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海峡奇譚  作者: 早川隆
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第六章  昭和三年(1928年) 秋  倫敦 ケンジントン周辺

会議開幕の、三日ほどまえのこと。


浅野和三郎はいつものとおり、思わせぶりで奇妙な、そして前の晩に見たものとどこか連続するおかしな夢から目覚めた。そのまま顔を洗い、着替え、食堂に降りてスコッティとお喋りしながら朝食を()った。


ほどなく、倫敦(ロンドン)まで足を伸ばし、場末の心霊教会の礼拝に出た。心霊主義を奉ずる若い神父の、型にはまった退屈な説法に苛々しながらなんとか聴き終わり、廻されてきた缶に数シリングの寄付をした。そのまま市内を散策し、なんら成果のないまま夕刻、ハムステッドの素人亭(アマチュアーズ)に戻ると、そこへ驚くべきメッセージが届いていた。


明日、9月7日金曜日の午前に予定されている、世界スピリチュアリスト会議の出席者同士の事前顔合わせが終わったあと、少しばかりお時間を頂きたい、初対面なのに不躾(ぶしつけ)で恐縮だが、貴殿とは特に一対一フェイス・トゥ・フェイスで親しくお話がしたい。あまり他人を入れたくないので、会場から数ブロック離れた、ケンジントン・ガーデンの丸池ラウンド・ポンド脇にあるベンチでお待ちしている、という内容だった。そのあと手描きで、公園の略図と門、ベンチの位置などを書き込んだ見取図が添えてあった。


署名は、サー・アーサー・コナン・ドイル。


この書面を見たら、たぶん、スコッティはその場で気を失うだろうな、やっぱり、君にはまだワトスン君の代わりは無理だ。メッセージレターを手にした浅野は、ふと、そのようなことを考えた。


応諾の返答を倫敦まで戻す暇はない。明日の事前顔合わせのことは、当然すでに大会実行委員会から何日も前に連絡があったため、浅野も出席予定であった。とはいえ、顔合わせの内容がどんなものか、何時間掛かるものかまではわからぬため、とりあえず、次の予定は倫敦市内で夕刻、ということにしている。おそらく、時間的にはなんの問題もあるまい。


とはいえ、言葉こそ丁寧だが、他人の日程などもともと考慮に入れておらぬところは、いかにも心霊界の顔役に相応しい鷹揚(おうよう)さ、ないし図々しさであった。




その9月7日、この日はなぜか例の奇妙な夢を見ずに済んだため、浅野は少し早起きして朝食を摂り、徒歩で倫敦市街へと向かった。スコッティは出勤前で、今日は会わなかった。


先に会場のクイーンズ・ゲート・ホール正門に着き、しばらく脇に立っていると、浅野とともに会議に出席する、福来(ふくらい)友吉教授が現れた。もう還暦前だというのに、すらりと伸びた背に半白の髪を撫でつけ、ステッキもなしに往来をまっすぐ歩んでくるさまは、そこらの日本人や支那人とはなにか別の人種のようである。


福来は、現在、高野山大学の教授という肩書を持っているが、仏徒らしき悠揚(ゆうよう)たる雰囲気は、微塵(みじん)も感じられない。たえず物珍しげにきょろきょろと周囲を見廻し、せかせかと足早に歩き廻り、なにやらぶつぶつと独り言を言いながら、次から次へとなにか想を練っては興の尽きない素振りを見せる。


福来は、あくまで宗教科学者であり、決して自覚的な心霊主義者ではない。よって、往路は一緒だったが、ここ倫敦では、滞在する場所を含めてすべて別行動である。興味関心の範囲、見聞したい物事、さらに蒐集(しゅうしゅう)したい知識や書誌の範囲が、違いすぎるのだ。


事実、彼は、新興科学に人生を捧げ、それに殉じ、そしていま、畑違いの浅野と共にここに居る。


千里眼(せんりがん)事件」。

倫敦に住む日本人の誰に訊いても、おそらくは覚えていると答えが返ってくるであろう大事件の中心に、かつて福来は深く関わっていた。


今回のスピリチュアリスト会議において、日本代表としての講演は、英語の喋れる浅野がすべて受け持つ。ただその内容の何割かは、つい十数年前に日本中を騒がせ、海外にまで報じられた福来の「千里眼」研究に()く。福来の役割は、ただそこに立って、研究の当事者本人であると浅野からの紹介を受け一礼することと、研究の概要を英文で記した冊子を配ること、そしてレセプション・パーティーにおいて、浅野の通訳のもと、来賓からの質問に笑顔で答えることである。



浅野と福来は、そこでよもやま話などしながら数分を潰し、定刻10分前に会場へと入っていった。平素は音楽堂として使われているホールは、巨大な屋根まで、おそらく5階ぶんくらいの高さの大伽藍(だいがらん)となっており、一声なにか発すれば、誰も居ない観客席のあちこちに跳ね返り、四周の壁に響き渡っていきそうな感じがした。


