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海峡奇譚  作者: 早川隆
11/71

第五章  安貞二年(1228年)秋  長門国 霜降城

「母上が!」

四郎は、少し(とげ)のある声音で、聞き返した。

「吾、今日まで何ら知らせを受けず。いつの頃から、()せっておいでなのですか!」


「十日ばかり、前からじゃ。」

父は、色をなした息子の剣幕にもなんら動揺を見せず、応えた。

「なにしろ、いかな薬師(くすし)でも手を出せぬ難しき病じゃ。しかし、放っておけば、命に別状はない。疱瘡(ほうそう)とは(ちご)うてな。」


「命には、関わらぬ、と?」

「そうじゃ。この病で、命を落とした者は居らぬ。ただ、(かさ)ができ、臥せり・・・そしてたまに、踊り出すのじゃ。」

「訳がわかり申さぬ。母者はいま、どこじゃ!」

遂に、四郎の自制が(せき)を越えた。腰を浮かせて、父に食って掛かった。


「言うたであろう。地下に座敷をしつらえ、不自由なきようにしておる。大事ない。生命には関わらぬ。」

父も、子の態度に合わせて声音を変えた。これまでの、かりそめにも親子であらんとした控えめで優しげな言い方ではなく、四郎を一気に突き放し、まるで配下に対するような言葉になった。


そして、冷たく、厳しく言い渡した。

「母に会うこと、(まか)り成らぬ。この病は、流行病(はやりやまい)じゃ。地下に参れば、そちにも伝染(うつ)る。そちには、これから果たさねばならぬ大事な責務があるのじゃ。」




「責務?」

つい感情に走ったことに気づき、少し自制を取り戻した四郎が、一息おいて()いた。

父も少し落ち着いた。

「そうじゃ。そちにしか果たせぬ、そちにしか頼めぬ仕事がある。」


「それは?」

とにかく、まだ訳がわからぬ。とりあえず、話を先に進めなければならぬ。

四郎はそう思い、座り直した。


「西のほうにて、誰か。」

武光は言う。

「われらを・・・この厚東を調伏(ちょうぶく)しようとする者がおる。」


「調伏?」

思わず四郎は、繰り返した。

「そのとおりじゃ。この病は、ただの病ではない。何者か、鬼道(きどう)を以て我らを調伏せんとする不埒者(ふらちもの)がおる。()の者を見つけ出し、成敗(せいばい)致せ。さすれば、お主の母の病もたちどころに()えようぞ。」




四郎は、呆れた。

「父上・・・何かと思えば、調伏などと。」

口の端に笑みを浮かべ、無言のうちに父親を(あざけ)った。

「斯様なこと、ある訳がなかろう。たかが山伏やら祈祷師やらの調伏ぐらいで、人が病に倒れるなど。しかも、それが流行病(はやりやまい)となって人から人へ、そして領内に広がるなどと!」

その正気を疑うように、父を凝視した。


「調伏でなければ、何じゃ!この厚東(ことう)家に対する、呪詛(じゅそ)でなければ!」

いきなり、唾を飛ばして父は(わめ)き出した。

「奴らは民を脅して、領内を不穏にし、そして、この国を奪う(はら)じゃ!」


「厚東郡主にして実質的な長門国守護、孤独と心労のため(にわか)に狂せり、もはや国を(たも)(あた)わず・・・さすれば、鎌倉は狂喜いたしましょう。」

四郎は、冷たく言った。

「国主が正気を失い、国の仕置(しおき)に重大な手落ちあり、領内混乱・・・さすれば、六波羅(ろくはら)あたりからまず糺問使(きゅうもんし)が飛んで参り、次には討伐軍が。我ら厚東一族は討ち果たされ、この長門はずたずたに切り刻まれ、家鴨(あひる)(ひな)のように口を開けて行賞を待つ坂東の別の御家人どもにでも分け与えられましょう。まあ、国主が狂さば、鎌倉方のその措置も、民を安んじる為にはまったくもって当然至極(しごく)!」


年若い息子のこの生意気千万な罵倒に、百戦錬磨の猛将・厚東武光は、はっきりと逆上した。膝を立て、脇息(きょうそく)の近くに横たえた太刀(たち)(さや)ごと手に取り、

