殿下の考えがわからなくなりました
――――――第二王子レオンハルトは手袋フェチである。
そんな斜め上の推測をするコーデリアの前で、レオンハルトとプリシラの会話が進んでいく。
「お優しいレオンハルト様。どうか、このハンカチをお使いください」
「これくらいの汚れなら、俺の手持ちのハンカチで事足りるさ」
「このハンカチは、私の気持ちでもあるんです。私を助けてくださったレオンハルト様に、ぜひ受け取り使って欲しいんです」
両手でハンカチを握りしめ、レオンハルトを上目遣いで見つめるプリシラ。
妹は言葉使いこそ丁寧だが、自分の申し出が断られるなど欠片も考えていないだろうと、姉であるコーデリアにはわかった。
プリシラが『お願い』したことは、いつだって両親や婚約者たちが叶えてきたからだ。
「君の気持ち、か」
「はい。レオンハルト様には感謝していますし、お慕いしていますもの」
「ならなおさら、俺は受け取れないな」
「…………え?」
プリシラが、大きな瞳を瞬かせる。
柔らかだが確かな拒絶の言葉に、理解が追い付いていないようだった。
固まるプリシラを前に、レオンハルトは自らの懐からハンカチを取り出し、手早くワインを拭きとっていった。
「………レオンハルト様、どうして……?」
「俺に、君からの感謝を受け取る筋合いはないからだよ」
「?」
「俺が庇いたかったのは君じゃなく、コーデリアだよ」
レオンハルトが、コーデリアへ微笑みかける。
名指しされたコーデリアはそつのない所作でお辞儀をし、感謝の言葉を告げた。
「ありがとうございます、殿下。私を気にかけ助けていただき、光栄の極みです」
「そんな畏まらないでくれ。先ほども言ったように、俺がやりたくてやったことだからね。君を助けられたなら、それだけで俺にとっては十分な報酬だよ」
「殿下…………?」
なぜそこまで自分に肩入れし、助けようとしてくれたのだろう?
言葉にはしなかった問いを、聡明なレオンハルトは察したようだった。
「コーデリア、君はもう少し、自分の魅力に自覚を持つべきだ」
「ありがたいお言葉ですが…………。私は私の身の程を、弁えているつもりです」
王子であるレオンハルトの周りにはいつも、豪華絢爛なドレスと家柄の令嬢たちが集っていた。
自分は伯爵家の娘に過ぎないし、ドレスだって安物だ。
外見も花のかんばせのプリシラと比べたら、特筆するもののない凡庸さだと自覚している。
「殿下は日ごろ、艶やかな大輪の花々に囲まれているおかげで、見慣れない野草が魅力的に映っているのだと思います」
「野草にだって、美しい花をつける種類はあるさ。ドレスが汚れることも厭わず妹を庇い、相手が公爵令嬢であろうと臆することなく立ち向かう君は、とても美しいと思ったよ」
「…………あれくらい、姉として伯爵家の娘としては当然です」
………プリシラを庇ったのは妹のためではなく、高価なドレスを守るためです、と。
そう腹の内を告げるわけにもいかず、コーデリアは曖昧に微笑んだ。
「当然、か。そう言える君だからこそ、俺も助けたいと思ったんだろうな」
レオンハルトの琥珀色の瞳が、蕩けるように微笑んだ。
(…………どういうことよ、これ?)
コーデリアの頭は、疑問符で埋め尽くされている。
レオンハルトの言葉も表情も、まるで愛しい恋人へと向けるかのように甘かった。
自分一人の勘違いではない証拠に、周囲の野次馬達も、王子のただならぬ気配にざわついている。
(一目ぼれ? そんなまさか、この私に?)
これが自分にではなく、プリシラに対してならまだわかる。
しかしレオンハルトの好意の向く先は、なぜかこちらに対してだ。
理解が追い付かず、答えを求めるように周囲を見回したところ、
(プリシラ、まずいわね)
大きな瑠璃色の瞳は、今にも泣きだしそうにひくついている。
レオンハルトに拒絶され、蔑ろにされたと感じているに違いない。
我慢の効かない妹は、自分が場の中心にいないのが耐えられないのだ。
「殿下、申し訳ございません。妹はどうも、先ほどの騒ぎに衝撃を受け、参ってしまっているようです。心配ですので、今日はもう下がらせていただきたく存じます」
この場を離れるための言い訳が半分。
残り半分は、妹が泣きわめく醜態を阻止せんという切実な思いだ。
レオンハルトに拒絶されたらどうするべきかと、善後策に頭を巡らせていると、
「そうか、残念だが仕方ないな。では最後に、少し右腕を拝借してもいいかい?」
「手を?」
コーデリアの返答と同時に、レオンハルトが右手のひらを包み込む。
絹の布地がこすれる、少しくすぐったい感触。
「汚れた手袋は、こちらで預からせてもらおう。新品に替え、君の屋敷へ届けるまで、待っていてくれ」
「………お心遣い、ありがとうございます」
レオンハルトが、大切そうにコーデリアの片手袋を捧げ持っている。
手袋を口実にした、それは再会の約束だ。
正直めんどうだが、今はこれ以上彼と話している余裕はない。
プリシラの醜態を防ぐ方が優先だ。
レオンハルトへと一礼すると、コーデリアは妹の手を取った。
「プリシラ、あなた具合が悪いみたいだし、今日はもう帰るわよ」
「っ、嫌です。私はまだ、レオンハルト様ともっとお話しをして――――――」
「殿下には、また会えるわ。約束いただいたもの」
コーデリアの言葉を肯定するように、レオンハルトが頷いた。
「お姉さま、本当に………?」
「殿下が、約束をたがえる不誠実な方に見えるのかしら?」
「そんなわけじゃ………」
さすがにプリシラにも、公の場で王子であるレオンハルトを非難するような言葉はまずいと理解できたらしい。
勢いの削がれた妹の手を引き、コーデリアは舞踏会のホールを抜け歩いて行った。
「なら、心配する必要は無いわ。早く帰りましょう。あなたには、トパックが待っているでしょう?」
「トパック様…………」
プリシラが婚約者の名を呟いた。
すると待ち構えていたように、トパックがこちらへと近づいてきた。
舞踏会には参加していたものの、先ほどの騒ぎに巻き込まれないよう、ひっそり気配を潜めていたようだ。
「プリシラ、大丈夫かい? カトリシア様に目を付けられてどうなるか、とても心配していたよ」
「トパック様っ………!!」
ひしり、と。
プリシラがトパックへと抱きついた。
怖かったです安心しましたと、婚約者へとすがりつき甘えている。
(現金なものね…………)
コーデリアはほろ苦く笑った。
プリシラは既にもう、レオンハルトとのことなど頭から消え去っているようだ。
目の前にいる都合のいい人間しか目に入らない、妹らしい切り替えの早さだった。
(これで、プリシラがこれ以上ごねることは無さそうだけど……)
代わりにレオンハルトとまた、顔を合わせなければならなくなってしまった。
彼の真意、自分になぜ構いたがるのかはわからない以上、用心する必要がある。
どうするべきかと、静かに思いを巡らせるコーデリア。
そんな彼女のことを、元婚約者であるトパックが複雑な顔で見ていたのだった。
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