終了時間で呼ばれたのではなく、ワイバーンが出たからでした。
「冒険者、全員出撃ー」
階段下から大声で叫ぶ声が聞こえる。先ほどの女性のしわがれた声だ。
突然の事で僕は何が何やら分からなくなってきた。ワイバーンなんてそんな空想上の生き物が出るわけないじゃないか。だけど建物の外からも声が聞こえてきたので不思議に思った。
「大変です。ツヨシさんは私の後ろから離れないで――」
ドンッ――。ガッシャーン。
「え、あ、うわっ」
ロナさんは、僕が困惑しているのに気が付いたのかこちらに手を差し伸べてきた。しかしそれと同時に地面が揺れ、目の前の廊下の窓ガラスが割れた。
僕は、ロナさんの言いつけを無視して割れた窓から外を見る。すると、目の前の家が三件ぐらい崩壊していた。ここまでならどうにかCGとかVRとかでごまかせたかもしれない。ただ自身の五感で感じてしまった。現代の家ではなく、なぜか中世ヨーロッパ風の家が並んでいることや家がつぶれて、砂埃などが舞っていることなど些細なことだ。
「あ、あ、あ」
僕はソイツと目が合ってしまった。
5mはあろうかという全長に、全身をゴツゴツとした肌で覆い、確かゲームではコウモリの羽を持っているって書かれていたと思ったけど、あれはコウモリなんて言うものではない。あの大きな羽に触れられたら僕なんて跡形もなく消えてしまうだろう。それぐらい立派なものだった。
ワイバーンなんてゲームの中盤から終盤にザコ的として出てくるイメージがあった。ただ目の前の生き物は口が裂けてもザコとは言えない。そもそも本当に自分が知っているワイバーンなのだろうか。
「これは、まだ夢の中だな。むちゃくちゃすぎる」
今思えば、おかしな所がたくさんあった。
怪我が記憶と一致しないのもそうだし、車に轢かれたのに病院に連れて行かないのもそうだ。
これが夢なら今までのことも理解できる。
僕は顔に手を持っていき、頬をつねる。ちゃんと痛い。ただそれだけで夢ではないと言う理由にはならない。さっき見た車に轢かれた夢でも痛みを感じたのだ。僕は必死になって腕を振り回したり壁を殴ったりする。それでも目が覚めたりはしない。
「一回、手を止めてください」
そんな僕の奇行を見かねてかロナさんが止めに来る。そして僕の口に何かを突っ込んできた。
「ツヨシさん、これを飲んで落ち着いてください」
思い切っり口に固形物を突っ込まれた。歯に当たってなんともいえない痛みが口の中を襲ってきた。
「痛っ……。ペッ。これお酒じゃ……」
突っ込まれたそれをよく見るとゲームの回復薬が入っていそうな形のビンだった。そして中に入っているものが少し口に入ったが、味や匂いから酒だと分かった。
「そうです。いいから飲んでください」
ロナさんは僕の口を開け無理やり飲ませてくる。その顔は必死だった。ただ僕にとっても死を覚悟するものだった。
「ごば、これ……。度数が……」
絶対これはウォッカとかみたいに度数が高い。これをロナさんはコップ1杯分らいのビンを一気に飲ませてきた。少し抵抗することができたので半分ぐらいは吐き出せたが、もう半分は飲んでしまった。
「飲まなくちゃ死んじゃいますよ」
いや、こんなもの飲んだ方が死んでしまう。どうにかしてロナさんから顔を反らさなくては……。
あっ……。
僕が顔を反らした先には先ほどのワイバーンが赤く長い舌を出し、口を大きく開けていた。そして喉の奥が燃えていた。
「待って、止まってぇー」
僕は尻もちを付き、反射的に目をつむり、右手をワイバーンの方へ突き出して、大声で命乞いをした。
ピキーン
何か金属同士がぶつかったような音がした。すると外から大声が聞こえてきた。
「ワイバーンの動きが止まったぞ!!」
