第七章 安貞二年(1228年) 秋 長門国 霜降城
「多々良が、お主の言うように、わが領内の撹乱と騒擾を扇動しているとしたならば、ここ一週間で次々起きた事どもの、説明がつく。」
厚東武光は言った。
「まず、騒擾が起こった。長府においてじゃ。近在の領民どもが、火の神が宿ったなどと口々に喚き、先に火をつけた長い竹竿を手にして、わんさと国府に押しかけてきたそうな。」
「国府に?」
「そうじゃ。国府には守護代が居たが、民草あまりに大勢なるがゆえ、なにもできず、ただ物陰でぶるぶる震えておったそうじゃ。」
「ものの役に立ちませぬな。」
「ただ、不思議なことに、民草ども、国府の前に集いて大いに気勢を上げ、なにやら訳の分からぬ言葉で読経やら舞やら夜通し騒ぎ、終わったあとは、そのまま大人しく帰っていったそうじゃ。」
「暴れたり、乱妨に及んだりすることなく、でございますか?」
「解せぬであろう。大抵の強訴や一揆は、それが目的じゃ。日頃の鬱憤を散じることと、国府の蔵や大店の商蔵のひとつふたつ打毀して、酒やら銭やらを劫掠すること。」
「ところが、それも無かった、と。」
「無かった。妙な話じゃ。」
「次に、あの噂じゃ。何とも妙な、何とも不気味な。」
武光は、言葉を続けた。
「火の山の周辺の村々で、妙な噂が廻り出した。死人が、土の中から這い出て来て、そのまま村人を襲うという。」
「馬鹿馬鹿しい!」
四郎は、父の言葉を遮って、吐き捨てた。
「死人が蘇るなど、無知蒙昧な民草どもの迷妄でござる。誰ぞが吐いた、他の村人を怖がらせるための小さな嘘が大きくなり、そのまま、噂になって村々を廻っただけのことでござろう。」
「あるいは、民心を動揺させるために多々良が撒いた噂かも知れぬ。まあ聞け。仔細はわからぬが、伝え聞いたるところによると、いちど死んで埋められた筈の死人が、そのあと村の辻や田畑の畦をふらふらと歩いている姿が、何度となく目撃されたそうじゃ。」
「昼間でございますか?」
「昼も、夜もじゃ。恐れた村人どもは、徒党を組んで墓地に行き、皆でその死人を埋めた筈の場所を確かめた。」
さすがの四郎も、興味を隠せず無言で頷いた。父は続けた。
「墓標には、わずかに動かした痕があり、土は、誰かが既に掘り返したようであった。そして、勇を鼓してその土をとり除けると、中から瓶が出てきた。」
「ごく普通のことで。」
「そうじゃ。そして、確かに、死人もその中に居た。両膝を抱え、瓶のなかに座り込むように。」
「生きていたのですか?」
「いや、死んでいた。十日ほど前、皆で葬ったときのままであったそうじゃ。」
「それは・・・おかしい。」
四郎は言った。
「地中に埋めた屍は、そのあと腐り、蛆や地虫になど喰われて、ひどいありさまになるとか。野ざらしになっている行き倒れの骸など、たまに拙者も見かけますが、もう二、三日で腐乱し、いっぱいに蝿が集ってござる。十日もすれば、もう骨だけになる。村人どもの、虚言のようでございますな。」
「虚言かどうか、儂が確かめたわけではない。だが、この話には、続きがある。」
武光は言った。四郎も黙って聞いた。
「まるで死んだときのままの骸を瓶から引き出し、村人たちは、僧を読んで念仏など唱えさせ、今度は迷わず成仏すべしと、とどめを刺したそうじゃ。」
「とどめを・・・死人にでございますか?」
「いかにも、そうじゃ。もう二度と現世に迷って出ないように、刀で頸を落とした。」
「笑止千万!唐土の故事に、死屍を鞭打つという話がありますが、わが扶桑では、ご丁寧に、頸まで落とすのか・・・。」
四郎は、鼻で笑って、言った。
「叫んだそうじゃ。」
いきなり、武光が言い、さすがの四郎もびくっとした。
「叫んだ?誰が?」
「その・・・骸がじゃ。すでに生きていない筈の骸が、頸を落とされる痛みに耐えかね、大きく咆哮したと。」
「有り得ぬ。わけがわからぬ。それが虚言でなくて、何でござる!」
先ほど、四郎に挑発されて父が示したような怒りを、今度は四郎が父に覚えていた。
