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海峡奇譚  作者: 早川隆
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第三十章   昭和三年(1928年)秋    スイス・チューリッヒ湖畔

巴里発の列車は21時過ぎ、スイス・ジュネーブへ到着した。浅野はコンパートメントを共有したミラー一家と別れ、駅でまたも待ち受けていたトマス・クック社の現地係員と落ち合うと、その案内でラング・ホテルへと向かい、そこに宿をとった。


すでにチューリッヒの街は静かに闇の中へ沈んでいた。常に明るく、どこかに人の営みのざわつきを感じる巴里の夜に慣れた身からすると、そこは(しん)とした天上の別世界だった。周囲には、遠く低い山々が黒く影絵のように浮かび上がり、合間にポツポツと白や黄色の灯りがつく程度。雲間を漏れる月の光に照らされて、岸を噛みながら流れるローヌ川の流れや、浸々(しんしん)たるジュネーブ湖の湖面がキラキラ光るのが見えた。


すでにトマス・クック経由でホテルのフロントにメッセージが届いており、支配人が(うやうや)しく封書を捧げて浅野に手渡した。浅野はその場でペーパーナイフを借り、それを開封した。


「アーサー・コナン・ドイル卿からの私信を拝受。内容非常に興味あり。予定通りジュネーブ御到着の際は、翌日15時に、チューリッヒ経由でラッパーズヴィル駅までご足労ありたし。そこに迎えを寄越しておきます。

                  C.g.Jung 」




手書きで添えられた「C.g.Jung」は、コナン・ドイル老が失念していた、あの奇妙な医療観察記録の作者の名前だった。確かに、精神医学になんの興味も持たぬ英語圏の心霊主義者にとって、それは覚えにくく、そもそも、なんと読んでよいのかすらもわからぬような名前であったろう。しかし浅野は、そのサインが、ドイツ語圏随一の精神医学の権威、カール・グスタフ・ユング博士のものであることを知っていた。


浅野はその場で、フロント係にラッパーズヴィルまでの順路を聞いた。翌朝一番に宿を出て、ルツェルン経由でチューリッヒに至り、そのままチューリッヒ右岸線に乗り換えれば、問題なく間に合うことを確認した。


「なんとまあ、駆け足ですな!せっかくですから、ジュネーブをご存分に観光されて行かれれば良いのに!」

脇に控えたトマス・クックの係員が、この東洋人観光客のせわしない旅程に呆れて、そう言った。




ラング・ホテルの部屋に入った浅野は、まず珈琲と軽食を運ばせた。上着を脱ぎ、サンドイッチをむしゃむしゃやりながら、手元に置いていたトランクの中からコナン・ドイルに贈与されたあの綴本を取り出し、膝に置いて眼を通しはじめた。


英国から巴里に向かう道すがら、そして巴里に着いてからも、身のまわりで立て続けに起こる奇妙な出来事の合間に、この一風変わった症例観察記録を(ひもと)き、飽かず何度も読み続けてきた。


文中には専門的な表現が多く、ドイツ語圏特有の精神医学用語なども出てきて、細部にはよくわからないところもある。しかし大切なのは、詳しい解釈というよりも、病状の記録そのものだ。その内容は、浅野にとって何度読んでも興味の尽きぬものだった。


その記録は、バーゼル大学のまだ若い医学生だったカール・ユングが世紀の変わり目に(まと)め、おそらく彼にとって最初の出版物になったものである。タイトルは、「いわゆるオカルト現象の真理と病理」。原書はドイツ語であるため、英国の医療関係者が研究用に英語へ抄訳したものを、簡便に綴じた、いわば間に合わせの地下出版物のようなものである。


おそらく原書からは相当に抜け落ちた部分があるに違いないが、そこに書かれたあるひとつの症例が、浅野に (そしておそらくはこの著作のことを思い出したドイルにも)きわめて強い印象を持って迫ってくるのである。それは、浅野が夢のなかで目撃したある女性の示す症状と、そっくり同じなのであった。




