目を覚ますと風俗店(?)にいました。
トントンと小気味よい音とともに、何やら美味しそうな匂いが鼻を通って来る。
あれ? 僕はさっき車に轢かれたような?
「はっ、今のは夢?」
社会人になってから少し独り言が増えたなとは思ってはいた。
ただ、こんな漫画みたいなことを言いながら、目を開けるのは初めてだ。
僕は慌てて体を起こし、あたりを見渡す。見たところ自分の家ではないようだ。
木製の壁や床に、自身が今も体を預けている、ニスか何かでコーティングされた木で造られたベッド。雰囲気がなんというか現代的ではなく、まるでファンタジーゲームの中の世界に来たみたいな感じだ。テレビなどの電化製品もこの部屋には見当たらない。
しかしなぜか台所の方は自分の家に似ており、そこには冷蔵庫が見えた。
そしてその台所で、膝上15cmくらいのスカートの黒基調のメイド服を着た女性が料理を作っていた。包丁の小気味よい音が聞こえてくる。目が覚める前に聞いたのはこの音だろう。
「あら、目が覚めたのですか? ごめんなさい。今、手が離せないのです」
メイド服の女性は、僕が起きたことに気が付いたようだ。しかしこっちを向かずそのまま料理を続けていた。彼女の態度からして、自分を轢いた犯人ではないだろう。轢いた犯人なら普通駆け寄ってくるはずだ。
だから僕は『ああ、あの人が自分を助けてくれたのかな。それで自分の部屋に連れてきて介抱してくれたのか。介抱してくれたのはありがたいけれど、車に轢かれたのなら普通は病院に……』と思っていると体がぶるっと震えた。
そふと掛布団の中を見る。すると僕は裸だった。
僕は最初驚いたが、車に轢かれていたから、手当ての為に脱がしたのだろうと自己解決した。とりあえず事情は後で聞くとして何か服を貸してもらえるように聞いてみよう。
調度食材も切り終わったようだし、女性は手を洗っているので一度こっちに来てくれるのだろう。
「ごめんなさい。お待たせしました」
女性がベッド近くに置かれた丸机の側に座る。後姿から外国の人かなと思っていたがその通りのようだった。
おっとりとした顔立ち、髪はセミロングの淡い金色で、肌は透き通るほど白い。そして何と言っても胸がとても大きい。少しいやらしい雰囲気を纏った黒基調のメイド服から飛び出しそうなほどだ。姿からして日本人ではないだろう。なのに、やけに日本語が上手だなと僕は思った。
「いえ、大丈夫です。それよりも説明とかより先に服を貸してもらえませんか?」
「嫌です」
即答だった。
まぁ、それもそうだ。見ず知らずの男に自身の服は着せたくないのだろう。それならボロボロでも良いから、自分の服を返してもらおう。自分の身体を見ても傷がないのでそこまでひどい状態にはなってないだろうから、それを着て家に帰るなり、病院に行くなりしよう。
「僕の服ってどこにありますか?」
「それならそこに」
女性が指差したところには、傷だらけになった自分のスーツがあった。
「ああ、せっかくの一張羅が……すみません。取ってもらえませんか?」
「なぜです?」
「裸なので取りあえず服が着たいんです」
「私は気にしませんよ。そのままでどうぞ」
いや、僕が気にするんだけど。しょうがない。股間を隠しながら服を取ろう。幸い、体は動くのだからそうしようと思い、僕はベッドから降りる。
「よいしょっと」
僕は股間を片手でで隠しながらベッドから降りる時、女性と目が合ってしまった。
「はー、やっぱりいいですねぇー」
女性は顔を赤らめ、頬杖をついて何か独り言を言っている。そんなに赤くするのなら取ってくれれば良かったのに。
「そのままでよいのに……。もったいないです」
もったいないとは、どういうことだろう。とりあえず服を着て事のあらましを聞こうと僕は思い、服を下から着ようとパンツを探す。しかしなさそうなので、しょうがないのでスラックスをそのまま履く。
