お飾りの英雄と追放の理由
「お飾り……?」
ベルナルトの言葉を、コーデリアは小さく繰り返した。
「そうだ。第三隊には十数名の隊員が所属しているが、ほとんどは書類上だけの隊員になっている。実際に働いている人間は一人もいないお飾りの隊であり、私はその隊長だということだ」
「だからこなすべく職務も、与えられていないということですか……?」
思い出せばコーデリアは、ベルナルトが隊長として働いている場面を見たことが無かった。
他国所属の軍人のため、職務内容について踏み込んだ質問は控えていたが、そもそも職務自体、ほぼ存在していなかったようだ。
「その通りだ。特別隠していたわけではないが、わざわざ公言することでもないからな。レオンハルト殿下の方は、うすうす察しがついていたようだが……貴女は私がお飾りの隊長だと知って、幻滅してしまったのか?」
「いえ、そのようなことはありませんが、ただ……」
なぜ華々しい身分経歴を持つベルナルトが、このような閑職に配されているのか。
コーデリアは気になり、やがて答えらしきものを見つけた。
「……ベルナルト様が故郷を離れこのような閑職についているのは、ベルナルト様が『英雄』だからでしょうか?」
「あぁ、それも原因の一つだろうな」
頷くベルナルトに、コーデリアは確信を深めた。
「ベルナルト様は若くして軍功を立てられ、英雄と称されたと聞いています。それは素晴らしいことだと思いますが……。政治というのは良きもの素晴らしいことだけでは、回らないですものね」
英雄の肩書、その影響力が大きいからこそ、上手くいかないこともあるのだ。
「ベルナルト様の妹、レティーシア様は王太子の婚約者です。未来の王妃と若き英雄。……一つの公爵家が抱えるには、二つの肩書の持つ力は大きすぎると、そう問題視されてしまったのですよね?」
「私は軍事が専門で、政治の方にはあまり関わっていないが……。軍部の中でさえ、私を目障りに思う人間は多かったからな」
「そうだったのですね……」
コーデリアとしては納得だ。
ベルナルトのその圧倒的な才能と、迷いの無さ過ぎる性格はきっと、敵を作りやすいはずだった。
「うちの国の貴族の中には、私とレティーシアのどちらかを、国外に追いやり力を削ぎたい人間が多いようだった。しかしレティーシアは王太子の婚約者をしっかりと務めているし、レティーシアを王太子の婚約者から下したところで、そうそう代わりは見つからないからな」
「王太子の婚約者の代わり……」
コーデリアはぽつりと呟いた。
脳内で素早く、隣国の王太子周りの情報を整理していく。
「エルトリア王族の婚約者には家柄はもちろん、魔力量も重要視されると聞いています。家柄、魔力量、容姿に健康状態、それに性格や知識教養の習得具合まで考えると、現在のエルトリア貴族の中でレティーシア様以上に、王太子の婚約者に相応しい令嬢はいらっしゃらないのですよね?」
「そのはずだ。たとえレティーシアとの婚約を解消しようとしても、後釜探しで難航し、貴族同士の腹の探り合いの末、暗がりで血が流れるのは明らかだ。もし王家の側が婚約を解消したいと思ったとしても簡単にはいかないし、王家側からの一方的な婚約破棄など論外だからな」
妹のレティーシアを、王太子の婚約者の座から下すのが難しいからこそ。
兄であるベルナルトを国外に追放し味方を作れないようにし、閑職に封じ力を削ごうという思惑だ。
「……英雄とまで呼ばれたベルナルト様はこの追放同然の扱いを、受け入れられているのですか? 」
若くして英雄とまで呼ばれたのになぜこのような仕打ちを、と。
コーデリアがもし同じ立場なら、不満の一つも言ってしまいそうな身の上だった。
特にエルトリア貴族はプライドが高く国外勤務を良しとしない人間も多いから、ベルナルトも静かに不満を燻らせているのかもしれない。
「恨み言が無いではないが……。そもそもの話、私が英雄呼ばわりされているのも、たぶんに政治が関係しているからな。失礼を承知で言えば、コーデリア殿が『獅子の聖女』と王家をあげ持ち上げられているのとある意味同じ理由で、私も英雄の肩書を得ているにすぎないからな」
「確かに、それはそうかもしれませんが……」
歴史書にはこんな格言がある。
曰く、『英雄やら聖女が現れる時代や国は、ろくでもないことが多い』、と。
「二年前の戦、わがエルトリア軍部が被った被害は大きかったからな。そこから貴族と平民の目を反らすために、英雄の存在は都合が良かったということだ」
淡々と、ベルナルトは自らが英雄と呼ばれるに至った経緯を語っていた。
強者との戦いを望み軍人として励んでいるベルナルトだが、他者から与えられる評価には、心を左右されない性格なのかもしれない。
「私が戦の被害が目立たないよう英雄として祭り上げられたように、コーデリア殿もまた、前王太子であったザイードの悪行から国民の目をそむけるために、大々的に『獅子の聖女』として喧伝されているのだろう?」
