元いた世界 凛編②
つーくんが死んでから1か月が経とうとしていた。
昨日まで毎日、溝田さんが家に足を運んで私を慰めてくれた。
だけど、溝田さんには悪いが……。そんなことは関係ない。今日、あいつの会社で死んでやる。つーくんを轢いたあいつの親の会社の屋上から……。
◇
あいつは、つーくんの葬式はおろか、その後も線香の1本もあげに来ない。
あいつは最初、つーくんが車道に飛び出してきた。と供述した。しかし、現場には幸いにも防犯カメラがあり、その映像を見たところつーくんは、歩道の内側で前かがみになって止まっていた。そして、あいつはスマホを操作しながら運転していた。
その嘘の供述がバレた後は、すぐにあいつの親が弁護士同伴の元、謝罪をしたいと連絡を取ってきた。私は、おばさんに付いてもらい、会うことにした。
それが、姉としての自分の仕事だと思った。見たくない、事故現場の検証にも参加した。
真実を知らなくてはならない。そう思い、我慢していた。だから、今回も会わなくてはと思った。
おばさんと、仕事を休んでおじさんも付いてくれることになった。それと弁護士さんも頼んでくれて、その人の事務所で会うことになった。
当日の事だ。あいつの親が自分の会社の顧問弁護士と一緒にやって来た。2人の顔など覚えていない。覚える気もなかった。
やって来るなり謝罪もなしに、いきなり示談にしてくれと高圧的に言ってきたからだ。
これには、こちらの弁護士も面食らったようだ。「え」と声を漏らしていた。
私は、ニーソックスに隠していた録音機のスイッチを押した。
別にこれは、裁判で有利になる為とか、そう言うので持って来たものではない。
私は、真実を一言一句知らなくてはいけないのだ。その為には、こういったのも録音しなくてはならない。これは相手が、録音はしないでくれと言われた時の為のものだ。
「あの。ここから先は録音させてもらいますよ」
こちらの弁護士がそう言って、テーブルの上に録音レコーダーを出した。しかし相手の弁護士はそれを拒否した。
「いえ。それは止めていただけますか」
相手の弁護士は、レコーダーに手を持って行き、停止ボタンを押した。そしてそのまま、それをあいつの親の側へ置いた。
「何を――。「示談金はこれだけ用意させていただきます」
こちらの弁護士の言葉を遮るように、相手の弁護士が示談金を提示してきた。
額はよく覚えていない。ただ、そんなことはどうでも良かった。この後が問題だった。
「凛さんは、親御さんを早くに亡くされています。少しでも多く、お金があった方が良いのでは? 司書の仕事も薄給でしょうし」
ああ、これは録音されたくないだろう。どこから聞いたのか知らないが、私のことを調べて来たのだ。
何となくおじさんたちの顔を見た。おばさんは口を開いてポカンとしていた。それに対して、おじさんは今にも相手に掴みかかりそうにしていた。だが我慢していた。
最初、弁護士から何があっても暴力は振るわないでくださいと言われていた。だから我慢してくれていたのだろう。だけど、私と目があった瞬間、今までのものが爆発したようだ。
「あんたさっきから――。「わかりました。示談は受けます」
ここでおじさんを悪者にするわけにはいかない。だから私は、おじさんの言葉と行動をかき消すように、立ち上がり言葉を発した。
「聡明な娘さんだ」
あいつの親が、おそらく、ニッコリ笑いながらそう言った。顔など見たくもない。
「それで、この紙だけに名前とハンコ押せばいいんですか?」
「はい。そうです」
私は、座り直すとすぐに書類に名前とハンを押した。
「今日はもう帰ってもいいですか」
「ええ。あとは弁護士さんを通じてまた後日としましょう」
私は無気力な女の子を演じられているだろうか。そんなことを思いながら、弁護士さんにお礼を言い、おばさんたちに部屋から出ようと促した。おじさんは右手の震えを、左手で押さえこんでいた。
