第十八章 昭和三年(1928年) 秋 仏国 巴里周辺
海辺の砂浜に立った浅野和三郎は、ピイイ、という石笛の音に聞き入っていた。それは、わが胸を突き刺すように響き、打ち寄せる波の音を背に、せつなく、やるせなく虚空に鳴り渡る。そしてそのまま、いつまでも、いつまでも尾を曳いて鳴り続ける。
その、まるでこの地球の動きに微かなひっかき傷をつけるような音色の悲痛さはどうであろう。それははたして、この世界と人とのいかなる関係性を顕すものなのであろうか。祈りか、なにかの抗いか、如何ともし難い運命というものに対する怒りか、それとも哀しみか。
この聖なる自然の笛の音は、遥か縄文の古よりわが国の住民たちのあいだで吹かれ継いで来たもののはずだが、現代では、なぜか忘れ去られてしまっている。浅野自身が、かつてはこの石笛のよき吹き手であったのだが、ここ数年の有為転変、人生の浮沈のなかでいつしか口につけることもなくなり、今ではただのお守りとして懐中に入れているに過ぎない。
それにしても、いま聞こえているこの澄み切った音は、誰がなんの石笛を吹き、発しているものか?そして、なぜ自分がこんなところに立ち、その音を聞いているのかわからなかった。
そしてついでのこと、思い出した。この浜辺は、いったい海峡に面しているだろうか・・・そう思って浅野は、あたりを見渡した。いや、ここは海峡ではない。ただの砂浜だ。かなたには広い大海原が広がり、波が泡を生じ音を立てて打ち寄せ、沖の方ではなにやらざわざわと腹に響く潮鳴りがしている。
ここは、海峡ではない。だから、自分の目的地ではない。自分が居るべき場所でもない。しかしなぜ、このようなところに立っているのであろう?不思議に思って浅野は、もういちどあたりを見廻した。
こんどは、石笛を吹いている主の姿が見えた。
男だ。帯も締めずにただ粗末な和服を羽織って、ぼさぼさの髪がだらしなく腰のあたりまで伸びている。漁師のような、行者のような。あるいは波打際に迷い出てきた山窩のような。ともかくも、そのさまは尋常ではない。
男は、浅野の存在などまったく気にもかけず、ただ海の方を見て、一心に石笛を吹いている。巧みな指使いで、表面にいくつか穿たれた穴を塞ぎ、息を吸い、吐いて、そのひとつひとつを珠玉のように玄妙な音にした。
だが浅野は、すでにその男のことを、よく識っていた。
あいつだ。浅野の人生を変え、5年間は修行を共にした畏友であり、そしてそのあと袂を分かった男。恐るべき機知と洞察力と魅力とに溢れ、純粋であり、ざっくばらんであり、思い遣りがあり、しかしどうしようもない法螺吹きであり、詐欺師であり、扇動者であり・・・そして、この平々凡々たる翻訳者、いち教育者としての自分の平穏な人生を、その後、まるで子供が玩具箱をひっくり返したあとのようにシッチャカメッチャカにしてしまった男。
あいつが、また・・・いったいぜんたい、何をしにやって来たのだ?
