目が死んでいると言われましたが
「失礼します、コーデリア様。あいかわらず目が死んでますね」
「あいかわらずは余計よ、ヘイルート。ごきげんよう」
ヘイルートの指摘通り疲労感を滲ませた据わった瞳で、コーデリアは挨拶を返した。
場所は伯爵家の応接間。
窓からはうららかな木漏れ日がさしているが、コーデリアの顔色は優れなかった。
「ここんとこずっと忙しいようですが、案の定って奴ですかね?」
「だいたい、お察しの通りだと思うわ。お茶会に舞踏会に観劇に…………体が何個あっても足りないわね」
舞踏会で第二王子レオンハルトと出会ってから十日間。
コーデリアは一躍注目の的になっていた。
元よりコーデリアは、妹に婚約者を盗られた姉ということで、悪い意味で噂になってはいた。
そこに加わり、王子であるレオンハルトが興味を示したのだ。
当事者であるコーデリアから話を聞こうと、伯爵家には毎日何通もの招待状が舞い込んでいた。
日時や相手との家格差を鑑み、断ることの難しい誘いにのみ応じていたが、それでも招待先から招待先をはしごするように、連日外出が続いている。
外出前後のお礼状のやり取りと言った雑事の指示もこなさねばならず、目が回るほど忙しいのが現状だ。
「こんなことになるなら、領地の屋敷からもっと従者を連れてくるんだったわ……」
「この屋敷にいる従者には、任せられないんですかね?」
「できるならそうしたいわ。でもこの屋敷の主はお父様で、お父様はプリシラを溺愛していて、プリシラは新しいドレスや宝石に目が無いのよ?」
「あー…………、なるほど、こういうことですね」
ヘイルートはお茶うけのクッキーを手にすると、首を真横に切る動作をし、そのまま口へと放り込んだ。
「プリシラの浪費を咎めようとした、責任感や金銭感覚を持った従者は、皆屋敷から追い出されてしまったのよ」
「結果残ったのは、父上におもねりプリシラ様を甘やかすのが取り柄の従者だけ、ってことか」
「お父様の息がかかっていない、領地の従者に応援を頼んでいるところだけど、しばらくは私一人で回すしかないのよね」
肩をすくめつつ、コーデリアはため息を呑み込むように紅茶へと口をつけた。
どれ程疲れていようが、伯爵家の人間として外に出る際に、顔に出すことは許されない。
気の置けないヘイルートの前でうっかり目が死んでいるくらい、許してほしいと思うコーデリアだった。
「そんじゃオレも、長居せず早めに切り上げるとしますかね」
ヘイルートは一通の封筒を取り出すと、テーブルの上へとのせた。
封筒を手に取ると、コーデリアは中身を確認していく。
「……ありがとう。頼んでいた通りのもので、助かるわ」
「お安い御用です。報酬は、今度会った時にお願いしますね」
「約束は守るわ、でも、あんなお礼でいいの……?」
封筒を懐に入れつつ、コーデリアは問いかけた。
「『今度レオンハルト殿下と会った際に、殿下に抱いた印象を教えてくれ』って、本当にそれだけでいいのかしら?」
「十分ですよ。あの浮いた噂のない殿下が、コーデリア様の前でどんな言動を繰り出すのか、野次馬冥利につきるじゃないですか?」
「野次馬根性もそこまでいくと、いっそ清々しいものね」
「色恋はいい画材になりますからね。もうすぐ演劇の『ラモリシアの恋』を題材にした絵が完成するんですが、伯爵家の玄関にどうですか?」
「遠慮しておくわ。絵は、その良さがわかる人間の元にあるのが、一番だと思うもの」
ヘイルートの描く肖像画は、モデルが絵画の中に佇んでいるかのような完成度を誇っていた。
しかし一方、彼が自分の描きたいように描いた絵はけばけばしいまでの色使いと、不安定な描線が視覚の暴力となって襲い掛かる、なんとも形容しがたい作品だ。
「ちぇっ、残念です。コーデリア様の唯一の欠点は、芸術を解す心を持たないことですよ」
「失礼ね。芸術鑑賞について祖母に一通り仕込まれているからこそよ」
「既成概念に囚われるなんて、嘆かわしいことです。オレの絵の良さをわかってくれる人間は、一体どこにいるんでしょうね?」
大げさな動作で、ヘイルートが天を仰いだ。
肖像画画家としては引っ張りだこだが、それだけでは満足できていないらしい。
画家である以上、自らの表現が認められることが第一だろうが、ままならないようだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ヘイルートを見送ったコーデリアは、プリシラの部屋を訪れていた。
広さだけでコーデリアの自室の三倍、内装や調度品は伯爵令嬢には似つかわしくない豪華さだ。
「プリシラ、入るわよ」
「お姉さま、何の用? 私今、忙しいんですけど?」
手にした書物から目を離すことなく、プリシラが答えた。
