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海峡奇譚  作者: 早川隆
38/71

第三十一章   安貞二年(1228年)秋   長門国伊輪

「壇ノ浦で海に沈みしわが一族を、そのまま生かした(たご)とはなにか・・・勿体をつけずに、分かりやすく教えようぞ。」

維盛は、さらに説明を加えた。


その内容は、以下のような、驚くべきものだった。




はるかな(いにしえ)、まだこの国に天孫が降臨する前。大地は、永久に続く混沌のなかにあった。だが海の底には、それよりもさらに古くから栄えた王国があり、そこには水底に棲むに適した、半分は魚、半分は人のような者どもが生きていた。彼らはたまに陸に上がり領地としようとしたが、長く居着くことはできず、すぐと水底に戻った。


それらは和邇(わに)、そして(たご)などと名乗った。和邇はやがて地上の人と身体をまじえて交合し、内海を辿って畿内へと至り、ほぼ人と化し、こんにちに到るまでその命脈を保っている。しかし宕のほうはあくまで海底に留まった。地上との通交はわずかにあったが、それはただ、力に劣る地上の人間どもが、ひたすら宕を畏れ、これを仰ぎ見て神のように敬うだけの間柄であった。


(たご)とは、(いわお)や海辺の岩穴を指す言葉である。日頃、海中深くに眠る彼らは、たまに眼を覚まし、地を震わせ海を荒らし、地上の人間を震え上がらせる。人は宕を(おそ)れ、彼らの機嫌を直そうと、さまざまな貢物(みつぎもの)をする。たまに宕の一部が地上に揚がり、それらの貢物を受け取り、海中へ戻る。その受け渡しの場所が、海辺の巌であった。


そこでは、常に人がおそれかしこみ、宕の望むすべてを与える。いつしか海辺の巌のうちの幾つかが聖地となり、信仰の場所となり、そして、それらの貢物を捧げる場所となった・・・。




「もう、わかったであろう。お主らが目指して居る、粢島(しとぎじま)とは、宕へ供物を捧げるための、もっとも重要な祭祀を行う聖地に他ならぬのだ。」

維盛は、言った。


「四郎、内心で(わら)っておるの。だがこれは、すべて本当のことだ。お主の申す通り、(あや)かしなど実は居らぬ。()るのは、(たご)だけだ。宕は生身の生きものだ。だが同時に、人などよりも遥かに偉大な力を持っておる。そして(おぞ)ましく、(けが)らわしく、どこまでも残酷な存在だ。楯突く者は、容赦しない。」




「斯様に力の優れた存在であるならば、なぜに今すぐ、この地上に()がらない?なぜ、(おか)の上に居る人間を、残らず討滅(うちほろぼ)してしまわない?」

顔では無理に嗤ったふりをしながらも、内心、僅かにではあれ(おそ)れを感じていた四郎は、維盛の語るあまりにも恐ろしいこの世の真理に、全力で(あらが)った。


「言うたであろう。宕は、あくまで水の中の生き物じゃ。遥かな古より、この世のすべてに優越せし、神のごとき存在じゃが、(おか)の上には、長くは揚がれない。だから・・・陸に居る我らは、奴らが眠うておるあいだだけ、束の間の栄華を(たの)しんでおる。」

「束の間とは?」

「今、宕は海の底で、短い眠りについておる。ほんの、ここ数千年ほどのあいだだけな。待て、言いたいことは判る。だがそれは心得違いじゃぞ、四郎。この(うつ)し世の歴史は、これまで万年も億年も続いておる。しかし、人が地を統べはじめたのは、本当につい先日からの話に過ぎぬ。」


(たご)が寝ておるあいだだけ、ということか。」

「如何にも。」

「ではいつ、眼を覚ます?いつ、人の統べる世を終わらせる?」

四郎は噛み付いた。

「それは、わからぬ。万年の先かも知れぬし、もしかしたらきょうあすのことかも知れぬ・・・しかし、そのどちらでも大した変わりはない。いずれにせよ、いつか必ず、人の統べる世は終わる。」


