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海峡奇譚  作者: 早川隆
34/71

第二十七章   安貞二年(1228年)秋   長門国伊輪

すでに夜は明けつつあり、山影の向こう側、東の空が下方からしろじろと輝き始めていた。


桜梅(おうばい)老人は、四郎の指摘にはなにも応えず、軽く笑っただけで視線を部落の脇のほうにある、小ぶりな藁屋根の建物に移した。


「まあ、ひとまずは、そこもとがここに参った理由を聞こう。あるいは、なにか厚東からの伝言などもあれば、それもな。これ!」

部落の女をひとり呼び、人数分の白湯(さゆ)の用意を申し付けた。そうして、畳んだ鞭で軽く自分の腿の脇を叩きながら、ゆっくりと建物のほうへと歩き出した。


彼に続いて、四郎と狩音も屋内に入り、囲炉裏を切った板敷の広間に着座した。この部落において神のように(おそ)れられ、尊敬されている桜梅と、これからまるで共に食事でも()るかのような、のどかな雰囲気である。




やがて白湯が出され、喉の乾き切った四郎と狩音は、それを一気に飲み干した。桜梅も杯を傾け口をつけたが、それをまだ飲み終わらないうちに、言った。

「先ほどのお主の見立てじゃが、図星じゃ。見抜くとは、敵ながら天晴(あっぱれ)。儂は、たしかにかつて平維盛(たいらのこれもり)と名乗っておった。世が世なら、平氏の嫡子、()(もと)一等の武家の棟梁じゃな。」


「やはり。そして・・・。」

「なぜ、死んだ筈のその維盛がまだ生きておるか、であろう?」

桜梅、いや平維盛は、四郎の先回りをして、笑った。


「儂は今年で、七十になる。」

四郎は、頭の中で素早く計算して、だいたいそのくらいのはずと頷きはしたが、表情には驚きの色が隠せない。それなりに老け、頭は白いものの、とても七十歳には見えない、切れ長の涼やかな眼なのだ。


「思えば、長く生きてきた。些か、生き過ぎた程じゃ。じゃが、四郎殿が思うておるように、儂は本来、四十五(しじゅうご)年ほどまえに、死んでおった筈じゃった。そのあたりは、話せば長くなる・・・いや、まあ、待ち人が来るまでには、まだずいぶんと間があるでな、よかろう。話しておこう。」


維盛は、思い直したように言った。

そして、それまでの有為転変の人生を、ゆっくりと語りだした。




ちょうど平清盛が平治の乱で源氏勢力を一掃し、その絶対権力を盤石のものとした年に、彼の嫡孫(ちゃくそん)として生まれた維盛は、あらかじめ将来を約束された貴公子であった。当時の平氏の勢威は飛ぶ鳥を落とすが如く。全国の武士団はひれ伏し、民は皆々うち従い、都の公家どもも、 (おそらく内心では舌打ちしながらであろうが)特に造反する動きは見せなかった。


幼少の頃より公家風の(しつけ)を受けた維盛は、その(みやび)な仕草や美しい容貌から朝廷や公達(きんだち)のあいだでも際立って評判が高かった。平氏が一個の武士団から、やがて日本国を統べる一大政治集団に脱皮せんとするに際し、維盛は、剛直な武人でありながら政治向きの調整事にも長け、広く人望のある父・重盛のあとを継ぎ、やがて平氏棟梁としての地位を無難に手に入れるであろうと思われた。


やがて、京都政界の闇を自在に泳ぐ後白河院と平氏政権との間で水面下に緊張が生じ、事態は軍事衝突へと発展した。最初の以仁王(もちひとおう)と源頼政の蜂起に際し、維盛は若年ながら大将軍に任じられ、叔父・平重衡(しげひら)とともに乱の鎮定に首尾よく成功した。しかし、この最初の軍事的成功こそが、維盛の転落の始まりであった。


