第二十八章 昭和三年(1928年)秋 フランス=スイス国境付近
老提督との奇妙な別れを経て車中の人となった浅野は、そのまま、よろめくようにコンパートメントまでたどり着くと、同室の家族連れに一礼だけして座席にすわり、眼を瞑ってさっき起こった出来事を脳内で反芻し始めた。
イワン・グリゴローヴィッチ老提督の、あのときの眼は、ハムステッド地下駅を発車するときに奇妙な嫌味を投げつけてきたスコッティの眼と、印象がまったく同じだった。もちろん、もとの両者の眼のかたちや形は全く違う。瞳の色も違う。しかしその一瞬だけ、眼に赤みが指し、独特の禍々しい光に覆われたような気がした。そしてその瞳は、いくらか浅野を嘲るように、また挑みかかるようにも見え、射抜くように鋭かった。
しかし、奇妙な印象を受けたのは、二人とも、ほんの一瞬だけのことである。スコッティの場合、そのすぐあと列車の後を数歩追いかけながら最後の別れを告げる時には、あの純朴であどけない、どこかしら寂しさを湛えた子どもの眼に戻っていた。老提督からは、最後に威儀を正して敬礼しているとき、ただこちらの厚情に対する謝意と、ともに未来を模索する者同士としての対等な敬意だけが伝わってきた。
おかしかったのは、それぞれ、ほんの一瞬だけ。あの奇妙な言葉を両者が口走った、ただ一時だけのことである。そして、すぐと元の善良で、美しい彼らに戻った。奇妙なことである。
単なる、自分の思いすごしであろうか?あまりにも疲れていて、彼らの、なんということのない一言を、浅野の側であの奇妙な中世の夢に結びつけ、脳髄の中で勝手に曲がった解釈をしてしまっているのであろうか。しかし、単なる思い過ごしとしては、その記憶の内容は、あまりにも鮮明で、明瞭である。
降霊会でのジョンからの警告も加えた三者の語ることは、ほぼみな一致している。すなわち、
海峡には行くな。
行くと良からぬことが起こる。
ということだ。
もしかしたら、イワン老提督の時だけは少しニュアンスが違っていたかもしれない。海峡でお待ちしている、という、いわば歓迎の予告のような響きだった。
また、スコッティとイワンはやや挑戦的で挑発的だったのに、ジョンの警告は、単にこちらの身を慮っての、友に対する忠告に近いひびきがあった。
時も所も年齢もばらばらの、いや、一人に至ってはこの世の存在ですらないほど立場の隔たりがある三者が、それぞれ自分に投げかけてきたこの「海峡」という言葉。それは、自分が夜毎に夢に見る、あの厚東四郎が進みゆく先にある、関門海峡ないし壇ノ浦のことなのであろうか。それとも、別のどこかのことなのだろうか。
考えても考えても、まるでわからない。
なんの心当たりもない。ドーヴァー海峡を越えるときは、ドイルが予告したとおり、危険なことや変わったことは、特になにも起こらなかった。おそらくそれは帰り道でも同じであろう。それではいったい、「海峡」とは、どこのことなのだろうか。それとも、全く違う、なにか別のものを指し示す暗喩なのであろうか。
わからない、わからない・・・。
浅野の意識は、ただ堂々巡りをしながら、そのままずるりと深い闇の中へ沈んでいった。そして、またあの中世へ。あの奇妙な旅の世界へと・・・。
はっと気がつくと、正面に二つの翡翠のような蒼いものが見えた。それは幼児の眼球で、ぐるりと丸く、少しだけ眼窩から突き出て、不規則にぐりぐり動いていた。びっくりした浅野は、身体を少し緊張させ、その拍子で後ろの壁に頭をぶっつけた。
「まあ、大丈夫ですか?」
高く澄んだ響きの女の声が聞こえ、がっしりとした男の大きな掌が、浅野の腕を掴まえて、軽く押さえた。
「ぐっすりと、よくお眠りでした。」
男は言った。
我に返った浅野の正面に、大柄な二人の西洋人の夫婦と、母の腕に抱かれた生後まもない幼子が座っていた。夫婦はニコニコと笑い、この東洋人の同室者を労っている様子だった。
「い、いや、面目ない。」
浅野は、ひと息ついて言った。
「ひどく疲れていましてね。ここにたどり着いて、すぐと寝入ってしまったようだ。ときに、いま何時になりますか?」
