殿下であって殿下でありません
レオンハルトに心配をかけつつも、元王太子・ザイードに協力していた容疑者のほとんどは、捕らえることができたようだ。
あの日コーデリアが囮になり釣り上げた人間を辿り、ザイードに近しかった人間も捕縛することができたのだ。
細かな後始末は残っているが、既に山場は超えていた。
レオンハルトの獣耳の制御の方も順調で、もうほとんど、元通りになってきている。
コーデリアの屋敷を離れ、公の場にも復帰し始めているところだ。
あとは立太子の儀をこなし終えれば、コーデリアは晴れて、レオンハルトの婚約者として認められことになるのだったが――――
「国王陛下が倒れられた……?」
王宮からの使者のもたらした一報に、コーデリアは顔が青ざめるのがわかった。
自国の王であり、そしてレオンハルトの父親だ。
彼の方を見ると翡翠の瞳が一瞬揺らぎ、動揺を押し隠したのがわかった。
「……どういうことだ? 詳しい事情を説明してくれ」
取り乱すことなく、感情を抑えた顔で告げるレオンハルト。
しかしその拳が、色を無くすほど握り込まれているのを、コーデリアは目にしてしまった。
「はいっ‼ 僭越ながら説明させていただきます」
使者の述べた説明曰く。
国王であるバルムンクはその日、王宮の中庭を散策していたらしい。
当然、警備は厳重に敷かれている。
剣や槍、それに魔術師の襲撃に対しても。簡単に害されたりしないよう、万全の警備体制が取られていたようだ。
(なのにそれにもかかわらず、陛下は害されてしまった……)
どうやら敵は魔術師だったらしい。
らしい、としか言えないのは、使われた術式が、既存の魔術とは異なっていたからだ。
吹きあがった黒い炎は護衛の魔術師の作り出した土の壁をすり抜けて、国王に直撃してしまったらしい。
「……父上の容体は今どうなっている?」
「不思議と大きな火傷や傷は無いのですが、一向に意識が戻らなくて……」
言いづらそうに、使者がレオンハルトへと告げた。
芳しくない知らせに、コーデリアの胸が騒いだ。
「……わかった。まずは、父上の見舞いに行かせてもらおう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
国王が臥していることは緘口令が敷かれ、情報統制がなされている。
しかしこの手の情報は、どこかしらから漏れてしまうものだ。
主不在の王宮は、どこか重苦しい空気に包まれていた。
「レオンハルトお兄様っ‼」
馬車を降りると、フェミナが一直線に駆け寄ってきた。
しがみつくように、レオンハルトに抱き着いている。
「良かった……! 良かったです! お父様が襲われて、次はお兄様かもって……!」
「そう簡単に、俺はやられないよ」
ぽんぽん、と。
レオンハルトが優しい声音で、フェミナをあやしてやった。
(殿下も辛いのに、こんな時でも優しいのね……)
国王襲撃の報にコーデリアも動揺したが、国王の肉親である、レオンハルトとフェミナほどでは無いはずだ。
コーデリアがフェミナの背中をさすってやると、少し落ち着いてきたようだ。
泣きつかれたフェミナをお付きの侍女に預けると、国王の寝室へと歩みを再開していく。
国王の寝室の前には、十人近くの衛兵が陣取りっていた。
これ以上、万が一にも国王が害されることのないよう、慎重に警護を行っているようだ。
「レオンハルト殿下、お待ちしておりました!」
「あぁ、父上に会わせてくれ」
敬礼し道を空ける衛兵に挨拶をしながら、コーデリアは寝室へと踏み込んだ。
布団がこんもりと、人の形に盛り上がっているのがわかった。
「……え?」
コーデリアは自らの目を疑った。
布団と重なるように、黒いもやがまとわりういているように見えたからだ。
幻覚? それとも見間違いだろうか?
確認すべく、隣のレオンハルトに聞いてみようとしたところで、
(違う……?)
コーデリアは直感し、肌が粟立つのを感じた。
今隣にいるのは、レオンハルトであってレオンハルトでは決して無かった。
顔も形もそのままに、別の誰かと入れ替わってしまっている。
「あなた、誰……?」
恐る恐る問いかけると、翡翠の瞳がこちらを見下ろした。
(違う…‼ やっぱり絶対に違うわ‼)
翡翠の瞳の、その鋭さに身がすくむ。
レオンハルトがこのような目を、コーデリアに向けたことは一度も無いはずだ
「ほぅ、聖剣を預けられた人間だけあって、さすがに頭は悪くないようだな?」
尊大な、傲慢さを隠そうともしない口調だ。
声は同じはずなのに、レオンハルトとはまるきり別人だった。
「殿下は、レオンハルト殿下は、どこへ行ってしまったの……?」
「どこにも行っていないさ。たんに裏と表が、ひっくり返ったにすぎないからな」
「裏と表……?」
「なぁおまえ、先祖返りのこと、何だと思っていたのだ?」
くい、と。
顎に指をかけられ、顔を上向きにされた。
酷薄に煌めく緑の瞳が、正面からコーデリアを射貫いている。
「先祖返りとはすなわち、祖である聖獣の生まれ変わり。人の皮を被った聖獣そのものであるからこそ、人ならざる力が使えるのだ」
「生まれ変わり……」
つまりレオンハルトは、ライオルベルンの初代国王その人ということだろうか?
