ヴェールを返していただきたいです
「っ⁉」
突如吹き込んできた強風。
思わずコーデリアが目をつぶると、頭部に鋭い痛みが走り、耳元でばさりと音がした。
「ヴェールっ!!」
咄嗟に伸ばした指先をすり抜け、ヴェールが宙を舞った。
「待って‼」
侍女が追うが、ヴェールは風にのり勢いよく遠ざかっていく。
コーデリアも走りたいが、王宮では無作法にあたる。
見守っていると風がかき消え、ヴェールが落下をはじめた。
(間に合わないっ!!)
純白のヴェールが、地面へと落ち汚れてしまう。
コーデリアの焦りは、しかし実現することはなかった。
「ふん、ずいぶんと不注意だな」
白い服を着た青年が、ヴェールを手で掴んだ。
間一髪、どういにヴェールの先端が、地面につく前に間にあったようだ。
「ありがとうございます。助かりました」
コーデリアは胸を撫でおろし、青年へと礼を告げた。
(白い詰襟に肩章。この服装は、エルトリア王国の軍人の方ね)
学んだ知識の通りの姿が、今目の前にあった。
今日の歓迎式典の出席者だろうか?
肩口で切りそろえた金の髪はよく手入れされていて、育ちの良さを感じさせた。
「ヴェールが風に飛ばされ困っていました。おかげで土に汚れずにすんだようです。こちらへヴェールをいただけますか?」
事情を説明するも、青年はヴェールを掴んだままだ。
険しい視線で、コーデリアの全身を眺めた。
「おま……あなたが、『獅子の聖女』コーデリア様か?」
一応、辛うじて敬称をつけられが、あたりの強い口調だ。
ヴェールを返すことなく、不躾な視線をコーデリアへと送っている。
(敵視されてる?)
警戒心をあげつつ、コーデリアは社交用の笑みを浮かべた。
「はい。私がコーデリアです。そちらのお名前をお聞きしても?」
「フランソワ・ブランソワーズだ」
ブランソワーズ。
隣国エルトリアの軍事中枢の一角を占める、公爵家の名前だ。
(ブランソワーズ家のフランソワ、ということは、この国の駐在武官第一隊の隊長ね)
それなりの大物だ。
現に彼は一人ではなく、背後に部下らしき軍人を控えさせている。
コーデリアが様子を伺っていると、フランソワが鼻を鳴らした。
「ふん、あなたが『獅子の聖女』、か。訪ねておいてなんだが、にわかには信じられないな」
「嘘ではありません。不詳の身ですが、私は確かに、『獅子の聖女』と呼ばれている人間です」
「ならばいったい、『聖獣』とやらはどこにいるのだ? あなたは『聖獣』を従え加護を得ていると聞く。『聖獣』に指示を出すなり加護を使うなりすれば、ヴェールが風に飛ばされても、すぐに回収できるのではないか?」
「……『聖獣』様はこの国を守る、とても貴い存在です。そのお力をそう安々と、行使することは出来ませんわ」
『聖獣』とは、獅子の姿に変じたレオンハルトその人だ。
コーデリアが自由に呼び出せるわけがなかった。
「ずいぶんと使い勝手が悪いんだな。いざという時に使えない力など、宝の持ちぐされだな」
「いざという時、ですか」
フランソワの言い分に、コーデリアは思い当たることがあった。
確かめるべく、一歩踏み込むことにする。
「いざという時、というのはこういった、嫌がらせにあった時のことでしょうか?」
「……なんだと?」
フランソワの眉が跳ね上がった。
「おい、それはどういうことだ?」
「言葉通りの意味です。先ほど吹いた風、不自然でした。魔術で生み出された風でしょう?」
「………」
フランソワが、眉間を険しくして黙り込んだ。
(フランソワ様は確か、風属性の魔術師よね?)
ちょうど数日前、頭に詰め込んだばかりの情報だ。
エルトリア王国の貴族は、約3割ほどが魔術を使用可能だ。家格の高い上位貴族であるほど魔術師の割合は高く、公爵家の人間であるフランソワも、当然のように魔術師だった。
「エルトリアの方はご存知ないかもしれませんが、この季節の王都は、気候がとても穏やかです。今日は雲の流れも遅いですし、滅多に強い風は吹きませんわ」
「それくらいは知っている。僕はもう一年以上、この国に住んでいるからな」
馬鹿にされたと感じたのか、フランソワが反論してきた。
「それに僕は、風を操る偉大な魔術師だ。そんな僕に風について説明するなんて、恥ずかしいと思わないのかい? 自然の風かそうじゃないかくらい、僕なら簡単にわかるさ」
「では、先ほどの風は不自然なものだったと、あなたもそう思いますか?」
「……さあな」
ぷいとフランソワが視線をそむけると、おかっぱが肩の上で揺れた。
不機嫌さを表すように、つま先でとんとんと地面を叩いている。
「どっちにしろ、たいした問題にはならないだろう? どこかの誰かが、ちょっと風の魔術を使った。その風が運悪くそれて、あなたのヴェールが風に舞った。それだけじゃないか」
「ヴェールが地面に落ち、汚れていたかもしれません」
「僕のおかげで、そうはならなかったじゃないか。それとももしかして、僕が犯人だと疑っているのか?」
馬鹿馬鹿しい、と。
フランソワは大仰な身振りで頭を振った。
(何が、『僕のおかげ』よ。そもそも風はそちらの仕業でしょう?)
明らかにコーデリアはなめられていた。
魔術というのは、使用現場を押さえなければ証明が難しい。
腹立ちを押さえながら、フランソワへと手を伸ばす。
「そちらの言い分はわかりました。歓迎式典の開始時刻も迫っていますし、犯人探しについては、また後に回します。なのでとりあえず、そのヴェールを渡していただけませんか?」
「断る」
「……どういうことでしょうか?」
「うっかり、またヴェールが風に飛ばされたら大変だろう? 式典会場につくまで、僕がしっかり持っていてやろう」
「ご心配なく。返してください」
繰り返し催促するも、フランソワはヴェールを返さなかった。
(……嫌がらせ? それにしては稚拙な……)
フランソワは、ひょいとヴェールを頭上に持ち上げている。
男性としては小柄だが、それでもコーデリアや、侍女たちよりは背が高い。
簡単には手が届かず、ヴェールが空しく揺れるばかりだ。
(どうするべき? あまりことを荒立てたくないけど……)
コーデリアが決断を迷っていると、
「そこで何をしている?」
誰何の声が聞こえる。
赤い服をまとった男性が、こちらへと歩いてきた。