「もうちょっとで見えそうだったのに。ガードが堅いですね」
なぜかすごく残念そうに聞こえる。そして少し寒気を僕は覚えたが、そのまま着替えを続けて、裸ではなくなった。
「とりあえず、なぜ僕がここに居るのかの説明をお願いできますか?」
僕は丸机を挟んで女性の前に座る。
「あなたは車に轢かれました。それを私が助けたのです」
やっぱり、あれは夢ではなかったのか。
だけど、自分の事故の記憶と、今の自身の体の怪我が一致しなかった。
頭がかち割れたのかというくらいの痛みがあったのに、頭にはそんな傷はない。足もタイヤの下敷きになったのに痛みがないうえに歩く事ができた。
ただ、そんなことを気にしてもしょうがない。頭を撲ったから記憶が変になっているのだろう。それよりも……。
「それは、ありがとうございました。遅くなってしまって恐縮なのですが、私は酒井強と申します。失礼ですが、あなたのお名前をお聞かせ願ってもよろしいですか?」
「私はロナ。天使見習いです」
この女性はロナさんと言うのか。ただ天使見習いとは何なのだろう。名前からしても外国の方のようなので何か勘違いをしているのだろうか。
「あの、天使見習いとは何ですか?」
少しいかがわしいメイド服を着ていることから、メイド喫茶で働いているのだろうか。そこでメイドの事を天使とか言う人に会って、メイドの事を日本では、天使と呼ぶと勘違いをしているのだろう。
「その名の通りです。神様に使える天使の見習いです」
ああ、勘違いではなかったのか。ロナさんは天使役になりきっているのだ。ただ、そうなると日常生活では役になりきる必要はない。となると、ここは彼女の職場で、そこで僕は裸にされていたということになる……。
まずい。
「ごめんなさい。僕、経験がないんです。お金も今そこまで持っていないので、急いでとってきますから、スマホと車の免許も置いて行きますから。怖い人は呼ばないでください」
土下座をしながら何回も頭を下げる。きっと僕は酔った勢いで風俗に入ってしまったのだ。
車に轢かれたのも夢だ。体に傷一つないのはおかしい。服が傷だらけなのは、酔っ払ってどこかしこにぶつかりながらここに入ったのだろう。
ロナさんが助けたと言っていたのは、僕が寝言で夢の内容を言っていたのを聞いていたのに違いない。
さっきまで寝てしまっていたので時間を確認したいが、この部屋には時計が見当たらない。
そもそも経験がないのになんで風俗になんて入ってしまったのだ。それに、こんな美人な人を指名して、オプションもこんなマニアックなものまで頼んで……。これも何もかも全部お酒のせいだ。
こんなことを両親に知られたら……。
少し冷静になろうと両親の事を考えてみた。別に二人とも、呑兵衛で同時期に肝硬変になって死んだのだ。これくらいなら笑って流してくれるだろう。
「大丈夫です。私も経験ないですから、一緒に頑張りましょう。これからよろしくお願いします」
ロナさんはにっこりしながらそう言う。いや、あなたみたいな人が経験ないわけがない。まして、経験がないのに風俗では働かないだろう。
「いや、あなたを買うお金なんて今持ち合わせていませんから、一度帰らせてください」
とりあえずまだ事には及んでいないだろう。それなら未遂で間に合うかもしれない。丁寧に説明すれば店のフロントの人も事情を汲んでくれるかもしれない。汲んでくれなくても、というより、汲まないのがあたりまえだ。最悪、怖い人が出てこなければお金を払うのは仕方がないことだ。
「お金? 別にその必要はありませんよ?」
ロナさんは首を傾げ不思議そうにしている。
あれ? もしかして先輩が先に払ってくれていたのか。さっきの一人で帰っていたのは夢のようだ。もしかしたら先輩と一緒に帰っていて、先輩が『俺が払うから』と僕を無理矢理誘ったのだろうか。そして僕は、そのまま着くなり眠ってしまったのだろうか。
「先払いですか?」