「落ちた頸が、叫んだと言われるのか!すでに胴を離れた頸が!」
「いや、それは少し違う。」
武光は、冷静に補足した。
「そちも知っておろうが、人の頸を斬り落とすのは、難儀なことじゃ。相当な膂力と刀技が要る。そして、斬り落とす際の、肚の座った覚悟も。」
じろりと、息子の顔を見た。
いっぱしの豪傑面をしているが、実は戦に出た経験がなく、刀や、血を見ることが苦手だ。なので、常に樫の木刀を手にしている。その点、儂は・・・あまたの合戦場で、多くの死を見てきた。自分が実際に手を下して、人の頸を斬ったことも、何度だってある。もちろん、ずいぶんと昔の話ではあるが・・・。
お主に、あの手応えが判るか?自らが振り下ろした鋭利な冷たい刀身の廻りに、柔らかな人の肉が喰い込み、ぐずぐずと沈み込んでいくようなあの手応えが。そのあと、堅い骨に当たり、それを絶ち斬り、やがて向こう側へ抜けていく。あの、何というか、なにか禍々しき爽快感のようなものが。
斬らずばわかるまい・・・絶対に、わかるまい。
お前は、しょせん・・・。
武光は、その突発的な想念を振り払い、冷静に言葉を続けた。
「村里に住み、土を耕している百姓ずれに、人の頸など斬れぬわい。もちろん、使ったのが錆刀だったからかもしれぬがの・・・とにかく、一刀両断といかず、そのまま、へっぴり腰の男ども数人がかりで、ごりごりと屍の頸をかき落とす仕儀と相成った。」
「なるほど。変な話ですな。酷いような、間の抜けたような。」
「血は、出なかった。骸も冷たかった。だがそのうち。」
「そのうち?」
「村人は、気づいた・・・死人の鼻の穴から、息が出ている。」
「息が!」
「死んでいるが、息をしておるのじゃ。そのうち、土気色をした唇の端からも、息が漏れてきたそうじゃ。」
「あの世から魂が戻り、骸が、蘇ってきたと・・・。」
「ああ、そのとおりじゃ。村人たちは、あまりの恐怖に耐えきれなくなり、刀の切っ先で屍の胸を突いた。」
「頸は・・・?」
「半分、落ちていたそうじゃ。まだ真ん中の骨を断つには至っていなかったが、頭が、変な格好で歪み、斜めになっていたそうじゃ。」
「父上自身が、まるで、横で見ておられたかのようじゃ。」
「この話し、まさにその場に居合わせた僧が、この城にやってきて報じたことじゃ。ここに、いまお主が座っておるところで物語ったからの・・・その場の有り様を、事細かに、見たまま詳しく話したからの。」
武光は、悍けをふるいながら答えた。
「おそろしい風景じゃ。あの僧の言葉は、虚言ではない、真実のことじゃ。それを聞いた儂は、恐ろしゅうて、汗をかき、手が震えた。」
「先を、お続けください。」
四郎は、震えていなかった。しかし、やや緊張していた。この、人とは思えぬ酷薄な性質の父が、ただの幼兒のように震え、こうまで脅えているとは。
武光は続けた。
「村人どもは、切っ先を左胸の、心の臓あたりに突き刺し、なんども抉った。血は出なかったが、鼻や口から出ていた息が、少しく荒くなったように思えた。そして・・・。」
「そして?」
「叫んだ。屍が叫んだ。口を開けてはおらぬ。眼も開けてはおらぬ。ただ、胸の奥の方から、叫ぶような音が聞こえた。」
「なんの話です・・・まるで、わからぬ。口を開けずに人が叫ぶとは。おそらく、側にいた誰か別の者が、皆を怖がらせようと、戯れたのではないのですか?」
「わからぬ、だが、その場にいた誰もが、そうは考えなかった。とにかく、叫び声が聞こえたのは、一度きりだそうだ。何故なら、びっくりした村人のうちの一人が、胸から抜けた刀身を、渾身の力を込めて頸へと振り下ろしたからじゃ。今度はみごと、骨を絶ち、一撃で頸を落とした。あまりの恐怖に、邪念を忘れていたと見ゆる。叫び声は、そのまま止んだそうじゃ。」
さすがに黙った息子をしばらく眺め、武光は言った。
「今の話、確かに、その場に居合わせた僧が、儂に語って聞かせた話じゃ。累代、その地の氏寺を守る志操堅固な者で、虚言など弄す輩ではない。だが、お主の申すように、何らか、多々良の思惑が入った上での謀略やもしれぬ。」