まだ若い初陣の維盛に代わり、実質的に軍勢を指揮し叛乱鎮定に尽力したのは、彼の乳父(めのと)であり、幼少時より(そば)に控えていた伊藤忠清という男であった。有能で勤勉な侍大将であったが、小部隊を進退させることには長じていても、兵站(へいたん)を軽視する悪癖があり、大軍を()べる技量と戦略眼には決定的に欠けていた。ところが、このときの小戦闘における水際立った武功が、そんな忠清に、技量以上の声望を集める結果となってしまった。




続いて東国で蠢動(しゅんどう)し始めたその他の源氏残党の叛乱に際し、祖父・清盛は、またも維盛を大将軍に指名し、征討軍の編成と、敵の策源地を直接叩く目的の長駆遠征とを命じた。しかし軍の進発は遅れ、自らの既得権が日々削り取られてゆくことに危機感を覚えた東国の武士団や寺社のあいだで連鎖的に波及する叛乱を鎮定するには、戦力が到底足りないことは最初から明らかであった。



遠征軍の士気は上がらず、進出距離の延伸により懸念されていた兵站線のか細さに起因する給養の劣化が、戦力低下にさらに拍車をかけた。富士川で東国の叛乱軍と対峙した時には、実質的に計算できる兵力は千に満たず、さすがの忠清も維盛に敵前で撤退を進言する。あらかじめ兵站に意を用いない彼自身の問題を棚上げした、帷幄(いあく)の参謀としておよそ場当たりで身勝手な言い分であった。


教養ある貴公子にふさわしい幅の広い思考で、撤退した場合の平氏の政治的得失について維盛が考えを巡らしているとき、闇に紛れて一番手柄を上げようと密かに渡河して来た源氏の挺身隊の接近に驚き、水鳥が一斉に飛び立った。これを聞いて、維盛は瞬時に決断し整然と戦場からの撤退を命じた。


撤退は、進撃よりも遥かにその実施が難しい。維盛は、年齢にふさわしくない沈着な指揮でこれをやり遂げ、烈々たる戦意に燃えた東国軍の鋭鋒を(かわ)して見事に軍を返したが、すでに帰路の兵站線は完全に崩壊しており、なかば飢えた討伐軍は、食を求めてあちこちに四散し、崩壊した。


維盛が京に戻った時には、付き従う主従は忠清はじめ僅か数十の手勢だけになっており、進発した時の美々しい有様と比較した京の町雀たちは、過去の多少の(そね)みを込めてそれを、「桜梅少将の惨めな大敗走」とはやし立てた。


こうして、東国から聞こえてくる、惨敗を揶揄する源氏側の宣伝と相俟(あいま)って、それまで京洛において群を抜いて高かった維盛の声望は、一気に地へと墜ちた。



すでに病と心労でそれぞれ清盛、そして父の重盛を(うしな)い、坂道を転げ落ち始めた平氏の命運は、このとき、もはや(きわ)まっていたといってよい。強力な求心力を失った政権は、内部分裂を起こし、自壊の兆候が見え始めていた。


かつてその中心核に据えられると思われた維盛は、後ろ盾をなくし、今また恥ずべき軍事的敗北の戦犯として蔭で密かに指弾され、すでに政治的には失脚状態になっていた。平氏の政権運営と軍権の行方は、あてどなき迷走を始めていた。


しかし翌年、ふたたび討伐軍を催して、尾張や美濃に威を張る源氏一党を討伐した時は、前年の失敗に懲りてあらかじめ兵站の維持を第一に考え、給養能力を超えた進撃を控えたため、維盛率いる平氏軍はその力を存分に発揮し、敵勢をさんざんに討ち破った。


すでにこのとき豊富な経験を積み、平氏における大軍指揮の唯一の熟練者に成長していた維盛は、自軍のすべてを意のままに統御した。ただ寄せ集めの在地武士団の集合体に過ぎないという構造的問題を抱え、富士川のときのように功を焦ってばらばらに墨俣川を渡河して来る源氏軍の動きを読み切り、これを待ち受けた。そして予想通りに迎撃して数百の首級を挙げ、敵戦力の根幹をその場に居ながらにして悠々と撃破した。