「いえ、後払いです」
しかし、そんなに甘い話ではなかった。少し期待してしまった自分が情けなくなってくる。
「後払いというと、カードですか? 生憎、クレジットカードは作っていないんです」
ここまで言えば、ロナさんも分かってくれるだろう。早く近くのコンビニに行ってお金を引き落とさなくてはならない。誰かにお金を持ってきてもらうこともできるが、職場の人には頼みたくない。あとは姉がいるが、こんなこと死んでも頼めない。姉をこんなところに呼びたくない。泣き崩れるに決まっている。姉はそれだけピュアな心の持ち主なのだ。
後は友人に頼むしかない。恐らく、もう12時は回っているだろう。バイトをしていない大学生のあいつなら、まだ迷惑にはならないだろうか。
僕は、お金を持ってきてくれたら、今度夕飯でも奢らなくてはと考えていた。そんな僕を余所に、ロナさんは話を続ける。
「くれじっと? 冒険者カードなら今発行してもらっていますよ?」
彼女はクレジットカードを知らないような発音をした。
あれ? クレジットって和製英語だったっけ? それに冒険者カードとはなんだろうか。国籍が違うとこうも話が通じないものかと僕が困惑していた時だった。
「あんたたち、早く下に降りてきな」
ドアの前からしわがれた大きな声が聞こえてきた。ああ、もう時間が終わってしまったのか。結局なにもせずに高いお金だけを取られてしまうのか。気分がどん底へと沈んでいく。
「それじゃ。朝食をとりに行きましょうか」
そう言ってロナさんは立ち上がり、呆けている僕の手を握って立たせてくれた。お見送りと言うやつなのだろう。その手の感触はとても柔らかかった。アイドルのファンがアイドルに握手をしてもらったあとに言う、「もう一生手を洗いません!」という気持ちが少しわかった。ただこれから払うことになるお金の事を考えたら、この気持ちも吹っ飛んでしまいそうだ。
「そういえば」
「どうしました?」
「いえ、なんでもないです」
さっきロナさんは何か包丁で切っていた。あれはなんだったのだろうか、と思ったがオプションで家庭的な描写とか頼んだのだろうと思い自己解決した。ただ何を切っていたのか気になり、彼女に手を引っ張られながら、チラッと台所に目をやる。すると一番に目に入ってきたのは火を点けたままにしたコンロだった。
「ロナさん。火、点けっぱなしです。消しましょう」
いくら設定のためとはいえ、本当に火を点けていたのかと僕は驚いた。それに僕は寝ていたのにその間もずっと演技をしていたのかと感心した。ただ文句を言わしてもらえるなら起こしてくれよと思った。
「別に大丈夫ですよ? 火の精霊さんがいますから」
「もう時間が来たから役になりきらなくていいですよ。えっ」
火を消そうとしない彼女に少し苛立ち、彼女の手を振り切って火を消しに行こうとしたその時だった。鍋の近くに小さな人型をしたナニかを見た。
「では、行きましょう」
「えっ……。ええ」
僕はまだ酒が残っているなと思い、先ほど見たものは幻覚と思うことにした。それにロナさんが大丈夫と言っているのだから大丈夫なのだろう。きっと僕が出っていた後すぐにスタッフが来て消すのだろう。そんなことを考えていたら彼女がドアを開けていた。
そこには、ボロボロの壁と木張りの床があった。部屋のほうはきれいだったから意外に思った。
「朝食楽しみですね」
「オプションから朝食を抜くことはできますか?」
僕自身もう気が気ではなかった。一刻も早く家に帰りたいと思っていた。
「抜くこともできますが、朝はこちらでいただきましょう。昼は今作っているところですから、お部屋でゆっくりいただきましょう」
いや、もういい加減にしてくれ。いつまでこのかみ合っていない会話を続けなければならないんだと、額に手を当て悩みそうになった時だった。
「ワイバーンが来たぞー」
建物の外から大声と共に甲高い鐘の音があたりに響いた。