「終われば、どうなる?」

「わからぬ。すべて宕次第だ。われらは、ただそに喰われる畜生に過ぎぬ。気紛れで生かされもしようが、また気紛れで喰われもしよう。われら畜生には、所詮、なにもできぬ。」

維盛はなんの感情も表さずに、さらりとそう言った。そして、あらためて四郎の眼をまっすぐ見て、こう言葉を継いだ。

「しかし、そんな先のことよりも、いま我らが覚えておかねばならぬことがある。」




「・・・眠っている筈の宕が、まれに目を覚まし、今でも気紛れに、たとえば芳一が如き使いなど寄越して参ること。」


四郎は、次なる維盛の言葉を言い当てた。




「さすがは厚東の御曹司じゃ。猪武者じゃが、勘は好いの。」

今度は、維盛は素直に四郎の洞察力を褒めた。

「そうじゃ。たまにだが、宕は目を覚ます。そして、思いつきのように地上に使いし、なにごとかを告げる。その多くは、(しとぎ)強請(ゆすり)じゃ。」


「粢、とは・・・?」

(にえ)のことじゃ。」

維盛は、あっさりと答えた。

「神前に供える餅かなにかと、思うておるじゃろう?だがそれは違う。もとは、宕の命ずるがまま、奴らの揚がり来たる(いわお)のあたりに人を繋ぎ、その生命を捧げることじゃった。」

「なんと!」


「今でも、人柱を捧げることがあろう?だが上古や神代には、今より遥かに頻繁に、宕に粢を捧げねばならなかった。」

「それが、落ち着いたと?」

「ある契約を交わした。誰が交わしたのかは、わからぬ。だが、あまりに多くの人の命が喪われるので、人の血統の絶えるを恐れた誰かが、勇を鼓して我身を捧げ、水底で奴らと談判したのであろう。」




「どのような約定で?」

「それが、団子(だご)よ。」

四郎は、維盛にそう言われて、ハッとした。


団子(だご)・・・(たご)。」

彼は、なぞるように言った。

「もとは、同じ言葉なのでござるな?」

「左様じゃ。毎年、人は宕を(まつ)り、人の命の代わりに団子を捧げる。それらを、(にえ)として巌に置き、ひたすら(ぬか)ずいて祈を捧げる・・・しばらくはこれにて許して貰えるよう、宕どもに暫しの猶予を乞うたのじゃ。」


維盛はこう言って、背後の高棚に置かれた高坏を指さした。

そこには、長府にて飾られていたのと同様、高く盛った白い団子が置かれていた。




「しかし・・・よく、宕がそれを認めましたな。」

四郎が、不思議そうに言った。


「奴らとしても、人を絶やすは本意ではないのであろう。それに、本来はさほど頻繁に人の命を喰らう要もなかった、ということじゃ。眠っておる間、ただ人を(おそ)れさせ、自らにひれ伏させておれば、当座のところは、それで好いのじゃ。」

「しかし、芳一はやって来た。」


「うむ。おそらくは、壇ノ浦で入水し、その後、宕に生かされていた我が一党の者らが愁訴(しゅうそ)したのであろう。彼らは、知っていた。もしあのとき儂が()ち、地上の敵と斬り結び(たたこ)うていたら、はじめは勝てても、結局は平氏の血統が完全に絶たれることになると知っておったのじゃ・・・今から思えば、確かにそうなっていた。鎌倉の混乱は、儂が考えていたほど長くは続かなかった。北条執権家が、数年で立て直した。あのまま起っておったら、儂は西国でただ数年のみの栄華を愉しみ、そして滅びておったことじゃろう。」


水底平氏(みなそこへいし)の面々は、先のことが見通せるのですな・・・それは凄い。」

四郎は、感心したような素振りをした。

「ならばそもそも、壇ノ浦で破滅が待っていることも、分かって然るべきであろうに。」


「忘れるな。わが身内が宕と結んだは、海に沈んだあとのことじゃ。お主ら厚東の裏切に遭い、四周を敵にとり囲まれて、それでも必死に立ち向かい、(めっ)せしあとのことじゃ。」




