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海峡奇譚  作者: 早川隆
32/71

第二十五章   安貞二年(1228年)秋   長門国伊輪

厚東四郎忠光は、後ろ手に縄を掛けられ、二人の番兵に得物を突きつけられながら、落人部落の奥にある広場に(ひざまず)かされていた。


蛭金(ひるがね)をぐるぐる巻きにした長柄(ながえ)薙刀(なぎなた)を構えた一人の番兵が、ただその(きっさき)を突き立てるのではなく、(しのぎ)の部分をぐいと四郎の首筋に当て、血管が浮き出るくらいに強く押し付けていた。彼の細い眼はめらめらと憎悪に燃え、号令さえあればいつでも斬れる態勢をとっていた。


もうひとりは、短い片鎌槍(かたかまやり)を左手で四郎の腹に突きつけ、右手には抜身(ぬきみ)の刀を握り、まったく感情を浮かべず、跪き、俯かされている四郎に、ただ上から冷たい視線を投げかけている。




やがて、広場の奥にある平屋の大きな番屋から、のっそりと大きな影が出てきた。おそらくこの、伊輪という実質的な山砦の首領であろう。彼は、ゆっくり歩いて近づいてきて、冷たい眼をした番兵の右手から有無を言わさず刀を奪い取ると、刀身を月の光にかざし、まず、まるで斬れ味を想像するかのように舌なめずりをした。虎髯(とらひげ)を生やした、大きな男であった。


「厚東の御曹司(おんぞうし)、とな。これは驚いた。」

彼は、破鐘(われがね)のように腹に響く大きな声で、四郎に呼びかけた。

「まさに、飛んで火に入る夏の虫・・・いや、もう、秋も随分と深まっとるがな。」

周囲の荒くれどもが一斉に、この首領のつまらぬ冗談へ(おもね)るような下卑た笑い声をあげた。


「四郎忠光、と言うたな?」

彼は、番兵に聞いた。番兵は、冷たい顔で頷いた。

「誰か、この者が本当に四郎か、わかる者はおるか?」

首領は、広場に集まってきた数十名もの荒くれどもに尋ねた。


すかさず、後ろのほうから声が飛んだ。

「たしかに、其奴(そやつ)は四郎でさぁ!おいら、霜降の城に忍び込んどった頃、何度も見かけました。」

「こら、余計なこと言うな!」

誰かがたしなめたが、虎髯は構わずに言った。

「なに、別にもう構うこたあねえ。此奴(こやつ)の命も、あと僅かの間よ。」

また、数十名の男たちの、低い笑い声が起こった。




「さてさて・・・四郎どの。」

虎髯は、面白そうな表情を浮かべて、奪った刀の(むね) を四郎の顎に当て、そのままぐいと持ち上げた。分厚く(いおり)のきつい棟が、冷たい(はがね)の感触と共に、顎の骨へと喰い込んだ。

「おう、これは、御身分に似合わず、いかついご面相の御曹司じゃ。わしらの、仲間にも加われそうだの。」


周囲の男たちは、今度は笑ってよいのか、あるいは舌打ちでもして拒否する態度を取ったらよいのか、少し迷ったようだった。

四郎は、すかさず口を開いた。

「別に、仲間に()りに来たわけではない。だが、仲良うは成れようぞ。」


「なに!」

虎髯は叫び、刀身をひっくり返して、今度は棟ではなく刃のほうを頸に当て四郎を威嚇した。

「勝手ほざくと、今すぐ頸が飛ぶぜ!てめぇ、舐めると承知しねえ。」

薙刀がより一層ぐいとうなじに喰い込み、片鎌槍(かたかまやり)が被服を裂いて腹の筋肉に触れた。




四郎は構わず、鼻息がかかるほど間近にある虎髯の顔に向け、冷静に言った。

(わし)は、使者じゃ。霜降からのな。長門国主の名代であり、守護代の代人でもある。いくら憎かろうと、まずは縄を解き、座につかせるくらいの礼は示したらどうか。そち()も、平氏の末裔(すえ)なのであろう。武士(もののふ)同士、たとえこれから組討(くみうち)を為すとしても、その前にまずは一応の礼を示すことこそ、道に(かな)ってはおらぬと思わぬか?」