浅野は、半分朦朧とした意識の中で、一生懸命に考えようとした。そして、ひときわ大きく、耳元でまた笛が鳴った。
ピイイ、という石笛の音は、浅野の意識のなかで、やにわに警笛の音と転じた。
そのまま、すっ、と目が覚め、浅野は、自分がいま巴里行の列車に揺られていることを思い出した。規則正しい、睡魔を呼び寄せる鉄路の響きと、ここちよい振動に身を任せたまま、ついすとんと眠り込んでしまったらしい。
周囲に同乗者はいない。平日の日中だからか、これから、花の都と俗称されるこの国の首都に詣でるというのに、車中の半分くらいは空である。ハムステッドの地下鉄駅で、にわかな、そして刹那の異常をきたしたスコッティと別れてから、まだ半日程度しか経っていない。
英国と仏蘭西は、まさに一衣帯水。途中、凶事が起こるやもと懸念された英仏海峡では、コナン・ドイルの見立てどおりに何も起こらず、変わったことといえば、ただ時化に揺られた連絡船でところかまわず吐瀉する乗客のご婦人方の醜態に眉をひそめた程度のことであった。
雇われの軍属教員としてではあれ、長年、大日本帝国海軍の修練施設に務め、数多くの機関将校の卵たちと多くの時間を過ごしてきた浅野自身は、この程度の波など、なにほどのこともない。
ただ、横須賀の濃い緑に包まれた陸地とそれを嵌め込んだように広がる蒼い海とはまるで違う、かなたに背にしたドーバーの白亜の崖と、英仏海峡の濁った銅色の海面との陰鬱なコントラストに、あらためて異郷をひとり旅する者としての孤独を感じはしたが・・・しかしそれ以外、特になにも異常なことが起こる兆候はなかった。
浅野は、膝の上に載せていた小冊子に気づいた。ああ、そうだ。自分はこれを読んでいる途中で、いつの間にかぐっすりと寝入ってしまったのだった。ハムステッドを出る時の、あの説明のつかないスコッティの刹那の変容に動揺し、また命の危険があるかも知れぬ海峡越えに緊張し、その間ずっとあれこれ、とりとめもないことを考え続けて、すっかり草臥れ果てた。
しかし、そうした出口のない堂々巡りの想念から、自分の気をしばし紛らわせようと開封し、読み始めたその冊子の内容は、退屈などころか、逆に、これまでまったく読んだこともないような興味深いものだった。
寝入ってしまったのはおそらく、それだけ精神疲労が深く、またこの冊子が、読み物というよりは、ひとつの医学症例記録であることによるものだった。淡々と抑揚なく記述される症例と、その解釈の繰返しが創り出す一定のリズムが、鉄路の響きのそれと不覚にも同期してしまったものであろう。
そうだ!
これは実に重要な・・・特に毎晩のようにあの妙ちくりんな夢に追われ続けるいまの自分にとって・・・先行症例の記録といえる。正確に言えば、それは自分自身の状態ではなく、毎夜のように自分の夢に出てくる謎めいた世界の、登場人物のうちのひとりの症状にそっくりなのだが。
いや、その登場人物も、どうも、ひとりとは言い切れない。なにしろこれは、同じ人間のなかに、次々と違った名を持つ別人格が現れては消える、という破天荒な症状なのだ。
憑依状態の人間と接した経験は、約4年のあいだ、大本教団随一の「審神者」として活動し続けた浅野和三郎には、豊富にある。しかし、同一人のなかに、様々な種類の別霊が宿っていたことはないし、またそれが自覚的に交代にするなどといった器用な例などはなかった。
浅野は、数多くの憑依霊と対峙し、これと対話し、その多くを説諭しどこかに追い払った。質の悪い霊のなかには、抵抗し、憑いた人間の物理的肉体を使って浅野に攻撃をかけてくるようなものもあった。それでもなんとか務めを果たし、多くの魂と肉体を救ってきた、そうした自負がある。
いや、これほど多数の憑依者に接した経験を持つ者は、世界広しといえども、浅野以外には、他にただ一人しか居ないのではないのだろうか。