「そうでしたな、これは失礼いたした。我ら厚東の裏切に遭い、味方の総大将が脱走など為して、滅びてしもうたあとのことでしたな。」

四郎も、維盛に負けず悪意の()もった皮肉を投げ返し、その勢いで続けた。

「そのとき芳一は、平家一党の霊魂かなにかわからぬ者を多数引き連れ、次々これと交代し、貴殿を説得し蜂起を思いとどまらせ・・・。」


「その見返りに、何を要求したか、であろう?」

維盛はニヤリと笑い、四郎が聞かんとしたことを、ズバリと言い当てた。


相手の際立った洞察力の高さに内心、舌を巻き、

「如何にも。ただ義心で人助けを為すような相手では、無さそうでござる。」

四郎は、そう言った。




維盛は、冷静な口調で答えた。身分差をわきまえぬ、先程の四郎の嫌味など、まるで意にすら介していないようである。

「そのとき芳一が儂に求めたは、簡単なことだ。まず、(たご)の支配に入ること。特別な指示ありしときはすべてこれに従うこと。」


「まさか、その強請(ゆすり)に応じたのでございますか?帝をないがしろにし、鎌倉も六波羅も歯牙にもかけず、山中に我が王国を成せし稀代の英雄、平維盛どのが!」

四郎の(とげ)のある言葉を、維盛は悠然と無視し、受け流した。

「・・・しかし、それ以外のときは、好きに地上を支配して良い。おおかた、そういうことじゃった。宕はの、自らが眠りについている間、あまり(おか)の上のことには関心がない。」


そして、感情を制御できぬ眼の前の若い猪武者を憐れむように眺めながら、続けた。

「また、神剣の()()を知らぬか聞かれた。なんでも、水底(みなそこ)で安徳帝の御霊(みたま)が、そを探してあちこち彷徨(さまよ)うておられるということじゃった。」


話の主導権は、完全に維盛のものである。四郎はもはや、黙りこむしかなかった。

維盛は続けた。

「そのときひそかに儂は思った。これは、使えると。まだ(たご)は、御剣(みつるぎ)()()を存じおらぬ。やつらの苦手の(おか)のこととて、海の中とは勝手が違うのであろう。儂は、今さらながら剣を仲哀帝ゆかりの禁断の聖域内に埋め、関わりし者らをすべて口封じした、わが先見の明を誇らしく思った。」




維盛は、本当に誇らしく、胸を張ってそう言った。あたかも、地上の人間どもに対し、自分が唯一の抵抗の()り所を残してやった救世主であるかのように。


しかし一方で、およそ人としての一切の情を欠いたこの言葉に、四郎はただ、むかむかして内心でぺっと唾を吐いた。この、(たご)よりも(おぞま)しき、人の(かお)した地上の妖魔め!


・・・そして、いつしか自分が、(たご)なる存在を認め、心のなかでそれを受け入れてしまっていることに気づいた。


四郎は慌てて、こう言った。

「ある意味では、この上なき不忠ですな。仮に、帝の(いとけ)御霊(みたま)が、貴殿の隠せし御剣(みつるぎ)を探して水底を彷徨うておられるのだとすると。」

慌てていて、言葉になにも魂がこもっていないため、幼帝を出汁にした、それこそ不忠でただ出来の悪い嫌味にしかならなかった。




すると、維盛は、これにははっきりと怒りを現した。

「信じておらぬな!まだ、わからんのか!」


彼は、四郎の物分りの悪さに苛立つように、言った。

「もはや帝など、どうでも良い!大事なのは、我らだ!我らが生き残れるのかどうかじゃ!我らが、人間として、いつか目覚める宕どもから身を護り、この扶桑国(ふそうのくに)を護り、我が子らに未来を遺せるかどうかじゃ!」


真剣なおももちで四郎を叱ると、さらにこう言って、四郎の見当違いをも、責めた。

「帝が云々、などと、なぜ(たご)の使いの芳一が気にする?言うたであろう、宕こそが、この世のすべてに超越せし存在であると。その宕が、なぜに水底を彷徨う、なにもできぬ幼帝のためにわざわざ剣を探し、これを返すのじゃ?」