「へっ、へっ、へ・・・ほざきやがる!」

虎髯は、酒臭い息を吐きながら、大笑いして言った。

「これから、(くび)をごりごり()き落とされるっちゅうのによ!さすが、悪逆厚東(ことう)の糞餓鬼じゃい、くたばる(きわ)でも、糞度胸だけは()わってやがる!」


「お(かしら)、さっさと斬っちまおうぜ!」

苛立った誰かが、虎髯に声を掛けた。

「まわりに聞こえると、いろいろ面倒だぜ!さっさと斬って、逃げようとしたとか、あとで言やあいい。俺らみんな、口裏合わせっからよ!」


「すると、本当は、勝手に斬ってはならぬのだな。」

四郎は、今度は少し大きな声で言った。

「お主ら落人(おちうど)達の掟かなにか知らぬ。だが、捕えた余所者(よそもの)を、詮議せず勝手に処断してはならじ、という決まりがあるということだな。」




「うっせえや!」

虎髯が逆上し、地面を蹴りつけて、その大きな体が宙を飛んだ。


ぶん、と大きな音がし、手にした刀が空を切ってピタリと四郎の脳天を捉えた。寸止めである。見事な腕前だった。得物を突きつけていた二名の番兵は、首領の勢いにたじろいで、その場に尻もちをついた。




虎髯は、なおも酒臭い息を吐きながら、こう言った。


「誰にも指図はさせねえ!この伊輪は、俺の縄張りだ。俺が指図して、殺したい奴は俺が殺す!てめえ、舐めたことばっか言うと、今すぐ頸が飛ぶぜ!」


四郎は表情を変えず、声音も変えずにこう返した。

「これは、おっかないのう。お主()を舐めてなど()らんのだが。むしろ、立派で堅固な山砦だと、賛嘆の気持ちを持っておる。お主の、いまの刀(さば)きも物凄い限りじゃ。この伊輪はまさに、手練(てだれ)の集まりだの・・・だから、当然のこと、考える頭もあろう。儂の縄を、まずは解いたほうが好いぞ。悪いようにはせん。」




「てめえ、いったい、何しに来やがった!」

虎髯は、大地を踏みしめ、両腕を振り回しながら、大声で(わめ)いた。

「村の備えをここまで全部見られて、てめえを無事に帰すわけ、ねえだろうが!それがわかってて、なぜ来た?え、教えろやい。まともな答えをすりゃあ、ほんの少しの間だけは、生かしておいてやる!」


「それは、誠に有難い限りだな。だが、縄を解き、客人(まろうど)に対する礼を示すまでは、儂にも物部(もののべ)の意地がある。来た訳を言うわけには、いかん。」

「何だと!」

「物部、と言うたのじゃ。そちが平氏の末裔(すえ)なら、儂は厚東の一族じゃ。お主ら源平藤橘(げんぺいとうきつ)が、この扶桑国(ふそうのくに)にまだその影も形もなかった頃より、この国を(まも)り、この国を()べていた(いにしえ)の名族、物部氏(もののべうじ)の末裔じゃ!頭が高いぞ。」




「こいつ・・・本当に儂を怒らせやがったぞ!」

虎髯は掌に唾を吐き、刀の柄を握り直して、腰だめに構えた。

()(くび)、跳ね飛ばしてくれる!動くんじゃねえぞ!」


そう言って五、六歩ほど間合いを取り、眼光をぎらつかせ、

「キエーッ!」

と叫んだ。そしてその勢いのまま、突進して来た。

本気で四郎を斬りに来たのだ。


だが、彼は目的を達することなく、三歩目でその場にもんどり打って、倒れた。右手にどこからか放たれた矢が突き立ち、(やじり)が虎髯の上腕の血管を抉って、勢いよく黒い血飛沫(ちしぶき)が飛び散った。


「い、(いて)ぇ!痛ぇ!痛ぇ!」

虎髯は、その場で跳ね廻りながら泣き叫び、全身を痙攣させ、ぼとりと刀を取り落とした。


この落人部落の荒くれども数十名は、廻りを取り囲みながら、ただ呆気にとられていた。そして、その間をすり抜けるように小さな黒い影がついと疾走(はし)り、四郎めがけて広場を駆けた。そのまま腕を肩から後ろに廻し、背に斜めに掛けた棒状の物体を外して中空に(ほう)り上げ、そのまま四郎へとぶつかった。