浅野に審神者となる素質を認め、そうなるべく差配し、さらに石笛の吹き方を教え、いわば霊界の呼び子としての自分を教育した男。すなわち、たったいま見ていた夢のなかで、海辺でひとり一心不乱にその石笛を吹き鳴らしていた、あの男。
・・・ああ、そうだ。そういえば、先ほどの夢は、自分が本当に久しぶりに見た、厚東四郎の出てこない夢だ。あの海岸も、なんとなく過去に行った記憶がある。おそらくは横須賀の南にある、馬堀や走水あたりの海岸なのであろう。もっと注意して見渡せば、きっと沖合に房総の大地の薄い影や、手前に浮かぶ猿島の崖や緑が見えたに違いない。海峡といえば海峡だが、自分はあのあたりを、海峡だと認識したことはない。眼前一面に広がる、ただの大きな海だ。
とにかく、普通の人間の、普通の夢だ。本当に長かった。もっとも、あの忌まわしい、どこか呪われたような運気を背負った四郎に代わって出てきたのが、よりにもよってあの男だとは。あの男に救われるとは・・・まったく、なんという皮肉だ。
しかし、今はただ、あの鎌倉時代の不気味な旅路からいったん逃れ出ることができたことが嬉しい。あの世界以外にも、別の夢の世界があるということを、再確認できただけで嬉しい。
また想念がとりとめもなくなりかけ、浅野はハッとして冊子に眼を戻した。
冊子の送り主、「顔役」ことコナン・ドイルは、いまや、ともに神霊界を探索する同志となった浅野を英国から送り出すに際し、やや度を過した便宜を図ってくれた。
まず、この小冊子を広大な書肆から探し出し、先日の言のとおり無償で届けてくれた。さして重厚な書籍ではなく簡易な医学レポートといった趣の綴本だったが、梱包は丁寧なもので、表紙の上には、あの見慣れた筆跡のドイルの手紙が添えられていた。そこには、心のこもった惜別の辞と、当書籍の送付が遅れたことの詫言が書かれていた。しかし遅れたのには、それなりの理由があった。
なんと、ドイルはわざわざ、その冊子の著者・・・ドイルは彼を嫌い、その名すらはっきりと記憶に留めていなかったが・・・を調べ、彼がドイツ人ではなく、スイス人であることを突き止めた。そして、なんとジュネーブ湖畔に居を定めていた彼に直接手紙を書き、浅野のことを紹介してくれていたのだ。
心霊主義の筋金入りの顔役が、そうした心霊現象を一顧だにしない精神医学界の世界的泰斗に、これから自分の身内が尋ねるからよろしく、という内容の手紙を堂々と送りつけたのである。もちろん私信であり、世間に公表されたやり取りではないが、これは、おそらくその奇妙さにおいて破格のことといえた。
いかにも拳闘家らしい、直截で、図々しくて、そして全く無駄のない攻撃方法であった。さまざまな説明のつかない出来事や夢に追い立てられ続ける浅野にとって、今は、そのドイルの献身的なお節介が、いちいち心の底から嬉しかった。
このわけのわからぬ奇妙な世界に、自分が無条件に頼りとできる同志がひとりでも居ることが、これほどの勇気の基となるとは。
そうだ、前を向こう。自分を時の彼方の闇から追いかけ回す、誰だかわからぬ相手に向かって。この痩せっぽちの初老の身体を鞭打ち、いまいちど戦闘態勢を取ろう。
やるだけやるんだ。
闘うだけ闘うんだ。
それには・・・闘う相手の正体を、まずは見極めることだ。この医学レポートの内容と、その著者との会見が、もしかしたら、ひとつの突破口になるかもしれない。
ドイルの手紙の、結びの言葉はこうだった。
「どちらかというと科学合理主義の徒である彼が、君の訪問を歓迎するかどうかわからない。しかしもし彼がそれを応諾したなら、現地のトマス・クックの事務所まで返信が来ている手筈になっている。そうなったら、多少予定を変更してでも、是非行ってきたまえ。君のことだから、私と違って、彼と喧嘩にはならないだろう。しかし、もし滝の上で襲われでもしたら、君の国に在る真の武道で、これを友好的に、うまく躱し給え。健闘を祈る。