厚東四郎が霜降城の土牢で会った、彼の生母。藤の方と呼ばれている彼女は、年の頃四十歳くらいの優雅で美しい貴婦人であるが、独自の奇妙な性質を有していた。すなわち、外形はそのまま、しかし彼女の精神の中に、輝血(かがち)木通丸(あけびまる)朧冠者(おぼろかじゃ)大臣(おとど)といった奇妙な名を有するさまざまな人格が()り、それらが入れ替わり立ち替わり現れ、また消えては、彼女の身体を自在に操り、それぞれバラバラで好き勝手な主張をする。


夢の中では、それは伝染性の流行病(はやりやまい)の症状だと認識されていたし、コナン・ドイルに言わせれば明らかな心霊現象だ。が、若きカール・ユングの意見は違う。その症例観察記録の中では、同様の症状が、なんらかの先天的な異常、ないしヒステリー、癲癇、心的な抑圧等に起因した、ある種の精神病質としての症例だという文脈で紹介されていた




1899年、バーゼル大学の医学生だったカール・グスタフ・ユングは、ある日、自分の身内で降霊会を行っている者が居ることを知った。


15歳半になる彼の従姉妹、ヘレーネが霊媒となり、この当時、欧米のどこでも行われたように、まずはテーブル・ターニングから会が始まる。そして、ヘレーネは際立って優れた霊媒であった。彼女より10歳年長のユングも、のちにこの会に加わり、ヘレーネが入神状態になるさまを事細かに観察した。もっとも、ユングはこれを入神とは呼ばず、夢遊症の発作、ないしカタレプシー(精神分裂病の症状の一種)の様だと表現している。




彼女は、入神状態になると、完全に自分がヘレーネであるという自覚を無くし、恍惚のなかで、彼女の知る、ないしはまるで知らない様々な人格に変化した。多くは彼女の近親者や祖父などであったが、ウルリッヒ・フォン・ゲルベンシュテインという、誰も知らない陽気なおしゃべりな男になったり、ベルト・ド・ヴァリューになったり、エリザベート・フォン・ティールフェルゼンブルクになったりした。


そしてあるとき、それら様々な人格よりも一段格の高い位置に居るキャラクターが姿を現して来た。イヴェネスという名の、その慎ましやかで威厳に満ちた女性の心霊は、ダビデの時代には普通のユダヤ人女性であった。継いで13世紀にはヴァルールという名の南仏貴族だったが、魔女として火炙りにされてしまった。15世紀にはザクセン公夫人であり、18世紀末には中部ドイツの名もなき牧師の妻で、あのゲーテに誘惑されて子をもうけた。19世紀初頭にはプレヴォルストの女預言者ハウフェ夫人であった。


これら、さまざまな人間の心霊だったことのある彼女は、実は身体性からは完全に切り離された一個の自由な霊格である。体つきは華奢な、黒髪のユダヤ人女性であるが、白いガウンをまとい、頭にはターバンを巻いて、常に地上のあちこちを旅している。いや、地上だけでなく、星間をまたいで、他の天体に行くこともある。なにもないように見える夜空の星々のあいだの暗闇には、実は人間の眼には見えぬ無数の心霊世界がひしめきあっている。




イヴェネスは、単に霊媒 (ヘレーネ)の身体に憑依して、自分の語りたいことだけを語るのではなく、ときに降霊会の参加者たちに語りかけたり、心霊界の様子を教えてくれたりした。そのうち、イヴェネスに善導されたヘレーネは、入神状態で独特の世界観を構築し、それを語るようになった。そこでは、マグネソール、コネッソール、カファール、トゥーザ、エンドスなど、既存の自然科学の体系では知られていない、さまざまな独自概念が使われていた。