「そちは、本当に(わし)の子か?厚東一族の連枝(れんし)なる者か?」

と、叫んだ。



しかし四郎は、一歩も(ひる)まない。


負けじと樫の木刀を手にし、父を上廻る大音声(だいおんじょう)で怒鳴りつけた。

「しっかりとなされよ、厚東左衛門太夫(さえもんのたいふ)殿!たかが呪詛や調伏ごときで流行病(はやりやまい)は起りませぬ。当主がそのような、いと弱々しき有り様では、それこそ、本当にまるごと国が奪われてしまいましょうぞ!」


誰も居ない大座敷の入り口に、何名かの近習の影が飛んできた。武光は、視界の端にそれを捉えると、息をついてまた座り、ぞんざいに(さや)を振ってその人影を去らせた。彼は、少し声を落ち着けて、言った。


「たしかに、少し、儂の考え過ぎかもしれぬ。しかし。」


四郎は、ぎろりと眉根を釣り上げ、無言で父の次の言葉を促した。

「しかし、じゃ・・・これはあまりにも面妖至極(めんようしごく)寿永(じゅえい)の乱より早や四十年、平穏そのものであったこの長門に、ここ数年来、災厄や奇っ怪な怪異ばかりが、立て続けに起こる。」




四郎は、今度は納得した。

たしかに、父の言葉は、正しい。


壇之浦合戦のあと世が定まり、それ以降、権力の中枢から遠く離れた西国は平穏そのものである。兵乱や内訌(ないこう)、戦火が起きるのは、いつも東国においてばかり。七年ほど前に、京と鎌倉とのあいだで深刻な大乱が起きたものの、西国御家人に対する後鳥羽上皇の檄文(げきぶん)に、父は賢明にも応じることはなかった。


ゆえに厚東氏の権威は微塵も揺るがず、ここ長門国においては、四十年前に打ち立てられた秩序がそのまま維持され、ただゆるやかに時が過ぎている。


勇武を(うた)われ、長門随一の膂力(りょりょく)を誇るこの四郎忠光にしてみても、あまたの戦だの乱だのは、遥か昔にあったこととして、ただ話に聞くばかりの遠い出来事。いまの彼の日々の任は、いつ築かれたとも知れぬ上古の城壁を(まも)り、誰が攻め寄せてくるともわからぬ、なにもない、ただ平たい北の海を眺むることばかり。これまで長門は、ずっと平穏であった。


しかし、ここ数年は違う。打ち続く失火に地震、河川の氾濫、大風に旋風、落雷、山崩れ。そして今度の流行病(はやりやまい)。まるで、四十年ぶんの災厄を、一気にまとめたかのように、続けざまなる災害の直撃を喰らい、犠牲者も多数出ている。


天災は、地上の為政者の徳(すくな)きを怒る神の意志であり、民は、身に降りかかるどうしようもなき災禍を、自らの(あるじ)の悪しき行の結果として受け止める。


国主として、厚東武光の心労は、ある意味で当然のことかも知れない。




だが・・・四郎は思う。だが、そうであるからこそ、国の鎮護(ちんご)をもって任ずる厚東氏は、いま現実に起きていることに、ひとつひとつ、しっかりと対処してゆかなければ。


自然の災害は、誰ぞの呪詛(じゅそ)でも、神の怒りでもない。ただ、自然に起こることなのである。自然に起こることに、原因(わけ)などありはしない。ありもしないことに脅えることほど、意味のないことはない。よって、長門国主たる厚東武光のなすべきことは、ただ事態への現実的な対処であり、被害の極限であり、被災民に対する救済措置である。決して、災いの原因をいまさら探索することなどではないのだ。


四郎は、それをはっきりと口にした。(あなた)が、重責と心労のあまりに疲れ果て、本来の責務から逃避していると。呪詛人を探し求めるなど、愚の骨頂であると。そのようなことにわざわざ召し出されたのであれば、自分は今すぐ(ぐろ)に帰り、ただ、なにもない北の海でも眺めておると。


御救米(おすくいまい)でも下さり、それを被災民たちに配りに行けと言われるならば、喜んで参りましょう。落ちた橋を架け、崩れた山道を直すことならば、労を(いと)わず、身一つで参りましょう。ただ、(あなた)の気休めのために、わざわざ居もせぬ呪詛人を探り、これを成敗するなど真っ平御免。罪に問うなら、問えばよろしい。ただ、断固として、斯様(かよう)な任は受けられませぬ。しっかりとなされよ。現実を見られよ。