「すると・・・宕は、御剣(みつるぎ)を?」

(おそ)れておるのじゃ。それだけに(おのの)いておるのじゃ・・・理由はわからぬ。だが、遥かな(いにしえ)、出雲のどこかで八岐大蛇(やまたのおろち)の尾より取り出され、地を(はら)い火を寄せ付けず、大和武尊(やまとたけるのみこと)の御手に握られあまたの海を越え東征を為してこの国を打ち立てた、この謎の神剣だけは、宕どもが慄れ、なんとか人の手から奪いたいと望む唯一のものだ・・・すなわち、我ら人間に遺された、最後の抵抗の武器だ!」


そう言って、まさにその神剣を収めた鞘を手に取り、ドン、と床に突き立てた。びりびりと床が震え、建物が震え、四郎と狩音は、なぜかその衝撃に心までもが震えた。




「だが、の・・・。」

いったんは勢いよく鞘で床を突いた維盛は、またその神剣を横たえ、声をひそめて、言った。


「どうも、奴らは気づいた。最近のことじゃ・・・まず、儂はあのとき、あまりの怪異に起とうとしていた鋭気が一気に(くじ)け、芳一というよりは、奴に降りた一門の霊に対し、以降、宕の支配を受け入れることを誓った。どうせ、(あらが)ったところで勝ち目はない。そのことが、理ではなく、身体でわかったからじゃ。」


四郎と狩音は、その言葉には頷いた。

たしかにその場の、その判断は間違っていない。そうとしか、思えなかったからである。


だが、維盛はこう続けた。

「以降またしばらく、儂は逼塞(ひっそく)し、隠忍自重した。そしてたまに・・・ごくたまに、我らの忠誠を試すかのように芳一がやって来ては、またそこにちょこんと座っておる。そのときだけ、儂は(にえ)を、文句を言わずに差し出した。」


「手下どもの・・・命か!」

四郎は、言った。もしかすると、自分をさっき殺しかけ、そして自分が死んだあの男も、贄の一人だったのかもしれない。


「そのとおりだ。」

維盛は、あっさり認めた。

「先程の巌鴨(いわがも)も、(にえ)の一人だ。その積りで儂は斬らせた。奴のような、儂の(めい)へ素直に従わぬ不埒な奴原(やつばら)を、これまでも儂は容赦なく斬り、贄にした。もちろん、名乗り出て、生きてそのまま贄となる者も居た。そうした者には、出来うる限りの名誉を与え、その身内には万全の補償をなした。そのあと、この国は安定し数十年の平穏が訪れた。だが・・・。」


「だが?」

「どうも、気づかれたのじゃ。儂が、芳一に黙って犯した、(たご)へ対する反逆行為に、な。」

「豊浦宮に埋めた、その神剣。」

それまでずっと黙っていた狩音が、横から口を挟んだ。維盛は、黙って彼女に頷いた。

「まだ、場所には気づかれておらなんだ、しかし、宕は、この儂に疑念を持ったらしい。芳一が、いや、我が一門の者らが次々と芳一に降りてきて、心配そうに神剣のことを聞く。なんども聞く。年々、求められる贄の人数が、増える。しかも・・・。」


「しかも、何でござる?」

四郎は聞いた。

「信じられぬような怪異が、儂を揺さぶるが如く、まわりで立て続けに起こるようになった。もはやそのこと、お主に言うても信じるであろう。病が流行り、墓場から死者が蘇り、そして、(くび)のない武者が馬に(また)がり、夜な夜な無言で山中を音をたてて駆け巡るようになった。」


「まだ、そのようなことを・・・妖かしは居らぬ、居るのは宕だけ、と貴殿が先ほど言われたのですぞ!」

四郎は、その点だけはまだ頑固に認めようとしなかった。

「それに、頸のない騎馬武者のことなど、いまはじめて聞き申した。他の怪異のことは、長府や霜降にも聞こえておるが、頸なし武者は初耳じゃ。」




維盛は、四郎を無視し、話を続けた。

「儂は、恐れた。儂の嘘が宕に知られることを。そして、この、人間に残された最後の切り札が奪われてしまうことを・・・もし奪われれば、もう我ら人には、何の未来も残らない。」