大将軍・平維盛(たいらのこれもり)は、単純に戦闘結果としてだけなら、富士川における敗北にお釣りをつけて返すくらいの重要な大勝利を挙げたのである。




平氏政権は、この維盛の偉功により、数年は延命した。しかし、八岐大蛇(やまたのおろち)のように次々と鎌首をもたげ、あちこちで蜂起する不死身の源氏どもを残らず撃ち滅ぼすことは、もはや至難のわざというべきであった。そのあとすぐ、北陸で起こった源義仲(みなもとのよしなか)の蜂起は、さらに広範囲で強力なものだった。相手の強勢に過剰反応した平氏は、ほぼ全戦力をこれにぶつけて、叛乱の根を断つことで一決した。


維盛はまたも大将軍に()されたが、今度ははっきりと、事前に敗亡が予測できるような陣立てであった。何よりも、前年の大飢饉の直後で、兵糧が足らず兵站を構築できない。また思うように兵士も徴募できず、とてもではないが遠征軍など編成できる状態ではなかった。維盛はそうと進言したものの、既に求心力を失い迷走を始めていた平氏政権は、(ことわり)よりも言い出した者の面子(めんつ)が先に通る末期症状を呈していた。


かつてのような権力基盤を持たぬ維盛の進言は無視され、そのまま成り行きで、ただ形骸ばかりの大遠征軍が京を進発した。足りない兵糧を進撃路の村落で奪い、足りない兵士を捕らえた農夫や安い給銭で雇った賎民や遊民で補った。このような(おぞ)ましい大軍が、勝利を得ることなど最初から不可能である。


戦う前から実質的に四分五裂していた魂なき大軍は、北陸の山中、砺波山(となみやま)の周辺に、地の利を得た敵軍の思惑どおりに誘致され、その狙い通りに巨大な山稜の窪みへと追い込まれて四散し、壊滅した。


今度ばかりは、本当に命からがらの逃亡であった。自らに責はないにも関わらず、平氏の形式的象徴として、またも多くの嘲笑と愚弄とに(さいな)まれることに嫌気がさした維盛は、ここで、一門からの離脱を、はっきりと心に決めた。




(ちまた)の噂では、気の弱った、惰弱(だじゃく)(わし)が軍中よりふらふらと抜け出して、そのまま世をはかなみ補陀落渡海(ふだらくとかい)してしまったことになっているそうな。」

平維盛、今は桜梅と名乗る老人は、そう言って笑った。

「いや、儂は、その後も軍中に留まった。だが心はすでに、軍の外に()った。いや、この国を二つに割ったくだらぬ似た者同士の内輪揉めに、ほとほと嫌気がさしていたのだ。そこで、軍中ひそかに同志を募り、時を見計らって離脱し、適地を探してそこに自らの拠点を作ることに決めておったのじゃ。」


「そして、それを実行した、と。」

「壇ノ浦の前、ちょうど、おぬしの父が我らを裏切った後のことだの・・・厚東が背いたことで、もはや戦況は絶望的になった。軍は長府の近辺に在り、幼き安徳帝と周りの公達(きんだち)は、みな豊浦宮におわした。儂は忍んで参り、数名をかき口説いて、三種の神器のうち、最も重く搬送に手間のかかる一つのみ、持ち出すことが出来た。」


「それが、いま、腰に差しておられる・・・。」

「その通りじゃ。これが、草薙剣(くさなぎのつるぎ)よ。かつて、八岐大蛇(やまたのおろち)の尾の中から素戔嗚尊(すさのおのみこと)が奪い、のちに日本武尊(やまとたけるのみこと)の手に渡って火を払い海を渡った、あの伝説の、帝の(つるぎ)よ。」




