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海峡奇譚  作者: 早川隆
36/71

第二十九章   安貞二年(1228年)秋   長門国伊輪

時が止まり、あたりは、凍りついたようだった。


そう思ったのは、しかし狩音と四郎だけであったかもしれない。平維盛、いまは桜梅(おうばい)と名乗るこの底意地の悪い老人は、言い終えたあともニヤニヤと笑い、動転する四郎のさまを見て、大いに愉しんでいたからだ。


四郎は、やっと気を取り直し、しかし何も言えずに、黙って狩音のほうを見た。


なにを言う必要もない。維盛の言ったことは、本当のことだった。なぜなら狩音は、四郎の投げかける視線に、即座に頷き、そのあと頭を深く垂れて謝罪の意思を示したからである。




維盛は、なおも言った。

「怒るな、恨むな。これも軍略のうち。狩音の近づき方が巧みで、お主はいささか、脇が甘かった。そういうことじゃ。騙し合いは武門の常よ。今回は、多々良の勝ちということじゃ。」


「とても・・・とても信じられぬ!」

四郎は、やっと言った。無理に言葉にしたから、必要以上に強くなり、吐き捨てるような言い方になった。

「先ほども、死地を(おか)して儂を救けに来てくれたではないか!それ以前にも、二人でさまざまな危難を、くぐり抜けて参ったではないか!」


「四郎様を(がい)(たてまつ)ることが、わが任ではありませぬ。」

下を向いていた狩音が、きっと眼を戻して、言った。

「わが任は、なぜか枢要とはいえぬ地に(せん)された四郎様と、厚東の底意とを探ること。なにかよからぬ企みではないか、あるいはそれが多々良に益ならぬ事態にならぬか、それを見極めること。四郎様は、厚東家中でも第一等の重要人物。多々良ではそう見ております。その御方の動向を注視しておくは、多々良の未来にとっては、げに大切なこと。」


「お主は、すべてそうした計算ずくで、儂のもとへ仕えに参ったのか!」

四郎が、腹の底から絞り出した大音声で、狩音を怒鳴りつけた。

「さいしょは、そうでございました。しかし、その後、数年を共にするうち、考えが変わり申した。(わたし)がお仕えし、ともに情を交わす間柄になったこと、そは偽りではございませぬ。」


「何を、言いおる!ずっと儂を(たばか)っておいて!」

「申し訳ございません。もしお手討ちになさるならば、ご存分に。しかし、この危うき(にん)の間ばかりは、四郎様の身辺を警護し、是非、完遂したく思うております。お手討ちは、どうかその後に。」




「ふざけるな!」

四郎は、逆上した。そのまま、先ほど維盛に返した剣をまた奪い、狩音を斬ろうとしたが、維盛は機敏に身を(かわ)して、神剣の鞘を四郎から遠ざけた。


「おっと!それは困るぞ、厚東殿。」

相変わらずのニヤニヤ笑いを浮かべたまま、言った。

「お主にも狩音にも、まだ生きていてもらわねばならぬ・・・ところで、先ほど、巌鴨(いわがも)に斬られかけたお主を救ったのは、狩音ぞ!」


「お主は、何者じゃ?いったいなぜ、そこまで詳しく先ほどの切合(きりあい)のことを()っておる?」

四郎は、今度は維盛に向かって叫んだ。

巌鴨を射たことまでは言ったが、そのあと狩音が、部落の兵どもをかき分け、木刀を持って戦闘に飛び込んできたことまでは、まだ教えていない。しかし、維盛が言っているのは、そのことではなかった。


「もう一度言うが、お主を救うたは、まさに狩音じゃ。狩音が裏の山手で、松明を振って佐々実(さざみ)に急を知らせてきた。儂がすかさず、伊輪の物見台の番兵に向けて松明を振り返させ、戦闘を停止(ちょうじ)させたは、この狩音の機転があったからじゃ。お主は、狩音に救われたのじゃぞ。」