そして、その涼やかな形の(まなじり)から、どこか虚ろな光を放つ眼差しを四郎と狩音に向けた。

「そこで儂は、掘り出した。この神剣を。この剣には、なにかわからぬ妖力があるのじゃ。宕ですら手を出せぬ、偉大な力が。これを持つ限り、儂は負けぬ。もしこれを奪いに来るのなら、儂は奴らと戦おう。この剣を振るって、戦おう、そう心に決めたのじゃ。そこに、お主等がやって来た。手強い味方が、現れたのじゃ。だから、儂は、戦闘を即座に停止(ちょうじ)させた。」




「・・・拙者はいま、貴殿の敵として、(とら)われておるものとばかり、思うておりましたが?」

四郎が、意外なおももちで、聞いた。

「敵なものか!儂らは同じ人間ではないか!既に儂は、多々良には援軍を求める使者を出した。霜降にも出したかったが、これまで、我らが山中に潜み居るに気づきもしなかった厚東に、いきなり使者を送っても怪しまれるだけじゃ。そこで、噂を撒いた。たまたま長門国の西方あたりに疱瘡(ほうそう)の病が流行ったを奇貨(きか)とし、これまでに起こった怪異の幾つかを、ある僧を使わしてお主の父に伝えさせ、脅した。そうしてやって来たのが、お主じゃ。」


「やはり・・・仕組みおったのか!」

四郎が、怒りを込めて言った。(たばか)られるのは、これで二度目である。

「そのとおりじゃ。が、それしか方法が無かった。上のぼんくらの兄どもと違うて、お主は使える。儂は山の彼方からずっと霜降を注視して、そう睨んでおった。狩音という、多々良一等の草の者が付いておることも知っていた。だから・・・。」


「もしかしたら、儂らが先に阿弥陀寺に参って、あの芳一を討ち取るとでも?貴殿の話に拠らば、人ならぬ力を持った、それこそ妖かしのような者を。」

「日頃の芳一は、ただの無力な、不具の僧じゃ。たまたま、儂らに使いするときだけ、海より揚がりし宕の使いに妖力を授けられ、あの信じられぬ異能を発揮する。そうなる前は、ただの不具者じゃ。だから・・・。」


「儂に討たせて、罪をすべて厚東に着せる。それが、貴殿の計画だったのですな!」

四郎は、吐き捨てた。




「ありていに申せば、そうじゃ。」

維盛は、その四郎の推察を、全面的に認めた。

「儂は武人だが、この国の(まつりごと)も執り行っておる。政を為すには、常に数段構えで物を考えておかねばならぬ。」


「数段構え?」

四郎が、不快そうに噛み付いた。維盛は、即座に答えた。

「如何にも。まだ若いお主には、わからぬであろうがの。すなわち、お主が阿弥陀寺に乗り込んで、芳一を斬れば最上。儂はまた密かに剣を仕舞い、罪をすべてお主に着せ宕の眼を厚東に向けさせて、数年は時間(とき)を稼ぐ。そのことは、無論考えていた。」


維盛は、しかしこうも言った。

「が、しかし、もしお主が仕損じれば、そのあとすぐと霜降に戻るであろう。そしてそのときは必ず、海沿いか、この山中の道を通る。儂はどちらにも網を張り、お主を絡め取り、今のように(とく)と話し合って、お主の父に伝えさせる。そうして意を通じ、多々良を加えた三者で手を組み、宕と対決する。これが、次善の策じゃ。」


「それでは、今は次善の策で行くと考えておいでなのじゃな?」

「その通りじゃ。先ほどの出入りは予想外のことであったが。お主がまず伊輪に参るとは、想像しておらなかったからの。じゃが、よく考えれば、軍略としては至極すぐれたものじゃ。歴戦のこの儂が、完全に意表をつかれた。ますます、お主と組みたくなったぞ。」