すると、四郎を縛めていた縄がぱらりとほどけ、ちょうどそこへ落ちてきた木刀を、四郎はがっしりと受け止めた。小さな影は、そのままくるりと反転すると、四郎の背中にぴったりとくっついて反対側を向き、小刀を下に向け構え、あたりの荒くれどもを威圧する態勢をとった。




「お見事!さすがは狩音じゃ!」

四郎は木刀を上段に構えながら、後ろにくっついた小さな影に向かい、感極まった声で言った。

「なに呑気なことを!いま腕の立つ賊ども三十七名に囲まれています!」

狩音は、短く四郎を叱った。


四郎は頷くと、そのまま斜め前に駆けて闇の中に溶け込み、周囲の賊塊(ぞっかい)の後方に廻り込むような動きを取った。つられて皆の眼がその動きを追い、見失って元に戻ると、そこに居た狩音の姿も消えていた。


やがて、夜闇のあちこちでごつごつ鈍い打僕音と叫び声が上がり、頭蓋骨が砕け、頸がひしゃげ、数名が次々と膝から崩折れる音がした。別の方角では、もっと短く鋭い断末魔の悲鳴が上がり、それらは次々と連鎖して、尾のほうが重なり連なる合成音となって、広場に(こだま)した。




夜闇のなかの、二対三十七。四郎と狩音にとって、他になにも選択肢はなく、なすべきことは明白であった。


ただ突き、斬って、(なぐ)り続けること。あたりに存在する、木偶(でく)のような物体に先制攻撃を仕掛け、一撃して、すぐに退く。そしてそのまま闇の中を疾走り、別の木偶に襲いかかり、これを一撃する。狙いをつける暇はない。ただただ、手数がすべてだ。


斬って、突く。そして動く。ひとところに、決して留まらない。一撃のみで、二撃目は加えない。そして次に掛かる。二人は、ただこの原則だけを忠実に実行し、ところどころ篝の炎に照らし出された敵の集団の周囲を駆け巡って、合計二十撃ほどを加えた。


たちまち、手練の賊どもの半数ほどがその場でもんどり打ち、地に伏してのたうちまわり、あまりの苦痛に叫び声を上げていた。残った半数は、ここに来て急速にこの奇襲から立ち直り、相互に警告の叫び声を上げながら背中合わせで円形に固まり、全方位に向け得物を突き出して、漸く小康を得た。


手練(てだれ)の賊どもの立直りは(はや)く、見事なものであったが、それでも戦闘力の半分を、この僅かな間に喪っていた。




「やい、てめえら!姿を見せやがれ!」

虎髯のあとを受けた賊どもの長が、闇に向かって叫んだ。


その足元には、あちこちに倒れ伏した彼の仲間が地面にのたうち廻り、叫び声や、鳴き声や、苦痛のうめき声を上げ、長の声を覆ってかき消した。賊ども十数名たちから成る、この俄仕立(にわかじた)ての方円(ほうえん)の陣は、互いにばらばらな方角に足を()らせ、互いの脹脛(ふくらはぎ)を蹴りつけあっては、右に左に、不安定にゆらゆらと震えた。




「形勢互角、というところだな。」

闇の中から、四郎の声が響いた。

「まだ、()れるぞ。死にたい奴は前へ出ろ!」


「じゃかぁしいや!汚ねぇ手を使いやがって!てめえ達、生きてこっから出られると思うなよ。やい!」

遠くのほうに向け、ひときわ大きく叫び、

「さっさと門扉を閉めろやい!こいつら閉じ込めて、ゆっくりとなぶり殺しにしてやる!」


四郎は、もう何も答えず、闇の中にただ黙って立った。

周囲に立っていた(かがり)は、もう残らず蹴倒されて、広場は真っ暗闇である。


ただ遠くの空から、月がうっすらとした影を投げかけ、(ようや)く闇に眼の慣れた賊どもは、かなたにぼうっと浮かび上がる、筋骨隆々とした大きな男の影と、数間ほどの間を空けて立つ、そのほんの半分くらいの小さな影とを同時に見ることができた。