追伸:聞いたところでは、彼も私同様に、たいへん大柄だそうだ。」
やがて列車は、パリ駅の北操車場に到着した。すでに夕暮れに差し掛かり、赤茶けた色の夕照が、この巨大な駅の鉄骨や城壁を照らし出し、その後ろにとっぷりと黒い、長い影を付けていた。トランクふたつに鞄を抱えてプラットホームに降り立った浅野は、骨の髄まで溜まった疲れを、まずは背中を伸ばすことで追い払おうとしたが、まったく効果はなく、仕方なしに改札のほうに向かって歩き出した。するとたちまち、彼を待ち受けていた二人の西洋人に呼び止められた。
「ムッシュ・アサノ?」
終着駅の宏大な屋根いっぱいに響く喧騒のなか、小ざっぱりした背広に身を包んだ男がそう誰何してきた。右腕の上のほうに黄色い腕章が巻いてあり、そこには、装飾文字で書かれたスローガンが地球をひと回りしている図柄の、青色の立派なロゴ・マークが印刷されていた。
浅野が頷くと、彼は破顔し、手を差し伸べてこう言った。
「お待ちしておりましたよ。長旅でさぞお疲れでしょう。私は、トマス・クック社パリ支局の、ジョルジュ・ルコンと申します。そしてこちらは、イヴァン。」
そう言って、脇に控えてのっそりと立つ、立派な風采をした老運転手を紹介した。
「イヴァン・・・何さんですかな?」
浅野は聞いたが、本人ではなく、ルコンのほうが笑いながら激しく手を振って、こう言った。
「いやいや、単にイヴァン、で結構ですよ。彼の姓は、とても発音しにくいのです。これから三日間、彼がホテルからあなたをご案内します。どうか、なにくれとなくご用命ください。」
イヴァンは、少し目を伏せ、ぴんと伸びた腰をわずかにかがめて、浅野に向かい軽く会釈した。
トマス・クック社は、英国で前世紀半ばに設立された旅行代理店で、上流階級の人士達のあいだに広まりつつある観光旅行熱とともに業容を順調に拡大していた。いまやそのネットワークは、ルコンの腕章のデザインが指し示す如く、全地球的なものとなっている。
コナン・ドイルは、この新興企業の上層部にも顔が利き、浅野には便利な国際連絡切符を利用するよう勧め、行く先々でクック社の現地雇員より便宜が図られるように取り計らってくれていた。
ルコンは、なかば強引に浅野の抱えたトランクのひとつを奪い取り、イヴァンの両手に押し付けた。自分でもルイ・ヴィトンのトランクをひとつ持って、小さな鞄ひとつになった浅野を連れて改札口に向かった。
「われわれにすべてお任せを。なにせ、かのコナン・ドイル卿からのお声掛りです。卿の大切な日本からのご客人を、粗相無くおもてなしするように。このように上司からも言われております。その役を仰せつかったこと、誠にもって、無上の光栄です。さて、まずは市内を観光されますか?ご存知のとおり、巴里には美しい景勝地や、見どころがいっぱいございますよ!それとも・・・そうだな、まずは美味しいお酒とお料理でも?」
ルコンは、陽気なラテン気質の、おしゃべりな男だった。まだ、いささかの疲れを覚えていた浅野は、彼のおしゃべりが疎ましく、少し不機嫌な声の英語で言った。
「いや結構。短期の滞在だし、間にはひとつ重要な予定があるし、自分で好きに動きたいと思います。ムッシュ・イヴァンだけ居てくだされば、それで充分です。ご親切まことに有難う。」
「あぁ・・・そうですか。そういうことなら。」
ルコンは残念そうに言い、イヴァンのほうを少し険しい目つきで見て、こう言った。
「それでは、私はご挨拶だけとなりますが、こちらにて失礼をさせていただきます。あとは、イヴァン、粗相のないようにお送りするのだよ。それでは、良いご滞在を!」