わからないことばかりだが、コーデリアには聞かなければならないことがある。
「私が今まで接してきた殿下は、今どうしているのですか?」
震える声で問いかける。
心臓が不規則に脈打ち、冷や汗が背中を滑り落ちていく。
――――もしレオンハルトに、二度と会うことができないとしたら。
コーデリアの心はきっと、ひび割れ元に戻らないはずだ。
「それについては心配するな。用事が終わったら戻ってやるさ」
用事とは、いったい何なのだろうか?
千々に乱れた頭で考え、コーデリアは答えに行き当たった。
「……もしかして国王陛下の体にまとわりついている、その黒いのを消そうとしているのですか?」
「だいたいそんなところだな」
レオンハルトだったモノ――――彼の言葉が正しいのならば聖獣、ライオルベルン王家初代国王・ライオネルがそう告げた。
ライオネルは国王の元へ向かうと、すいと右腕をかざしている。
「燃えろ。呪いの残滓よ焼け落ちてしまえ」
「っ⁉」
ごうっ、と。
黄金の炎が吹きあがり、国王の体を包み込んだ。
炎は火の粉を散らして燃え盛り、黒いもやを消し去っていた。
「これで、国王陛下は助かるのでしょうか?」
「知らん。それなりに魂に負担がかかってるから、あとは器の……肉体の強度次第だろうな」
「……ありがとうございます」
原理はわからないが、国王を助けてくれたのは確かなようだ。
コーデリアが礼を述べると、顎を掴まれてしまった。
「何をするのですか?」
「礼がしたいんだろう? 黙ってこちらに任せておけ」
迫ってくるライオネルの顔。
固まるコーデリアの脳裏によぎるものがある。
初代国王ライオネル。
聖獣の伝説を持ち、英雄と崇められている彼は、『英雄色を好む』を体現するような逸話の持ち主で――――
「ぐっ‼」
「きゃっ⁉」
突如突き放されてしまう。
たたらを踏み視線をあげるとライオネルが、いや違うレオンハルトが、強く胸元を押さえこんでいた。
「くそっ、ふざけたことをしてっ……‼」
珍しく悪態をつくレオンハルトを、コーデリアは呆然と見つめた。
手を差し伸べ、頬に指を滑らしていく。
「殿下……? 今ここにいるのは、レオンハルト殿下なのですよね……?」
「あぁ、そうだ。すまなかったなーーーっ‼」
がばり、と。
気づけばコーデリアは力いっぱい、レオンハルトに抱き着いていた。
(怖かった……‼)
あのままもし、レオンハルトの人格が戻ってこなかったら?
足元に底なし穴が空いたように、強い恐怖が襲ってきた。
「殿下、良かったです……‼」
「コーデリア……」
ひしと抱き着くコーデリアを、レオンハルトが抱きしめ返してくる。
確かな体温を感じていると、コーデリアも徐々に落ち着いてきた。
「殿下、今はもう、お体に変わりはありませんか?」
「……問題ないと言えれば良かったんだが……。これを見てくれ」
レオンハルトが体を離し、胸のあたりを指し示した。
初めは変わりなく見えたが、じっと見ているうちぼんやりと。金色の炎が灯っているのが確認できた。
「この炎の色は、先ほどと同じ……」
「そのようだ。俺の胸の奥、体の中心に、今も炎が渦巻いているのを感じるんだ」
レオンハルトの言葉を確かめる様に、コーデリアは翡翠の瞳を覗き込んだ。
瞳に宿る光は優しく穏やかで、先ほどの荒々しい、ライオネルの気配は見受けられなかった。
コーデリアが安堵の息を吐き出すと、落ち着かせるようにぽんぽんと、レオンハルトに頭を撫でられていた。
「いきなり、ライオネル陛下に意識が乗っ取られることは無いはずだ。陛下は先ほど、父上を助けるために炎を使ったことで、しばらく休むつもりのようだからな」
「今ライオネル陛下がどんな状態か、殿下には感じられるのですか?」
「あぁ、ぼんやりとだが、陛下の意識が伝わってくるようだ。……俺が陛下と同じ魂を持った生まれ変わりというのは、本当なのかもしれないな」
「生まれ変わり、転生…………」
「そんなに心配そうな顔をしないでくれ。ライオネル陛下が表に出ていた間の記憶も、俺は持っているんだ。今のところ、意識の主導権もこちらにあるようだから、先ほどのような不埒な真似を、陛下に許すつもりは無いよ」
そう言ったレオンハルトの瞳は、鋭く冷え込んでいた。同じ魂の持ち主とはいえ、ライオネルがコーデリアに口づけすることを、決して許しはしないようだ。
「……いつまでもここにいては衛兵たちに不審がられるから、まず移動することにしよう」
本日もう1話更新します。