性癖は自由だと思いますが
前話までに何件か誤字報告をいただいたので、さっそく直させてもらいました。
うっかり誤字が多いので、とても助かります。
「……不愉快だな」
低くひそめられた呟きが、コーデリアの鼓膜を打つ。
「え?」
獣のうなりにも似たその声は、先ほどまでの穏やかなレオンハルトとはまるで異なっていて。
空耳かと、思わずコーデリアは疑問の声をあげてしまった。
「俺が君を助けたのは、全て打算づくの行動であったと、そう考えているのだろう?」
琥珀色の瞳が、じっとこちらを見つめる。
まるで、大型の獣と向き合っているかのような威圧感。
レオンハルトは視線を合わせたまま、そっとコーデリアの右手をとった。
絹の手袋越しに、男性らしい堅い手指が触れる。
レオンハルトはコーデリアの右手のひらを掴むと、そのままそっと持ち上げた。
自然で滑らかな、けれど有無を言わせない動きだ。
上へ上へ。
胸元をすぎ、喉をすぎ、そして唇へと近づいて――――
「……………やはり、たまらないな」
小さくかすれた声が、レオンハルトの唇から漏れ聞こえた。
吐き出された息が、コーデリアの指先を震わせる。
くすぐったい、今にも唇が触れてしまうかのような距離だった。
「殿下………?」
レオンハルトの意図がわからず、コーデリアは疑問の声をあげた。
王子である彼の手を振り払うわけにもいかず、困惑だ。
………見間違いでなければ。
コーデリアの絹の手袋に包まれた掌を間近にして、レオンハルトの瞳には一瞬、恍惚とした光がよぎった気がした。
(殿下、もしかして、手袋をした女性の手に興奮する方なのかしら?)
性癖は人それぞれ。
見た目は理想の王子様のような彼も、一皮むけば、やはり男だということかもしれない。
そんな、不敬罪にあたりそうなことをつらつらと考えていると、
「残念だな」
「………何が、でしょうか?」
ひょっとして、女性の手袋フェチの彼からすると、自分の手は不合格だったのだろうか?
だとしたら安心なような、でも面と向かって言われると少しもやりとするような、複雑な気分だった。
「あぁごめん。コーデリア、君は何も悪くないんだ。ほら、ここを見てごらん」
レオンハルトが掌を握ったまま人差し指で、器用にコーデリアの薬指の先端を指した。
「ワインが跳ねて、染みになってしまったようだ」
「あら、気がつきませんでした。殿下は目がいいのですね」
「俺も近くで見るまでは、ほこりかどうか見分けがつかなかったよ」
小さな小さな、芥子粒ほどの大きさの染みだ。
この染みを確認するため、レオンハルトは掌を顔の近くにもってきたのだろう。
(手袋フェチだと疑ってすみませんでした)
心の中で、そっと謝罪をしておく。
冤罪ダメ絶対。
それが祖母からの教えだった。
「すまなかった、コーデリア。君を庇ったつもりが、守り切れなかったようで残念だ」
「そんな、謝らないでください。殿下のおかげで、ワインまみれにならずすんだのですから」
「でもこうして、君の手袋は汚れてしまっている」
「この程度、洗えば目立ちませんから、気にしないでください」
「君は優しいな。では、その手袋を俺にくれないかい?」
はい?
何が『では』、なのだろうか?
さっぱりわからなかった。
「殿下、一体何を……?」
「はは、そんな怪訝な顔をしないでくれ。やましい思いも、不審なことも何もないさ」
……やましい思いは無いって自分から言うの、すごく怪しいのですが。
「その染みは俺のせいだろう? だから寸法を測って同じ意匠の手袋を作らせて、君に返そうと思うんだ」
「そんな、恐れ多いです。殿下にそこまでしていただくわけにはまいりません」
「遠慮する必要は無いさ」
「自宅に持ち帰り、染み抜きをすればそれで十分です」
「はは、君は無欲だな。言ったろう? 遠慮は不要だ。俺がやりたくてやっていることだからな」
「…………遠慮しているわけではないのですが………」
コーデリアは戸惑った。
なぜレオンハルトは、これほどまでに手袋に固執するのだろう?
