これは一体どういうことでしょうか?
「どうしたんだいコーデリア?」
心配そうに眉を寄せるレオンハルト。
その金色の髪の上に、ぴょこりと二つ。
柔らかな毛に包まれた、丸っこい耳が生えていた。
「殿下の頭の上に耳が、獅子の姿の時そっくりな耳があります……」
「なんだって?」
驚くレオンハルトの動きに合わせて、二つの獣耳もぴくりと動いている。
コーデリアは試しに、レオンハルトの頭へと手を伸ばしてみた。
「殿下、失礼しますね」
指の腹で、耳の感触を確かめる。
「柔らかいし、あたたかいです。これは一体……」
ふわふわとした獣耳は撫で心地がいいが、生えている場所が問題だ。
この獣耳で王宮を歩いたら、間違いなく呼び止められることになる。
ライオルベルンではめったに見かけないが、大陸には獣の相を体に持つ獣人が暮らす国も存在している。
今の獣耳つきのレオンハルトは、伝え聞く獣人と外見がそっくりだった。
「その獣耳、引っ込められませんか?」
「……どうやって引っ込めるんだ、これ?」
「…………」
「…………」
二人とも無言になってしまった。
猫の爪と違って、人間に耳を出し入れする機能は存在していない。
レオンハルトの耳が途方に暮れたように、ぺたりと下がってしまった。
(あ、ちょっとかわいい……)
こんな時にも関わらず、思わずコーデリアはときめいてしまった。
凛々しい美貌のレオンハルトの頭の上で、愛らしい獣耳が伏せられている。
予想外の組み合わせが、相乗効果となって心臓を打ち抜いてきた。
「……あ、もしかしたら一度仔獅子の姿になってから人間の姿になったら、元に戻ったりしないでしょうか?」
「そうだな。やってみよう」
レオンハルトは頷いたが……。
一向に仔獅子へ変化する気配がなかった。
「……駄目だ。いつも通りやろうとしているけど、仔獅子の姿になれないみたいだ」
「そんな……」
これはいよいよ、まずいことになったのかもしれない。
レオンハルトと顔を見合わせ、コーデリアは思わず唸った。
「殿下、どういたしましょう? 一晩寝れば、元に戻るかもしれませんが……」
「寝不足、というわけでは無いからどうだろうな。時間経過で、何事も無く元通りになる可能性はあるが……」
「……原因は私が聖剣で、炎を出したからでしょうか?」
因果関係は不明だが、タイミング的にそれしか考えられなかった。
「私はなんてことを……‼」
猛烈な後悔がコーデリアを襲った。
獣耳をつけたままでは、満足に公務もこなせないはずだ。
それどころかレオンハルトによく似た獣人だと判定され、王宮に入ることさえできないかもしれない。
途方に暮れていると、優しく頭を撫でられた。
「コーデリア、自分を責めないでくれ。聖剣を使ってくれと頼んだのは俺の方だ。この獣耳は、俺の不注意によるものだよ」
「ですが……」
「そう悲観しなくても大丈夫だよ。幸い父上は、俺の先祖返りを知っている。他の相手に対してはしばらくの間、髪が焦げたとでも言い訳して、帽子を被っていれば誤魔化せるよ」
「……はい」
コーデリアはぎこちなく頷いた。
原因が何にせよ、まずは周囲への対応と、解決策を探るのが第一だ。
(殿下は、こんな時でも立ち直りが早くてしっかりしているのね……)
彼の持つその明るさと強さにきっと、コーデリアはとても救われていた。
レオンハルトをこれ以上困らせないためにも、しっかりしたいところだ。
「とりあえず今日はいったん、王宮に帰って陛下に事情を説明してらっしゃいますか?」
「あぁ、そうさせてもらおう。ここには仔獅子の姿で来ているんだ。悪いが馬車を一台、貸してもらえないか?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
レオンハルトを馬車に乗せ見送ると、コーデリアは書斎へと向かった。
これから当分の間、レオンハルトは自由に出歩けなくなるはずだ。
彼の様子を見て解決策を探るためにも、コーデリアの方から王宮へ赴くしかない。
しばらく屋敷を空けても大丈夫なよう書類をできる限り処理し、使用人たちに指示を出していく。
忙しくしていると、こちらも焦った様子の侍女が、書斎へと飛び込んできた。
「コーデリアお嬢様、大変です‼ 馬車の中から、レオンハルト殿下が消えてしまいました‼」
「何ですって⁉」
書斎へ飛び込んできたハンナの叫びに、コーデリアも思わず叫んでしまった。
「王宮に到着して扉を開けたら、殿下の姿がどこにも無かったということ?」
「はい‼ 代わりに、どこからか入ってきた猫のような生き物が一匹、馬車から飛び出してきたそうです」
「その猫が……」
殿下なんです、と。
コーデリアは口にすることができなかった。
(しまったわ。人間の姿から自由に仔獅子の姿になれないのだから、同じように殿下の意思に関係なく、仔獅子鵜の姿になってしまうかもしれないのに……‼)
後悔しても遅かった。
どうすれば穏便に事が運べるか、コーデリアは必死で考えを巡らせた。
レオンハルトが人間の姿に戻れているなら、自分でどうにかできるはずだが、問題は仔獅子の姿から戻れなかった場合だ。
仔獅子の姿のレオンハルトは、コーデリアの持つ『匂いのようなもの』を、それはもう愛していた。
猫がまたたびに飛びつくように。
きっと仔獅子姿のレオンハルトも、コーデリアの元を目指してくるはずだ。
(ならば私は殿下と行き違わないように、屋敷から動かない方がいいわね)
とりあえずの行動方針が決まり、コーデリアは椅子から腰を上げた。
慌てる使用人たちにそれらしい言い訳を伝え落ち着かせていく。
忙しなく動き回っていたコーデリアだったが、
「ぎゃぁぁぁぁぁ~~~っ⁉」
玄関の方から、野太い悲鳴が響いてきた。
「今度は何事っ⁉」
速足で廊下を進むと、聞き覚えのある声――――鳴き声が耳に飛び込んできた。
「しゃぁぁっ‼」
「なんだおまえ、やるつもりか?」
玄関ホールで向かい合う一人と一匹。
威嚇体勢の仔獅子と、先日王宮で出会った青年。
エルトリア王国の駐在武官、ベルナルト・グラムウェルだった。
(何⁉ なんでベルナルト様が⁉ 何よこの混沌とした状況は‼)
心の中で絶叫しながら、コーデリアは仔獅子へと顔を向けた。
「でん……いえ、レオ。そんなに怒らないで、こっちに来てください」
「……ぎゃう?」
レオ――――レオンハルトが、ぴくりと体を揺らした。
顔を傾け緑の瞳にコーデリアを映した瞬間、一目散に駆け寄ってくる。
「みゃっ‼」
「レオ、大丈夫でした――――えっ!?」
肉球がコーデリアへと触れた刹那。
仔獅子の体が光に包まれ、人間の姿へと変化した。
レオンハルトはコーデリアの肩に手をかけた姿勢で、ずいぶんと驚いているようだ。
「……さきほどぶりだね、コーデリア……」
「……殿下、お元気でしたか……?」
どう動き話すべきかわからず、コーデリアが固まっていると。
「……これは一体、どういうことなんだ……?」
その場の人間の心の内を代弁するかのように、ベルナルトが呟いたのだった。