「手に、取ってみるか?」

維盛は悪戯っぽく笑い、四郎に問うた。

「まこと畏れ多いことではござるが、是非に。」

四郎は言った。


維盛は腰に提げたそれを掴み、紐を外して四郎に手渡した。

気軽な、ややぞんざいな手付きであった。




四郎は両手で受け取り、頭上に捧げて一礼したあと、くるりと空中で一回転させて、まずその光沢を帯びた焦茶色の鞘を見た。


おそらくは、北国(ほっこく)の海棲獣と思しき皮を裏返したもので、かなりの長い時間と手間をかけて油を染ませ、柔らかく(なめ)してある。手に持った感じは、まるでか細い猫の毛を撫でるが如く。しかし同時にとても強靭で、中に収めた剣の刃から持つ者の掌を(まも)ると同時に、その刃先をも柔らかく包んで保護する、世にも珍しい皮革の鞘であった。




そして、いよいよその中身である。四郎は、見たこともない様々な意匠を凝らされた独特の粢鍔(しとぎつば)に目をやった。通常の太刀の(つば)とはまったく違い、なにか、分厚く四角い金属の塊に直接、穴を空けて柄と刃を接続したような、少なくともこんにちの日の本では見られない形状である。手入れは行き届いているようであったが、ところどころに(あお)く美しい緑青(ろくしょう)が浮き、少なくともこの粢鍔の部分については銅製であることが覗いしれた。


柄には、滑り止めの薄い皮が巻いてあったが、その形状はまた本邦の太刀とは全く違うものであった。四郎はそれを握り、そろりと鞘から剣を引き抜いた。


鞘の形同様、その剣は一切湾曲しておらず、まっすぐであった。いや、(しな)やかな鞘のほうが、その中身の形状に合わせて、まっすぐに引っ張られていたのである。


刀身の形状、また刃のつき方は、またも独特の見たこともないものである。片刃ではなく両刃であり、全体に肉厚で、鉄製の日本刀特有の鋭さは無い。刃の切れ味より、刀身の肉厚と全体の重量とで、対象物を、断つというよりは叩き潰すための武器であることは明らかであった。


四郎は、柄を手に取り、掌のなかで数度揺すって具合を確かめた。全体に、日本刀よりもずしりと重い感じがする。しかしそれは、おそらくこの剣の厚みと、幅広の形状から来る質量の差である。金質は上等なはずだが、決して無意味に重い訳ではない。




四郎は維盛に眼で合図し、そのまま後ろに少し下がって、膝立ちのままその剣を振るった。ブン、と音がし、虚空が裂けるような風圧が生じた。上から。右から。そして返す刀で左から。


「まこと、好い具合じゃ。」

思わず、四郎の口をついて出た言葉である。


日本刀ほど細身ではないため、振るう時には空気の抵抗を感じて然るべき形状であるが、不思議なことに、この刀にはそうした抵抗が一切、かからなかった。また、手に持てば重いが、いったん振り出せば、とても軽い。釣り合いが、とても絶妙であった。


四郎は、初めて振るうこの剣に、なにか懐かしさを感じた。

そして、気づいた。


この剣を振るうときの手応え、そして振った際の感触は、自分が霜降城の奥山で、山風に見守られながらひとり樫の木を削り自作した、あの自身の木刀のそれとそっくりなのである。もちろん、銅と樫とでは比重がまるで違う。しかし木刀のほうは刀身により厚味があり、ところどころ鉄を埋め込み要所を補強してある。おそらく両者の重量と釣り合いは、とてもよく似通っている筈であった。


四郎は、この上古の(たっと)い神刀が、すっかり気に入った。しかしこれは本来、帝の持物である。また、現在は目の前に居る平維盛が奪い、所有している剣である。自分はいわば、彼の(とら)われの身だ。ひとまずは、鞘に収めて返さねばなるまい。




「わからないことがござる。ぜひお教え願いたい。」


四郎は、剣を鞘に収め、(うやうや)しく両手で維盛に返してから、改まって言った。

「そもそもなぜ、この剣を帝から奪われたのか。そして、なぜいったん土中に(うず)め、それを今になりてわざわざ大掛かりな策など用い、部落の手下や郷人(さとびと)どもを使うて掘り出されたのか。」