………ひょっとして彼は―――――
(手袋に包まれた女性の手が好きなのでは無くて………)
女性が身に着けていた手袋。
手袋そのものに興奮する性癖なのだろうか?
(なんというかそれは……少し特殊な性癖と言いますか…………)
正直、ちょっと引く。
視線が冷ややかになってしまいそうなのを、意思の力で押さえつけていると、
「レオンハルト様っ‼」
甘く可憐な声。
レオンハルトへと、プリシラが駆け寄ってくる。
手には白いハンカチ。
そういえば、先ほどからこちらの会話に口をはさむことも無く静かだったと思ったが、ドレスの隠しの奥に入れたハンカチを取り出そうと格闘していたようだ。
ハンカチを広げたプリシラが、レオンハルトへと手を伸ばした。
(絵になる二人ね)
妖精に例えられる美少女のプリシラと、これまた絶世の美貌の持ち主のレオンハルト。
二人が並ぶ姿は、さながら一服の絵画のように美しかった。
周囲の野次馬達も、ほぅと感嘆のため息をつきながら、麗しい二人を見守っている。
「レオンハルト様、じっとしていてください。今私がワインを拭いてっ、きゃっ⁉」
レオンハルトが半歩後ろに下がり、プリシラの手が空を切りよろける。
妹がころばないよう、咄嗟にコーデリアは手を伸ばし、華奢な体を支えてやった。
「レオンハルト様…………?」
コーデリアに助けられたプリシラは、しかし姉を気に留めることもなかった。
大きな瑠璃色の瞳を揺らし、一心にレオンハルトを見つめている。
「どうして、私をお避けになるのですか……?」
「今俺は、ワインを被っているからな。君の美しいドレスを汚すわけにはいかないさ」
「…………美しいなんて、そんな…………。お優しいのですね………」
うっとりと、プリシラが瞳を潤ませた。
美少女の夢見るような微笑みに、野次馬をしていた男性陣が頬を赤くし色めき立つ。
そんな彼らを冷めた目で見つつ、コーデリアは脳内に疑問符を発した。
(プリシラへの殿下の振る舞いは、一見理想的な貴公子の受け答えだけど……)
『ドレスを汚すかもしれないから触らない』、というのはおかしかった。
さきほどレオンハルトは、わざわざ自分からコーデリアの手を握っている。
手袋の染みを確認するためだけなら、わざわざこちらに触れる必要はなかったはずだ。
こちらには自ら手を触れ、妹には触れようとしなかったレオンハルト。
なぜだろうと疑問に思い、プリシラと自分の姿を見比べたコーデリアだったが
(あ、手袋ね!)
素手のプリシラに、思わず深く頷いた。
プリシラのドレスは袖が広がるデザインで、幾重にも縫い付けられたレースが映える様、手袋は身に着けていなかった。
(殿下、それはもう筋金入りの手袋フェチなのね……)
彼はきっと、手袋をまとったコーデリアの手を、衝動的に触らずにはいられなかったのだ。
対して、プリシラは素手。
手袋をしていないプリシラに対しては理性が働き、レオンハルトは触ろうとしなかったということだ。
(まさかプリシラより、私の手袋に興奮するなんて…………)
妹のプリシラは客観的に見て、外見だけは極上の美少女だ。
なのに、そんな妹には見向きもせず、こちらの手袋に恍惚とした光を浮かべていた彼は。
(業が深いですね………)
性癖は自由だ。
だが、その性癖に対しどんな感想を持つかも、また自由であるはずだった。
――――――第二王子レオンハルトは手袋フェチである。
そう確信を深めたコーデリアなのであった。
お読みいただきありがとうございます。
評価感想などいただけると嬉しいです。
続きは明日投稿予定なので、よろしくお願いいたします
・・・・・・手袋って、いいですよね。
絹の滑らかさ冷ややかさに、厚手で機能美を魅せる皮手袋。
関節にできるしわや、手袋の端から見える手首やたまりません。
白手袋も良ければ黒手袋も良し。
外した時のギャップも楽しめる万能兵器だと思います。