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海峡奇譚  作者: 早川隆
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第二十三章   安貞二年(1228年)秋   長門国伊輪

守護代のもとを辞した四郎と狩音は、駄馬の口を()いてふたたび、歩き出した。さきほど通り過ぎた、誰も居ない大通りを抜け、(まち)を出て、海沿いについた街道を南のほうに進んだ。


あの荒れ果てた街路を眼にして、ふたりともしばらく無言だったが、傍らに波の音が聞こえるようになってくると、四郎が狩音に尋ねた。

粢島(しとぎじま)のこと、よく()っておったな。ぬしは、周防近くの山育ちであった筈であろう?」


「はい。たしかに。」

狩音は答えた。

「されど、あの島のことは、幼き頃より、山合の村でもよく聞かされて参りました。西の果ての海から突き出た、とても恐ろしい島。波荒く汐疾(しおはや)く、一切の舟を寄せ付けず、しかし不思議と、海のかなたより陸地の人を()び寄せるかのような輝きを放つ島。」


「そして、いと(わろ)き神がおわす島。」

四郎がそのあとを引き取った。

「霜降の周辺でも、郷人(さとびと)がみなみな、そのように言い伝えておる・・・なぜ、鬼ではなく神なのか、儂は幼き頃には不思議に思ったものじゃ。」


「おそらく、霜降はじめ、長門のあちこちで言い伝えられている島の噂が、山伝いに(わたし)の村にまで聞こえていたのでございましょう・・・数枚の鋼刃の如くに海からそそり立つ、恐ろしい、崖ばかりの島。先ほどの守護代のお話しを聞き、妾にも、たちどころに分かりました。終点は、粢島だと。」




「あの守護代は、よう出来る男じゃ。」

四郎が、あらためて感心したかのように言った。

「山中より盗掘された鉱産が密かに山中を運ばれ、平家の落人部落同士のつながりで海より積み出されているという見立ては、おそらくその通りであろう。」


「しかし、粢島周辺は、地元の漁師も舟を寄せられぬほどの早潮で、あちこち渦を巻き、いったんそれに捕まると、そのまま海の底まで引き込まれるとの事にございます。」

狩音が言った。


「うむ。地元から参った漁夫にも、そのとおりだと聞いたことがある。しかしいったん周囲の渦を抜け、刃物のような崖と崖の合間に入れば、その合間の海は、まるで鏡のように静かであるとも。だとすると、守護代の申す通り、隠れ場所としては申し分のない場所じゃの。そして、その合間を抜けて向こう側へ出れば、まるで島が矢をつがえ、遥か彼方の唐国(からくに)まで放つかのように、(かい)を動かさずとも一気に遥か沖合まで出られるそうじゃ・・・もっとも、儂にそうと教えた漁夫は、自分で行ったことがあるわけではないと、素直に申しておった。」


「不思議な島でございますね。」

狩音が、おそろしげに言った。

「うむ。だがたしかに、あの島には、何かがありそうじゃ。この一連の怪異、いや、長門を揺るがさんとする平氏の残党どもの(たくら)みに深く関わる何か、がの。」


四郎は言ったが、なおも狩音は不安そうに確かめた。

「本当に、山中の落人どもが()せしことでありましょうか?」


「おぬしまで、海底の亡霊の仕業だと申すのか?」

四郎が、やや呆れ顔で狩音に聞き返した。

「知れたこと。様々な噂を撒き、人を近づけぬように(はか)って、なにごとか良からぬ企てを為し居るのじゃ。妖かしでも怪異でもない。明らかな人の、なにかの意志がある。我ら厚東に害を為さんと強く乞願(こいねが)う者達の、な。」

そう、言い切った。




狩音も、四郎の力強い言葉に、やっと納得したようだった。

「わかりました。それでは、これから早々に御裳裾(みもすそ)へと参りましょう。このまま(みぎわ)を進めば、日暮れ前には着到いたしまする。そして、さらにしばらく進めば、阿弥陀寺へ。」


「いや。それはどうかな。」

四郎は言った。狩音は、意外そうな面持ちで四郎を見た。

「せっかく守護代から、山中につながる落人どもの繋がりと、抜荷(ぬけに)を渡す線のことを聞いたのじゃ。ちと、挨拶して参ろうではないか。ちょうど、このまままっすぐ山へと入れば、やがて且山(かつやま)の麓へと至り、その近くに伊輪(いわ)の部落が()るはずじゃ。昔、杣人(そまびと)におおよその場所を聞いたことがある。」