猫足のテーブルには、最近王都で流行っている、長編恋愛小説が積み上げられていた。
(お父様、またプリシラにねだられて買い与えたわね……)
ここのところ忙しくしていたせいで、つい見張りを怠っていた。
妹は年頃の少女らしく、恋愛をモチーフにした演劇や小説が好きだったが、いかんせん飽き性だ。
1巻2巻ならともかく、どう見てもテーブルの上に十冊はある。
何巻にもわたる長編小説を買い与えたところで、最後まで読破することも無く、本棚の肥やしになるのが目に見えていた。
「プリシラ、聞きなさい。レオンハルト殿下のご来訪のことよ」
「‼ レオンハルト様っ⁉」
プリシラは表情を輝かせると、書物を放り出し近寄ってきた。
「いつですか⁉ いついらっしゃるんですか⁉」
「落ち着きなさい」
妹をたしなめつつ、コーデリアは床に落ちた書物を拾い上げた。
「七日後の昼過ぎ、わが家を訪れるそうよ」
「わかりました!! とっておきのドレスで待っていますね!!」
レオンハルトの目的はコーデリアに手袋を持ってくることであり、プリシラは関係ないのだが、そんなこと関係ないとばかりに、妹はそわそわと嬉しそうだった。
「プリシラは、殿下にお会いしたいのよね?」
「もちろんです」
「それなら明日から五日間、メイヤード子爵夫人の元へ通いなさい」
「え、メイヤードおばさまのところへ?」
プリシラの表情が、みるみるうちに曇っていく。
メイヤード子爵夫人は伯爵家の遠縁の、礼儀作法に厳しいことで有名な女性だ。
「どうして私が、メイヤードおばさまのところに行かなきゃいけないんですか?」
「礼儀作法について指導してもらうためよ。殿下をわが家に招き歓待するのだから、万が一にも粗相があってはいけないわ」
「私だって、それくらいの礼儀の心得はありま………」
「残念ながら、ないわ。幸い基礎はあるんだから、五日間メイヤード子爵夫人に鍛えなおしてもらってきなさい」
「五日間もですか?」
たかが五日間だ。
何も頭ごなしにレオンハルトと会うなと言っているわけではない。
そんなに彼に会いたいなら、五日間くらい我慢しろと言いたかった。
(けどまぁ、ここでごねられるのは予想のうちね)
子供のように頬を膨らませ、プリシラが文句を言ってくる。
このまま言わせておくと、『必殺技・お父様に言いつけます』が発動するはずだ。
「そんなにメイヤード子爵夫人の元に行くのが嫌なら、レオンハルト殿下にお会いするのは諦めなさい」
「嫌よ!! どうしてそんないじわる言うの⁉」
「あなたにとっても悪い話じゃないはずよ。殿下がいらっしゃってる間、この劇でも見に行っていなさい」
「劇なんてっ…………これはっ!!」
コーデリアが取り出した観劇チケットを、プリシラがひったくるように奪い取った。
王家ご用達の経歴を持つ劇作家が手掛け、何人もの人気俳優の出演する恋愛劇。
まだ幕が切られたばかりで人気が沸騰しており、貴族と言えどなかなか手に入らないチケットだった。
(ヘイルートってば本当、顔が広いわね)
ヘイルートは様々なサロンや貴族の家に出入りしており、芸術家の知り合いも多いようだった。
そんな彼に頼んで手に入れたチケットの代価が、チケット代とレオンハルトとのやりとりを話すだけですむなら、安いものである。
貴重なチケットを前に、妹は思い悩んでいるようだった。
「見たいけど、でもこのチケットの日はレオンハルト様が………」
「チケットは2枚あるわ。トパックと二人で行って来たらどうかしら?」
「トパック様と………」
言いつつ、プリシラは決めかねているようだった。
どっちか選ぶことなんてできないと悩む妹の背中を、コーデリアは押してやることにする。
「行かないなら、このチケットは別の人に譲るわ。本当は私自身が見に行きたいのだけど、仕方ないわね。ずっと前から楽しみにしていたけど、まさかその日に殿下がいらっしゃるなん―――――」
「行きます!!」
チケットを握りしめ、プリシラが勢いよく答えた。
思っていた通りの反応に、コーデリアは内心苦笑する。
姉の持っているものや、姉が欲しがるものが欲しいという、プリシラらしい反応だった。
これで、レオンハルトとの対面の場に、プリシラが乱入するという事態は避けられそうだ。
レオンハルトが自分に興味を示した理由はわからなかったが、どちらにしろ王子である彼と、迂闊でわがままな妹の再会は防ぐべきだった。
一つ肩の荷を下ろした気分でいると、従者がコーデリアへの手紙を運んできた。
「コーデリア様、公爵家のカトリシア様から、お手紙が届いたようです」
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