第二十二章 昭和三年(1928年)秋 仏国 巴里周辺
1848年、新大陸ニューヨーク州ハイズビルから発した奇妙な心霊現象の噂は、その後数年を経ずして旧大陸にまで伝わり、近代合理主義の蔓延に疲れを覚え始めていた人々のあいだで、またたく間に広まった。
英国、フランス、ドイツ、オーストリア・・・その他各地で国籍も貴賤も問わず毎夜のように多くの交霊会が催され、目に見えぬ幽界から降り来たる魂や霊との交信が試みられた。その多くは、夜中に灯りを落した一室で参加者が輪になって座り、互いに手をつないで、賛美歌やテーブル・ターニングを皮切りに行う、あの一定の様式を踏んでいた。
フランスの哲学者、イポリト=レオン=ドゥニザール・リヴァイユは、この現象に興味を持ち、数年の調査ののち、ついに霊の実在を確信するに至った。彼は、アラン・カルデックという筆名を用い、『|霊の書《Le livre des Esprits》』という書物を出版して、以降、同国における心霊研究の祖となった。
また、アルジェに暮らしていたフランス人将校の娘マルテ・ベローは、婚約者の死を契機に顕著な霊能力を発現するようになり、エヴァ・Cと名乗って、数多くの奇蹟を演出した。霊媒としての彼女の傑出した特徴は、不可触のはずの霊界物質を、この世にそのまま実体化させてしまうことであった。
1909年、ドイツの神経科医アルベルト・フォン・シュレンク=ノッチング男爵が立ち会った数百回にも及ぶ実験では、なにか、既知の科学では説明のできないプロセスによって、得体の知れない流動体が彼女の身体からどろどろと流出することが確認された。
それは、はじめ予測困難で不規則な動きをするだけの半流動体だが、やがて実態を具えはじめ、半固形化し、生きているかのように規則的に変化する不可思議な形質を持つものであった。ただし、時が経てばどこかへ消えてしまう。この物質は、やがて、1913年のノーベル生理学・医学賞受賞者であり、「アナフィラキシー」という造語を案出したことでも著名なシャルル・ロベール・リシェによって、「エクトプラズム」と命名された。
リシェや、当時のフランス医学界の泰斗ギュスターヴ・ジュレといった、いわば科学・合理分野の最高権威たちから霊能の実在にお墨付きを与えられたエヴァ・Cは、その異様な能力を、長年にわたり遺憾なく発揮した。
はじめ、ただどろどろとした流動体であったその物質は、やがて独自の特徴や人格までをも帯びはじめ、あるときは300年前に死んだヒンドゥー教の高僧となり、またあるときは現職のアメリカ大統領に、フランス首相に、またあるときはブルガリアの王となって人々の前に現れた。
もちろん、彼女のこの傑出した能力が、霊能ではなく、優れた演出技術によるペテンだとする意見は、当初から根強かった。
海峡を超えた英国でもエヴァ・Cの評判は広まっており、彼女はあるとき、英国心霊協会の顔役コナン・ドイル立会いによる検証を受けた。心霊主義者の彼は、一も二もなく、これが真正の心霊現象であることを信じて疑わなかった。
が、当時ドイルと親交を結び、世界一の奇術王として令名高かったハリー・フーディニは、彼女のパフォーマンスを、自分でも再現できるトリックだと断言した。他界した母親への思慕の念が強かった彼は、当初、あの世に居る母との交信が可能だと信じてドイルら英国心霊協会 (SPR)の面々に接近したが、ほどなく自分の間違いに気づき、以降はむしろ、心霊現象に見せかけたペテンを暴く、「超常破り」として活動していたのである。
SPRを構成する社会階層上位の人士たちの中でも意見は割れており、ドイルら発生する心霊現象をほぼ無条件に信ずる保守派と、厳密な検証プロセスを通じてペテンや詐術を徹底的にふるい落とし、数少ない真正の心霊現象のみを残して行こうとするフーディニやハリー・プライスのような懐疑派とのあいだに、緊張が生じていた。エヴァ・Cら霊媒たち、あるいはクルー・サークルのウィリアム・ホープのような心霊写真師たちへの評価は、この研究者同士の対立の狭間でくるくると変転したが、彼らは変わらず、淡々と自らの能力を通じ、ただ信ずる者たちとの絆を強めていった。