「なんと!」

狩音は驚いて言った。

「御父君の命は、まず阿弥陀寺へと至り、芳一なる僧に会うこと。その昔、怨霊に祟られ、今もなにやら噂を撒いておるとかいう、怪しき者でございます。まずはこの者の身柄を押さえ、きつく糾問(きゅうもん)致せば、なにかわかることがございましょう。母君のお命が掛かっているのです。長門の、そして厚東の明日も。急がねばなりませぬ!」




「そちの気持ちは嬉しいが、の。」

四郎は言い、深い感情のこもった眼で狩音を見た。

大臣(おとど)請負(うけお)った。母は、まずここ数日は安全じゃ。(わし)には、なんとなくだが、それがわかる。そしておそらく、父に言われた通りの行路を取ったとて、良きようにはならぬ。それも感じるのじゃ。」


「たしかに、母君のことで、四郎様に偽りを言われておりましたな。」

狩音は、納得したように言った。

「またも、父上の裏をかくのですね。」


「そのとおりじゃ。様子のわからぬ堅き城は、まずは搦手(からめて)から寄せてみるのが吉じゃ。確かに危険はあろう。しかし、儂とそちとであれば・・・為せば成る。そうは思わぬか?」

四郎はにやりと笑い、狩音も無理やり片方の口角を上げて、それに応じた。


二人はいったん駄馬を隠れた立木に繋ぎ、その前に水桶と多少の(まぐさ)を置いた。四郎は、唯一の得物である木刀をあらためて目の前にかざしてしげしげと眺め、狩音は右手に小さな(なた)を持ち、左手では懐中深くに忍ばせている数個の飛苦内(とびくない)を握り、じゃらりと鳴らした。


あたりは暮れなずみ、ぼんやりと山影を浮かび上がらせて、夕陽がその向こうに沈もうとしている。ふたりは無言のまま眼を合わせ、やがて意を決したように頷きあって、山中の道なき道へと分け入って行った。




伊輪(いわ)の部落は、かつて四郎が杣人(そまびと)から聞き知っていたよりも遥かに遠く、もちろんそこに道などなく、地形は険阻なことこの上なかった。


それでも、闇と山に慣れたこの二人の奇妙な男女の取り合わせは、そうした天然の障害をものともせず、すいすいと進んで高度を上げていく。すでに陽は落ち、とっぷりとした暗闇が辺り一円を支配していたが、東の空には白じろとした満月がかかり、近くの海から気化した空中の水気を吸って、湿った柔らかな光を地面に向け投げ返していた。


狩音の動きは、四郎よりもさらに(はや)い。強靭な足腰と、上体に盛り上がった筋肉の力で山と闘い、一歩一歩これを押さえつけながらぐいぐい進む四郎に対し、狩音は、ただ軽やかに山肌や落葉を踏み、その上で跳ねて、まるで太古の昔からここに棲む妖精の一族であるかの如く、自在にすいすいと樹々のあいだをすり抜けてゆく。


突き出た枝や蔦などは、後続する四郎のために、あらかじめ狩音が鉈で刈払い通りやすくした。四郎は木刀を杖にしてまず山肌を突き、長門国一等と称された抜群の膂力(りょりょく)で自らの身体を押し上げると、幅の広い足裏ではげしく地面を蹴った。


そうして山と格闘すること二刻 (四時間)ほど。月が中天にかかる頃、目の前を黒く塞いでいた小峰を乗り越えた二人は、眼下の谷間の向こう側に、幾つかの灯火(あかり)(またた)くのを見つけた。




「着いたようだの。おそらく、あれが伊輪であろう。」

四郎は言った。狩音も頷いた。

「斯様な夜遅くに、(おびただ)しい数の篝火(かがり)でございます。」

「物々しいことよ。この山奥、すぐと攻め寄せて参る敵勢などあるまいに。」


狩音は、優れた物見であり、観察者である。ただそこに在るもの、目に見えるものを報ずるだけでなく、それらが(まと)う気配や雰囲気などまでをも(すく)い取って、四郎に明確な言葉で伝える。彼女は、いま目をつぶり、匂いや微かな気配を感じ取ろうとしていた。細い左手が前に伸び、虚空を掴むように上下した。


そして、眼を(つむ)ったまま、こう言った。

「なにか、常ならぬ殺気と、妖気のようなものを感じます。ひどく脅えながら、なにかを待っているような。部落の者ども、おそらく闇にじっと耳を澄まし、近づく者の気配にいちはやく気づかんとしております・・・皆々、正気ではなし。おそらく、これに近づくは至難の業。」