「そこで私に、現地に赴き、理由を探索して参れ、と。」
四郎が先回りして、言った。
「左様じゃ。さすがに察しが良い。」
武光は、四郎を褒めた。だが、その言葉は、どこかうつろだった。
「怪力乱神の類をまったく信ぜぬお主であれば、この役に、うってつけじゃ。」
「兄上や配下どもには、お命じにならなかったのですか?わざわざ、数日も距離のある地を護る私をお呼び出しにならずとも、お膝元に人はいくらでも居りましょうに。」
「命じては、みたが・・・皆々、病と称して臥せっておる。」
武光は、苦虫を噛み潰したかのような顔で、言った。
「なるほど・・・城中、また新たなる流行病が。」
四郎は嘲笑い、
「それでは、まず私は、火の山の麓に参ればよろしいのですね?あそこには、たしかまわりに村が三つ四つ、あったはずでございますが。」
「御裳裾に参れ。川がちょうど、海に流れ込むあたり。」
「あそこは、街道筋の邑でござる。村とは言えませぬぞ。」
「実はの・・・同じような怪異が、どの村でも同時に起こっておるのじゃ。」
「なんと!」
「死人が蘇り、歩き出す。村によっては、人を襲う。ともかく、いちど、そのような話が伝わってきたら、もはや人を派しても戻っては来ぬ。さきに話した和尚も、ここから寺へ戻ったきり、なにも音沙汰がない。戻ったら、すぐに代僧を遣わしてその後の状況を報ずる旨、堅く命じておったのだがな。」
「それは・・・ゆゆしきこと。ただの怪異や幽霊譚で済む話では、ございませぬ。よもや、多々良に扇動された何らかの謀叛かも知れぬ。」
「わからぬのじゃ。ここ数日、まったく、なにもわからぬ。御裳裾までは、大丈夫じゃ。だが、そこから川を遡り、山に入ると、もう何が起こっているか、まるでわからぬ。」
「それは、切迫した話でございますな。もはや、壠からわが手勢を呼び寄せる暇もなし。」
「必要ならば、この城から、わが手勢を連れて参れ。」
「いや・・・それには及び申さぬ。」
四郎は、優秀な軍事指揮官の貌となって、なにごとか考えながら、言った。
「まずは、なにが起こっておるのか、その状況を偵知することです。拙者、単身乗り込み、探れるだけのことを探って参ります。必要なのは、二、三日。必ずここに戻って参ります故、そのうえで、打つべき手を考えましょう。」
「うむ。しかし、本当に単身で大丈夫か?」
「城の麓に、従者をひとり待たせてあります。身分卑しき者ながら、敏捷で聡く、寄せ来たる脅威を感知する嗅覚は、獣以上の者でござる。」
「そうか・・・たしかに、戦はまず、物見からじゃ。そのためには、相手に気取られず近づくのが最上。」
四郎は、頷いた。奇妙なことだが、あれだけよそよそしかった父親が、今は自分を、どこか労るような、大切なものを見るような眼で眺めている。
武光は、その気持を、はっきりと言葉に出した。
「四郎。儂は、お主にとって決して良き父ではなかった。お主を、憎んでいたわけではない。だが、疎んじはした。なにしろ、我が正妻は、京のやんごとなき家柄の女子じゃ。斯様な田舎豪族が、この縁を邪険にすること、決して、できぬ。だがその結果、お主と、お主の母には、長年月に亘り、とても辛い思いをさせた。」
「今さら、何でございます。拙者、ただ厚東一族の連枝として、為すべきことを為すだけのこと。」
「お主が発つまでに、言うておきたいのじゃ・・・いま、わかった。お主の兄たちは、どいつもこいつも、性根の無い阿呆ばかりじゃ。いざ危急の際、儂が頼れるのは、ただ一人だけであった。愚かなことよ。この齢になって、自分の本当に頼みとすべき者に気づくとは。」
さすがに、四郎も、黙った。眼が少し潤んでいるようにも見えた。
武光は、抑えていた感情を解き放ち、こう言った。
「死ぬなよ、四郎。必ず、生きて還れ。なにが起こっているのかを、儂に報ぜよ。そして、もし何らか厚東に害なすたくらみや謀叛の企てあらば、親子打ち揃いて軍勢率い、わが長門を侵さんとする不埒者どもを、残らず討ち果たそうぞ!」