「いえいえ、まだ発車してから二時間も経ちませんよ。スイス国境は、まだまだ遠くです。どうぞ、ごゆっくりなさってください。」
ブラインドは上げてあり、窓もわずかに引き上げられ、列車が走るにつれ心地よい風が入り、ちょうど好い具合に換気ができるようになっていた。浅野は、しばらく窓外の景色を眺め、がたりがたりという、規則正しい列車の揺れに身を任せた。
「お差し支えなければ。どちらからお越しになられたのですか?」
夫のほうが話しかけてきた。身長は180センチくらい、四角い肩に、きちんと金髪を分けた端正で上品な若い紳士である。
「あぁ・・・私は日本からです。長旅でしてね。もう国を出て三月になります。ずっと倫敦に居たのですが、ちょっと用があって大陸のほうへ足を伸ばしてみた次第なんですよ。」
「ほう、日本ですと!それはまた、遠くからお越しだ。もしかしたら、なにかの国際会議の随員の方ですか?いま、ジュネーブでは特に大きな会議は開催されていないはずだが。」
「いやいや、多少の公用めいたものはありますが、いち文学者の私的な旅行のようなものですよ。」
赤子や若妻のいる前で心霊会議の説明をすることが面倒になり、浅野は、軽くその場限りの嘘を言った。
「なるほど!文学者とは、小説でもお書きで?」
「いえいえ、それを訳す側ですよ。シェイクスピアとか、ディケンズとか、そういう英文学の名作をね。私の国では、まだ良い訳本が少ないので。」
それからしばらく、浅野は、ミラーというこの若い英国人夫婦と、とりとめもないお喋りに時を費やした。ミラーは、ジュネーブの国際会議の事務員を努めており、昨年の軍縮会議の際の日本代表団や、齋藤提督や石井全権のことなどもよく記憶していた。
「あの悲惨な世界大戦を繰り返してはなりません。我々はみな等しく未来を見て、この子らと共に希望を与えなければ。なので、自国の国益やエゴを抑えて、戦争を防止しようとする各国の努力には、ただ頭が下がる思いなのですよ。もちろん、貴国のそれも含めて。」
希望に溢れた若いミラーは、ちらりと我が子の顔を見ながら、澄んだ蒼い瞳を輝かせ、そう力説した。
戦争とは、そうした、人間たちがそれぞれ持つ未来への希望の、ほんの僅かな相克や相反こそが引き起こすものであるのに・・・いち生活者として、三つの戦争を生き抜いてきた浅野は思ったが、もちろん、それを言葉にはしなかった。
「ときに、スイスとは、どんなところなのです?まるで天界のように素晴らしい国だと聞いてはいるのですが。」
なにかと言葉遣いに気を使う国際関係についての話題は、今の自分の精神状態では避けたかった。浅野は、無理矢理に話題を変えた。
「いやもう、それは!浅野さんもきっと気に入りますよ。その風光明媚はよく知られていますが、ただそれだけではない空気の清明さ、そして水の蒼さ。すべてが澄み渡り、こちらを浄化してくれます。わたしは倫敦っ子で、今回、家族を連れて里帰りしていたのですが、わが郷里ながら、あそこに一週間以上居ると、なんだかこう、体調が悪くなって来る。」
ミラーは、げほげほと大げさに咳き込む仕草をした。隣の妻が笑いながら、腕に抱いた幼子ごと肘で夫を突っついて、その子供じみたおふざけをたしなめた。
やがて陽は落ち、窓外はとっぷりと闇に包まれ、いつとはなしにコンパートメントの中の会話は途切れがちになった。浅野は、ミラー夫婦がニコニコと幼子をあやすことに熱中し始めた頃を潮時に、一礼し、席を離れた。
そのまま通路をつたい、最後尾車輌にある展望デッキに出た。すでに景色を喪った展望台に、先客は誰もいなかった。そして浅野は通り過ぎる闇の中で、鉄路の軋む音と、列車の連結部分がガタゴトいう音を聞きながら、つい先ほどの、わずか二時間ばかりの睡眠のあいまに見た夢の中身を思い返した。
続き物の歴史劇か場末の三文芝居のようなこの夢は、いよいよ、あらぬ方向に暴走して、まるで手がつけられなくなってきた。四郎と狩音の二人旅は、もとはただの敵情偵察の任務だったはずだが、ずいぶんと派手な出入りになってしまっている。しかも、最後はあの有名な平家の武将に囚われ、彼の前で、海に沈んだはずのあの有名な幻の神刀を振り回したりしているではないか!