「松明を振った、だと?」

四郎が、狩音を向いて吐き捨てた。

「そこらにひとつふたつあった松明を拾って、いきなり、こと細かにここの有様を知らせたと申すか!ここの部落同士で取り決めた合図のことを、なぜお主が知っておる?」


「フム、そういうところは冷静じゃ。」

維盛は、急に()めた口調で、四郎を褒めた。

「たしかに、我らは松明の本数や揺らし方などで、仮名を現し、事細かに光だけで意思を伝え合うことができる。しかしそれは・・・もとは多々良より伝わった技術での。狩音は、その手練(てだれ)じゃ。ここにて起こりしことは、狩音の合図でたちどころに、手に取るようにわかった。」


四郎は、何も言えなくなり、ただ黙って維盛を睨みつけた。

維盛は、この若者を少し(あわ)れむような顔つきで眺め、静かにこう(さと)した。


「まこと、ただ真っ直ぐなばかりの猪武者というのも、困りものよのう。己が知らぬところで受けた恩義をまるで知らず、その恩義ある相手に斬りかかろうとする。少しは落ち着け、厚東殿。この世というものは、お主が思うているよりも、ずっと複雑で、神妙なものなのじゃ。そして・・・あの世はもっと、もっと恐ろしいものぞ。」




「いま、あの世の話なぞは、しておらぬ!」

四郎は、まさにあの世から戻ってきたに等しい、この禍々(まがまが)しい武家崩れに怒鳴った。


「いや、まさにその話なのじゃ!」

維盛は、ぴしりと言った。

「まあ、聞け。すべて教えてやろう・・・お主はいま、厚東に祟るすべての元凶が、(わし)じゃと思うておるであろう?儂が、このいったんは波の彼方に没したはずの平維盛が、まるで墓場から(よみがえ)りて人知れず山中に国をつくり、密かに厚東に祟りをなしておると。」


「そうじゃ、そのとおりじゃ!お主こそが、化物(ばけもの)じゃ。この一連の怪異を()せし、(あや)かしの正体じゃ!」

四郎は、そう言い返した。


維盛は、表情を変えずに言った。

「だが、それはとんでもない思い違いじゃ。儂はの、確かに平家や朝廷や、この地上のあらゆる下らない秩序に()いて、そこから逃れるために、この国を打ち立てた。人知れず、密やかに、な。儂は、儂になにができるかを示した。そしていつか、厚東を、源氏を、果ては朝廷までをも打ち滅ぼし、天下をわがものにせんと誓った。だが・・・もとから、そんなことは無理だった。」


四郎は、意外なおももちで、妙なことを言い出す維盛のほうを見た。

いったい、この見下げ果てた武家崩れは、何を言い出す積りなのであろう?


やっと落ち着いた四郎を見て、維盛は座り直し、白湯をひとくち呑んで、これまでにあったことをすべて語り出した。


それは、次のような、驚くべき内容だった。




源平合戦が終わり、平氏が壇ノ浦にて壊滅して数年のちのこと。


平維盛は、破滅に先んじて軍中を脱走し、陣営に残された膨大な金銀や財宝、弓箭(きゅうせん)や武具などを多数持ち出して、数百名の手勢と同志とを連れ長門の山間に逃げた。そこで、山間部落の幾つかを武力で手もなく支配し、それまでバラバラだったそれらを相互に連携させ、有機的な早期警戒態勢と複合防衛組織とを作った。


既に平家随一、おそらくは源氏や奥州藤原氏などを加えても右に出るもののない、戦略単位の軍事指揮官として最高度の熟練を成した維盛だけが成し得る偉業であった。もちろん、維盛単独で打ち立てた軍事政体である。これまでと違い、誰も彼を邪魔する者はいなかった。


山に入る前、すでに周防の多々良氏と連絡し、暗黙の相互依存同盟を打ち立てることに成功していた維盛は、渡来人として迫害され、自己防衛を常に図らざるを得なかった多々良氏より、鏡や火矢や篝火、松明などを駆使した、光による遠隔通信の技法を伝授された。これは、既に打ち立てていた山間部落同士の早期警戒態勢をさらに完璧なものにし、彼の帝国の存在を、数年のあいだ、六波羅や鎌倉政権から秘匿し続けることを可能にした。