この、ヘレーネがもたらす彩りに満ちた豊かな霊の世界観は、降霊会の参加者たちに大きな影響を与えた。正直なところ、ヘレーネの語るさまざまな事柄は、いまひとつ前後関係が曖昧だったり、全体的に意味がはっきりしなかったり、いずれも、それひとつを以て霊界実在の証拠とするには足りない。ごりごりの合理主義者ならば、「病者のたわ言」と一言で切り捨ててしまうような内容である。


しかし、一個の人間がともかくもしばらく自意識を喪って、たとえ擬似的なものであろうと他の人格を纏うようなこの現象は、充分に精神医学の研究対象になり得るものであった。




ユングはこの驚くべき症例記録を詳細に記述し、類似する他の症例などの記録も併せて採録し、それに自分の見解も付して、「いわゆるオカルト現象の真理と病理」という書物に(まと)めた。そこでは、ヘレーネという名は隠され、彼女のことは頭文字で、「S.W.」と表記された。


当然、その考察は、いわゆる精神医学の立場からなされているもので、タイトルに「いわゆる」が付いていることからしても、もちろんオカルト現象を、その字義通りに受け入れているものではない。


しかしそれでも、ヘレーネが現実に呈した症状の数々は、たしかに浅野が夢で見た、藤の方の症状にそっくりである。両者になにか関わる共通項があるのではないか、浅野が知りたいのはそこだった。




翌日は、朝から小雨模様となっていた。ジュネーブ湖もローヌ川も、かなたに横たわっている筈のアルプスの山々も、みな一様に白い靄をまとい、曇り空の中に溶け込んで、不機嫌に黙りこくっていた。


浅野は早々にラング・ホテルをチェックアウトすると、小さな傘を差して湖岸を歩き、トランク類を篠つく秋雨にみな濡らしてしまいながらも、なんとかチューリッヒ行きの列車に乗り込んだ。



ラッパーズヴィル駅で下車し、瀟洒な中世風の城塔をあしらった駅舎を出ると、そこに使いの者が待っていた。


車寄せの小さな広場に数台の自動車が停まっていたが、浅野を待ちうけていたのは、なんと、荷車いっぱいに秣や薪などを積み、駄馬に曳かせる粗末な農村式の馬車である。その御者席に座っていたのは、赤いチロル・ハットを頭にちょこんと載せた痩身の青年であった。


彼は、駅舎から大きなトランクを抱えた初老の東洋人が出てくるのを認めるや否やすっ飛んできて、帽子をとって礼儀正しく挨拶した。そして、浅野の腕からトランクを二つ奪って、そそくさと馬車のほうへと担いでいった。


「マルク、と言います、ユング先生の弟子の一人で、今は石塔の離れの小屋に逗留しています。どうぞ宜しく。」

青年は満面の笑みを作りながら、少し堅い英語で挨拶した。

「あなたが、アサノさんですよね。日本からお出での。」


「いかにも、そのとおりです。何卒宜しく。しかし驚きました・・・出迎えが馬車とはね!」

「この先、道路が充分に舗装されておりませんからね。自動車だと、特にこんな雨降りの日は、あちこち水たまりに(はま)ったりして、かえって難儀するんです。たまたま、街に買い出しに行かねばならぬ用事もありましたから、僕がお迎えに上がりました。」


そう言って尻に鞭をくれると、老いた駄馬はぶるると息を吐いて、やがて、ゆっくりと歩き始めた。浅野は、御者席のマルクの隣に腰掛けたが、しつらえが悪く、あちこちに節目やささくれがあって座りにくかった。


馬車は、ぽくぽくと蹄の音を立てて、単調なリズムを刻みながらラッパーズヴィルの街路を進む。駅前から石畳が続き、路の両脇には品よく齢を重ねた感じの民家の壁が続いている。そして、街のあちこちに薔薇の花が咲き、鋭い棘のついた茎が、家々の生け垣にぐるりと這わせてあった。