いっぽう四郎は、()めた軍事や闘技の専門家としての眼で、月の光を頼りに闇を透かし見ながら、部落の備える構えや防衛施設、警戒網を把握しようとしていた。彼は言った。


「谷あいを流れる川の流れは急じゃ。蛇行し、うねって、その前は急崖。谷間を吊橋が渡してあるが、両端には不寝番(はりばん)が張っていよう。谷底から近づくにも無理があるな・・・すると、山を伝って上流から逆落としに近づくしかないが、当然あの者等もそれには備えをしていよう。部落の背後の斜面にはおそらく、灯りを消した山砦(とりで)や物見小屋が幾つも備えてある。」


「穴がございませんな。」

眼を開けた狩音が、感じ入ったように言った。

「うむ。いくら山間の独立部落とて、これだけの備えを為すは通常は困難。おそらく、平家の落人どもの知恵が入っておる。いや、おそらく落人どもから成る部落じゃ・・・要は、あれは、部落に見せかけた平家の山塞(さんさい)よ。」


「百や二百の寄手(よせて)では・・・。」

「無理じゃ、陥とせぬ。」

四郎は、にべもなく言った。

「おそらく、千近くを仕立てて、山上と崖下から一斉に攻め寄せねば。しかし、それでも陥とすには膨大な人死(ひとじ)にを生ずるであろう。それ以前に、千の大軍がこの山奥に寄せて参ること自体が、無理じゃ。」


「すなわち、無敵不朽の要害。」

狩音が、あとを引き取って、言った。

「はて、困りました。いかがなさいます?」




四郎は、少し考えて、言った。

「おぬしは、ここに残れ。」

「え?」

狩音は、不満そうに四郎を睨んだ。

「ここまで行を共にし、いざ敵を眼にするや、女子(おなご)は脇に控えておれ、という訳でございますか?」


「違う。その逆じゃ。」

四郎は、断固とした口調で、言った。

「狩音を信じ、狩音を頼りとしておるからこそ、そうと申しておる。つまり、ここに残って(わし)を守れ。そういう意味じゃ。」


「いったい、なにをなさるお積もりで?」

狩音の眉間の皺は、消えない。

「来る前に、申したであろう。ちと、挨拶して参る、と。よって、これから儂一人であの吊橋を渡り、平家の落武者どもに堂々と名乗りを上げる。」


「なんと、なんと仰せか!」

狩音は驚き、怒り出した。

「自惚れてはなりませぬ!いくら四郎様とて、あのような敵地に乗り込むは、自死と同じ。敵は、平氏です。厚東の御曹司が堂々と名乗りなど上げれば、あっという間に取り囲まれて・・・。」


「なぶり殺し、であろうの。」

四郎は、笑った。

「だが、それだけに彼奴らも不審に思う筈じゃ。そうとわかって、なぜ来たと。」

「それで命を(たす)けられるとでも?甘いぞ、四郎!ここは、長門の中の異国ぞ。あの守護代などの力の遠く及ばぬ、霜降にもまつろわぬ、独自の検断を為す平氏の国じゃ!」


狩音は、もはや身分の差など忘れて、主人であり、同時に愛する恋人でもある男に、激しくつっかかった。この剛勇無双だが考えのまるで足らぬ自信家(うぬぼれや)の、自分自身に対する酔いをまず覚まさねばならない。でないと、彼は死ぬ。愛する男は、目の前で殺されてしまう。




涙を溜めて、狩音は必死に言い募った。




結局、狩音は四郎に言いくるめられて、その計画に協力する羽目となった。


あの男!真直ぐで剛直で裏表がなく、誠実で単純でただ前へ前へと突っ走るだけの、あの男。しかしどこか憎めぬ愛嬌があり、中途半端に考える頭もある。人の虚を()いたり、驚かせたりするのが好きで、そして自ら信じることに一点の疑念も抱かぬ、信念の男。


いま、あの男は、自分は死なないと思っている。対峙している相手はただの人間で、なにか、計量できる意図を持って事を起こしているとも。だから、その意図を理解して、なにがしか手を考えれば、自分ひとりで事態を収拾できる、とも。


なんて思い上がりだろう・・・なんて勘違いだろう!


四郎は、相手の意図を理解し、交渉できると思っている。だから、それを持ちかけに行く自分が、まず問答無用に殺されてしまうかもしれぬことを考えない。この世の中に、交渉の余地などない絶対的な敵や邪悪が()ることには、まるで考えが及ばないのだ。




馬鹿だ、馬鹿だ、大馬鹿だ!


