学ぶことは好きな方です
ラティシーヤの件について知ってからの一月は、瞬く間に過ぎていった。
レオンハルトは相変わらず多忙だし、コーデリアも彼の婚約者として忙しく動いている。
そしてその合間に時間を作り、ラティシーヤの国、アルファサル王国についても勉強を進めていた。
「大陸の主要各国についての情報は一通り頭に入れていたとはいえ、まだまだ知らないことも多いものね」
コーデリアは呟きつつ、アルファサル王国について記された書物をめくった。
アルファサル王国は地理的な距離が離れていることもあり、風土や文化が大きく異なっている。
コーデリアの住まうライオネル王国を始めとした大陸北部の国々の多くは、歴史を辿ると大エルトリア帝国の領地だった時期がある。
それゆえ現在においても、使用されている言語はエルトリア語やその派生言語が多く、意思の疎通が図りやすくなっている。
しかし、大陸南部よりに位置するアルファサル王国のある土地は、かつての大エルトリア帝国の支配域から外れていた。
主要言語もエルトリア語とはまるで異なっており、ライオルベルン王国の人間にとっては、習得難易度が高くなっている。
『こんにちは。私たちは、あなた方の来訪を心より歓迎いたします』
コーデリアはアルファサル語の挨拶を口にした。
挨拶や簡単な日常会話だけでも身に着けよう、と。
専門のアルファサル語教師をつけてもらい、練習を重ねていたのだ。
一人自室で復習していたコーデリアは、むぅと眉を寄せた。
「『あなた方』の部分の発音がいまひとつかしら……?」
ぶつぶつと呟き、発音を記した教本とにらめっこをする。
異国の言葉を学ぶのは難しい。
読み書きを覚えるのは早い方だが、会話となるとやや苦手だ。
文法や単語は理解できても、発音を再現するのに苦労していた。
(思えば私、音楽を聴くのは好きでも、演奏は得意じゃないのよね……)
異国後の発音の習得には、音楽的な才能が関係すると聞いたことがある。
教養として楽譜は読めるし名曲の知識もあるが、いまいち音感が良くないのか、演奏となるとコーデリアは不得手だった。
レオンハルトに出会うまで、妹のわがままの後始末や伯爵家の経営に時間を割いていたこともあり、苦手を克服するだけの時間が得られなかったのも痛い。
「にー」
「ニニ、励ましてくれるの?」
足元へやってきたニニを撫でてやると、コーデリアは気合を入れなおした。
「明後日にはいよいよ、ラティシーヤ殿下と使節団が到着するもの。頑張らないとね」
「にゃっ!」
相槌を打つように、ニニが一声鳴き声をあげる。
コーデリアがアルファサル語の訓練に集中していると、控えめに自室のドアが鳴った。
「コーデリア様。ベルナルト様がお越しです」
「今いくわ」
アルファサル語の教本を置くと、コーデリアは手早く服装を整えた。
ベルナルトは隣国のエルトリア王国よりやってきた軍人で、駐留部隊の隊長に任命されている。
元はお飾りの隊長だったが、数か月前、コーデリアらと共に王都を騒がせた事件を解決したことで、名実ともに隊長の名に相応しい立ち位置と部下を得ている。
彼もまた忙しい毎日を送っているが、コーデリアたちとの縁は続いていた。
隣国の若き英雄と未来の王妃。
交流は外交の一環であるが、貴族には珍しく竹を割ったような性格のベルナルトとの会話は、コーデリアにとって好ましいものだった。
「ベルナルト様、ようこそ。お忙しい中、こちらまで足を運んでいただきありがとうございます」
「あぁ、邪魔しよう」
低い声に銀色の髪、紫水晶の瞳のベルナルト。
年頃の女性の視線を集めてやまない怜悧な美貌の持ち主だが、中身は軍務一筋、強者との戦いを生きがいとする青年だ。
今日もまた、若獅子宮に来れば好敵手と認めあうレオンハルトと出会えるかもと、どこか嬉しそうな気配を纏っている。
「残念ですがベルナルト様、今日はレオンハルト殿下は外出中です」
「……そうか」
ベルナルトは言いつつも、嬉しそうな雰囲気はそのままだ。
表情の動きが少なく今も無表情に近い彼だが、コーデリアには最近、その奥にある感情が察せられるようになってきた。
「何か良いことでもあったのですか?」
「気のせいだ」
短く端的に答えるベルナルトの背後で、副官のゲイルが苦笑を浮かべ呟いた。
「ベルナルト様が会いたいのは、レオンハルト殿下だけじゃないってことですよ」
「何か言いましたか?」
「こっちの問題なんで、コーデリア様は気にしなくていいですよ」
「そうですか……」
気にするな、と言われる程、気になってしまうのが人の性だ。
コーデリアは内心首を捻りつつも、話題を変えることにした。
「前回お会いした時、ベルナルト様からお話いただいた護衛兵の動かし方ですが――――」
軍務一筋のベルナルトとの会話は必然、軍事や武に関する話題が多くなった。
コーデリアとしても、一流の軍人であるベルナルトとの対話は実りが多くありがたい。
身の回りを守ってくれる護衛兵への効率的な指示の出し方のコツについて、前回ベルナルトから話を聞いたので、それを受けたコーデリアなりの考えをまとめたのだ。
「————このように、建物内での護衛兵については動かすのが良いと考えましたがいかがでしょうか?
何か見落としている点や、弱点となりそうな箇所はありますか?」
「無いな。コーデリア殿の説明はわかりやすく、護衛兵を動かす上での要点がまとまっている。この手の事柄について専門で無いと聞いていたが筋がいい」
「ふふ、ありがとうございます」
コーデリアは唇を緩めた。
ベルナルトは嘘やお世辞を言わなかった。
アルファサル語の練習ですり減っていた自信が、少し回復した気がする。
「以前、レオンハルト殿下に剣の稽古をつけてもらったんです。その時の体験も、役に立っているのかもしれません」
要人の警護の場合、室内で行うことも多いため、槍や弓より取り回しの良い剣を携えることが多い。
コーデリアにも、付け焼刃ながら剣の心得があった。
おかげか、護衛兵を動かす際のコツや流れなどが理解しやすいのだった。
「剣の稽古をつけてもらったのは、護身のためだったけど……。どこで何の経験が役立つか、わからないものだと実感しますね」
「あぁ、剣の修練はいいぞ。身を守る力となるのに加え、人を指揮し動かす際の心得にも通じるものがあるからな。なんならこれから、私も稽古をつけてやろうか?」
「ありがたい申し出ですが、今回は時間が無いので辞退させてもらいますね」
コーデリアがそう言って断ると、
「……そうか」
ベルナルトが無表情のまま、残念そうな気配を漂わせたのだった。