「ちっ、二人だけかよ!」

さきほどの、長の声が響いた。

「野郎ども、二人にやられたとあっちゃあ、俺たち伊輪党の名折れだぜ!なにがなんでも()るからな!心して掛かれ!」


おう、と応える賊どもの声が、ひときわ高く闇を震わせた。ここに来て形勢は逆転、状況を把握し奇襲の衝撃から立ち直り始めた賊どもの士気が高揚した。




だが、彼らの不退転の決意も、そう長くは続かなかった。


門扉の横に(しつら)えられていた、背の低い物見台の上から、ひとりの番兵が大声でこう叫んで来たからである。

「まずいぜ、まずいぜ!佐々実(さざみ)気取(けど)られた。そう知らせてきてやがる!」


佐々実は、ここから谷ひとつ離れた隣の部落である。源平合戦以前より存在していたが、守護代も把握していたとおり、伊輪同様、今では実質的に平氏の落武者部落であった。


番兵は、この佐々実の物見台から、あらかじめ決められた個数の松明を規則的に動かして相互に意思を伝達し合う独自の信号により伝言を確認し、佐々実部落が、伊輪での異変に気づいたことを知らせてきたのであった。




瞬間、方円に固まった賊どものあいだに、緊張が走るのがわかった。

「なんで、なんで佐々実に知れた?誰か松明で知らせやがったのか?」

先ほどの長が、広場から物見台に叫んだ。物見台からはこう帰ってきた。

「なんで、って・・・さっき山のほうから誰か合図してただろうがよ!」


賊たちは、いっせいに背後の山肌のほうを見上げた。先ほどまで狩音が、あちこちに設けられた武者溜りや監視哨をくぐり抜けて斜面を駆け下りた、あの落葉に覆われた山肌である。


だが、そこに在るのは、ただとっぷりと大きな闇。わずかな月の光に照らされて、黒い、大きな山の影があるのが判るだけである。松明の炎など、どこにも見えなかった。




「おい、どういうこったよ!誰が知らせやがった!」

長が、ともに方円の陣を成す仲間達に向かって怒鳴った。


さきほど広場で始まった、虎髯による四郎の処刑は、この退屈な山砦暮らしに飽いた伊輪党の賊どもにとっては、最高の気晴らしであった。誰もが、この見世物を見逃すまいと、山肌の自分の持ち場を放擲(ほうてき)し、残らずこの広場に降りてきていたのであった。


だから、先ほどのひりひりするような緊張感満点の虎髯と四郎とによる問答のあいだ、背後の山肌で、隣の部落に向け、ゆるゆると動いていた松明の灯りに気づいた者は居なかった。ただ、物見台の番兵だけが、やや不審に思いながらそれを視認したものの、送られていた伝言の内容までは確認しなかったのである。


長は、はっきりと逆上した。

「ちくしょうめ、裏切者が居やがる!誰だ、前へ出やがれ!」


誰もなにもせぬまま、形勢はふたたび逆転した。いったん立直り団結した賊どもの連携はまたも崩れ、互いに対する猜疑の心が、本来は鉄壁というべき、方円の陣の護りの堅さを、いささか緩くした。




闇のなかで、四郎は状況を考えた。


あの動揺、いや恐惶(きょうこう)をきたした方円に、いまひとたび狩音とともに襲いかかれば、追加で数名を確実に倒せる。十数名を、さらに半分ほどにし、そのあとで呼びかければ、あの威勢のよい賊の長も、気持ちが折れて休戦に応じるかもしれない。話をするなら、そのあとだ。だが、これだけ多くを傷つけ、数名を (おそらくは)(ほふ)っておいて、いきり立つ奴らが、休戦の約定(やくじょう)をいつまで守るものか・・・。


だが、四郎の思考はその場で中断された。ふたたび物見台から、慌てた声で番兵の声が飛んできたからである。


「おうい、()めだ、やめだ!今すぐ止めろやい!桜梅様(おうばいさま)が、こちらへ来られるそうだ。」


「なんだと!」

方円から、長が叫んだ。

「おう、そうよ!今、松明読んでるとこだァ・・・ええと、トリモノヤメロ、ゾクハコロスナ、ソノママ、マテ・・・おい、佐々実(さざみ)じゃあ、こっちの有り様が、とうに丸見えのようだぜぇ!」




桜梅(おうばい)様。


その名はなにか覚醒を促す魔法の呪文のように、方円の陣を成す伊輪一党へと、またたく間に作用した。それまで、狩音と四郎に対する復仇(ふっきゅう)鏖殺(おうさつ)の意欲に(たぎ)り立つようであった彼らの戦意がみるみるうちにしぼみ、()えていくのがはっきりとわかった。