かりそめの親子関係を終わらせかねない、四郎の、覚悟を決めた捨身の熱弁は、かたくなな父親の心を揺り動かしたようであった。厚東武光は、しばらく、苦しそうに沈黙した。やがて(うつむ)き、そして、ゆっくりと面を上げた。その眼がぎろりと、黄色く光っていた。


「わかった・・・わかった、四郎。お主の申す事、(もっと)至極(しごく)じゃ。儂が、誤っていた。老いさらばえて、周囲に人材(ひと)もなく、(いささ)か疲れておるようじゃ。」

こう言って、まず息子に詫びた。そして、こう言葉を継いだ。

「呪詛では、なかろう。調伏でもなかろう。しかし他に、この厚東を(おとし)め、長門によからぬ風評を()き散らす、現実の敵が居る。そうだとすれば、どうじゃ?お主はいかに考える?」


「それすなわち、厚東を討滅(うちほろぼ)さんと図る勢力ということでございますか?」

如何(いか)にも、そうじゃ。それらの者が・・・お主の言うように、まさか天災を招き寄せ、病を()き散らせた訳ではあるまいが・・・しかしこの機に乗じて、我ら厚東を陥れようと、()からぬ(はかりごと)をなし、(ひそ)やかなる動きを始めている。これは、現実のことじゃ。確かなる話じゃ。」




「よもや、それは・・・多々良(たたら)!」

四郎は、言った。父親は、大きく頷いた。


「多々良が、なにか善からぬ動きを?」

「そのとおりじゃ。ここ半年ほど、わが領内奥深くに多々良の間者(かんじゃ)が多数入り込み、(よこしま)な風評を流し、人心を惑わせておる。これは、確かなことじゃ。現に、ここひと月のあいだに、五人もの間者を(とら)えた。」


「それらは・・・?」

「すでに、斬った。口の堅い奴ばらであったが、容赦なく責問(せめどい)し、一人が、死する前に遂に()いた。彼奴らは、太田洲(おおたのす)のあたりから舟を繰り出し、夜半にわが領内に()がっては、夜闇に(まぎ)れてあちこち散っておる。」




「目的は、なんでございます?」

「知れたこと・・・噂を()くためじゃ。打ち続く天災は、わが厚東家の徳少き故であると。厚東を討滅せば、すなわち楽土が(かえ)る。皆々、厚東に抗せよ、などと。」


「なるほど・・・たしかに、そうでなくとも長門においてこの厚東の評判は、ひどく悪うございます。」

四郎は、またもはっきり言った。


武光は、眉をひそめた。

「わが息子とて、言うて良いことと、悪いことがある。(わし)は、長らくこの長門を平穏に収め、まずまず民にも寺社にも施しや寄進をして参った。さほど悪き国主では、なかったつもりじゃ。それなのに、なぜじゃ?」


「誠に因果なことで・・・父上は、その昔、寿永年間に、平家を見放し、これを背中から攻めなさった。」

「あれは・・・仕方のないことじゃ。あのまま平家についておれば、今頃、儂もお主も居なかった。長門がこんにち厚東の国であるのは、ひとえに、あのとき儂が源氏についたからじゃ。乱世のならいじゃ。いまさら、何を!」


「さよう。拙者も、地上(ここ)()る以上、父上のその行いに異を唱える訳には参りますまい。」

ここで、はじめて四郎は笑った。乾いた笑いであった。


「長門の民も、そのこと、重々承知。しかしながら、(おそ)れ多くも水漬(みずつ)(かばね)となられた安徳帝と、壇之浦に消えた平家一党の哀れな最期を(おも)うとき、誰か、彼らをそこまで追い込んだ、こころ悪き者をつくり出さねばならぬのです。何故なら、長門の民のおおかたは、源氏についた父上に従いて、平氏を背中から討つ手伝いをなしたのですから・・・自らは、なにも悪くない。ただ命ぜられて、嫌々ながらやったこと。すべては、其の者の、()しき心の所為(せい)なのだ、と。」


「ならば、儂が生き続けておるあいだは、長門の民草(たみくさ)は、わが厚東にはまつろわぬと、そういうことか?」

「父上だけでは、終わりますまい。おそらくは後を継がれる兄上、そのあとも、ずっと。厚東の家が続く限り、我らは裏切りの家であり、帝を追い詰めし悪逆の一族なのでございます。おそらく、多々良は、そこにつけこみ、民が心の奥底に持つ罪の意識を(あお)りながら、その(くら)き怒りを厚東にぶつけるよう仕向け、我らの領国を撹乱(かくらん)せんと図っておるのでございましょう。」