僕はその声に合わせて目を開けた。ワイバーンはこちらに口を開けたまま固まっていた。いや正確に言うと、顎あたりがピクピクしている。
「今だ。総攻撃だ」
さっきの声とは違う、低く重い声が外から聞こえてきた。そしてその声は、弓がどうだ、魔法使いはこうだ。とか指示を出し始めた。僕にはその言葉が現実のものとは思えなかった。
僕は尻もちを付いたまま動けなかった。「漏らしていないのを褒めてもらいたいぐらいだ」などと軽口をたたく余裕もない。
「立てますか?」
ロナさんが僕の腕を掴み、ワイバーンから遠ざけようとしてくれる。さっき握った時とは違う、安心感が自身の体に流れてきたのを僕は感じた。
「とりあえず、宿から出ますよ」
ロナさんからそう言われ、僕は黙ってしたがう。そうするしか今はない。
「はい……。あれっ?」
彼女の手の温かみのおかげで緊張が少し解けたからか、お酒が体に回ったようだ。体がふらついてまともに歩けそうにない。
「ほら、肩を貸しますから」
僕はロナさんの肩を借りて階段を下り、宿の外に出る。すると信じられない光景が目に入ってきた。
「これは夢だ。夢に違いない」
武装した男女が先ほどのワイバーンに突撃していた。ワイバーンは足に剣や槍を突き立てられ、眼や翼は弓でボロボロにされていた。そして片翼が今もがれた。当たりにはワイバーンのものと思われる血が、かなりの量流れていた。それでもワイバーンは鳴き声一つ漏らせないでいるようだ。
僕はあたりの光景や血生臭さから酒を飲んだのとは別の吐き気を催した。さっきから何回も思っていることだが夢なら覚めて欲しい。
「夢ではないですよ」
ロナさんは僕の腕に力を込める。その力は痛くなく、逆に心地よいものだった。
この現実離れした現状を本当のものと信じてしまいそうになるくらいだ。
しかしその心地よい感覚を遮るような轟音があたりを貫いた。
「グギャーーールルル」
その轟音はワイバーンから発せられていた。
僕が目を離した隙にワイバーンは動けるようになっており、片翼で空を飛んでいた。そして――。
「ギャーバーーーー」
ワイバーンは何故か先ほどまで攻撃していた人たちではなく、僕の方へ火球を三発放ってきた。そしてそのまま上空へと飛んで行く。
「うわっ。こっちに来るなぁーー」
またしても情けない声で命乞いをする。しかし今回はロナさんが手を握ってくれていたこともあってか少し冷静に言えた。
冷静に言えたこともあり、火球の軌道が変わったこともすぐに理解できた。どういうことか、明らかにおかしな軌道を描き、火球はワイバーンの方へ戻って行くようだ。
ワイバーンは上空で片翼を羽ばたかせ制止していた。その顔は最初、異種族でも分かるほどニヤついていた。だが、火球が自身の方へ戻って来るのを見てその顔は崩れていた。
「グギュウウルルル」
火球は三発ともワイバーンに命中した。しかしもともと自身が放った物だ。僕が思っていたほどダメージは入っていないようだ。
「とりあえず、一安心出来そうですね。部屋に戻りますか」
ロナさんがそう言うと、ワイバーンは片翼をもがれたまま逃げて行った。普通なら瀕死の重傷のような気もするが、相手は腐っても龍族だ。多分片翼くらいなら時間を掛ければ元に戻るのだろう。その証拠に最初は顔がニヤついていた。それだけ余裕があったのだろう。あと個人的なイメージだが、瀕死の重傷を負った動物は刺し違えてでも相手を殺しに来そうな気がする。
ワイバーンが逃げ去ったこともあり、僕は一息つけた。しかしその安心感からかまた吐きそうになっていた。
「現状の説明お願いできますか? それと」
「ええ、そのつもりです」
僕は吐きそうになりながら、ロナさんに肩を貸してもらい部屋に帰った。