黒の炎と獅子の聖女
「アレン様……」
魔術局へとやってきたのは帝国の軍人、アレンのようだった。
「こんばんは。それとも、ぼちぼちおはようになるかな? どっちにしろ、まだ暗い中ご苦労様だ」
道端で偶然出会ったような、ごく気安い挨拶だった。
しかしここは深夜の魔術局の敷地内で、決して自然に訪れる場所では無かった。
「そちらの目論見は、外れてしまったようだな」
コーデリアを守るように、レオンハルトがアレンと相対した。
「何のことを言ってるんだ?」
「認めないつもりか?」
あくまで白を切るアレンに、レオンハルトの瞳が細まった。
鋭さを増した視線に、アレンはわざとらしく肩をすくめている。
「証拠はあるのか? 俺はたまたま、夜の散歩に来ただけだよ」
「言ったな。ならばじっくりと、取り調べをさせてもらおうか」
「はは、怖いな。だがそんな余裕、果たしてそちらにあるかな?」
「何を言って―――――っ⁉」
レオンハルトの瞳が見開かれた。
何事かとコーデリアが身構えた一瞬の後。
王都西部の方角に、黒々とした炎が立ち上がった。
「なっ、あの炎は……‼」
つい先ほど、ジュリアンが生み出していた炎と同じ、おそらくは呪術によるものだ。
距離は大分あるようだが、それでもなお目視できるということは、かなり大きな炎のようだった
「アレン様、あれもあなた達が―――――っ‼」
気が付けばアレンの姿は、煙のように消え失せていた。
コーデリア達の意識が炎に奪われていた短い間に、するりと姿を消してしまったようだ。
「殿下、その鼻で、アレン様の行方はわかりますかっ⁉」
「っ、可能だがアレンを追っている間に、あの炎の被害が拡大してしまいそうだ!」
レオンハルトの返答に、コーデリアは唇を噛みしめた。
今あがっている炎も、アレンが糸を引いているに違いない。
わざわざアレンがこの場に、コーデリア達の様子を見に来たのも、騒ぎに乗じて逃げおおせる自信があるからこそのはずだ。
「アレン様の用意した囮は、一つでは無かったということね……!」
王都北部で見つけられた怪しい動き。
コーデリア達はそれこそが囮だと思っていたが、囮は一つでは無かったのだ。
この魔術局こそがアレンの用意した本命の囮。
囮を見破り、勝った気になったコーデリア達をはめるべく用意された、二段構えの囮だった。
してやられた形だが、今は後悔より先に、呪術の炎を消し止めるのが優先だ。
「殿下の炎なら、あの黒い炎も消し飛ばせますよね?」
「あぁ、できるは……」
ふいにレオンハルトが黙り込んでしまった。
目をみはり、掌を開け閉めさせている。
「駄目だ。出ない。炎が出せなくなっているようだ」
「えっ⁉」
まさかの事態に、コーデリアは叫んでしまった。
「なぜ急にそんなことに……?」
「……おそらく、この体でライオネル陛下が力を振るった影響だ。しばらくの間その反動で、炎が満足に出せなさそうだ」
「そんなっ……!」
あまりにも間が悪いことだ。
コーデリアが愕然としていると、レオンハルトの気配が一変した。
「っちっ、緊急事態だ。この肉体、さっさと余に明け渡してもらおう」
「駄目ですっ‼」
咄嗟にコーデリアはレオンハルトを―――ライオネルの肩を掴んでいた。
先ほどライオネルが、自らの全力で力を振るうためには、肉体の主導権が必要だと言っていたのをコーデリアは覚えている。
肉体の主導権を奪われたレオンハルトがどうなるかわからず、到底受け入れることはできなかった。
動揺のあまりライオネルの肩を掴んでいると、再びその気配が揺らぐのを感じる。
「コーデリア、放してくれ。残念ながら今は、他に手段が無さそうだ」
レオンハルトだ。
コーデリアを説得するように、肩の手に掌を重ねてきた。
「ですがそれでは、殿下がどうなるかわかりませんっ‼」
「……黒い炎が上がっているのは、貴族たちの屋敷が集まった一体に近い場所のようだ。このまま手をこまねていれば、貴族も平民も、何人も死んでしまうはずだ」
「っ……‼」
コーデリアは唇を噛みしめた。
人命を失わせるわけにはいかないが、それでもレオンハルトのことを思うと、迷いが降り切れないでいる。
何か方法はないか、他に手段はないかと考え、考えに考えていき―――――
「聖剣です‼」
その存在を思い出した。
今日も念のためにと、ドレスの中に短剣サイズにした聖剣を、護身具代わりに持っていたのだ。
「殿下は今、獅子の姿に変じることはできますかっ⁉」
「それくらいならできそうだが……コーデリア、まさか君は――――」
「私が聖剣から黄金の炎を生み出し、あの黒い炎を消し飛ばそうと思います」
「危険だ‼」
すぐさまレオンハルトが叫んだ。
聡明な彼が、コーデリアに言われるまでこの方法を思いつかなかったのは、コーデリアの危険が大きいため、無意識に思考から排除していたせいだ。
「今あがっている黒い炎は、ジュリアンのものより何倍も大きいんだ! もし近くへ行って消すのに失敗したら、どうなるかわからないんだぞ⁉」
「ですが見過ごすことは出来ませんっ‼」
「だから俺が、ライオネル陛下に肉体を譲り渡して――――」
「嫌ですっ‼」
コーデリアは拒絶を、わがままをレオンハルトへと叫んでいた。
もしレオンハルトが肉体をライオネルに渡し、二度と言葉を交わすことが出来なくなってしまったとしたら?
