うっかり前世の記憶を思い出さないようにしましょう
「前世の記憶を思い出すと、死ぬ? どうしてですか……?」
「考えてみろ、自分じゃない自分の記憶を抱えて、それで人間は平気でいられると思うか?」
「それは……」
コーデリアは考えを巡らせた。
ライオネルの話は突飛だが、それなりの理屈は通っている気もする。
「うっかり前世の記憶なんて思い出してみろ。思い出した瞬間に衝撃で廃人になるか、数日をかけて記憶と自我が混濁し荒廃していくか……。どちらにしろ一月と持たず、精神が死ぬのは避けられないからな」
どうやら思った以上に、恐ろしいことになるようだ。
前世への好奇心はあるが、対価が死では思い出す気になれなかった。
(気安く前世を知りたいなんて思っちゃ駄目みたいね)
コーデリアは肝に銘じることにした。
「まぁ、人間の場合は死後に記憶が洗い流されるから、前世のせいぜい名前と、断片的ないくつかの記憶くらいしか、そもそも持ちこせないけどな」
「そう……。でも、少しお待ちください」
看過できない事実に気が付き、コーデリアはライオネルを見つめた。
「でしたらライオネル陛下はなぜ記憶をもったまま、レオンハルト殿下の中に存在しているのですか?」
「人間じゃないからさ。前世の記憶が蘇っても精神が崩壊しないのは人間の皮を被った者か、自分を人間だと思い込んでいる何かだけだ」
馬鹿にしたように、ライオネルが笑みを浮かべた。
「言っただろ? 余は呪術の類を滅ぼすために存在していると。力を振るうには肉体が必要だから、こうして余の血を色濃く残す血脈を作りそこへ転生し、その肉体を間借りしているに過ぎないさ」
「間借り……」
言葉の響きを、コーデリアは噛みしめた。
ライオネルがこうして、意識の表に出てきているということは。
「国王陛下に呪術を使った人間を見つけるまで、ライオネル陛下はレオンハルト殿下の中にずっといるのですよね?」
「そのつもりだ。嫌ならばさっさと、呪術師を見つけることだな」
説明は終わったとばかりに、ライオネルが瞼を閉じる。
次に翠の瞳が開いた時には、確かにレオンハルトその人がそこにいた。
コーデリアは安堵し、細く息を吐き出す。
「殿下、お帰りなさい。ライオネル陛下の話、殿下も聞こえていらっしゃいましたか?」
「あぁ、聞こえていた。父上を襲った呪術師については、ぜひ俺も見つけ出したいが……」
「誰もが呪術師たりえると言われると、疑うべき対象が多すぎますよね……」
レオンハルトと二人、コーデリアは唸り声を上げてしまった。
王都だけでも、人間の数はとても多いのだ。優に万を超す十人。一人一人調べていては、到底追い付かなかった。
「帝国軍人のアレンが近頃、怪しい動きを見せているが、今のところ証拠は無いからな……」
「アレン様が、ですか?」
「あぁ、そうだ。この国では、呪術師が関わっているらしき事件は今まで無かったんだ。異国の人間が関わっていると考えた方が筋が通るし、ちょうどアレンらが数日後に、王都北部で何やら大規模な動きを計画している節もある」
「王都北部で大規模な計画……」
あからさまに怪しかった。
手がかりが無い今、アレンを見張るくらいしか、できることが無いというのもある。
(でも、ちょっと待って。本当にアレンや彼の周囲の人物が、呪術師なのかしら?)
コーデリアは首を捻ると、レオンハルトにいくつか、確認をすることにしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「父上、だいぶ血色が良くなっているな」
レオンハルトが国王の寝室で、ほうとため息をついている。
ライオネルを名乗る存在が、黒いもやを消し去ってから三日後。
国王は幸運にも、快方へと向かっているようだ。コーデリアも胸を撫でおろし、肩の荷が一つ降りた気分だった。
(良かった。これであとは、アレン様たちの動きを押さえられれば……)
事態はひとまず収束に向かうと思いたかった。
国王の寝室を訪問後、いくつか準備を行ううち、コーデリア達は翌日の夜更けを迎えた。
今レオンハルトと共にいるのは、王都南部にある王立魔術局の敷地内だ。
アレンと初めて会った時、彼は大柄な軍人を囮にして視線を集めたすきに、コーデリアのヴェールを手に取っていた。
あの時と同じで、あからさまに怪しい、王都北部の動きは陽動の可能性がある。
優秀な軍人らしいアレンが、事前に自身の計画を掴ませるのだろうかと考えると、やはり王都北部は陽動のように思えてならなかったのだ。
北の反対、王都南部の重要施設と言ったら、王立魔術局が筆頭にあがってくる。
他にもいくつか候補はあるが、コーデリア達の本命はここだ。
大々的に兵を動かすには確証がなく、また呪具を判別できるのがコーデリア達だけであるため、二人で行動をしている。