こうした緊張のなか、つい一ヶ月前、大盛況のうちに閉幕した世界スピリチュアリスト大会において、顔役ドイルら英国の名士たちに混じって会を取り仕切っていたのが、前世紀に活躍したアラン・カルデック以来、数十年もの研究の蓄積を誇るフランスの心霊研究者たちの一団であった。
英国を離れ、危険な海峡を越えて大陸へと戻った浅野の目的は、彼ら、フランスの心霊人士たちとの強固なコネクションを新規に築きあげ、その新たな研究成果を極東の祖国へと持ち帰ることであった。フランス心霊研究協会の実力者であるアンドレ・リペールとの会見予定は、滞仏三日目の午後である。
フランス心霊主義協会は、前夜に浅野とイヴァン老提督とが共にしたたか酔った、あのトロカデロから歩いてわずかな距離の所にあるはずであったが、イヴァンは、自分が浅野を送ると言って聞かなかった。
その日の午前、彼らはエッフェル塔に登り、二日前とは打って変わってからりと晴れた秋晴れの陽光の中、上空数百メートルからの素晴らしい巴里の眺望を存分に楽しみ、眼下より吹き付ける柔らかな涼風のなか、展望台で出されていた苦味のある珈琲の味を堪能した。そして、家族のこと、互いのこれまでの人生のことなど、とりとめなく喋った。
いざ予定の時間が迫ってきて塔を降り、ハンドルを握った老提督は、案の定、またなんども道を間違えた。彼はそのたびごと下車しては通行人に道を聞く有様であったが、かろうじて5分前には、二人の乗った自動車は、現地コペルニック通りの上り坂を、あたりの番地を確かめながらそろりそろりと進んでいた。
元海軍提督を専属のお抱え運転手とした元海軍軍属は、やがてその建物を探し当て、このかけがえのない親友に礼を言って、しばしの別れを告げた。彼には、明日の朝、巴里を離れる時にまた駅まで送ってもらうことになるが、今日はおそらくかなり遅くなるため、イヴァンの身柄は、ここで放免である。すでにこれから会う男とは倫敦で立ち話をし、話好きで弁が立つ、なかなか手ごわい相手であることを浅野はよく知っていたのである。
イヴァンは下車し、浅野の鞄をひとつ持って建物の入口までついて来たが、握手した後、名残惜しそうに車のほうへ戻っていった。
「|精霊の家《maison de esprit》」というパネルがドアに嵌まった瀟洒な一軒家が、フランス心霊協会の本部であった。英国の心霊協会のつくりも同様だが、普通の民家のような建物の一階が、心霊関係の膨大な図書館兼陳列所になっており、フランス心霊研究界の象徴的な存在である、アラン・カルデックの肖像やサインがパネルにして飾られてあった。応接は三階である。
アンドレ・リペールは、すでにそこに陣取り、浅野の来訪を待ち受けていた。彼は、ソファから立ち上がり、その痩躯を折り曲げんばかりにして浅野を歓迎し、先日の世界心霊大会以来の再会を喜んだ。そして女中に茶菓の用意を命じ、実務家らしい実にてきぱきとした段取りで、座るやいなや要件に入った。
「浅野さん、貴方とは、ぜひ親しくお話をしたかったのです。」
彼は言った。
「なにぶん、倫敦ではまわりに人が多すぎましたからね。それに、貴殿の身は、すぐとあの英国の御大に確保され、独占されて仕舞った。」
「コナン・ドイル卿のことですかな?たしかに、卿には実に多くのお力添えをいただきました。まことに有難いことです。」
「ケンジントン公園の、丸池の畔で、ですな。」
リペールは、いたずらっぽく笑った。
「あのベンチは、卿のお気に入りの場所でね。なにやら密談などするにも、実に都合がいい。ただし、卿があそこに招くのはごく少数の、お気に入りの相手ばかりでしてね。残念ながら、私はそのリストの中に入っていない。」