「遅咲きの薔薇ですよ。色とりどりで、綺麗でしょう?まあ、見慣れてしまえば、なんてことのない、ただの風景ですけれど。」

マルクは笑って、手綱を引いた。


「たしかに、素晴らしい。特に(しの)つく雨降りの日の薔薇というのは、風情があるものですな・・・いや、こちらから急に押しかけて来たのにも関わらず、お迎えにまで来ていただいて、真に有難い限りです。この先はずっとチューリッヒ湖の湖岸を行くのですね。」


「ええ、その通りです。まだしばらく街路ですが、すぐに土の道になりますよ。」

「歩いては行けぬ距離?」

「いえ、そんなことはありません。2時間くらいかな?でもまあ、馬車で行くほうが遥かに楽ですよ。スピードはもしかしたら、歩いたほうが速いかもしれないけれど。」

マルクはそう冗談を言って、馬の尻にひとつ軽く鞭を入れた。


「しかし、これほど気持ちの良い道ならば、どちらにせよ、飽きることは無さそうですね。」

浅野は、あたり一帯の澄み切った空気を()めて本心から言ったのだが、マルクはそれを異邦人の、見え透いたお世辞だと思ったらしかった。彼は肩をすくめ、

「こんなお天気で、ですか?それに僕は、毎日毎日同じ風景ばかりで、少し飽きが来ていますよ。なにかまるで・・・そう、自分が中世の修道士にでもなった気分です。」


浅野は軽く調子をあわせて笑ったが、中世という言葉を聞いて、脳裏に、長門国の山中を歩む厚東四郎の影がちらついた。


「ユング先生は、そこであなたと日々研究に打ち込んでおられる訳ですね?」

「いや、それはどうでしょう・・・なんというか、先生はここで、ただ孤独を楽しんでおられるみたいです。」

「孤独を・・・?」

「ええ。もちろん、学会でなにか発表しなければならなくなったり、講演への招待などがあった時は別ですが、予定の空いている時は、先生は特に、なにもなさっておられません。」


「何も?それは驚きだ。だが、もしかしたらユング先生ほどの世界的な精神分析の権威であれば、ひたすら思索に(ふけ)ることでなにか真理を見出そうとされているのかもしれませんね。」

「ええ、僕もそう思います。なので、僕は基本的に、暇で。」

「それは困りましたね。」


「まあ、一週間のうち何時間かだけ、講義というか会話というか、いろいろと先生のお考えに接することはできるので、僕にとってはプラスなんですけれどもね。」

「しかし日ごろは、学問というより、いろいろな・・・。」

「そう、いわば、僕は先生の何でも屋みたいなものですね。昨日今日は、外の庭の石壁の補修が僕の仕事ですよ。ここから街に戻る頃には、石材屋か左官屋にでも就職できそうです。」

マルクは屈託なく、笑った。


「ユング先生とは、どんな方ですか?」

「さあ、特に気難しくもなく、さりとて特別に愛想が良いわけでもなく。特に付き合いにくいことはありません。患者さんならば、なおさらですよ。」

「患者?」

浅野は思わず聞き返したが、少し考えて、それを打ち消した。

「あぁ、なるほど。それなら私も安心できますね。」


マルクはにっこりと笑い、馬の尻に鞭をくれた。




この長閑なのろのろ馬車は、チューリッヒ湖の湖畔を、ぽくぽくと蹄の音を建てながら、ゆっくりと進んで行く。


脇で静かに水を湛える湖は、細長い三日月形をしており、馬車はその右岸、すなわち外弦側に沿って移動している。湖幅は狭く、晴れておれば向こう岸を指呼の間に望めるに違いないが、今日はなにも見えない。小雨にけぶる湖の姿は幽玄で、浅野の眼にはそれが、なにか死者の霊たゆたう霊界と現世との境界線であるかのように思えた。


あちこちに満ちた水の粒子が、地球の重力を無視して風に乗り、ゆらり流れて浅野の頬に貼り付き、もう半分白くなった頭髪にまつわりついて、そこに薄く水気の膜を作った。




「そろそろ着きますよ。このあたりは、ボーリンゲンと呼ばれています。ユング先生は、ここに土地を買って、石造の家を自ら建てました。もっとも、先生を慕う弟子たちが大量動員され、同志と呼び合って自発的に志願し労役に就いた、なんていう噂もありますけれど。」