「いえ、私たちが失礼させていただきます。こちらの弁護士さんと話すこともあるでしょうし」
そう言って、相手側は部屋を出て行った。
「凛ちゃん」
おじさんとおばさんが席を立って私の側に近寄ってきた。私は怒られるかと思った。ただ、それは違った。
「よく頑張ったね」
おばさんは、私を抱きしめてくれた。おじさんも頭を撫でてくれている。
「弁護士さん。この子に危害が及ばないようにだけ、注意してください」
おばさんたちは、私に危害を加えられると思い、黙っててくれたようだ。
その後のことはおばさんに任せて、私はおじさんと家に帰った。道中おじさんは何も喋りかけてこなかったが、それが逆に安心できた。おじさんのことだ、それを分かってしてくれているのだろう。
家の前には、溝田さんがいた。ちょうど、帰るところだったようだ。
「あ、こんにちわ」
溝田さんは私を見つけるなり、駆け寄って来た。そして、おじさんに挨拶をしていた。
「君は……。凛ちゃんの友達かい?」
「はい。親友の溝田です」
溝田さんは、元気にそう言ってくれた。こういう時、この子の元気さはうらやましく思う。おじさんも、彼女の態度には好印象を持ったようだ。
「おじさん。もう今日は……」
「ああ。溝田さん。凛ちゃんの事――。「わかってます!!」
溝田さんは、元気にそう言って胸を叩いた。そして少しむせた。
私は苦笑いしながら、おじさんの顔を見た。おじさんも苦笑いしていたが、改めて彼女に私の事を頼んでから帰って行った。
「それじゃあ。試験勉強しようか」
私は司書の、彼女は市役所職員の試験を受けるつもりでいる。
彼女は、私の事を心配し、勉強を放り出して毎日来てくれていた。それを私は忍びなく思い、一緒に勉強しようと言って今に至っている。
その日、彼女は家に泊まって行った。私が何か“決意”したのを察したのだと思う。
その後私は、溝田さんにバレないように遺書を書いた。あいつらへの恨みつらみを思う存分に書いた。
どうせ示談が成立しても、あいつは不起訴にはならないだろう。だけど起訴されても、いくら懲役が科されても――。つーくんは……。
あいつらには社会的に死んでもらうのだ。
両親には申し訳ないが、残された遺産を使って、墓地の管理費やその周りの世話をしてくれる代行業者に頼んだ。今日の弁護士とは違う弁護士に頼んで仲介してもらった。
飛び降りる前に、マスコミにこのことをリークしよう。そう思い、今までしていなかったSNSと無料通話アプリをDLした。
アプリをDLした瞬間、溝田さんからアプリを通じてメッセージが飛んできた。この時は知らなかったが、電話番号を登録している相手には登録したことが伝わる仕様だったみたいだ。
私は慌てて、「心機一転しようと思って」と取り繕った。
それは彼女に受け入れられた。
◇
ミスと言えばそれぐらいだろう。そんなことを思いながら、会社の近くの喫茶店で心を落ち着かせていた。
私の今日の服装は白のワンピースだ。これは、つーくんと溝田さんが共同でくれたプレゼントだ。死ぬ時くらい、いつもの飾り気のない服より、誰かと繋がりを感じられる物を身に着けて死にたい。
自分をふるい立たせるためSNSに“これからこの会社の屋上で自殺します。遺書は机にあります”と書き込み会社の写真を乗せた。
そして示談の時の録音も別の書き込みにして投稿した。
投稿の合間に、私への返事が何件も来ていた。
“自殺なんて止めろ” “自殺するなら私と一緒に”
そんなコメントがたくさん寄せられた。今までコメントが来たことが無かった私は、もう遅いと思った。
止めて来る人は私の何を知っているのだろう。プロフィールなど何も書いていないのに……。一緒にと誘ってくるのはなぜだろう。1人で死ぬのは怖いのだろうか。それなら死ななければいいのに……。私を巻き込まないでほしい。