「それは・・・誠に畏れ多き仕儀です。」
「ハハ、まあ、なにも問題ありません。卿は、ああいう人ですからな。なんというか、こう・・・熱情家で、不器用な人情家です。人望は厚いのですが、反面、常にいくらか、まわりに敵が居る。私は敵ではないが、どうも、自分ではあまり思想を語らず、協会の実務にただ徹しているのが卿にはあまり気に入られて居ないようです。霊のことを語らぬ私が、きっと、銀行家かなにかに見えるのでしょうな。」
「ムッシュ・リペール、絶対に、そんなことはありませんよ!スピリチュアリスト会議での貴方の雄弁は、会場内のすべての参集者に、強い印象を残しました。ドイル卿が、その貴方の貢献を、認めておられないとでも?」
浅野は、本心から強く言った。
「正当なご評価をいただき、誠に有難う。」
リペールは胸に手を当て、恭しく一礼した。
「ただ、確かに私は雄弁な演説家ではあるが、決して、自分から積極的な発信はしない。あまり勤勉な心霊研究家ではないのです。それよりもむしろ、周囲にいる、常ならぬ人達の面白い意見を拾い上げ、分かりやすくまとめて、まだ心霊の世界のことを何も知らぬ人々に伝える伝道師の役割を果たすほうが、自分に合っているようだ。だから、冥界に去ったご自身の愛する人達にもう一度会いたいという、切実な動機からこの会に参加しているドイル卿からすれば、単に面白半分の商売人に見えてしまうのでしょう。まあ、それぞれ、役割があるということですよ・・・その点、貴方と福来教授は、実に新鮮で素晴らしい情報を持って来て下すった。貴方がドイル卿のお気に入りになるのも、故なきことではありません。さてと!」
ここまで言うと、リペールはニヤリと笑い、両手を広げて机の端をドンと叩き、
「それではさっそく、仏日間にて新規の『商談』と参りましょうか!」
と言った。
このリペールの身を挺した冗談で、すっかり打ち解けた雰囲気となり、浅野もいきなり胸襟を開くことができた。英国で気をつけたような、それぞれの国の代表の立場や国際関係などに対する配慮は二の次に、ケンジントンでこの男と立ちながら交わした会話や議論などの続きを、なにも気にせず、大いにやった。
浅野は言った。
「倫敦でもお話したとおり、わが日本における心霊主義は、古くより神道という宗教のかたちを取って、広く自然に普及しておりました。人々は、日常生活のうえでごく自然に霊的なものの存在を感じ取り、常に祖霊や守護霊によって見守られていることを自覚していたのです。」
リペールは、ただニコニコして聞いている。浅野は続けた。
「もちろん、神道には長年に亘り、さまざまな派生形というか、受容する信徒たちの側での受け取り方の多様性がありました。それらは、あるときは全然別の形のようになって見え、その信仰する対象もバラバラなように思えますが、その源は一緒なのです。」
「われわれ西洋人の一部は、そんな、神道の無形式なあり方を指して、原始素朴な祖霊信仰や汎神論と見下す者もおりますが。」
リペールが、笑いながらそう浅野を挑発した。
浅野のほうでも、微笑と共にこう返した。
「偶像なき、経典なき無定形でもあり。しかし同時に、あらゆるものに姿を変えうる融通無碍な特質でもあり。」
「なるほど。お続けください。」
「ともかくも、さまざまに形を変えながら、しかしその根底にあるものは何一つ変化せず、神道は今に至るまで日本民族の精神の基底に残り、そして、今や、日本という文明の基となっているのです。」
「日本という文明・・・なるほどね。」
「ムッシュ・リペール、貴方の仰っしゃりたいことは、わかります。日本は、確かに極東最果ての洋上にぷかりと浮いた小さな列島に過ぎず、その人口も、わずかにヨーロッパの中でフランスとイギリスを合わせた程度に過ぎません。長らく我らは、近隣の、より巨大な文明・・・支那や印度など・・・の影に覆われ、文明としてもその中に包含されていると思われてきました。だが、それは違うのです。」
