昔の夢は心が軽くなったような気がしました。目覚めのこの場面は心が重くなります。
「つーくん、ごめんね」
「凛姉ちゃんのうそつきー」
昔の夢だろう。これはたしか僕が小学五年生で凛姉が中学一年生の時だ。
凛姉が僕と図書館に行く約束を破って、友達と野球部の先輩の試合の応援に行った時の事だ。僕はこの時、小五でありながら大泣きして姉を引き留めたような気がする。けれど凛姉はそのまま友達と出かけて行った。
後にも先にも凛姉が僕との約束を破ったのはこれだけのような気がする。
後から聞いた話だと、その友達が先輩の事が好きで、姉についてきてほしかっただけのようだ。他にも二人いて合計四人で応援に行ったみたいだ。
けれどなぜ今さらこんな夢を見ているのだろう。姉と死別してしまったからだろうか。それとも今何故か頭をなでられているような感触があるが、これが姉になでられている時の感覚に似ているからだろうか。
それとこれを夢として感じ取れているということは、やはり僕は死んだのだろう。もうこれは良い加減受け入れよう。
そう思い僕は自分の意志で目を開けた。
「目は覚めたか」
「あ、ごめんなさい」
目の前には粉雪さんの顔があった。先ほどから僕の頭をなでてくれていたのだろう。頭には彼女の手があった。それに驚きながらも僕は謝った。先ほどの件もある。
「私の方も配慮が足りていなかったから問題ない。こちらこそすまなかった」
粉雪さんが頭を下げる。謝られてもこっちが困る。僕が全面的に悪いのだ。
何か気まずい間ができたが、台所の方からロナさんの声が聞こえてきたのでその間も消えた。
「起きたのなら、こっちにも伝えてください」
声のした方を向くとロナさんが台所の方から鍋を持ってきていた。
「ああ、すまない」
粉雪さんはまた頭を下げる。そんな彼女にロナさんの後ろから亜麻猫さんが声をかける。
「別に謝らなくてもいいですよ」
亜麻猫さんはロナさんの後ろから僕をにらんでいる。やっぱりさっきの事を根に持っているのだろう。
「まぁ、それぞれ言いたいことはあるでしょうが、お昼にしましょうか」
ロナさんは丸机の中心に鍋を置く。中身はおでん。いや西洋風ならポトフと言うのだろうか。あまりそこら辺の知識がないため考えないでおでんと思っておこう。
「すまない。私は遠慮させてもらう」
粉雪さんは食欲がないのか昼食を断る。おいしそうなのに残念だ。ただそれは僕も一緒だ。あれからどれだけ寝ていたか知らないが、まだ吐いてから二時間も経っていないだろう。食べるのは少し控えたほうが賢明だ。
「僕もまだ……」
だから僕もベッドから体を起こし、ロナさんに申し訳なさそうにそう言う。
「ツヨシさんのは別に作っていますよ」
そう言ってロナさんは席を立ち、台所の方へ行く。そして冷蔵庫の扉を開け、中から紫色のゼリーみたいなものを持って来た。
「何も食べないよりマシだと思いますよ」
「ありがとうございます」
これなら食べられるなと思い、ロナさんからゼリーを受け取ろうと皿に手をやる。
「私が食べさせてあげます」
ロナさんは皿を引っ込めてベッドのふちに座る。そして僕の口にスプーンを使ってゼリーみたいなものを持ってくる。
「あんたたち、イチャイチャするのなら私たちのいないところでしてくれないかしら」
亜麻猫さんが少し呆れ気味に言う。そしてチラっと粉雪さんのほうを見た。粉雪さんは「いや、わたしは気にしないぞ?」と亜麻猫さんに返した。それに彼女は驚いて顔を赤くしていた。
「鍋に毒を盛ろうとする人に言われたくありません」
そんな二人を気にもとめず、ロナさんは亜麻猫さんのほうを向かずに、僕の方を見ながら言う。
ちょっと待ってくれ毒とはいったいどういうことだ。
「そうだった。この子といい、あんたといい、本当に私たちの母国の事知らないの? 私がさっき使おうとしていたの、一見普通の食材だったんだけど……」
悪びれもなく亜麻猫さんは鍋に入れようとしていた毒を出す。
確かにあれだけ見たらキャベツか何かに見える。
「亜麻猫、さすがに毒はやりすぎだ。それにさっきのは私も悪い」
粉雪さんが亜麻猫さんを叱りつけてくれる。しかしそれに亜麻猫さんは反論する。
「粉雪様は悪くありません。悪いのはすべてこの子です。彼女がいながら他の女に世辞を言って口説こうとするような奴です。殺されてもしょうがないです」
さすがに女性を口説くだけで殺されたくない。そもそも口説いてすらいない。それより、彼女とは誰の事だ。もしかして――。
「あの、ロナさんと僕はそういう関係ではないです」
「本当か!」
意外にも粉雪さんが一番に食いついてきた。しかも何故か目をキラキラさせている。
「嘘でしょ。こっちの女の目とか匂いは私とおな……。なんでもないわ」
自覚があったのか。というよりこの人、くノ一として失言が多いような気がする。まぁそれは置いておくとして、僕とロナさんの本当の関係を説明するのは難しい。
僕はロナさんの方を向く。ロナさんが天使だとか僕が異世界から来たとか普通なら信じてもらえない。どうやって説明しよう。
