貴重な時間のようです
「あれからもう一月が過ぎたのね……」
呪術による事件から一月ほど。
王都西部を襲った黒い炎はコーデリアらの活躍により消し止められ、幸いにして人命の喪失はゼロに抑えられている。
『獅子の聖女』、コーデリアの名声も更に上がっていたが、まだ事件にはいくつかのしこりが残っていた。
「結局、アレンや帝国が関与していたという証拠は、見つからないままだだったのよね……」
コーデリアはぽつりと呟いた。
あの晩、魔術局に姿を現したアレンだったが、黒い炎にまつわる一連の事件の首謀者だという、確たる証拠は一つも発見されていなかったのだ。
尻尾を掴めなかったのは残念だったが……。
おそらくはアレン達も、呪具を用いたここまで大規模な行動は、そうそう起こせないはずだ。
でなければ今頃、あちこちで呪術による犯罪や、騒動が巻き起こっているはずだからだ。
今は潜伏して力をためている期間の可能性もあるが、ひとまずの平穏は確保できたことを、喜ぶべきだとコーデリアは考えていた。
「コーデリア、準備はできたかい?」
白の正装に身を包んだレオンハルトが、控室を覗き込んできた。
今日はレオンハルトの立太子の儀と、コーデリアとの正式な婚約を結ぶ日だ。
コーデリアは侍女が着つけてくれたロイヤルブルーのドレスの裾を、優雅にさばき立ち上がった。
長く裾をひくデザインで、動くたび艶やかに、海のように生地が輝きを変えている。
「はい、殿下。今日は一日、よろしくお願いしますね」
「あぁ。ついにこの日がやってきたからな」
差し出されたレオンハルトの手を取り、コーデリアは歩みだした。
今進んでいる廊下を抜ければ、多くの人が集まる大広間だった。
少し緊張していると、優しく手を握られる。
握り返すと、レオンハルトの緑の瞳が細められた。
そんな些細な仕草が愛おしくて、これから彼との毎日を重ねていけることが嬉しくて、コーデリアは頬が緩みそうになってしまう。
(駄目よ駄目。これからは式典よ。しゃんとした顔を見せないと)
気合を入れ直していると、
「にゃう」
背後から猫の声が聞こえた。
控室を抜け出したニニだろうか?
コーデリアが振り返るとそこにいたのは、
「レオンハルト殿下……?」
仔獅子姿のレオンハルトそっくりの猫……いや、仔獅子が、じっとこちらを見上げていた。
「この子はいったい……?」
コーデリアが首を捻っていると、仔獅子がかぱりと口を開けた。
「わっ⁉」
噴き出したのは金色の炎だ。
見覚えのありすぎる炎に、よく見てみれば瞳は半目で、ふてぶてしい印象だった。
「まさか、ライオネル陛下……?」
「ぎみゃっ‼」
肯定するように、仔獅子が鳴き声をあげた。
「え、本当に? そんなことが……」
「あるみたいだな」
コーデリアの横ではレオンハルトが、仔獅子と視線を合わせていた。
「『またいつ呪術師が出てくるかわからないから、この姿で見守っていてやる』と仰っているな」
「ライオネル陛下の考えていることがわかるのですか?」
「なんとなくだが……。魂を共有しているせいだろうな」
しげしげと、コーデリアはライオネルを見つめた。
見かけは愛らしい仔獅子だが、ライオネルと知ってから見ると、仕草の端々に、面影があるように感じられた。
「……それとコーデリア、もう一つ伝えておきたいことがあるんだ」
「何でしょうか?」
「どうやらライオネル陛下と俺は、一定距離以上離れられないようだ」
「えっ……?」
「……予想外の伏兵だな」
レオンハルトがこぼした呟きを気にする様子も見せずに。
ライオネルが気ままに伸びをし、にゃあと鳴き声を上げている。
その姿は愛らしく、とても王家の祖である、聖獣には見えないのだった。
「ライオネル陛下と一緒の生活ですか……」
彼のことは嫌いではないが、この先当分、レオンハルトと二人っきりになる機会は訪れないということだ。
少し残念に思っていると、再び猫の鳴き声が聞こえてきた。
今度こそ、コーデリアの飼い猫のニニの声のようだ。
「にっ!」
ニニは鳴き声をあげると、ライオネルへと近づいていく。
見慣れない相手の登場にライオネルは億劫そうで、やがて去って行ってしまった。
「あ、殿下と離れてしまっては……」
「これくらいなら、どうやら大丈夫のようだな」
遠ざかるライオネルを、ニニは追いかけることにしたようだ。
二匹の相性が良いものでありますようにと、そう願ったコーデリアだったが、
「殿下……?」
気が付けばレオンハルトに抱き寄せられていた。
「ニニに感謝だな」
レオンハルトが小さく笑うと、翡翠の瞳を甘く細めた。
蕩けるように甘く、それでいて熱い、強い瞳が間近に迫ってきて。
―――――貴重な二人きりの時間を、コーデリアは口づけと共に味わったのだった。
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