「と、仰いますと?」
リペールは、人の話に調子を合わせるのが上手い。自分自身が優れた話者であるだけ、相手を不快にさせず、むしろ気分を良くするような会話のリズムを心得ていた。そして、的確なタイミングで合いの手を挟み、相手の発言に勢いを与える。ドイルが嫌うのは、このような主体性なき小器用な「調子の良さ」かもしれなかったが、これはこれで傑出した才能だ。浅野は、彼の掌の上で好きなように弄ばれつつも、そのように感じざるを得なかった。
「なぜなら・・・そうだな、ときにあなた方の精神にも大きな影響を与えている印度の思想と、我々のそれを比較してみましょう。」
浅野は、一息つくと、続けた。
「一見、雄大でしかも深淵な印度の思想ですが、その内実は、とかく平等と超越とに走り過ぎ、もはや思想全体がひとつの曖昧模糊とした概念でしかありません。それを元にした個々の心霊現象に対する演繹的な考察や思索はもはや無理で、むしろその曖昧とした思想に、個別の現象のほうを無理やり当てはめざるを得ない。」
「わかるような、わからないような・・・。」
リペールは、素直に感想を述べた。そして、彼にしては珍しく、明確な彼自身の意見を付け加えた。
「神道を単なる原始的なアニミズムと決めつける西洋の合理主義者たちの態度は、差別的な知的怠慢のそしりを免れないと私も思います。ただ、私には神道そのものが、まだ充分にきちんと理解できないのです。そのなにものか名状しがたい伝統的な信仰に、寧ろあなたが・・・と言って差し支えあれば、現代の日本国民全体が、と言い換えてもいい・・・なにか願望や目的を込めて、新たな意味合いを付け加えているのではないか、そうとすら思えるのです。無知な西洋人の誤解であれば良いのですが。」
「貴方のその疑念に、ムキになって反論したら、より、それらしくなってしまいますな。」
浅野はいったん矛を収めてティーカップを手に取り、二人は大いに笑った。
「いえいえ、私はただ、理解したいだけなのです。ただ、残念ながら同じような、一見、帝国主義的な見解を堂々と披瀝される日本人を見かけたことが、過去数回、ありましてね。そのときのテーマは決して、宗教や心霊についてではなかったけれど。正直なところ、彼が座から姿を消すや否や、それまで表面上は謹聴していた西洋人はみな、あからさまに侮蔑の表情を浮かべることが常でした。これは、心霊研究の同志たる貴方だから、敢えて私もお知らせするのです。」
「コナン・ドイル卿にも、その点、遠慮なくズバズバと仰っていただきました。誠に有難いことですよ。確かに、近年の表面的な国運の隆盛とともに気が大きくなり、なにやら勘違いするわが同胞の数は、残念ながら少なくはない。そうした、レベルの低い連中の振舞いがもしお気に触っているのなら、代わって私からお詫びいたします。」
リペールは、あわてて手を横に振った。
「いえ、決してそういう意味ではない。」
リペールは、真剣な表情で言った。
「程度の低い、愚かな連中は、もちろんどこの国にも居る。一定の比率でね。しかし、私が言いたかったのは、寧ろ主として我々西洋人側の受け取り方の問題でして。近年ぐんと力を付け、ある意味で西洋諸国よりも大きな力を持つようになった、大日本帝国の存在そのものに警戒心を抱く向きがあるのですよ。要は、不気味なのですな。その日本国の当事者が、自国の国威発揚とともに、いわば土着宗教とも取れる汎神論を無理やり高みに押し上げようと強弁して我々に押し付けようとしている・・・おおかた、周囲の状況から来る第一印象だけで、まず、そうと考えてしまうのです。」
「なるほど。それは興味深いご指摘だ。」
今度は、浅野が合いの手を入れて、リペールに次を促した。