彼らは円を成すお互いの顔と顔を見合わせ、舌打ちし、あるいは天を仰いで嘆息し始めた。数名が手にした得物を前に抛り、あるいは鞘に入れ、またあるものはそのまま(きっさき)を地面に刺して、まだ得物を抱えて立つ彼らの敵わずか二名に、戦闘の終了を無言のまま一方的に告げた。


やがて、方円をかき分けて出てきた男の影が、手にした刀と空いたほうの手を同時に横に振って、こう呼びかけてきた。先ほどの、虎髯のあとこの一団を指揮していた声だった。

「おい、おめえら、いったん休戦だ。おめえらが手出ししなけりゃ、こちらもしねえ。このままその場で座れ。俺たちも座る。」


そう言うと、刀を収めて座り込み、腰紐をほどくと、(さや)ごと脇に(ほう)って、それを指さした。

「どっちみち門扉は閉めてある。もう逃げられねえよ。このまま桜梅(おうばい)様を待つんだ。そのお裁きに従え。」




たしかに、その言葉は正しく現在の状況を指し示していた。優勢の内に戦闘を進めていた四郎と狩音だったが、その優位は奇襲の衝撃効果が期限切れになると共に、すべて喪われた。いま、この伊輪党の手練(てだれ)どもは精神的に立直り、身内の裏切者への猜疑心に(さいな)まれながらも、なんとか状況を把握し急速にその戦力を回復しつつある。これまでの、暗闇の中で右往左往していた烏合の衆とは違い、今後はきちんと勘定通りの力を発揮するはずだ。そうなると、さすがに二人だけの厚東勢に勝ち目は、ない。


また、門扉が閉められ、彼らに逃げ場がないのも事実であった。狩音が滑り降りてきた山の斜面は、下から駆け上がるには急峻に過ぎ、たとえそれに挑んだとしても、のろのろと登り切るまでの間に、下から闇を透かして弓矢で悠々と狙い撃ちされてしまうであろう。


また、相手の伊輪党は、こうした小戦闘に熟達した集団であった。この状況を察し、もう松明の炎がふたつ、斜面を上り始めていた。先ほどまで居た武者溜りへと戻り、忍んできた曲者二人の唯一の退路を絶って、引導を渡すのだ。窮鼠(きゅうそ)を締め上げ、これに精神的な打撃を与えるため、もっとも効果的な策であった。




四郎は、言った。

「よし、わかった。こちらも得物(えもの)を置く。こうなるは、我が意ではなかった。」

「うるせえ!何も言うな。余計なこと言われっと、またおめえを殺したくなる!」

先ほどの長が、そう吐き捨てた。四郎は苦笑いして頷き、そのまま黙った。




戦闘が終了したことを見計らい、部落のあちこちから女や子供が湧いてきて、方円のあちこちに散らばった死体やけが人のもとへ群がった。水を呑ませ、汗や土埃を拭き、心配そうに話しかけては手当をする。倒された(かがり)が直され、ふたたび火が入れられ、あたりは真昼のように明るくなった。やがて、薬師(くすし)を兼ねているらしい僧形(そうぎょう)の男がやってきて、なにごとか指示を出し、何人かの身体を屋内に引きずっていかせた。


近親者を倒されたに違いない、女や子供の数名が、ぎらぎらと射抜くような眼でこちらを睨んでいるのがわかったが、休戦協定は遵守され、四郎と狩音のほうに手出しをしてくる者はいなかった。二人は、ひとところに肩を並べて腰を下ろし、先ほどの戦闘で酷使した木刀と小刀、それに狩音が山の斜面で忍んでいる間に急きょ木を削って自作した即製の弓は、そのまま傍らに放り出してあった。




半刻(はんとき) (一時間)ばかり経過すると、山のかなたから微かな響きを感じるようになり、それはやがて身を震わせる大地の振動となって、徐々にこちらのほうへ近づいてきた。そして門扉が開かれ、伊輪の山砦の奥庭は、そのままどうと乗り入れて来た二十騎ほどの武装兵で見る間にいっぱいになった。


夜道をよほど急いで駆けてきたのであろう、どの馬も激しく息をつき、汗が(したた)り落ちて周囲の寒気に触れ、白い湯気となって闇へと消えた。


一団の先頭に居たのは、ひとりだけ顎紐をかけた立烏帽子(たちえぼし)狩衣(かりぎぬ)姿の痩せた老人で、真白い鬢に皺深い顔をしていたが、目鼻立ちの秀でた非常な美形で、背筋はぴんと立ち、遠くからでも風格を漂わせる貴人だった。