「拙者は、ただの物見でござる。兵を出すか否か決する権能を有すは、霜降に居るわが父・武光。」

四郎は、冷たく言った。

「しかもその父と拙者の間柄は、いささか、冷めた面もあり申す。あまり期待されては困る。」


「馬鹿な!」

維盛は、その四郎の心得違いを嘲笑うような仕草をした。

「冷めてなど、おるものか!お主の父が、おそらく唯一頼りとしておるは、お主に他ならぬ・・・なぜ、武光がお主を霜降より追い、北のなにもない(ぐろ)など守らせたか?」


「はて・・・単に拙者は、邪魔がられ、(うと)んぜられただけと承知しておるが?」

四郎は、やや(いぶか)しみながら答えた。そして、不思議に思った。なぜこの男は、我が家内のことにここまで詳しい?


先ほど、巌鴨(いわがも)の問に答えた彼の配下の声を思い出した。そうか、堅固を誇る霜降城は、実は内は間者だらけだと見ゆる・・つくづく、人の心の見えぬ、脇の甘い武人じゃ、わが父は。そして、知らずに間者を愛して、二人だけでこの死地に飛び込んでくる儂も・・・しょせんは、似た者同士の親子じゃ。


やはり、(とんび)から(たか)は産まれぬということか。




「違う!」

維盛は、四郎の心得違いを責めた。

「その、逆じゃ。武光は、お主の力を買い、お主の力を信ずるからこそ、(ぐろ)の守備を任せた。なぜなら壠は、厚東にとって最も枢要な防壁だからじゃ。もちろん、多々良に対する備えではない。(たご)じゃ。そこから・・・そこからいずれ、宕どもがわんさと揚がって参るからじゃ!」


四郎は、はっとした。


いつとも知れぬ古に築かれた、異形(いぎょう)の防壁。それらはただ、誰もいない海に向かって陸地を隔て、海より来たる敵に備えて延々と続く。そしていまは無人のまま、山陰の寒風にただ吹かれている。


これまでは、天智帝の昔、白村江の敗戦のあと、唐と新羅の侵攻に備えて急きょ築かれた防壁だと思われていた。しかし、その様態が、同じ頃、筑紫島北岸から太宰府までを囲繞(いにょう)するように築かれた水城(みずき)群とは随分と違うことが、長らく謎とされて来た。


違うのだ、水城とは違うのだ。築かれた年代も、築いた者どもも、そして築かれた目的も。水城は、異国の兵に対する備え。異国兵だが、同じ人間に対する備え。そして(ぐろ)は・・・儂が数年のあいだじっとそこから誰も居ない大海原を眺め続けていた壠は。


海底の異形の怪異どもから、人の世を護る防壁だったのだ!




「わかった、ようじゃの。」

維盛の声に、四郎は我に返った。


「武光も、おそらく(たご)の存在に、うすうす気づいておる。そこで、最も頼りとなるお主を壠に派遣し、そこを守らしめた。今回の、うち続く怪異に対する物見を命じたも、もっとも信頼するお主だからこそじゃ。すなわち、お主がこのまま立ち戻り復命すれば、武光は宕の実在を確信し、儂の存在にも安堵し、儂に力を貸す気になる。だから。」


だから、なんだ?

四郎は、立ち上がった維盛の凛々しい姿を、ただ無言で仰ぎ見た。


「このまま、お主らが霜降に戻るを、儂は邪魔だてせぬ。好きに立ち戻れ。厚東は今や、わが心強き同盟軍じゃ。そしてお主が軍勢を率い、儂に合力(ごうりき)せよ。宕への策は、用意してある。共に戦おうぞ。お主と儂が組めば・・・そして狩音にも力を貸して貰えば・・・必ず、宕を打ち破れる。奴らが海から揚がり、我ら人間をすべて(にえ)として喰らう暗黒の未来を、阻止することができるのじゃ。我らは、ただそれぞれの自らの国のみ護るのではない。人の世を脅かし、この扶桑国全体を脅かす、水底の妖異に立ち向かうのじゃ。すなわち我らは、この草薙剣(くさなぎのつるぎ)の元に(つど)いし、まさに神軍なのじゃ!」


維盛は、ふたたび例の鞘を掴み、それを宙空高く、差し上げた。

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