「言うまでもなく、欧州大戦の傷痕はあまりにも大きい。われわれヨーロッパ人は、まだこの痛手から充分に立ち直っては、おらぬのです。それに比して、新大陸と貴国の、おそらくは人類史上もっとも急速な近代化の成功と国富の増大、そしてそれに伴う必然的な勢力の拡大に対する危惧の声が、おそらくは若干の羨望の念と一緒になって、朝野に満ち満ちておるのですよ・・・アメリカについては、主に人種的・文明的な近縁性から、まだ若干の安心感がある。しかし、貴国については、何から何までもが異質だ。人間は、異質なものをまず警戒します。それは、貴国民とて同じことでしょう?」
「仰るとおりです。」
浅野はまた、合いの手を打った。
「ヨーロッパにおける貴国のイメージは、やはり、なんといっても海軍力です。」
リペールは、意外な搦手から攻めてきた。
「排水量で言うならまだ世界で第三位だが、一位の英国は、全世界に散らばった膨大な領土をそれでみな護らねばならず、米国もまた地勢的な宿命から、常に両洋に艦隊を分割せねばならない。極東で、いやアジアと太平洋上で、一点に集中でき、今やそこで最も密度濃く強大なのは、貴国の海軍なのです。」
「そういえば、同じようなことを、まさにドイル卿からも言われましたよ。やはり、相当に目障りなのですな、わが海軍の存在は。」
浅野は言いながら、自分がかつてその艦艇群のまさに心臓といえる機関技術者を育成する官設学校の教官だったことを、リペールは知っているのか考えた。
「そりゃ、まあ、そうですよ。我々の立場にしてみればね。」
リペールは敢えて、自分を含めて主語にした。
「フィリピン、マラヤ、シンガポール・・・これら英米のアジア経営の根拠地は、貴国に強大な艦隊があるが故に、常に風前の灯のような存在です。どのように防衛施設を造築しようと、本国から遠く離れているが故に増援不可能で、もし貴国が大艦隊を仕立てて本気で獲りにくれば、たちどころに喪われてしまう。そのことは、特段、軍事に造詣の深いわけではない私のような素人にも明らかです。我が国でいえば、インドシナの海外領土が、同じ脅威に晒されている。そのことを危惧する声は、同じフランス人同士のなかでは、正直なところ、いつもいつも聞こえて来ますよ。」
「なるほど。要するに、西洋文明に対する、極東からの公然たる軍事的挑戦の思想兵器として心霊主義が便利に使われてしまうことへの不安、ですな。」
浅野は、リペールがずっと感じているかすかな違和感を、ひとことでまとめた。
リペールは、やや控えめに頷き、浅野は感じ入ったように言葉を継いだ。
「いや、同志、または佳き友というのは、なかなかに得難いものです。一切の社交的忖度なしで、そのように言いにくいことをズバリと言っていただける。本当に嬉しく思います・・・実は私も、なにも感じない訳ではない。貴方の言われるがごとく、昨今の我が国は、ヨーロッパのほうぼうで、蛇蝎のごとく嫌われておるもののようで。」
「お気を悪くされたなら、申し訳ない。」
「いえ、まったくその逆ですよ!大変に有難いご忠告です。もともとの印象が悪いところに、さらに誤解を植え付けてしまうようなお国自慢とも取れる論をぶって、さらに嫌われてしまう・・・これでは、論の中身の良し悪しを公平に判定してもらうことなど難しいですな。ましてや、その論にご納得いただくことなど。さすが、思想説法の達人の言葉だ。大変に、教えられる。」
浅野は、自分の意見がないと卑下するリペールから喰らった、このドイルばりの強烈なカウンター・パンチを噛みしめるようになんども頷き、そのまましばらく黙った。そして、言った。
「いや、貴方のご忠告を踏まえて、もう少し、説明を加えてみましょう。お時間は、よろしいかな?」
「まったく問題ございませんよ。大いにやりましょう。」
リペールは、にこにことして、言った。
「こうと申し上げるのも、私が多少、仏教の思想について聞きかじっているからなのですよ。」
リペールは、苦笑いとともに告白した。