今日の顔合わせには、ホールの脇に設けられた会議室が充てがわれていた。どこの入り口から会場に入っていたものか、すでにそこには数十名もの先客が着座し、がやがやと、様々な言葉でお喋りをしている。二人は、やや勝手がわからずどぎまぎしながら、空いている席に並んで着座した。


やがて定刻となり、会議を取り仕切る司会席に、相連(あいつら)なって主催者たちが姿を表した。名誉総裁のサー・アーサー・コナン・ドイル。彼の巨大な体躯に、浅野はまず圧倒された。身長はおそらく190センチ近く。恰幅が良く、口をへの字にして鋭い眼で威厳たっぷりに会議室を見廻し、どしりと腰を下ろした。続いて、ドイルに較べればずいぶんと矮小(わいしょう)体躯(たいく)に見える会長やら副会長が入ってきて、ドイルの両脇に、まるで肉料理の添え物のように着座した。


やがて、小柄な会長がジョージ・ベリーと名乗り、皆に挨拶した。内容は簡潔明瞭にして要点のはっきりしたもので、当世界スピリチュアリスト会議の発展に関する感謝の言葉、今回の第三回大会で、真に地球規模といっていいほどの参加国の増加を実現することができた喜び、斯様に広く、心霊主義が受け入れられる素地が世界中に存在するという事実は、今後のさらなる会の発展につながることだと皆を(あお)り、また新たに迎え入れることのできた新しい仲間に拍手を、などと言っては座を盛り上げた。


それ以外は、執行部のメンバー紹介と、参加各国の紹介である。国名と代表者名をひととおり主催者が読み上げる。呼ばれたら立ち上がり、特にコメントはせずに一礼する。主催者が、事前に提出された講演のタイトルを読み上げ、また一礼して着座する。この繰り返しである。


事前の顔合わせとは、ただこれだけのことであった。


なにしろ、参加国の数が膨大すぎるのである。アメリカ合衆国をはじめとして、南北米大陸が合わせて9カ国。欧州10カ国、英連邦3カ国、アジア3カ国。代表団の人数は、日本の2人から、英米仏のそれぞれ数十名(数知れず)まで、さまざまであった。今日のところは、それぞれの代表者しか呼ばれていないが、本番ではこれだけでかなりの賑わいを見せることとなるであろう。そして、もちろん、会場へそれを見に来る数千の一般観衆が加わる。


日本の番になったとき、代表の浅野が呼ばれて、席を立った。ベリーは、彼の講演タイトルだけを読み上げて、事務的に次に行こうとしたが、浅野は、ちょうどよい頃合いで言葉を差し挟んだ。

「実はもうひとり、代表者がおります。脇に控えておられるフクライ教授。おそらく世界でも一等の心霊写真の大家で、つい十年ばかりまえ、6千万の全日本国民の耳目を集めた一大事件について、皆様にご報告申し上げます。」


敢えて安っぽくセンセーショナルに、まるで新聞の見出しのように語った。それは、あまりにも長くなりすぎ、単調になりつつあった紹介イベントのちょうどよいアクセントとなり、飽きかけていた参加者一同から大喝采となった。


ありがたい助け舟に、ベリーはにっこりと笑い、その横で、しかめ面のドイルが、わずかに頬を(ゆる)めるのが見えた。



コナン・ドイル卿は、浅野を待ち構えていた。


午前中の各国代表顔合わせから1時間ほどあと。会場からは、わずか500メートルほどしか離れていない、ケンジントン・ガーデンの広大な敷地の西側にある丸池 (ラウンド・ポンド)のほとりである。


ドイルの巨躯は、遠くからでもはっきり見えた。彼は、杖をベンチに立てかけ、薄手のコートを畳んで背もたれに掛けてから、手にしたバンの耳を千切って、そこらじゅうをよたよたと歩き廻る水鳥に投げ与えていた。


やがて、こちらの姿を認めるとベンチから立ち上がり、にっこり笑って帽子を振った。先ほどの威圧的な強面(こわもて)が信じられないくらい、にこやかな笑顔である。肌艶(はだつや)がよく、全く年齢を感じさせない赤ら顔で、そのまわりを威厳ある白ひげがびっしりと覆っていた。


「やあ、よく来てくれました。お連れの方は、おられないのかな?」

「はい。一対一フェイス・トゥ・フェイスで、というご指定でしたので。もしお連れしたほうが良かったのであれば、気が利かず申し訳ない。」

「いやいや、全く問題ありません。むしろ、そのほうが良い。ただ、先ほどの貴方の機転で、プロフェッサー・フクライの名を、すっかり覚えてしまいましたからな。」

「余計なことを、申しました。」

「いやいや、これは思いのほか遠慮深い紳士だ。もう少し、私同様に図々しい人かと思っておりましたがな。」

ドイルは、赤ら顔を、さらに赤らめながら笑った。


「とにかく。貴方とフクライ教授の講演には、大いに期待しておりますよ。」

「これは・・・恐れ入ります。」

「ネンシャ、と言いましたかな。」

いきなりドイルが言って、浅野は、びっくりした。


「その言葉を、どこで・・・!?」

浅野が事前に提出した講演のタイトルには、福来の研究、すなわち「念写」の言葉はどこにも入れていない。それは、実際の講演で語り、また同時に配布する予定の、英文の冊子にのみ記載しているものだ。