いまひとつのルイ・ヴィトンのトランクまで、立ち去ったルコンから押し付けられた老イヴァンは、哀れにも両手が塞がり、少しヨタヨタとした足取りで浅野を駅の車寄せのほうへと案内した。
そこに停車してあった、先ほどのルコンの腕章と同じデザインの小旗を立てた自動車の後部ドアを開け、ややぎこちない手付きでトランクを載せようとした。見かねて浅野が手伝うと、イヴァンは小声で、「ありがとう」と言った。
「ほう?あなたはロシアの方なのですね?もしよろしければ、先ほど聞きそびれた、下のお名前も伺えませんか?」
「はい、問題ございません。ムッシュ・ルコンの言う通り、私の姓はいささか、発音し辛いと存じます。イヴァン・コンスタンティノヴィッチ・グリゴローヴィッチ。それが私の名です。」
「ミスター・グリゴローヴィッチですね。いや、私の国では、誰であろうと年長者には敬意を払い、決してファーストネームで気安く呼ぶようなことはしないのが習わしなのです。」
「はい、よく存じ上げておりますよ。貴殿のお国のかたがたは、たいへん礼儀正しく、私のようなしがない老人にも優しい、素晴らしい国民です。ただ・・・いつもグリゴローヴィッチですと、お疲れでしょう。ですから、どうぞ遠慮なく、イヴァンと。」
「いや、そういう訳には・・・そうだ、それでは、ミスター・イヴァンと呼ばせてください。それで私の気も落ち着く。まずはひとまず、ホテルに向かってくださいませんか?今日はそれだけで結構。なにしろ、私も初老の身の上で、今日はなんだか、ひどく疲れているのです。」
「かしこまりました。貴殿の宿は、ホテル・デュ・ルーヴルという、由緒のある素晴らしいホテルです。その名の通り、ルーブル美術館の真ん前で、セーヌ川を背にしたまさにパリ街区の中心ですから、どこへお出になられるのにも便利です。明日は、朝の9時くらいには動けるようにしておきますから、ご用があれば、どうぞ、いつでもご遠慮なくお申し付けください。」
浅野は、デュ・ルーヴルの名を出したときのイヴァンの表情に、かすかな翳が兆したように感じたが、そのときは、特に気にも留めなかった。
なにしろ、ひどく疲れていたのだ。一刻も早く、横になりたかった。
やっと旅装を解き、ホテル・デュ・ルーブルに投宿した浅野は、その日の夜もまた、あの海辺で鳴る石笛の夢を見た。
厚東四郎は出てこなかった。ただ、またあの男が出てきた。粗末な身なりの長髪の男が、ただ一心不乱に海へ向かって石笛を吹いていた。
男の名を、出口和仁三郎という。
皇道大本第二代教主・大本すみの夫にして教主輔。表向きは妻を補佐する副長の役目だが、世間では彼こそが大本教団の中心だと正しく認識されていた。もとの名を上田喜三郎といい、京都亀山に生まれ、遊興の徒としてなんら一貫性のない刹那の快楽ばかりを追い求めたあと、二十八歳で大本の開祖、出口なおに出会った。
天保年間に京都綾部の裕福な大工の家に生まれた出口なおは、生後間もなくの実家の零落により、みずからのちに「地獄の釜の焦げ起こし」と回想したほどの壮絶な前半生を送った。その後、五十歳を越えてからにわかに神懸かりして、心霊研究家のいう「自動書記」により、霊界から伝えられた警世の予言を紙に書き連ねる、顕著な霊能を示すようになった。
この、地方土俗の巫女として近在では知られていた老女と、特殊な魅力と才覚を持った若者との出会いが、綾部の土俗宗教のうちのひとつに過ぎなかった大本に、飛躍のきっかけを与えた。
なおの末子、すみの夫として出口家の入婿となった和仁三郎は、人の心を捉えて離さぬどこか俗っぽいカリスマと愛嬌、そして並外れた対外折衝能力とを駆使して、教団の組織化と合法化への道をつけていった。生涯を通して巫女であり続けた出口なおとは、ときに鋭く対立し合うこともあったが、常にぎりぎりでこの義理の親子の決裂は回避され、教団は都度その生命を繋ぎ、そして、じわじわと周囲に浸透して行った。