社名は出していないとはいえ、知っている人が見ればどこか分かる写真を投稿した。急いで会社の屋上へ行こう。下調べは済んでいる。あの社長はもう帰っている。そして、社員は残業で今の時間に外に出ることはない。
何も頼んでいなかったのでそのまま喫茶店を出ようとしたら、溝田さんから電話がかかってきた。私は店員さんに少し睨まれながらも、それを気にせず電話に出て店を後にする。
「もしもし――。「凛ちゃんSNSしてる?」
私は頭がヒヤッとした。なぜそのことを今のタイミングで聞いてくるのだろう。
今日は、「面接の練習で一般企業受けてくる」と言って、電話には出れないと伝えていたことを思いだした。出なければ良かった。
私はあたりを見廻す。溝田さんは、どこにもいなさそうだ。このまま電話を続けて、会社の屋上まで登ろう。
「してないよ」
私は平然と嘘を言う。ただ、これも見抜かれるだろうと思った。だけど見抜かれてもいいや。今は何か死ぬ以外の事を考えていたい。
「そう。それなら良かった。気になるコメント見つけちゃったから電話したんだ」
私は1階のフィットネスクラブの前を通り過ぎる。
「そう。どんなコメントだったの」
2階の個人経営の塾の前の階段に足を乗せる。
「凛ちゃんの家の近くの会社で自殺するって書き込み」
溝田さんはいつもの元気な口調ではなく、おとなしく真面目な声色でそう私に言った。
少し間を置いて、知らない企業が入っている3階に上がった。
「へぇー」
私は短い返事と主に、4階への階段を上る。4階は、工務店……。あいつらの会社だ。
私は、少し速足になり、息を切らしながら5階へと昇った。
「凛ちゃん。階段昇ってる?」
溝田さんは私が息切れしているので気が付いたようだ。靴のカツカツといった音も聞こえたのだろう。
後は3階上がったたら屋上だ。電話を切ろう。
「溝田さん。さようなら。それとありがとう」「え、」
私は一方的に電話を切った。そして6階に上がろうとした時だった。何故か背中が温かくなった。多分これから死のうとする自分を、脳が勇気づけてくれているのだろ。
途中7階にある清掃会社の社員さんとすれ違ったが、挨拶も何もしなかった。そんな余裕は無かった。溝田さんから今も電話がかかってきている。
私は冷静になりながら、8階の無人のテナントの前を過ぎ、屋上のドアを開けた。
つーくんが死んでから1か月。8月になっていた。つーくんの時は7月で止まってしまったのだろうか。
あの子は野球が好きで、自分ではしないけれどプロ野球や甲子園を見るのが好きだった。もし魂と言うものが本当にあるのなら、あの子の中で、7月で時が止まってなければいいのだが……。
「よし」
そんな馬鹿なことを考えていたら、いつのまにかフェンスの前に来ていた。
私は、小さく息を吐きフェンスによじ登る。一番上には有刺鉄線で返しが付いていたが、これからグジャグジャになって潰れるのだ。少し痛いぐらいがなんだと言うのだ。
フェンスを乗り越えるところで、後ろから声が聞こえてきた。
「凛ちゃん。何してるの!」
溝田さんだ。きっと、SNSの書き込みを見つけた時点でこちらに向かっていたのだろう。そうでなければ到着が早すぎる。ただ、止めたかったのであればあいつの会社に電話すれば良かった。いや、多分しているだろう。ただ、社員が残業で忙しくて、いたずら電話として処理して確認もしなかったのだろう。いくら慌てているとはいえ、溝田さんはそれくらいなら考えて行動する。
彼女の顔を見た時、何とも言えない感情が胸を渦巻いた。しかし、それはすぐに感謝の感情へと変わった。
「溝田さん……。今までありがとう」
電話越しでしかお礼を言うことができなかった。最後に、彼女の顔を見られて良かった。
そのまま私は体を、ビルの外へと投げだ――。