「奪った理由、そしていったん(うず)めた理由は、同じだ。」

維盛は、薄く笑いを浮かべながら、言った。


有体(ありてい)に言おう。この儂の、野心のゆえよ。いったん山中で力を蓄え、いつか時を得て長府へと降り立ち、海をふたたび手にしたときのため。そのとき儂が打ち立てる国の正統(しょうとう)を説くため。京や鎌倉の(くびき)から解き放たれ、この地に儂が、()って立つときの証だ。」


「なるほど・・・そしてその際、我ら厚東の存在は、おそらく大いに邪魔になりますな。」

四郎は、こう挟んだ。が、維盛は顔色も変えず、簡単に言った。

「我らに従えば、道は開けよう。だが、まつろわぬときは・・・滅ぼす。」


「そのようなことが、できるとお思いか?そして、また御剣(みつるぎ)をわざわざ(うず)めた理由が、よく分かりませぬ。」

四郎は、険しい眼で、不思議そうに言った。


「分らぬか?あくまで、この国を外敵から鎮護するためと称し、帝のお傍からこれを持ち出したからの。その場で(うず)め安心させておけば、奴らはほどなく平氏と運命を共にし、戦場の露と消えよう。儂は、山中深く逼塞(ひっそく)し、ただそうなるを待てば良い。」




「なんと不忠な。一応は、維盛殿も帝の臣下でありましょうぞ。そして、平氏の嫡流。」

四郎は、呆れたようにこのもと貴人の心得違いを責めた。


「そのくだらぬ身分秩序に()いたのよ。(いくさ)の何たるかも知らず、ただ己の地位と財産と意地を守らんがため儂を小突き廻し苦しめ続けた、あの阿呆ども。そしてその阿呆に担がれた、なんにもできぬ無力な幼帝。あんな奴ばらの為に、この儂の生涯を捧げることなど、愚の骨頂。儂は、儂のために、ただ儂の流儀で生きると決めたのじゃ。」


大相国(だいしょうこく) (清盛のこと)は、おそらく泉下(せんか)で泣いておられましょうぞ!亡き御父上(おちちうえ)も。」

「ふっ・・・儂と同じだけ、理不尽な目に()うてみい。自らになんら責なきことで、さまざまな罵声と陰口と嘲りとを、ずうっとずっと浴び続けてみい。そして、幾千幾万も死者の身内の声無き呪詛を、数年に亘りただその一身に受け続けてみい。お主も儂と、きっと同じ気持ちになるて。」


維盛は、四郎の諫言(かんげん)を一顧だにしなかった。そして続けた。

「そのあと、掘返す必要もないことに気づいた。とりあえず、そのままにしておけば良い。なまじ今のように身につければ、維盛が生きて神剣を帯びていると噂が廻り、あちこちから狙われよう。剣は、仲哀帝ゆかりの御神体の真下じゃ。手をつける者など居らぬ。そして、秘密さえ守れておれば、いつでもまた舞い戻って、掘り出すことができる。帝の権威とは、斯様なときだけ、げに便利なものじゃのう。」


「なぜ、その秘密が守れると分かるのです?秘密など、いつかどこかから、漏れるもの。」


「その心配は、ない・・・この秘事に関りし者みな、残らず斬り棄てたからの。」

維盛は、こともなげに言った。




さすがの四郎も、あまりのことに、しばらく絶句した。


自分はどうやらいま、来るまえ話に聞いていた、墓より彷徨(さまよ)()でてきた死者の亡霊と向かい合い、話をしているようである。この亡霊は、生身の人間だが、しかしいかなる亡霊よりも(おぞ)ましく、汚らわしく、どこまでも(しょう)酷薄な、まさに化物のような男である。


四郎は、自らの心に鞭を打ち、気を取り直して、聞いた。

「それを・・・そうまでして埋めた剣を、今になりてふたたび掘り出された理由は?」


しかし、維盛は取り合わなかった。こう言った。

「そのことは、あとで話そう。妖かしや怪力乱神を信じぬことで長門国中に聞こえた四郎忠光どのが、信じるかどうかはわからぬが、の・・・しかし、それよりも先に、今度はお主の話だ。一体、ここまで、厚東の御曹司が、のこのこ何をしに参った?」




