ヒルデという女①
「ヒルデさん。入りますよ」
僕たちはヒルデさんの返事も聞かずに部屋に入る。それは僕が声をかける前に亜麻猫さんが何も言わずに扉を開けてしまったからだ。
「ちょっとあんた。何を変なことを溝田に吹き込んでいるのよ」
亜麻猫さんはそのままズカズカとリビングの方まで入っていく。そして僕と初めて会った時のような、敵対心満載でヒルデさんに文句を言おうとしていた。
「え、ああ、君か。強君が入って来たにしては足音がうるさいと思ったよ」
「うぐっ、悪かったわね。ガサツな女で」
亜麻猫さんはそう言われたからか、リビングの引き戸を静かに閉めようとする。僕たちがまだ台所の方に居るのにだ。だから僕は「ちょっとまって」と言って、戸の間に手を差し込んだ。
「あ、ごめんなさい」
亜麻猫さんにそう謝られる。この人も簡単にペースを乱されやすい人だなと改めて思った。そういった点でもヒルデさんと共通点があるように感じた。
僕は「粉雪さんのことになるとすぐに熱くなりますね」と嫌味を言ってから引き戸をスライドさせる。嫌味を言ったのは亜麻猫さんが暴走するのを防ぐためだ。
「ヒルデさん。ちょっと時間――。あ、すみません」
「……。いや大丈夫だ。あとでする」
僕はリビングに入ってから、いの一番にヒルデさんを見た。彼女はロナさんのベッドの近くで腰を落して槍の手入れをしていた。何やら床には、ロナさんがよく使う白い雲みたいなものが敷かれていた。多分床を汚さないようにするためだろう。
彼女は槍をその白い雲に突き刺した。するとゆっくりと沈んでいった。それを見て僕は彼女が試合を始める前にいつの間にか槍を持っていたのを思い出した。この白い雲は彼女の収納具なのだろう。本題に入る前に聞いてみよう。
「その白い雲はなんですか? ロナさんも僕に凛姉の様子を見せてくれる時に使っていた物に似ていますが?」
「ロナのは違う場所を移したりする物だが、私のは天界の自室に繋がっているんだ」
「え、それって転移魔法みたいなものなんじゃ……」
確かロナさんは、もともと僕たちが住んでいた世界を映すのは1日に1回が限度だと言っていた。それは映像だけで物を移すのは、この世界の中で完結していても、かなりの魔力を消費する。それなのにヒルデさんは天界から物を取り寄せることができるようだ。
「すごいですね。となると、溝田もその白い雲を使って転移させたんですか」
「ああ、そうだ。けど君の方がすごいぞ。天界を経由せずに転移魔法を使うなんて」
僕はヒルデさんのその言葉を聞いて、詳しく話してもらうことにした。
なんでも下界から天界に人や物を転移させるのは上位の天使になるには必要なことだそうだ。その逆もまた然りだ。
けれど、下界からもう1つの下界に天界を経由せずに転移させるのは、上位の天使でも複数人で魔法を行使しなければできないそうだ。
「あれ、それじゃあ僕も天界を経由して凛姉を転移させれば……」
そうすれば死にかける必要もなかったし、500万の借金を背負わなくても済んだかも知れないと思った。けれどそれはヒルデさんに否定された。
「それは無理だな。女神様が許さないだろう。そもそも今回の凛君の件は特例なんだぞ」
僕は、女神様はわりと意地悪だなと思った。けれど下手なことは言わないでおこうと思った。もしかしたら、本来の世界から違う世界に人を送るのは、女神様でも止めることができない、世界の崩壊を招くおそれがあるのかもしれない。
しかしそうだとすると、ヒルデさんが溝田をこちらの世界に連れてきたことの説明がつかない。だから僕はヒルデさんに「なんで特例が出たんですか」と聞いた。
「それはロナが女神様のお気に入りだからだろうな」
彼女は少し落ち込んだようにそう言った。僕はそんな話なら世界の崩壊がどうとか、ということは無いのだろうと安心した。
「ヒルデさんはロナさんのことをどう思っているんですか?」
僕がそんなことを考えていたら、その間に溝田がヒルデさんに質問していた。
「どうって、実力は認めてはいるが……。まぁ、そのなんだ。気に入らない奴だ」
ヒルデさんは少し返答に困りながら悪態をつく。多分気に入らないと言ったのは、半分は嘘だろうと僕は思った。
「それは単純に、ロナさんが取り繕わなくても神様に気に入られているからですか。それとも取り繕っているのに、自分は神様に相手にしてもらえていないという不安からロナさんに八つ当たりをしているだけですか」
溝田は真面目な調子で質問する。それに対してヒルデさんは慌てた様子で「ち、違う」と言い、まだ言葉を続けようとしたがそれを溝田が遮る。
「さっき命乞いはしないと言っていましたけど、私の脅しにすぐに屈していたじゃないですか。違うとは言わせませんよ」
僕は少しの間、溝田にこの場を任せようと思った。
次回更新は12/29になります。