「その通りです」
コーデリアは頷いた。
『獅子の聖女』という輝かしい呼び名は、ザイードの闇を塗りつぶすためにつけられた名前でもあるのだ。
「私を英雄と呼び国民の目くらましに使い、やがて持て余し閑職へと手配した上官たちに思うところはあるが……それはそれとして、今のこの生活は、それなりに気に入っているからな」
「この生活で、この宿舎がですか?」
コーデリアは思わず聞いてしまった。
宿舎はお世辞にも綺麗とは言えず、あちこちに隙間風がありそうだ。
軍人とはいえ、公爵家の次男として華々しい人生を歩んできたベルナルトにとって、あばら家としか言えない住処の気がした。
「あぁ、屋根があって雨がしのげて、かたわらに剣さえあれば、それで私に不満は存在しないからな。なんせ実家では兄弟との模擬試合で、沼に落とされたり水を頭からかけられたり崖から飛んでみたり、色々と経験しているんだ。うちの兄弟は私を含め我の強い人間ばかりだから、国外に追放されようが閑職に追い込まれようが、それなりに楽しくやれるだろうな」
「そうだったんですね……」
コーデリアはとりあえず、頷いておくことにした。
ベルナルトの言う「色々と経験した」の内容が気になるが、家ごとにそれぞれ、生まれ育つ環境は違って当然だ。
現にこうして、追放同然にボロ宿舎を与えられたベルナルト本人に不満が無い以上、コーデリアが口出しするようなことではないはずだった。
「それに私だって、いつまでもこの立場にいるつもりは無いからな。ザイードの協力者を探しているのも、功績を上げ軍部主流に戻るための一策だ。その過程でコーデリア殿とレオンハルト殿下に出会えたのだから、お飾りの隊長も悪くないかもしれないだろう?」
ベルナルトは言うと、うっすらと口の端に笑みを浮かべていた。
刃の煌めきのようなその笑いはきっと、レオンハルトとの再戦を楽しみにしてのものだ。
「ベルナルト様の毎日が、充実しているようで良かったです」
小さく笑いコーデリアがそう言うと、ベルナルトの紫の瞳がコーデリアを映した。
「……コーデリアは私のことを、怖れも非難もしないのだな」
「私がベルナルト様に非難を?」
なぜそんなことをする必要があるのか、コーデリアにはわからなかった。
内心首を捻っていると、ベルナルトが一度目を閉じる。
「……私は公爵家の次男として、この顔で生まれついたせいか、近寄ってくる令嬢も多かったんだ。彼女たちは私を褒めたたえていたが……本気で剣を振る姿を見せれば引く令嬢も多かったし、一度でも殺気を浴びせたが最後、二度と近寄ろうとしなかったからな」
「それが普通の判断だと思いますが……」
コーデリアは苦笑してしまった。
いくら顔が良く身分と実力があろうが、殺気を放ってきた相手と、仲良くなろうと思う人間は少数派のはずだ。
「だがコーデリア殿は今も私を恐れず、話しかけてくれているだろう? そんな令嬢は妹以外、初めて出会ったから驚いているのだ」
ベルナルトの表情は変わらず、驚きとは程遠いが、言葉に嘘の気配も感じられなかった。
顔に出にくいだけで、コーデリアに対し確かに、驚きを覚えているのかもしれない。
「コーデリア殿はやはり、何か特殊な訓練を積んでいるのではないか?」
「そんなことありませんわ。魔術の心得はありませんし、剣術でさえ最近、始めたばかりのところです。単に家族に振り回された結果、ちょっと図太くなってしまっただけだと思います」
妹のプリシラの後始末に奔走し、コーデリアは鍛えられていた。
(私はそれなり以上に図太いのかもしれないけれど、何よりあの場には、殿下がいらっしゃったもの)
ベルナルトに殺気を向けられた時のことだ。
あの時コーデリアは一人ではなく、隣ではレオンハルトが気を配ってくれていた。
だからこそベルナルトから叩きつけられた殺気にも、過剰に反応しなくて済んだのだ。
レオンハルトがいてくれるからこそ、コーデリアは強くあれるのだ、と。
そう口にするのは恥ずかしく、言葉も無く微笑んでいると、ベルナルトがわずかに紫の目を見開いていた。
「コーデリア殿は強いのに、そのように柔らかくも笑えるのだな……」
「何か仰いましたか?」
ベルナルトにしては珍しい小さい声に、コーデリアが聞き返した。
しかしベルナルトは答えることなく、庭の中央、空地へと歩いて行っている。
つい漏れた独り言、さして意味のない呟きだったのだろうと、コーデリアは流すことにした。
「私はこれから、魔術の訓練を行うつもりだ。良かったら少し、見ていってくれないか?」
「はい、喜んで見学させていただきますね」
ベルナルトは魔術の戦闘運用の達人だ。
達人すぎてコーデリアには理解できない気もするが、もしかしたら聖剣を使う上で、何か参考になることがあるかもしれない。
聖剣の力を使いこなし、自在に火を操ることができるようになるために。
コーデリアはベルナルトの訓練を、じっと観察し始めたのだった。