「幼馴染です」
僕の考えをよそにロナさんは、にこやかに言う。彼女も僕たちの関係を説明するのが難しいのだろう。僕もその設定に合わせることにしよう。
「はぁー。幼馴染にしては年が離れ過ぎてない?」
亜麻猫さんが疑惑の目を向けてくる。やっぱり僕は年相応には見られていないようだ。
「あの、僕20歳です」
ロナさんの年齢は知らないが、見た目的に20歳ぐらいだろうと思う。まぁ、実際は天使なので、100歳を超えていても驚きはしない。
「私は22歳です」
本当かは分からないが、ロナさんも合わせてくれた。
「おい、聞いたか亜麻猫。20歳だと」
粉雪さんは僕の年齢を疑っているのか、笑いながら亜麻猫さんに言う。
「いや、あんたは分かるけど、この子は逆に鯖を――」
亜麻猫さんがまだ怪訝そうに僕を見て疑いの言葉を掛けようとしたがその言葉は粉雪さんによって遮られた。
「私と結婚してくれ」
粉雪さんは何を思ったのか僕に抱き着いてくる。いやちょっと待って欲しい。
僕の胸に頬を猫みたいに擦り付けないでください。あれ? これだけ擦ってきたら普通、服に化粧品の類がつくはずだ。それなのに何も色がついていない。と言うことはすっぴんでこれだけ綺麗な肌をしていたのか。
そんなバカげたことを考えていた僕だが、ふと、黒い気を感じた。
ああ、彼女であろう。そう思い、亜麻猫さんのほうを向こうとしたその時だった。
「貴様ころ――。ヒッ」
亜麻猫さんが僕を殺すためだろう。黒い気を纏いながらクナイを手に持とうとした。だがそれはかなわなかった。途中で自身以上の黒い気を纏った者を目にしたからだ。
それはロナさんだ。僕はさっきから震えが止まらない。亜麻猫さんもそのようだ。ただ粉雪さんだけは違った。
「粉雪さん。どういうことか説明をお願いできますか」
「実は私は聖水が一滴も飲めないんだ。だから聖水の耐性が強い殿方を婿にもらって帰ると言って故郷を飛び出したんだ。これで両親に顔向けができる」
粉雪さんはロナさんの黒い気などまったく気にせず僕の胸に頬ずりを続ける。ただ彼女は勘違いをしている。僕に酒の耐性などない。それは解いておかなくては。
「あの、僕酒……。聖水の耐性無いです。一滴もということはないですが、かなり弱いです」
とりあえず、これで粉雪さんは僕から離れてくれるだろう。そして黒い気を放っているロナさんもおとなしくなり、今目の前で名前の通り、借りてきた猫のようにおとなしくというより完全に怯えてしまっている亜麻猫さんももとに戻るだろう。そう思っていたが……。
「別に耐性が無くてもあれだけの魔法が使えるのだろう。私の身体能力と合わさった子が生まれたら、我が家は安泰だ」
いや、聖水の話ではないのか。ただ強いだけでいいのなら、他にも候補がいくらでもいるだろう。そういえばこの人、刀に酒をかけていなかったか。あれは口に含んだだけで飲んでいないからセーフなのか。それよりも気になったことがあった。
「聖水の耐性って無くても周りから白い目で見られたりしないんですか?」
聖水と言うからには、神様からの贈り物や神聖な物扱いであろう。それなのにそれを少し飲むだけで吐いていたら周りからどういう目で見られるのだろうと今更になって思った。
「それなら後で教えます」
今まで真横にいたロナさんの声が聞こえてきた。あえて今まで彼女の方を見てこなかった僕だが、これは彼女の方を向かなくてはいけないなと思った。
粉雪さんのほうを見て喋っていては、さらにロナさんの黒いのがもっと大きくなると思い、意を決し、彼女の方を見る。
さきほどまでは黒いものを出しながらもにこやか顔だった彼女だが、今は真顔になっていた。
「では、お二人さんには一回帰ってもらいましょうか」
ロナさんはその真顔のまま冷たく言う。
「いや、まだ返事を聞いて――」
「粉雪様はしたないですよ。そういうのは急いではいけません」
状況を察している亜麻猫さんが、粉雪さんを僕からはがす。その顔は必死の形相だった。
僕は、亜麻猫さんに対しての“あの女と同じ目”とか“失言が多い”とか思ったことを撤回しようと思った。ビビりながらも主人(?)を護るため立ち上がることができるくノ一の鑑だ。
僕は小声で「お願いします」と亜麻猫さんに言う。亜麻猫さんは頷いて、粉雪さんを立たせる。
「それもそうだな。また明日来させてもらおう。帰るぞ亜麻猫」
「頑張りなさい……よ」
そう言って粉雪さんは元気に亜麻猫さんを引き連れて帰っていく。それとは反対に、亜麻猫さんはロナさんにビビりながら僕にエールを送ってくれた。途中、ロナさんの迫力に負けてしまい、最後の方は聞こえなかったが、僕は少し嬉しく思った。
そんな僕をよそに、ロナさんはなにやら鍋に魔法を掛け、ゼリーの皿と一緒に台所の方へ持って行った。明日の昼食に回すようだ。
「それでは今後の事を話しましょうか」
僕はそれを見ながら、さっき嬉しく思った感情はすでに恐怖へと変わっていた。
僕は「はい」と短くそう返事をしていた。
亜麻猫さんの爪の垢を煎じて飲むべきだろうか。そんなことを真剣に考えていた。