とはいえ、現地に在り、定期的に巡察や偵察を行う厚東氏の眼を(くら)ますことは不可能である。そこで維盛は先手を取り、守護代として長府に座り、官位官職では上ながら実質的に厚東氏の下部構造として徴税の任に就く小田村光兼(みつかね)と手を結んだ。彼に多額の金品を与え、彼を通じ、円滑にこれまで通りの貢納を怠らないようにした。


そうしておけば、現地の治安は回復したと見なされ、平氏残党への追求も(ゆる)む。また、大いに資力の要る軍事討伐などをなるべく避けたい厚東としては、仮にそこへ平氏の残党が潜んでいるとしても、交渉や徴税は守護代に任せ、見て見ぬ振りさえしておけば良いのである。


こうした生き残りのための態勢を大急ぎで作り上げ、まず山中に逼塞(ひっそく)して密かに力を蓄えることに努めた維盛の後平氏(ごへいし)政権に、十五年後、大きな飛躍の機会がやって来た。


鎌倉政権を打ち立て、東日本の覇者となっていた源頼朝が、謎の落馬事故がもとで急死してしまったのである。その後数年、求心力を喪った政権は混迷し、内部の有力御家人同士による血みどろの内訌(ないこう)が相次ぎ、もはや西国へ彼らが眼を()ることは無くなった。仮に、いま西にてなにか変事が起きても、まず足元に様々な不安を抱える源氏政権の発起は、極めて鈍く遅いものとなるであろう。




今こそ、起つ(とき)


まだ若かった維盛は、そう考えた。陣営を脱走するときに持ち出した財宝を原資(もとで)に、山中密かに養い訓練した数千の軍勢がある。弓箭(きゅうせん)の備えは万全、沖合の密貿易船と連絡するための小規模の水軍すらある。この軍勢を維盛が統合指揮し、暗黙の同盟をとり結ぶ多々良氏と連携して、裏側から霜降を攻めれば、これを()とし、長門に独立政権を打ち立てることは、充分に可能だ。


そうしておいて、穴門豊浦宮(あなとのとよらのみや)の御神体の下に埋めた草薙剣(くさなぎのつるぎ)を掘り出し、どこか適当な公家の子でも迎えて正統を主張すれば、後平氏(ごへいし)政権は、巨大な軍事の空白地帯となった西国一円を、なんなく制覇することができる。政権は求心力を持ち、力の衰えた六波羅からの討伐軍を一蹴して、やがて筑紫島(つくしのしま)(九州)と二名島(ふたなじま)(四国)をうち従えて、いずれ東国目指して征討軍を派遣することも可能になろう。


そのときまだ齢四十(しじゅう)を越えたばかり、意気盛んな維盛は、人生最大の大勝負に打って出ようと、山間を駆け廻って準備し、一斉蜂起の機会を(うかが)っていた。




「まだ、お主の生まれるずっと前の話よ。」

維盛は、言った。

「儂は、厚東を滅ぼす寸前まで行った。あのとき()てば、お主の父は、戦場(いくさば)に虚しく(むくろ)(さら)すことになったであろうて・・・だが、そうはならなかった。」


「なぜ?」

四郎は聞いた。これまでまるで、知りもしなかった話である。


「奴が、来たのじゃ。」

維盛は言った。遠くを見るような、昔を懐かしむような・・・しかしどこか哀しげな眼で、こう行った。




「阿弥陀の芳一がの・・・来たのじゃ。そう、ちょうど、ここじゃった。伊輪の部落の中庭、さきほどまで、お主が大立ち回りをしておった、まさにその場所に・・・来たのじゃ。」




既に芳一の噂は、その何年もまえに長門国一円に広まっていた。海底から揚がってきた平氏の亡霊に取り憑かれ、これに耳をもがれた盲目の僧。そのあと、冷酷な領主の厚東武光自らに鉄鞭(てつべん)を振るわれ、完全な不具となってしまった、気の毒な男。


しかし、謎に満ちたその事件のあと、芳一は阿弥陀寺裏手の山肌に結んだ小さな庵に逼塞(ひっそく)し、(おとの)う誰にも姿を見せなくなってしまった。人々は、あまりの体験に気が触れてしまったからとか、醜い自らの姿を人目に(さら)したくないからとか、その理由をさまざまに噂したが、いつしか彼のことを忘れ、もはや芳一が生きているのか死んでいるのか、知る者とて稀になっていた。