マルク得意の冗談口である。


蹄の音を響かせながら静かな湖畔を進む、この短い時間のあいだに、浅野とマルクはすっかり打ち解けてしまっていた。


浅野は、自分が心霊研究家であり、必ずしもユングや、その弟子であるマルクと考えを同じくする者ではないことを正直に言ったし、これまでの旅路で奇妙な夢を見ること、その夢に出てくる登場人物のなかに、ユングの過去の症例記録と合致する奇妙な者がいる、ということまで教えた。




マルクは、ときどき相槌を打ちながら、神妙な顔で聞いていた。そして、ボーリンゲンに到着して馬車を停め、浅野が地面に降り立ったところで、頭上から意味ありげに言った。


「浅野さん、一言だけ。余計なことですが。」

「うん、なにかね?」

「ユング先生はですね、浅野さんのご来訪のことを、たぶん、そんなに喜んではおられませんよ。」


浅野は、少し驚いた。

「え、そうなの?ジュネーブのホテルには、わざわざ『たいへん興味あり』と書かれたメッセージを頂いたし、こうして貴方にお迎えまでいただいて、私は歓迎されているものとばかり、思っていたのだが。」


「まあ、僕の気のまわし過ぎかもしれません。でもおそらくそれは、あなたが、遠くの国からはるばる来られたお客様だからですよ・・・あと、英国の大変高名な作家先生からのご紹介なので、ちょっとした儀礼的な意味合いがあるのかも。とにかく、どうも、先生は浅野さんとはかなりお考えが違うようですから。」


「なるほど、そうですか。でもまあ、それは予め分かっていたことですからね。失礼のないよう、私も気をつけよう・・・ご忠告どうもありがとう、マルク君。」

「いえ、こちらこそ。差し出がましい口をききました。僕はこのまま直接、離れに参ります。先生はあの中に居られますから、どうぞ、直接お入りになってください。」


マルクはそう言って、前方で風に揺れる木立の合間に見え隠れしている、ふたつのとんがり屋根のほうを指さした。




それは、孤立した塔というよりも、低層階の連郭から成る小要塞のようだった。主郭は高さ10メートルほど。幅も同じくらいの、ほぼ円形を成した建造物で、屋根の部分だけが、多面体を丸く貼り合わせたような尖塔になっている。それよりも少し小さく細い副郭が後ろに控え、あいだを、少し平べったい通常家屋のような棟が取り持つ構造になっている。


塔体は大半が石造りで、日本の近世城郭の石垣のように大小様々な石を取り混ぜて並べ、表面はゴツゴツしていた。構内をあちこち仕切る壁は、しっかりと石が切られてあり、表面は平滑で、これが腕のよい石工の仕事であることを物語っている。マルクに聞いたところによれば、それは、ユング自身の手がけた壁であるということであった。




石で囲われた丸い入口をくぐり、周囲の山紫水明とやや隔絶された空間に入ると、自分がなんだかまるで、日本の茶室に入っていくような心持ちがした。肝心の塔体に達したが、これといってはっきりした玄関口が見当たらず、幾つかある小さなドアをノックして入ると、奥のほうから野太い男の声がして、この塔の主が出てきた。


ドイルに聞いていたとおりの大柄な老人で、顔の造作は鋭いが、肩が張り、いかつく四角い身体をしていた。そして、実に意外なことに、彼は地味なくすんだ色合いの作業着に、なんとピンク色のエプロンを掛けて、浅野の前に現れた。




「生憎のお天気ですからね、寒かったでしょう?さあ、お上がんなさい!」

ピンク色のエプロン姿のユングは、世界的な精神医学の権威といった素振りを微塵も見せず、まるでアルプスに隠遁する好々爺といった風情で、浅野をにこやかに迎えた。銀縁の小さい眼鏡が、湯気で曇って半分白くなっていた。