「ふむ・・・なるほどのう。多々良らしい、卑劣なやり口だわい!」

武光は、吐き捨てた。



多々良(たたら)氏とは、隣国・周防を治める一族のことである。百済(くだら)の聖明王を祖とする渡来人の子孫で、新羅(しらぎ)による侵攻を逃れて渡来し、いまは勢い(さか)んな厚東氏が勢力圏下に置く周防西端の多々良浜(たたらがはま)に第一歩を記したという伝説を持つ。


そんな彼らの、父祖到来の聖地への想いはきわめて強い。全国的な戦乱の収まった今日でも、多々良が、厚東家に何らか抜かりあらば、聖地を回復し、隣国から一気に長門を併呑(へいどん)せんと欲していることは、この周辺で知らぬ者はない。


いっぽう、厚東氏は、(いにしえ)物部(もののべ)氏直系の血をもっとも濃密に受け継ぐ、誇り高き大和の一族である。物部氏は、遥かな昔、大和王権の軍事の中核を担う有力な氏族であったにも関わらず、これも渡来人系とされる新参の蘇我(そが)氏との抗争に敗れて滅ぼされた。しかし、当主・物部守屋(もののべのもりや)の血を引く一族が全国に散っており、それ以降も細々と各地で命脈を保っている。


そのなかでも最大の一族であり、もっとも色濃くその血を受け継いでいるのが厚東氏であることは、衆目の一致しているところだ。武光はもちろん、四郎ですら、その大和の血の純粋さ、高貴さについて疑念を持ったことは一度もない。


その、上古における内と外の氏族同士の残忍な争いが、今に至るまで尾を引いているのだ。渡来人が内地人と同化混交してはや数百年、顔貌(かおかたち)も習俗も、話す言葉ですらもう何らの差もないが、社会集団としての両者のあいだには、いまだ目に見えぬ意識の高い壁があった。


現に、四郎がいま居る霜降城そのものが、この決して気を許すことのできぬ隣人、多々良に睨みをきかすための国境城塞群の中核である。内海に沿った海沿いはただ道なき湿地と葦原が広がるばかりであり、大軍の侵攻には適さない。足元を取られない締まった陸路を踏みしめてしっかと進むには、必ず内陸の霜降を突破せねばならないが、歴戦の名将・厚東武光が常時詰めるこの強固な城塞線には、まったく軍事的な死角というのものがない。


そこで多々良は方針を転換し、この面倒な堅い外殻(がいかく)を海から迂回して、背後に多数の間者を潜入させ、長門国そのものを、時間をかけて内から腐らせようと奸策(かんさく)を練っているというのだ。




多々良に信が置けぬという点において、厚東四郎忠光の見立ても、彼の父とまったく変わることはない。日ごろ、鵜山の(ぐろ)に居て北方の海から来寇(らいこう)する異国の外敵に(そな)える四郎であったが、実は、気になるのは常に背後、すなわち多々良の領域である。もちろん、あいだには(なか)(くに)特有の奥深い山稜が連なり、直接に軍事侵攻が行われる危険はないが、彼らがなにを考え、なにを企んでいるのか、まったく見えぬ点は不気味であった。


多々良は、長門国にとって最大にして、最悪の脅威である。誇り高き物部の末裔(すえ)たる厚東氏が、多々良どもと折り合えることは、決してない。今は、六波羅(ろくはら)の眼が光っているため抗争は表面化していないが、彼らの監視が行き届かないところでは、常に両者の暗闘が繰り返されているのである。


だが、これまではせいぜいが国境地帯における小さな(いさか)いだったものが、直接、多々良が厚東の腹中に間者を放ち、不服従や叛乱を扇動しているのだとしたら、事態は父の言う通り、かなり厄介なものと言わざるを得ない。


斯様(かよう)に直接的な謀略は、遅かれ早かれ六波羅に露見し、結果的には両者ともに多大な不利益を(こうむ)ることになる。それがわからぬ多々良どもではない筈だ。


四郎の知る限り、多々良の連中は、表面的には穏やかであり、融和的であり、時としてむしろ友好的ですらある。そのように装うことが、利益になると知っているのだ。彼らは、外交面における手練(てだ)れである。その彼らが、なぜ今さら、隣国と不要な緊張を高めるようなことをやり始めたのか?


それには、なにか、明確な理由があるはずだ。




四郎は、俄然、やる気になってきた。

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