その芳一が、軍事蜂起の準備に沸き立つ、この伊輪砦(いわとりで)の中庭に、忽然(こつぜん)と姿を現したのである。夜だったが、門扉は閉められ、背後の山肌には幾つも監視の眼がある。芳一がどうやって中庭に入り込んだのか、誰にもわからなかった。だがとにかく、彼は、そこに居たのである。


眼の見えぬ芳一は、胡座(あぐら)を組み、なにごとか一心不乱に唱えていた。彼の存在に最初に気づいた部落の子供が、廻りに警告の声を上げるより先に、棒の先で芳一の肩を、面白半分で突っついた。


次の瞬間、子どもの身体は跳ね跳び、空中で千切れて四散し、周囲にばらばらと物言わぬ肉片となって落下した。あたり一面が鮮血で赤黒く染まり、芳一も血の滝を浴びたが、まったく動じず、まだ何かを唱えている。


異変を察知した部落じゅうの兵どもが集まり、この異物を取り囲んで白刃を突きつけ誰何(すいか)したが、芳一は答えず、意味のわからないことをただぶつぶつと唱えるのみ。先ほどの子どもの親が、刀を振りかぶって斬りかかろうとしたが、刀は空中でなにかの力に囚われたかのように動かなくなり、親はただその場で前にのめり、後ずさりし、その場でゆらゆらと前後動を繰り返すだけとなった。




この突然の異変はすぐに維盛に急報され、彼は中庭に出た。すると、芳一はひときわ大きな声で、その念仏か呪文かわからぬものを唱えだした。

「ふんるいむんなむしゅしゅりゅるぅるえうがふなふたん・・・」


奮累無二南無種梨秀流・・・などと、漢籍や経文に有りそうな文字が維盛の頭のなかをぐるぐると巡ったが、どんな字を充てようと、それはおよそ意味をなさない。それどころか、その一音一音が、よく聞くと発音が不明瞭で、発声のしかたもまるで違う。


舌を歯の先にくっつけ、そのまま口蓋を後ろ側から舐めるように移動させながら唸ったり、口を閉じたまま吼えたり、挙句の果てにはまるで喉の奥から咳き込むように発声して、それを舌で絡め取ってから口の外に出すというような、ただ複雑で汚らしく、聞くものの胸をかき乱し、ひたすら不安にさせる異形の言語であった。


とにかくそれは、どこかまるで違う国から来た者の唱える、日の本の言葉とはまったく違った体系の言語である。いや、そもそもこれは、人の言葉なのであろうか?


維盛は、気を取り直して、威厳を保ちつつ、誰何した。

「おぬしは、誰じゃ?」




すると芳一は、とつじょ、唱えていた念仏を切り上げた。正確には、途中でぶつぶつ言うのを止めたが、最後、ひときわ大きな声で、こう叫んだ。


「いあ!いあ!」




こう言い終わると、芳一は黙り、見えぬ筈の眼を開けて、ぎろりと維盛を睨んだ。そして、ゆっくりと、低い声でこう言った。今度は、人間の言葉であった。

「我が名は、阿弥陀の芳一。」


その名は、広場に集う誰もが記憶している名であった。眼の前に居る男の風体も、聞いていたその男のそれと完全に一致する。貧しげな僧形で、頭は剃ったあとの手入れが行き届いておらず、ところどころ(まば)らに短い毛が生えていたりする。


両の耳は、誰かにもぎ取られたかのように根本から欠け、顔の横にただ赤黒く孔だけが空いている。そして身体はおかしな形に歪み、足は捻じ曲がり、とてもではないが、そのまま立ち上がって歩行することもままならぬと、誰の眼にもすぐわかる。




そして芳一は、維盛に対し、こう命じた。

「蜂起を、いったん止めよ。以降はわが命に従い、わが(たご)の支配を受けよ。」


「タゴ?タゴとは何じゃ?」

維盛は、気を励まして芳一に問うた。


この蜂起直前の大切な瞬間、斯様な曲者に陣中をかき乱されてはたまらない。維盛は、その質問に対し満足な答えを得られぬ場合、周囲のすべての武者に命じて、芳一を血祭りに挙げようと心に決めた。