レオンハルトと共に見張っていると深夜、にわかに騒がしくなってきた。
「当たりのようだな」
レオンハルトが、隠れていた茂みから立ち上がった。
瞳を一度閉じると、ライオネルへと人格が切り替わっている。
「行くぞ。ついてこい」
コーデリアを引き離し、ずんずんとライオネルは突き進んでいく。
普段二人で歩く際、いかにレオンハルトが配慮してくれているか、よくわかる瞬間だった。
「あれは……!」
進む先に見覚えのある、黒いもやが漂っている。
誰かが呪術を、使用した証だった。
急いで向かうと魔術師たちの暮らす寮の前に、一人の少年が立っている。
「あなたは……」
以前、ベルナルトと王立魔術局を訪れた際、虐められていた少年・ジュリアンらしき姿だ。
黒いもやをまといながら、寮を背にこちらを振り返った。
「あ、クッキーのお姉さんですね」
コーデリアは軽く拳を握った。
やはり、あの日出会ったジュリアンで間違いないようだ。
「あなた、これから何をするつもり?」
「何って、全部燃やすつもりですよ?」
何でも無いことのように、ジュリアンがそう答えた。
あまりにも普通なその様子に、コーデリアの背筋が寒くなった。
(虐められても、どこか達観してるように見えたけれど……)
あれは、諦めでも受容でも無かったということだ。
魔力が弱いせいで虐められていたけれど。
そこへ魔力など関係ない、呪術という力を手に入れたことで、心に余裕ができたのかもしれない。
「ジュリアン、考え直して。呪術は、魂を燃料にする力だと聞いているわ。呪術も使えば、あなただってどうなるかわからないのよ?」
「だから?」
ジュリアンがこてりと首を傾げた。
「呪術を使わなくたって、僕は虐められて、どうにかなってしまいそうなんだ。ならば呪術にすがって頼って、うっとうしいもの全部燃やしてしまった方が、すっきりすると思いませんか?」
「ジュリアン……」
これはもう手遅れだと、コーデリアは悟らざるを得なかった。
言葉で制止できる時期は、とっくに過ぎていたようだ。
ジュリアンは大きく両腕を広げると、指輪を高らかに宙に掲げた。
「燃えろ燃えろ! 全部燃えてしまえ‼」
ジュリアンが何やら口ずさむと、右手首から血が噴き出し、指輪へと吸い込まれていく。
血を呑み込んだ指輪からは入れ替わりに、黒い炎が噴き出してきた。
「っちっ、この愚か者め」
舌打ちと共に、ライオネルが一歩前に出る。
特別な動作などでは無い、たったその一挙動で。
「なっ⁉」
金色の炎が咲き誇るように燃え上がり、黒い炎を呑み込んでいく。
指輪から漏れだした黒い炎のことごとくが、ライオネルにより跡形もなく消されていった。
「そんな、嘘だ! どうしてこの、特別な黒い炎が消されるんだよ⁉」
「特別は一つだけじゃない、というだけの話だ」
冷えた視線を、ライオネルはジュリアンに注ぎ続けている。
人間にとっては脅威となる黒い炎も、彼にはまるで堪えていないようだ。
「そんなっ……」
茫然とうなだれるジュリアン。
その背中に、コーデリアは遣る瀬無い悲しみを感じた。
(魔力に恵まれなくて、それですがった先の呪術でも、敵わない相手に打ちのめされてしまった……)
呪術に関しては自業自得だが、哀れさも感じる姿だ。
失意のジュリアンはやがて呪具を使った影響なのか、気絶するように眠り込んでしまった。
念のため縛り上げていると、ライオネルの気配がふいと揺らいだ。
「女、余はそろそろ眠ることにする」
「お疲れですか?」
ジュリアンを圧倒していたライオネルだが、こちらもこちらで、どうも反動があるようだ。
「今この肉体の主導権を握っているのはレオンハルトだ。かつての余にとっては些細な力でも、今振るうには枷が多すぎる。レオンハルトの肉体を主導権ごと、奪ってしまえれば色々と捗るのだが……」
「陛下どうぞ健やかにお休みなさってください」
コーデリアは素早く言い切った。
レオンハルトのことを思えば、ライオネルの提案は到底受け入れられないものだ。
「おまえもこの余にずいぶんと言うようになったな……」
ライオネルの目が据わっていた。
彼への恐れ、そして尊敬はいまだコーデリアの中にあったが、会話を重ねるうちに少し、慣れてきてしまった部分も存在している。
(人ならぬ存在で、傲慢な物言いのライオネル陛下だけど……)
レオンハルトと魂を同じにする存在だけあってか、根は悪い相手では無いのかもしれない。
コーデリアがそう考えていると、ライオネルの気配が消えレオンハルトの意識が戻ってきた。
レオンハルトにジュリアンを運んでもらい、魔術局の衛兵に引き渡すころには、深夜も半ばを過ぎたようだ。
明け方へと向かう星空を見ながら、レオンハルトと二人王立魔術局の出口へと向かうと、こちらに向かってくる影があった。