を超える、なにか相互につながる霊的な作用のようなものが、彼らのおよそ不合理な行動を裏打ちしているのであろうか?
霊的、という、自らが思い浮かべたこの言葉に、ユングは内心、苦笑してしまった。これではまるで、浅野を彼に引き合わせた、コナン・ドイルの言い草のようではないか。
しかし、やがてユングは知ることになった。日本海軍の戦士たちによるこの特定宗教への熱狂は、すぐに冷めることとなった。それどころか、この現実世界における合理主義の塊たる海軍組織は、彼らの地位を一時的にとはいえ、大いに不安定にしたこの宗教団体に対し、残忍で徹底的な報復を成し遂げたのである。
その報復の尖兵となったのは、かの秋山真之海軍少将であった。
いったんは大本の教義に大きな感銘を受け、大喜びで帰っていった秋山は、その後半年の間、まったく姿を表さなかった。ひとつには、彼自身がひどく体調を崩し、盲腸炎をはじめとする内臓疾患を発していたことがあった。また彼の妻も長く病臥しており、それを悪い霊の仕業と睨んだ秋山は、半年後にいちど無理を押して綾部に再訪し、そのあと、浅野と和仁三郎ら教団幹部を東京の自宅に招き、大本流の鎮魂を依頼した。
ここに至り秋山は、遂に大本に帰依したのである。そして・・・その最中、なぜか彼はまた例の霊夢を見、十日後に東京に致命的な大地震が来ると、とつぜん内外に吹聴しはじめた。
もちろん、そのような地震など、来はしなかった。実際に東京が大震災に見舞われ壊滅的な被害を出したのは、その六年後のことである。
この秋山の暴走に、さすがに愛想を尽かした浅野ら大本側は、鎮魂を中止し、彼と袂を分かち、翌日荷物をまとめて、綾部に帰った。
秋山真之は、それから一年と経たぬうちに帰らぬ人となった。人々は、晩年の秋山を物狂いと称し、なかには、梅毒罹患による精神錯乱だというような根拠なき罵詈までもが飛び交った。しかし、多くの海軍士官たちにとっては、秋山の精神崩壊が、大本に帰依したタイミングと完全に軌を一にしていることだけが強く印象された。
秋山に触発されて次々と綾部を訪れていた数十名もの海軍士官たちの足は、その後、一斉に遠のいていった。そして最終的に大本には、大日本帝国の官憲から、内乱罪をも視野に入れた武力による強制捜査が入り、浅野と和仁三郎は勾留され、教勢はそのあといったん大いに減じてしまうことになる。
それどころか、浅野はそのあと、その和仁三郎とも袂を分かち、大本からも離れて独自の心霊研究に打ち込むことになった。その結果がこの欧州視察旅行であり、その流れで浅野はここ、ユングの石塔に居る。
こうした事実の聞き取りは、奇妙なことだが、このときのユングには、どこか大いなる安心感を与えた。
つまり、浅野の心を深層で抑圧し、この一連の大いなる幻影を映じさせているのは、官憲の強制捜査を招き入れてしまったことに対する一連の大きな挫折感と、罪悪感とであったのである。
傷つきやすい無垢な心を持つ浅野にとって、中年期を過ぎてやっと見つけた自分の魂のささやかな居場所が、自分自身が持ち込んだに等しい災厄 (秋山はまさに、浅野がその出自ゆえに招き入れた疫病神そのものであった)によって崩壊し、消滅したことは、大きな精神的な衝撃と苦痛とを伴うものであったろう。
表面的には、浅野はこの痛手を超克し、さらなる高みに立って自らの信ずる道を突き進んでいるかのように見える。しかし、その実、彼の精神はぼろぼろに傷つき、その心は病んで、このような幻影を生じさせてしまっているのだ。
そうだ、きっとそうに違いない。
ユングは、確信を持った。
この観察事実をうまく突きつければ、浅野の知性は、もしかしたらこの目に見えぬ心の傷を、思考の力によって緩やかに乗り越えることができるかもしれない。
「サブ、その中世の冒険の夢についてですが、いまはどこまで、状況が進展しているのです?」
ユングは聞いた。
「それはもう、えらいことになってます。」
浅野は、苦笑しながら答えた。
「海底にいる、タゴという名の邪神どもに対し、地上の十字軍が決起して、これに戦いを挑む寸前にまで。」
「なるほど・・・映画でいえば、山場の直前といったところですな。」
「まさにそのとおり。このまま、正義が勝てばよいのだが。ただ、夢の中では状況はいささか複雑で、われわれ正義の戦士を率いる十字軍の指揮官もまた、ひどく邪な、歪んだ精神を持つ貴公子です。」
・・・いや、待て。
ユングは、いったん結論に飛びつきかけた自らの思考に、待ったをかけた。
そして、眉をしかめた。単に抑圧された精神が紡ぎ出す夢に、そのような劇的な大団円など、あり得るのだろうか。終わってしまえば、浅野はもうこの夢を見ないのか?そして、顕在意識のもとで起こる幻覚は、ただそのまま消えてしまうのであろうか。
本来、この終わらない長い旅は、まるで潜在意識下の昏き密林を流れる太古からの河の流れの如く、複雑にうねり蛇行して、サブの心の傷をゆっくりと癒やすべく、ただゆるやかに進んでいくべきものなのではないだろうか。
自分は、もしかして、サブの意識を不自然に誘導して、この癒やしの効能を果たしている夢に無理やり結末をつけ、唐突にこの自然治癒のプロセスを終わらせようとしているのではないだろうか?
だとしたら・・・自分は、患者の心の傷を癒やすべき精神医師として、およそ最悪の行いを為していることになる。
はてさて、自分はどうしたら良いのであろうか?
ユングの脳裏には、このどこまでも面倒な患者を送り込んできた論敵の心霊主義者、コナン・ドイルのいかつい赤ら顔が、なんだかその患者の語る夢のなかに出てくる、底意地の悪い、邪な貴公子のように思えてきた。
まとまらぬ思考の中、ユングは、かろうじて一言だけ、適切と思われる、現状維持のための言葉をひねり出した。
「どうも、タゴたちとの最終決戦の前には、まだひとつ、何か悶着が起こりそうな気もしますな。」