「結局、芳一は殺せなかったのですな?」

四郎は言った。話のあまりの異様さに、先ほどまでの怒りの嵐が、完全にどこかへ消えてしまっている。


「いかにも、さようじゃ。」

維盛は、認めた。

「だが、その理由は、おそらくいまお主が考えておるものとは、ちと違う。」


「どのように違うのです?なにかわからぬ妖かしの力によって刀が空に絡め取られ、部下の武者共の身体もバラバラになって・・・などと、おおかた斯様な話でござろう。」

四郎は、まだ維盛の話を疑っていた。




「阿呆な猪武者め・・・そんな話ではないわ!」

維盛は珍しく、感情をあらわにして吐き捨てた。

「そうではない!斬ろうにも、斬れんかったんじゃ!儂が斬れぬ理由があったのじゃ。」


「だから、乱神の怪力に、空で刀が囚われ・・・。」

四郎の揶揄を、維盛は中途で(さえぎ)った。

「違う!芳一が消え、代わりに、叔父上が出てきたのじゃ!」


「なんの、話じゃ?」

四郎は言ったが、思い当たることがあり、そのまま眼を狩音のほうへ移した。

「まさか・・・。」


「その、まさかじゃ。お主の母と同じよ。まったく同じよ!しばらく黙って、わが話を聞け。」

維盛は言い、その異様な体験について話し続けた。





阿弥陀の芳一の身体を使い、その場に最初に出てきたのは、落ち着いた武者の声だった。それは言った。

「久しぶりだのう・・・維盛。」


聞いて、思わず維盛が、刀を取り落とした。覚えのある声だ!いや、あの独特の、(しゃが)れ声だ。この伊輪にいるすべての人間のうち、ただ自分だけが覚えているあの声だ。

叔父(おじ)上か・・・知盛(とももり)叔父上か・・・?」


「そのとおりじゃ。お主も息災で、何より。」

「いま、どこに居られるのじゃ?いや、お主は何じゃ?叔父上の霊か?それとも、声音(こわね)だけを真似ておるのか!?」


「混乱するは、わかる・・・(うつ)()に居る限り、およそ眼にすることのない、異様な光景じゃろうから、のう。」

知盛、と名乗るその声は、甥に対する優しい気遣いに満ちた声で、そう言った。


声の主は、平新中納言たいらのしんちゅうなごん知盛。大相国(だいしょうこく)平清盛の四男で、維盛の叔父である。維盛の父・重盛とは腹違いで、のちの維盛にとっては、軍権を預かる自らの足を常に引っ張る、忌々しい一族のなかの重鎮の一人であったが、人柄は優しく、二人は仲が良かった。


知盛はその場で、しばし維盛と会話を交わし、その内容は、まさしく維盛と知盛のあいだでしか通じない内容に他ならなかった。ひとしきり話した後、知盛は、他にも話したがっている者が居るといって引っ込み、続いて年の近い弟の資盛(すけもり)有盛(ありもり)が出てきた。そして勇猛な甥の教経(のりつね)が。その他、次々と一門の者共が出てきた。しかし、いちばん会いたかった維盛の息子や、父は出てこなかった。


その理由を、最後に出てきた大叔父の経盛(つねもり)が、落ち着いた声音で説明した。

「儂らはみな、壇ノ浦で入水(じゅすい)した。だから、今でもこうして生きている。」




「生きている?どういう意味でございますか?」


「まあ、お主ら(うつ)()に在りし魂魄(こんぱく)から見れば、死んでいるように見えるのかも知れぬの。だが、儂らは現にこうして生きているのじゃ・・・そして、いまお主と話しておる。」


「まさに・・・それは確かなことでございます。しかし、大叔父上は、如何にして生きておられるのか?」

「お主にはわからぬ、自然の(ことわり)によってじゃ。儂らは、水底にて(たご)に命を拾われ、宕とともに生きておる。宕こそ、神にも仏にも勝る、この世のすべてを統べたもう、万物の主じゃ。おぬしらは、まだこのことを知らぬ。」


経盛は、維盛に対し、そう謎めいたことを言った。

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