この高貴なる老人は、片手を軽く上げて隊列を停止させた。彼が馬の歩みを止めるやいなや、大地に座り込んだ方円陣からひとりが飛び出して駆けてゆき、そのまま馬の片側にがばと四つん這いになった。


老人は、悠然と(あぶみ)から足をはずし、その男の背を踏みつけ、地面に降り立った。そのまま手に持った鞭を脇に抱え、掌の中で竹筒を傾け、うまそうにひと口、水を飲むと、それを部落の者に渡して、こちらのほうへ歩いてきた。




にわかに雰囲気が改まり、それまでふてくされたように地面に足を投げ出したりしていた方円の者どもが、一斉にがばと平伏した。よく見ると、あちらでもこちらでも、部落じゅうの住民が、全員一斉に膝を折り、両手を地について、この新たな来訪者に最高度の敬意を払っているのがわかった。


四郎は、ふと、この老人が腰に()げている太刀の(さや)に眼をやった。獣皮を裏返して(なめ)した、見るからに(しな)やかで強そうな被覆だが、装飾は一切施されておらず、実用一点張りのものであった。だが、特に変わっていたのは、その形状である。


刀身を収めるその鞘の形は一切湾曲しておらず、まっすぐであった。また外に出た(つば)の形状が他の太刀とは著しく違っていた。太刀身(たちみ)(つか)とを分かつ役を果たしていることには変わりないが、通常の円形ないし方形の薄い金物ではなく、上下に細長く厚手で、四面が細やかな彫刻でびっしりと覆われた、まるで上古の唐太刀(からたち)のような異形(いぎょう)粢鍔(しとぎつば)であった。




老人は、その重そうな腰のものに右手を掛けながら、ゆっくり歩んで来ると、座ったままの狩音と四郎の前に立ち、

「厚東四郎どのだな。いずれ、会うことになると思うておった。しかしまさか、いきなりここに現れるとは、な。」

まるで、歳の離れた友に呼びかけるかのように気安い口調で、言った。


顔は小ぶりで、頬は削げ落ちたように鋭く、鼻梁は秀でて眼光は柔らかい。そして老人は、この山奥にはおよそ似つかわしくない、歯に鉄漿(かね)を施していた。




桜梅、と呼ばれ(おそ)れられているその老人は、つと向きを変えると、数間(すうけん)向こうで方円(ほうえん)を成したまま平伏する伊輪の一党どものほうに向かい、言った。

「さてさて。大いに出入りがあったと見ゆる。巌鴨(いわがも)はどこじゃ?」


「そ、それが。」

先ほどまで、この伊輪党を率いて四郎と戦っていた声が答えた。見ると、痩せぎすの色黒い、目つきの鋭い中年男だった。彼は続けた。

「あれなる娘子(じょうし)の曲者に腕を射られ、手傷を負いまして・・・。」


「ほう。」

桜梅は、興味深そうに狩音のほうを眺め、その横に投げ散らかしてある、弦の外れた粗末な弓を見た。

「なかなか、腕の立つ曲者なのだな。」


「へい、それはもう・・・儂らも防戦にあい努めましたが、なにぶんにも暗闇の中で、相手を見極めることが難しく。」

「そうして、このざまか。」

桜梅は、ぞっとするように冷たい声で、言った。


痩せぎすの男は、なにも言わずに俯き、そのままひれ伏した。桜梅は、彼に興味を喪ったようにまた四郎のほうを向き、呑気な声で、こう問うた。

「これから、かかる不始末をしでかした者どもを、相応に罰せねばならぬ。なにぶんにも、身内同士の申すことは信用できぬでな。しがらみ無きそこもとの協力を頼みたい。いったい、何があったのか、包み隠さず、儂に教えてはくれぬかの?」




四郎は、意外な成り行きに戸惑いながら、狩音を見た。狩音は、どうぞ、という風に眼で四郎を促し、彼は語り始めた。


「なに、はじめは、ちょっとした誤解でござった。」

四郎は説明した。

「拙者がまず、身一つで乗り込み、部落の主と対面を願い申した。ところが、厚東と名乗ったが故に誤解が生じ、縛り上げられ(くび)を落とされそうな仕儀に。それを見たこれなる女子(おなご)が、その巌鴨(いわがも)なる者を射倒し、あとは、闇夜の斬り合いになり申した。」