とにかく、不思議な夢であった。浅野は、夢の中で完全に厚東四郎と合一し、彼の見る不気味な海の夢を一緒に見て、手にした鞣皮のきめ細やかな鞘の感触にうっとりとし、手に持ち振るった神剣の、絶妙な重みとバランスとに軽く興奮を覚えた。そして、脇のほうでそのさまを心配そうに見守るあの娘に、たまらなくなるほどの愛しさを感じているのだ。だが・・・最後はどうも、その愛する娘に裏切られたようである。
彼女が敵方のスパイだとわかった瞬間に四郎が感じた、がくがくと視界が崩れるような衝撃は、ちょうど、スコッティやイヴァンが豹変したときに感じた自分の衝撃と重なる。浅野は、20世紀を生きる浅野和三郎であり、また13世紀を生きる厚東四郎でもあるのだ。そしてどうも、700年もの時を隔ててその両者が旅程に就くどちらの旅も、そのあちこちで忌まわしい呪いをかけられているようである。
なにか、深い意味がありそうなのだが・・・そして、僅かに関連もあるような気がするのだが。全体としてみれば、まだ、まるでわけがわからない。ひとつだけ、はっきりとした共通点は、その終点が「海峡」である、という点だけだ。
厚東四郎にとっての海峡は、おそらく、旅の目的地として彼の父親に名指しされた壇ノ浦、いまでいう関門海峡のあたりであろう。
もっとも、まず当時とはずいぶん海岸線が変わっている筈であるし、現代と中世では、地理的な名称に対するそもそもの概念が違う。
壇ノ浦とは、現代の地理感覚では、本州西端と九州とを分かつ長大な海岸線の、ほんの一部のみを指す呼び名であるが、当時そこは海を渡るためのほぼ唯一の渡路であり、延々と続く手付かずの自然地形のなかで、そこのみ特別に「浦」と名づけるに相応しい場所だったのだ。
すなわち、当時、壇ノ浦とは周辺の海峡全体を指し示すに等しい名称であったろう。厚東四郎は、そして彼と合一した浅野和三郎は、あの奇妙な中世の夢の中で、おそらく壇ノ浦を目指して旅を続けているのだ。
いや、しかし・・・あの夢の中、長府の国府で聞いた粢島のことが、浅野には少し引っかかった。平家の落武者部落の者どもが、夜陰に紛れて鉱石を輸出する隠し泊のすぐ沖に浮かぶその島は、おそらく関門海峡を廻り込んだ日本海側か、対馬海峡を望む海岸線のどこかに浮かんでいる筈だが、浅野は、そのような島の存在を、現代においてなにも聞いた記憶がなかった。
横須賀の海軍機関学校のすぐ南には、走水神社へと到る長大な馬掘の海岸があり、そのすぐ沖合に猿島という小島が横たわっている。そこには東京湾口を敵艦の侵入から守備する砲台と弾薬庫が設けられ、常駐する砲兵達は、たまに対岸の横須賀へ繰り出し、どぶ板横丁あたりにウサを晴らしに来る。浅野は、そうした何人かと、一杯呑屋で何度も大いに国防を論じ、日本の島嶼防衛についての議論などもしたことがある。
また、広く海軍のテクノクラートを育成するのを目的とした海軍機関学校の教練科目には、砲熕学も含まれており、日本の沿岸砲やその配置についての知識も、浅野が英文学を講義する生徒たちが習得しなければならない必須要目のうちのひとつであった。
このような環境に長年身を置き、軍事の専門家とまでは成らずとも、この数千の小島から成る列島を構成する要所の島嶼や離島の地理については、あらかたその情報を頭に入れている積りであったが、そんな浅野が、粢島のことをこれまで全く見たことも聞いたこともなかったのである。
勿論、夢のなかで出てきた島だ。実在しない島、本当に、ただの夢の島なのかもしれないが・・・。そしてもちろん、現実の存在であったとしても、その位置は関門海峡からやや遠く離れており、両者は地理的存在として、まったく別のものとして認識されるべきであった。
つまり、粢島は、海峡を指し示してはいない。
そして・・・いま、現実の自分にとっての海峡は、ドーヴァーではなかった。もちろん、あの小さなせせらぎのような、セーヌ川の流れでもなかった。では、海峡とは、いったい何処を指し示すことなのであろうか。
これから、浅野は、鉄路を辿ってまずスイスに行く。スイスのどこにも海はない。そのあと、ドイツの領域を辿って北へ移動しいったん英国へと戻るが、それはどこへも寄らぬ駆け足の旅である。そしてそのあと・・・次はアメリカ大陸だ。
これからしばらく、行く手に危険のありそうな海峡は存在しない。敢えていうなら、帰路のドーバー海峡、そしてサウサンプトンの湾口あたりか・・・しかし往路のドーバーではなんの危険も感知できなかったし、サウサンプトンでは、自分は世界有数の巨大な客船の上にいる。多くの人目も警備もあるそこで、なにか命にかかわるような変事が出来するとは、どうにも考えにくいことであった。