ドイルは、悪戯(いたずら)っぽく笑った。

「いささか、驚かせましたかな。実は私は、日本に長年住む知己が居り、彼から定期的に便りを貰うのです。彼は好奇心旺盛な男で、頼みもしないのに、日本にあるさまざまな景勝地や文化財について、政治について、民情について・・・実にさまざまなことを書いて寄越して来るのですよ。」


「なるほど!合点がいきました。貴方は、たしかシャーロック・ホームズでも日本の聖武天皇や、さまざまな文物を紹介しておられましたね。ライヘンバッハの滝では、ホームズ自身にバリツも使わせて・・・。」

数日前の、スコッティとの会話を思い出しながら、浅野は言った。


ところが、ドイルはそれを鼻で嘲笑(わら)った。

「バリツなど・・・西洋人のデッチ上げた、ただのインチキ武道に過ぎない。貴方も、わかっていてこちらに合わせようとしたでしょう?」



「では、ご存知なので?」


「君、わたしを甘く見てもらっては困る。本来、あそこでは、ジュージュツという言葉を使うべきだった。私の身体を見てわからないかね?私はもと拳闘の選手なのだよ。世界のすべての格闘技に対して、深い知識と関心がある。ライヘンバッハのあの状況では、相手をいなして、その力で投げ飛ばす、ジュージュツを採用するのがもっとも妥当だ。だが、発音が西洋人には記憶しにくいのと・・・それから、あの頃は、ホームズを書くことに、もうウンザリしていたのだよ。」


「なるほど・・・お察し致します。卿は本来は、歴史物語や心霊についての著述で身を立てたいとお考えだったと、どこかで聞いたことが。」


「そのとおり。探偵小説を書いたのは、患者のまるでやって来ぬ貧乏医師が、有り余る時間を使って、単に生活の足しにするためだった。ところが、それが化けて、ああまで巨大な怪物(モンスター)になってしまって・・・それでずいぶん、人生を無駄にしたよ。」


「ご(もっと)もですが・・・しかし、ホームズ物語で貴方の名を知り、貴方の主張に耳を傾ける人士も多く居ます。あなたは、今や、世界の心霊研究の象徴的な存在です。多くの人々にとって、ホームズは、心霊の世界を深く知るための、ひとつのきっかけになっているのです。ですので、決して無駄なことではなかったと私は思いますよ。」


「まあ、とにかくあのときは、私の人生に立ち塞がり、私が本来進むべき道を邪魔するあの忌々(いまいま)しいシャーロックの奴を、(ほうむ)ってしまいたかったんだ・・・ところが、物質主義と商業主義とが、まだ若かった私の両手を握って離さず・・・またしばらく、あの愚にもつかない三文小説を書かざるを得ないことになってしまった。当時の私は、ずいぶんと(すさ)んだ、ひねくれた気分で、シャーロックの命を救い、またも私の人生に無駄なまわり道を強いた忌々しいあの技に、()えてインチキ武道の名を付けてやったのだよ。」


「なるほど・・・そこまでお詳しいとは。感服致しました。それでは、念写の一件も。」

「さよう。もう、十年も前に知っておりましたよ。日本国中を巻き込んだ、一大スキャンダルになったとか。福来教授は、それでたしか東京帝国大学の教授の座を、追われたのでしたな。」


「そこまでご承知ですか・・・福来氏は、本来、日本の宝ともいうべき優れた、誠実な研究者なのです。ところが、頭の堅い、現実を受け入れようとしない権威主義者、守旧墨守派や教条主義者は、世界のどこにでも居るものです。」


「たしかに、そうですな。そのような周囲の無理解と圧力とに追い込まれ、哀れにも念写の能力を持った女性の一人は、自死しなければならなくなったのでしたな。本人は、ただ、そういう能力を持って生まれてきたというだけなのに。悲しい話ですよ。本当に。」

ドイルは、遠い目でしばし、池のかなたを(にら)んだ。




「ときに、ミスター・アサノ。」

「はい。」


「私は、駆け引きは嫌いだ。また、これまでの会話で、あなたの人物を、とても信頼できると踏んでいる。なので、単刀直入に問いたいのだ。気を悪くせんでほしい。」


ドイルは、たしかに、優れた拳闘選手だった。


いったん自分の(リーチ)のなかに相手を引き込み、いきなり、一対一、の本題に斬り込んできた。したたかなカウンター・パンチである。


浅野は緊張し、固い表情で頷いた。

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