「そこもとの仲間は、その娘子一名のみと見ゆる。しかし、我がほうは見たところ二十名近く。さて、この結末は、なんとしたことか?どのように申し開き致す、蛇丸(へびまる)?」


蛇丸と呼ばれた痩せぎすの男は、両手をついてうなだれ、観念したように、こう言った。

「へい、申し開きできぬ不始末でごぜえやす。どうか(とが)は、おいらに。手下どもに落ち度は、ごぜえやせん。」


彼の部下たちは、動揺したようにお互いの顔を見合わせ、何人かは頭を振って、なにかを訴えかけるような眼で、桜梅のほうを見上げた。




桜梅は、彼らの様子にはなにも関心なさげな様子で、再び四郎に問うた。

「四郎殿。そこもとの見るところ、この者()(いくさ)ぶりはどうであったか?卑怯未練な振舞いは無かったか?あるいは、(たたこ)うて手応えはあったか?どうか、ありのままお教え願いたい。」


四郎は、間髪入れずに答えた。

「まことの手練(てだれ)手強(てごわ)き衆でござった。確かに手負いの数で言えば、我ら二人の圧勝。しかしながら、それは我らが僅か二人であったが故でもござる。闇夜のなにも見えぬ中、辺り構わず得物を振り回せる我らにむしろ利あり。この衆は不運でござった。あのまま闘いが続いておれば、最後の勝ちはこの一党のものであったでござろう。」

蛇丸が、意外そうに顔を上げ、四郎のほうを見た。


桜梅はなんら感情を示さず、言った。

「なるほどのう・・・そち()、敵に命を救われたな。だが、掟は掟じゃ。無意味な争闘のきっかけを作った者は、罰しなければならぬ。」

そう言って、手負いの者達が収容された向こうの小屋掛のほうを見た。そして蛇丸に向け、こう言った。

「お主が、これからこの伊輪の一党を(まと)めよ。だがその前に、巌鴨の(くび)を、お主がみずから斬って参れ。」


静かだが、断固とした口調だった。

蛇丸は、最初は(あらが)うような素振りを見せたが、桜梅が、なんの感情も無いその視線をまっすぐに向けると、うち(しお)れたようにうなだれ、地に転がした鞘を拾って、小屋掛けのほうへとぼとぼと歩いて行った。二名の手下が顔を見合わせて立ち上がり、そのあとを追った。




やがて叫び声が聞こえ、どしんという振動が起こり、やがて静まった。


それを聞き届けると、桜梅はひとつ小さなため息をつき、再び四郎のほうを向いて、こう言った。

「さて、四郎忠光殿。そこもとが、やがて参ることは、わかっておった。だが、まずは海のほうから御裳裾(みもすそ)や阿弥陀寺を経て火の山の麓を廻り込み、儂の待つ佐々実(さざみ)の領域に姿を現すと読んでおったのじゃ。完全に、裏をかかれた。」


四郎は、また狩音と眼を見合わせた。どうも、麓での四郎の思いつきは、意外に功を奏したようだ。

「本来は、敵に軍略で遅れを取った儂も、巌鴨(いわがも)同様に罪に問われて仕方のないところじゃがの・・・だが儂には、この山中各地に散った平氏の残党を(まと)め、厚東や六波羅の詮議を逃れ子々孫々まで(たね)を残すという責務が()る。」




それを聞いて、四郎ははっと気づき、言った。

「貴殿・・・覚えがござる。」


「ほう、()うたことは、無いはずだぞ。」

桜梅は、興味ぶかげに答えた。


だが、四郎は続けた。

「いや、その、桜梅なる御名(みな)でござる。鉄漿(かね)をされ烏帽子を被り、やんごとなきありさま。そして、(まご)うかたなき平氏の棟梁・・・拙者の聞き()る、ある御方にそっくりでござる。いや、もし拙者の間違いであれば、赦されたい。」


「いったい、誰じゃと、申すのか?」

桜梅は問うた。


四郎は答えた。

「平氏の嫡流にて従三位(じゅさんみ)。その美々しき有様から、かつて都にて桜梅少将と呼ばれし、平維盛(たいらのこれもり)公ではござりませぬか?」

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