それでは、繰り返されるこの警告、ないし歓迎の予告のようなものは、果たしてなにを意味するのであろうか。
夜闇を走る列車最後尾の展望台の頭上に、とつじょ、あの粢島の断崖が現れ、浅野は膝から崩折れそうになった。
正確には、巨大な断崖の黒い影が、頭上からのしかかるように視界に入り、浅野を圧迫したのである。夜闇の中とはいえ、鉄路に沿って等間隔に立てられた黄色い灯火や、列車の尾灯の赤い輝き、そしてわずかな月明かりなどに照らされて、その荒々しい、しかしすっぱりと90度で裁ち切られたような幾何学性を帯びた巨大な平面が、ぐいぐいと眼前に迫ってきた。
しかし、やがて気がついた。列車はすでにスイス領内にぐんと近づいている。アルプス山塊の前衛の山々に分け入った、うねうね曲がる鉄路の上を走る列車が、夜目にはうんと間近に見える、最初の断崖の脇をすり抜けただけなのであった。浅野はホッとし、巴里駅でのイヴァンの豹変以来、また自分が正体の見えぬ敵にいささか脅え、神経過敏になっていることを自覚した。
山間に沈む夜の闇は、夢に出てくる中世日本のそれに似て、どこまでも昏く、どこまでも深かった。まるで、それ自体が大きな黒い海のようである。そのところどころに、ぼうっと灰色の島のように山影が浮き上がり、しばらく列車上の浅野と綱引きをするかのように行きつ戻りつ並走し、やがて後ろへ消えていく。よく見れば、いずれも山容はまだとてもなだらかなもので、粢島の、海中から隆起した剃刀の刃のような鋭さは、まったく無い。ここは、まだ平和なヨーロッパの領域だ。浅野はそう思った。
そしてまた、とても奇異にも思った。自分は、粢島の存在を知らない。位置も知らない。あの夢の中でもまだ話に聞いただけで、その姿を見たことはない筈だ。なのに、浅野はすでに、あの島の姿を知っている。数枚の剃刀が海中から直角にそそり立つさまを、明確に、こうと脳裏に思い描くことができる。
これは、いかなる思考の作用なのであろう?あるいはまた、なにか霊的な力が自分に及ぼす影響のようなものなのだろうか。
そういえば、粢島によく似た光景なら、既に見たことを覚えている。厚東四郎が彼の夢の中で、どことも知れぬ海の果で流れ着いた宏大な砂洲だ。そしてかなたに盛り上がった丘の向こう側、それを裏側から見上げたときの峨々たる山稜の影にそっくりなのだ。
しかしあれは、現実の地学の知識に照らして言うならば、およそあり得ない風景である。砂洲の裏側が、数百メートルにも及ぶ岩石質の絶壁であるなど!それは、夢の中ならではの、ただ想像上の産物であるに過ぎない。
しかしとにかく、まだ見ぬ粢島の姿が実際に現れたくらいならば、ここが自分の目指す海峡なのだろうか?浅野は、展望デッキの手すりを握り、闇を透かしてあたりを見回した。
列車はいつしか山間を抜け、ひとつの川を遥か眼下に望みつつ、これと並走していた。あるいは湖かもしれない。たしかに、大地に鋭く削りこまれた幾重もの細い皺々のなかに細く引き入れられたような水面は、柔らかな月光を反射してキラキラと輝き、まるでひとつの海峡のように見える。
・・・が、違う。ここはまだ通過点に過ぎない。終着点はまだ先だ。浅野には、本能的にそれがわかった。理由はわからないが、この奇妙な旅路には、まだまだ先がある。そして、その行く手には、知るべき秘密が横たわり、浅野が来るのをじっと待ち構えている。浅野は、なぜか、そのことを確信できた。
なにもかもが曖昧で、どこか思わせぶりだ。そして、こちらを茶化して嘲笑うかのような悪意に満ちている。浅野は、だんだんと腹が立ってきた。それとともに、イヴァン老提督と肩を組み巴里で共闘していたときの、あの烈々たる闘志が戻り、身体に、だんだんと力が漲ってくるのがわかった。
ふざけるな!
私の大切な親友たちの身体と舌とを勝手に使い、この私をおちょくり、脅えさせようとなぞ、しやがって。そうは行くか!私の名は、浅野和三郎。日本の英文学発展の草分けで、あのヘルン先生の弟子だ。そして、長年にわたり日本海軍の成長を支え、ここ10数年は心霊研究者また大本きっての審神者として、あまたの悪霊どもと対峙し、これを駆逐してきた男だ。貴様なんぞに、負けてたまるか!
「海峡は、まだだ。わかっているぞ!」
浅野は突然、闇の中で大きく声に出して言った。
「お前が、どこのどいつであろうと、私は必ず、お前の居るところに行く。そして、決着を付けてやる。だから、待っていろ。逃げるんじゃないぞ!」
その声は、同時に響いた列車の汽笛にかき消され、ばらばらに砕けて、夜の闇のなかに吹き流されてしまった。しかし浅野は、肩をいからせ、虚空を睨んで、そのまましばらく立ち尽くしていた。