「もちろん、あの深淵な教義というか思想体系、世界観をすべて理解できている訳ではない、生かじりです。だが、巴里の知識人の中には東洋思想にかぶれる者が一定数、おりましてね。研究会なども出来ていて、私もちょくちょくそこに出入りしておるのです。」
ひとくち茶を啜って、続けた。
「もちろん仏教は世界的な宗教であり、貴国もその影響範囲の中にある。いや、貴方に言わせると、伝統的な神道とも結びつき、習合してもいるのでしたな。ただ問題は、私が仏法思想を伝授して貰っているのが、支那人の僧だということで。」
この優れた思想伝達者は、そう言って首をすくめ、茶が苦いのか、我が身の置かれた状況が苦いのか、どちらとも取れる曖昧な笑みを浮かべた。
「彼は・・・そう、西洋列強と、特に近年では貴国による祖国への進出を、一種の侵略とみなしています。故に、貴国の文化や思想、そして宗教に対する舌鋒は、自然と厳しくなる。」
「なるほど・・・。」
「そういうわけでしてね。ただもちろん、私としてはなるべく公平に見ておきたい。どうか何でも、ご遠慮無く仰ってください。」
浅野はため息をひとつつき、言った。
「私はですね・・・実は日本国内でも相当に評判の悪い男で。いや、実際に官憲に弾圧され拘束されていた時期もありました。もとは文学士で、人文系の学者でもあるのですが、正直なところ、学会では今でも際物師扱いされています。」
「貴方に限らず、心霊学徒は多かれ少なかれ、それぞれの国でそういう理不尽な目に遭っておりますよ。拘束されたというのは、穏やかではないが・・・」
リペールが、やや心配そうな表情を浮かべて、言った。
「まあ特に、西洋に源を発する既知の正統派学問に携わる諸先生方からは、もう、ありとあらゆる罵声を浴びたといっても良いくらいですよ。彼らにとって、私の神道論は、政治的平衡性を欠いた、排外的な超国家主義理論だと言うのです。」
「ほう・・・実際の貴方のお人柄からは、そういう不寛容さは微塵も感じ取れないが。」
「どうもありがとう。自分でもその積りでおります。」
浅野は、さきほどのリペールの仕草を真似て、胸に手を当て一礼した。
「たしかに昨今の国力増大につれ、一部日本人の増上慢が始まりつつあるように見えるのは、私も大いに遺憾とするところです。しかし、貴方の支那人の師にもぜひお伝え願いたいのですが、日本のナショナリズムは、必ずしも排外主義や侵略の野望とイコールではありません。」
そう言って浅野は、つい数年前、孫中山 (孫文)が死の直前に神戸で行った講演を例に出した。
「このまま西洋の走狗となるか、共に手を携え東洋の守護者となるか」
日本人に対し、この問いかけをなした孫文は、亡命時代に多くの支援を日本の国家主義者達より受けている。また、印度独立の志士であるラス・ビハリ・ボースの亡命を受け入れ、英国の圧力による日本官憲の執拗な詮議をかわし、彼を庇い続けたのが同じ日本の国家主義者達だったことも指摘した。
「私には、かつて皇帝のお側近くに仕えていたロシアの友人もいる。知り合ったのは最近なのだが、まるで生まれる前からの知り合いであったかと思えるほどの親友でしてね。実は、さきほどまで一緒にいたのですが・・・このように、国家主義は、必ずしも排外主義とイコールではないのです。」
リペールは、浅野の脇の冷めた茶をどけ、別のカップにポットから熱い一杯を注いで、勧めた。浅野はそれを受け取り、続けた。
「私は決して政治家ではありません。また、日本国家の振舞いがすべて正当なものだとも思わない。一部には、侵略と取られかねないような動きもあるのでしょう。それは、わかる。しかし国の振舞いが気に食わぬからとて、精神面で合一できるかもしれぬ可能性を排除してしまうのは、支那の人民にとっても、いかにも惜しいことだと思うのです。」
「精神面の合一・・・貴方は、心霊主義こそ、それを実現するための方法だと言いたいのですね。」
勘のいいリペールは、笑顔を浮かべて、そう補足してくれた。