浅野が、京都のこの奇妙な教団とはじめて関わりを持ったのは、大正四年のことである。すでに横須賀の海軍機関学校の英文学講師となってから16年の月日を数え、浅野自身も四十の坂を越えていた。
きっかけは、ふとしたことだった。
身体の弱い三男が原因不明の熱を出し、長らく下がらずにおろおろしているところ、妻の多慶子が噂を聞きつけ相談しに行った横須賀市内の、とある女行者が、ほどなくその熱が下り快癒することと、その日取りとをピタリと言い当てた。
以降半年ほどのあいだ、なんとはなしに浅野は、この行者のもとへちょくちょく顔を出すことがあったが、あるとき、とある見知りの機関将校の息子が、「直霊軍」と大書した水色の襷をかけてこの場へ顔を出した。聞けば、京都綾部の大本教という教団に深く帰依しており、『東の方に求むる人あり』という神勅を得て、いま該当者を探し求めているところなのだという。
浅野は、ふとした興味を覚え、彼を通じ、教団関係者数名とやり取りを持った。翌年には、大阪への公用の帰り、直接、綾部に足を運び、出口なおやすみ、そして和仁三郎とも対面した。
なにか霊的な作用による引き寄せだったのか。あるいは、海軍という巨大組織への浸透をはかる作為的な宣教行為だったのか。それは、わからない。だが、とにかくその後、浅野和三郎は自発的に、個人としてこの教団にどんどんとのめり込んでいった。翌年末、彼は海軍機関学校での安定した教職を抛ち、一家揃って京都に移住し大本へ入信してしまうが、そうなるまでの間に、いちど和仁三郎のほうから横須賀を訪れてきたことがあった。
浅野が夢に見る、海に向かって石笛を吹く出口王仁三郎の姿は、そのときのものだ。
あのとき、走水神社に詣でたいという王仁三郎の願いを聞き入れ、浅野は、他に数名を伴い、貸切馬車を南に向けて走らせ、浦賀水道に面した小さな泊の背後にそびえる急な小丘をまるごと神域にした神社に案内したのであった。
この社は、上古、関東を伐ち従えるため東下してきた大和武尊が、未だまつろわぬ蛮族どもが割拠する房総に渡ろうとしたとき行手を遮った海神を鎮めようと、荒れた波間に我が身を投じたと伝わる弟橘姫を祀っていた。そして、その後、江戸湾海運に従事するすべての海の男達にとっての、小さいが重要な護りの社であり続けた。
明治期、横須賀を拠点に規模を拡大していった日本海軍の要人たちの多くは、代々この社を尊崇した。特に日露戦役の戦勝以降はひときわ重んぜられ、この小丘に参詣する海軍関係者は引きも切らない。当然、浅野も、任地のすぐ近くにあるこの社へ、家族を伴って訪れたことが何度もある。
社へ向かい、まず荘重な祝詞を上げた王仁三郎は、ふと目を落とし、周囲に散らばる玉石をあれこれとまさぐり始めた。このあたりに、浅野が「審神者」として吹き鳴らすべき石笛が、神によって下されているはずだというのである。
しばらく何も見つからなかったが、ただ呆然とその妙な作業を見つめていた浅野が、自分の足元に、ちょうど程よい頃合いの自然石が落ちているのを見つけた。それは、丸くも四角くもなく、なんとなく龍の頭を思わせる奇妙な形をした石で、ちょうど両目に当たる部分に、どうやってできたものか、指で塞ぐのに適したふたつの穴が空いていた。
王仁三郎は大いに喜び、それを受け取って、海に向けピイイと吹き鳴らした。それまで石笛の音など聞いたこともなかった浅野にとって、それは、軽く目眩を覚えるほどの、高く澄んだ清らかな音色だった。
「浅野はん、これは、あんたさんのもんどす。これから、審神者として生きたらどうかいう、神さんのお告げどすな。」
王仁三郎は石を捧げ持ち、それをそっと両手で包んで、浅野の掌へと握らせた。