「先刻は、すでにご承知のご様子でしたが。」

四郎は言った。

「お主が来ることは、わかっておった・・・こう、言われませなんだか?」

維盛は、鼻で笑い、答えた。

「それは、お主の動きを、こちらが逐一把握していた、という意味じゃ。来た目的までは知らぬ。」


「そこも解せぬ。我らは、霜降を出てよりこれまで、常に人にわからぬ順路を取り、行く手をうまくごまかしながら、ひっそりと参った。長府では、あるいは人の眼に触れたかも分からぬ。しかしそれから以降も、意表を衝き、むしろ指示された順路の逆を進んでここに至り申した。」


四郎は、素直に疑問を口にした。これは、主として多々良から付けられているに違いない監視の眼を(かわ)すためになした用心である。そして、それを上手くやり遂げた手応えもあった。同行している狩音も、ただの女ではない。山育ちの草の者で、密やかな移動については最高度の熟練を積んでいる。


なのに、なぜ?

なぜ維盛は、儂らの動きを知っている?




「先にも言うたが、長府から直接、この部落に参ったについては、完全に裏をかかれた。」

今度は、維盛が素直に認めた。しかし、こう続けた。

「しかしそれ以外の動きは、ほぼ正確に、数刻遅れで儂のもとに報が届いておった。最初は、いったん霜降の城域内に舞い戻ったな。おそらく、お主の母上が囚われておると聞く牢に戻ったものと推察しておるが。そして道なき道をたどり、素早く長府へと至った・・・種を明かせば、お主の背中に、多々良の忍びが貼り付いて、ずっと動きを追っていての。儂は、実は多々良と裏で手を結んでおる。」


「なんと。既に多々良と、山中の平氏に、同盟が成っていると仰せか!」

「まだ、あからさまな攻守同盟などではない。もっとひそやかで、微妙な黙契(もっけい)じゃ。すなわち、我らが山中で蠢動(しゅんどう)し、鉱産を多少持ち出すことを多々良は黙認する。反対に、厚東の領域内で我らが知り得ることなどを、多々良にもいくらか知らせてやる。この程度の、ほんの善隣関係よ。これ以上、派手にはっきり手を結ぶと、必ず厚東と、そしていずれは六波羅に偵知される。それはまだ、まずい。」


「そは知らなんだ・・・そして、わが背を常に追う多々良が居ったとは!すべて監視の眼を躱し、完璧に動きを秘匿したものと思うておうたに。我が至らなさよ!」

四郎は、自らの未熟と、敵手の底知れぬ熟練に、うなった。


「多々良にも、そちに負けぬ手練(てだれ)()るということじゃ・・・四郎殿、手強(てごわ)き敵が四囲に多く、大いに武者修行の励みになるのう。」

維盛は、まだ若い四郎の困惑を、まるでわが子を(いつく)しむかのように眺めた。そして視線を、脇に座る有能な四郎の同行者へと移し、その小さく細い、たおやかな身体を、上から下まで舐めるように観察した。


そして・・・笑いだした。




「はっ、はっ、はっ!もう我慢がならん!」

維盛は、意地悪そうに破顔し、爆笑した。


訳のわからぬ四郎が、この突然の維盛の非礼を責めようと身を乗り出したが、維盛は、すまんすまんと言いたげに手を上げ四郎を制した。

「もう、すべて(たね)を明かそう。良いな狩音殿。」

脇に座った、狩音の名を呼んだ。


この男に儂は、狩音の名を教えたか?

四郎は、戸惑った。


維盛は笑いながら、続けた。

「お主の背にずっと貼り付いていた忍びとは、この娘子(むすめご)のことじゃ、狩音じゃ。」

「なにっ!」

「お主は、知らずにずっと多々良の忍びと旅をし、共に添寝をし、ここに参ったという次第よ。狩音は、多々良でも第一等の優れた忍びじゃ。怒るな、怒るなよ。」




四郎の意識のなかで、なにか、あらゆるものが一斉に弾け、破裂した気がした。そして、ほんの一瞬だが、目の前が、ぜんぶまっくらになった。

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