浅野がいったん下ろしたトランクを拾い、挨拶して靴のまま上がり込むと、今度は奥の方からユングの声がした。

「いま珈琲を沸かしています。なにせ、火の気がないところで。暖炉に薪をくべて沸かすので、いつもは少し手間が掛かります。火がついてしまえば、あっという間なんですけれどね。さてと、沸いた。」


そう言ってユングは、近くにあったテーブルへ、湯気の立つ珈琲をふたつ、持ってきた。浅野は椅子に座り、礼を言って、かじかんだ両手で捧げ持つようにカップを受け取った。




ユングはにっこり笑うと、また奥に戻り、今度は、香ばしい匂いのする大きな鍋を持ってきた。鍋敷も置いていない、テーブルの木肌の上にそれをどっかと置き、脇に重ねてあった木皿をとって、中身をよそった。


「ジュネーブから来られたのですよね、お腹がすいたでしょう?それに、この天気だから。なにか暖かいものをご馳走しようと思って、シチューを作っていたのですよ。お口にあえば好いのですが。」


「それは、誠に有難い。遠慮なく頂戴します。でもまさか、ユング先生にいきなり、手料理でお迎えいただけるとは!まことに名誉の至りです。」

浅野は、あまりの驚きに、いささか仰々しい表現で言った。


真白いシチューは、火から離れてもまだぐらぐらと煮たち、半分煮崩れた丸いジャガイモが鍋の中で暴れて、となりの鶏肉と位置取りを巡って大喧嘩をしていた。


「さあ、どうぞ。」

ユングは、がっしりとした大きな手でシチュー皿の片側をつかみ、浅野のほうへ差し出した。


「いえ、行き道で話していると、どうも、私は先生の診察を受けに来た患者として迎えられているような印象を受けまして。」

浅野は、肩をすくめて、言った。

「ですから、着くやいなや診察台の上に載せられ、いきなり問診でもされてしまうのかな、と思っていたのですよ。」


「はっはっは・・・またマルクが、余計なことを言ったようですな。」

ユングは、愉快そうに笑った。

「本当に将来有望で、とても優秀な学生でしてね。ただ、あの年代の才走った若者にはありがちなことだが、常にひとこと多いのが玉に瑕、です。」


こう言って自分でもひとくちシチューを口に運ぶと、あっちっち、と舌打ちをして、

「コナン・ドイル卿からは、欧州学会が東洋から迎える大切な客人であるから、立場の違いを越えて丁重にお出迎えするように、とのご指示でしたよ。特に私が、そのご指示に歯向かう理由はない。」

ごろりと入ったジャガイモの熱さに、思わず口をはふはふさせながら、なんとかそう言った。


浅野も、ユングに倣い、ひとくち匙で掬って口に入れた。やや塩気がきついように思えたが味は深みがあってとても好く、とにかく熱くて、それを胃の腑に流し込むときは、灼けつくどろりとした溶岩が、ゆっくり体内を移動していくような気がした。



「まあ、たしかに、このまま診断してしまいたいくらいの興味深い症例では、あります。あなたがもし病人だったらの話ですが。なにしろ、あなたではなく、あなたの夢の中で出てくる登場人物だけが、交代人格の症状を呈しているということですからな。」

ユングは、ジャガイモと口内で格闘してなんとかこれを倒したあと、ナプキンで口を拭って、こう続けた。


「もちろん私にも、これは全くはじめてのケースだ。もし、状態がぜんぶドイル卿の書かれたとおりであるとすると、私はこれから、夢の中の人物を診断しなければならないことになる。しかも彼女は中世の、遠く離れた日本の貴婦人だ。彼女の背負う文化的な背景についても、生活習慣や価値観についても、私は、たぶんまるで共通項を持たない。問診するといっても、余りにも話のとっかかりが無さすぎますな・・・さてさて、いったい、どうしたら好いものやら。」

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