狩音は、夜闇に沈む真暗な道なき道を走りながら、月に向かって大声でそう叫びたい衝動にかられた。自分が、なんでこんな馬鹿に付き合い、こんな馬鹿のためにこれほど悲しい気持ちになっているのか、わからなかった。


必ず、死ぬじゃないか!

必ず、殺されてしまうではないか!


それでも、行くと言うのだ。自分は死なぬと言うのだ。

なら行け、行って勝手に死ね、馬鹿者が!


狩音は、自分の主人に対し、こう罵声を投げつけたが、四郎はただ笑って狩音の手首を掴み、抱き寄せ、その波打つ背中を優しく撫でた。その幅の広い、分厚い胸に頬を埋めてひとしきり泣き、もうこの男は自分の言うことを聞かぬことを悟った。そして黙って身を翻し、先ほど四郎に頼まれた役割を果たすために、闇に向かって駆け出して来たのだ。




急がねばならぬ!急がねばならぬ!


狩音は、山道を急ぎ、飛ぶように奔った。四郎という(くびき)から解かれた彼女は、まるで山で生まれて山で死ぬ(ましら)のように、素早く飛び、跳ね、山肌をただ凄まじい勢いで駆け続けた。幾度か転び、幾度が枯木を跳ね上げ、時には枝に、あるいは幹にぶつかり大きな音を立てた。だが、この暗い山中のどの生き物も、旋風のようにただ走る彼女に注意を払おうとはしなかった。


もうすぐ、四郎様があの吊橋のたもとに姿を現すであろう。背中に薙刀を突きつけられ、縄をかけられ、あの山蔓を結合(ゆいあ)わせ掛け渡しただけの、ブラブラと揺れる心もとない吊橋を渡らされるのであろう。そしてそのまま、伊輪の村の広場に曳き据えられ・・・そして。


自分は、その前に、その上に居なければならない。そうなる前に体制を整え、いざという場合に備えて準備しなければならない。いざという場合・・・すなわち、四郎様がすぐと殺されず、僅かながらでも脱出できるかもしれぬ状況になった場合に備えて。




馬鹿め、馬鹿め、大馬鹿め!


胸の内でもう百万回も四郎を呪いながら、狩音は大きく渓谷の上流を廻り込み、さっき見た谷の反対側に至った。そして速度を落し、やや警戒しながら山肌を廻り、徐々に高度を下げていった。今度は下りなので、息を大きく弾ませなくてもよい。


しかし、湿った落葉に覆われた急峻な山肌は、それ自体が蟻地獄のような巨大な罠である。いちど足を取られ滑落しはじめたら、猿ですら、そこに(とど)まることはできぬであろう。狩音は慎重に、常に手でなにかを掴めるように気をつけながら、ひたすら下方に向かい、下っていった。




やがて狩音は、前方の山肌に不自然な盛り上がりがあることに気づいた。自然にできた地形ではない。誰かが山肌に手を加え、土盛りをした小さな監視哨である。おそらくそこには、数名の部落の者が詰め、月の光のもと、侵入者をじっと見張っている筈である。それは、素人目にはまるで見破れないくらい巧妙に偽装されていたが、狩音の眼には、遠くからはっきりとわかった。まだ音の聞こえぬ遠くからそれを迂回し、監視者たちの視界に入らないようにしながら、さらに下った。


そうした監視哨や詰所は、山肌のあちこちに設けられていた。さらに、これも素人目には決してわからぬ落とし穴が何箇所も穿(うが)たれ、幾つかの、どこか奇妙な格好をした倒木の蔭には、案の定、巧妙な跳上げ式の縄罠がしつらえてあった。これを勢いよく不用意に踏むと、足首に輪縄が巻き付き、そのまま近くの木の枝へと一気に引っ張り上げられる。狩音は、日頃この仕掛で野兎や猪を狩ったが、今や、狩られるのは狩音自身かもしれぬのだ。




幾つもの起伏を越え、幾つもの危険をかわし、数十も光る監視の眼をくぐり抜けながら・・・。狩音は、ついにたどり着いた。彼女は息を整えつつ、おそるおそる、物陰から真下に広がる、部落中央の広場を見下ろした。


そこでは、今まさに、自分の愛する男が、後ろ手に縛られ、(ひざまず)かされ、後ろから(くび)を打たれかけているところであった。

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