そんな未来があるとしたら、コーデリアが危険を冒してでも、黒い炎を消しに行きたかった。
「殿下、お願いです。獅子の姿で私を黒い炎の元まで運んで欲しいのです」
「っ……‼」
レオンハルトの心中を、葛藤が吹き荒れているようだ。
コーデリアの願い、彼女の安全、今にも死人が出るかもしれない状況。
理性と感情、私心と正義感がぶつかりあい、ついに答えが定まったようだ。
「……一度だけだ。獅子の姿で、君をあの黒い炎の近くに運ぶから、一度だけ聖剣を振るってくれ。それで黒い炎が消えなかった場合は俺に任せてくれると、そう約束してくれるな?」
レオンハルトの出した答えに、コーデリアは静かにうなずいた。
これでいよいいよ、失敗することはできなくなってしまったようだ。
一つ深呼吸をして覚悟を決めると、獅子の姿へと変じた、レオンハルトの背へと腰をかけた。
「殿下、お願いします!」
「がうっ‼」
レオンハルトは一鳴きすると、四本の足で走り始めた。
瞬く間に魔術局の敷地を抜け、王都の町並みを駆け抜けていく。
地をける足は力強く、ぐんぐんと黒い炎の元へ近づいていった。
「到着っ!」
今やコーデリアの目の前では、黒い炎が盛大に燃え上がっていた。
住人たちは外へ避難しているようだが、このまま火勢が強くなれば、いずれ逃げ場を失ってしまいそうだ。
(――――集中よ)
レオンハルトの背から降り、コーデリアは黒い炎と向き合った。
手にした聖剣を構えると、いつの間にやら刃渡りが長くなり、本来の長剣の長さになっている。
「がうっ!」
レオンハルトが鬣を揺らし頷いている。
聖剣の力が発揮しやすいよう、何やら助けてくれたようだ。
コーデリアは感謝しつつ、集中を練り上げていった。
聖剣を扱うのに大切なのは想像力だ。
黄金の炎が生まれ、黒の炎をかき消していくその光景を。
何度も目の前に思い描き、強く聖剣の柄を握った。
「~~~~~~っ!」
今だ、と告げるようなレオンハルトの咆哮と共にコーデリアは、
(当たってっ……!)
聖剣を振り上げ、黄金の炎を生み出すことに成功していた。
視界いっぱいに広がった黄金の炎は宙を飛び、黒の炎に当たり消し去っていく。
金色の火の粉が舞い散り、見る見るうちに黒の炎は小さくなっていった。
「やった……!」
全ての黒の炎が消滅したのを確認し、コーデリアは聖剣の切っ先を下した。
レオンハルトの背中に体を預け、極度の緊張からの解放にぐったりとしていたところ、
「聖獣様……?」
王都の住人の声が耳へ届いた。
「黒い炎はどうなった⁉」
「聖女様と聖獣様が、黒い炎を消してくれたのか?」
「聖女様‼」
「聖女様と聖獣様だっ‼」
「獅子の聖女様のおかげだ‼」
コーデリアはそろりとレオンハルトの背に手をかけた。
野次馬に囲まれそうになったため、慌ててレオンハルトの背にのり、その場を去ることになるのだった。
本日、めでたくも書籍版2巻の発売日となりました!
氷堂れん先生の素晴らしいイラストと、書き下ろし番外編小説2編も収録されているので、お手に取っていただけたら嬉しいです……!
2巻の詳細については活動報告に記載しているので、そちらを参考にいただけたらと思います。
こちらの方も発売記念に、本日夜にもう1話更新しますので、よろしくお願いいたします。