殿下が問題ないと仰るのなら
『レオンハルト殿下、本当によろしいのですか?』
――――レオンハルトから、その話を聞かされた時。
コーデリアは確認せずにはいられなかった。
彼から提案された話とはいえ、どうしても気になるのだった。
『あぁ、問題ないよ』
そう言うレオンハルトに、強がりや無理をした様子は見受けられなかった。
『できたらこういうことは、君に対してだけにしたかったが、フェミナが相手なら大丈夫だ。……俺は大丈夫だが、君は気になるのか?』
レオンハルトが、少し眉を下げ笑った。
困ったような、でもどこか嬉しそうなその表情に、コーデリアは慌てて頭を横へ振って――――
「ちょっとあなた、ぼんやりしてどうしたのよ?」
「……いえ、なんでもありません」
コーデリアははっとした。
目の前の光景につい、レオンハルトと交わした会話を思い出してしまっていた。
一度瞬きをし、意識の焦点を現在へと戻す。
フェミナを屋敷に入れ、ニニ達を可愛がっていたところだ。
「フェミナ殿下、ニニの撫で心地はいかがでしょうか?」
「……悪くないわ」
つんと澄ましつつも、フェミナはニニを撫でる手が止まらなかった。
頬はゆるみ、夢中になっているようだ。
そんな彼女の姿にコーデリアも表情をゆるめつつ、ニニのかわいらしさや、いかに自分がニニ達をかわいがっているか、やや大げさとも言える口調で語り掛けていく。
フェミナも猫が好きらしく話が弾み、その日はそれ以上嫌がらせの話が出ることも無く、時間が過ぎていったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「コーデリア様、またいつもの贈り物が届いたようです」
「わかったわ。いつも通り、庭で開けてしまいましょうか」
侍女が持ってきた箱は、今日もがさごそと元気に蠢いている。
コーデリアは頷くと、侍女とともに庭へと向かった。
二人とも慣れたもので、特に顔色を変えることもなく、淡々と箱の中身を空けていく。
「今日は蛇ね」
逆さにされた箱から、小さな蛇が逃げ出した。
春先によく見かける、毒を持たない種類だ。
蛇は冬眠明けのように戸惑っていたが、すぐに体をくねらせ、叢へと消えていった。
カエルにカタツムリ、毛虫。それに蛇。
嫌がらせとして届けられたのは、フェミナが苦手とする生き物のようだ。
コーデリアも得意ではなかったが、無暗に殺すのも忍びないので、できるだけ逃がすようにしている。
(……蛇といえば、ヘイルートは元気にしているかしら)
国を出た友人のことを思い出す。
画家である彼は、レオンハルトと同じように獣の力を宿す人間だった。
獅子の聖獣の先祖帰りであるレオンハルトに対して、ヘイルートは蛇の先祖帰りだ。
普通の人間には無い、『熱を見る』能力を持っていた。
身体能力も人並み外れて高く、それらを生かし密偵のようなこともしているらしい。
(あまり、危険なことにならないといいのだけど……)
嫌がらせのために、箱に詰められた蛇のように。
ヘイルートも、誰かに捕まったりしないで欲しかった。
頭の回転が速く要領のいい彼だから、そう簡単に下手を打ちはしないだろうが、やはり少し心配だ。
(ヘイルートは今、エルトリア王国あたりかしら?)
『熱を見る』特殊な目を持つ彼は、同じような目を持つ相手を探しているらしい。
向かったのは東。いくつか国を超えた先にある、ヴォルフヴァルト王国だ。
獣人たちが多く暮らすかの国ならば、もしかしたら同類がいるかも、と期待したようだ。
今頃はこのライオルベルン王国の東に接するエルトリア王国のどこかを、進んでいるはずだった。
ヴォルフヴァルト王国に到着し落ち着いたら、手紙を出してくれる約束で待ち遠しい。
異国にいる友人を思いながら、コーデリアは箱の後始末を指示していく。
(あぁそれと、フェミナ殿下への手紙も書かないといけないわ)
コーデリアは明後日から二日ほど、王都郊外に住まう、親戚の屋敷に滞在する予定だ。
このごろフェミナは、嫌がらせと称し屋敷を訪れ、ニニ達をかわいがっている。
コーデリアの不在時に彼女が突撃してきても困るため、あらかじめ手紙で知らせることにした。
『拝啓。フェミナ殿下へ
私はしばらく、屋敷を空けることになりました。ニニ達は屋敷に残っていますが、殿下を出迎えることのできる人間がいないので、しばあく嫌がらせはご自重ください――――』
そんな文面をしたため送り届け、コーデリアは二日後、屋敷を後にしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「よう、コーデリア。よく来てくれたな」
郊外の屋敷につくと、従兄弟のジストが出迎えてくれた。
コーデリアより二つ年上の、ライトブラウンの髪の青年だ。
レオンハルトの婚約者となり、王家に入ることになるコーデリアに代わって、実家のグーエンバーグ伯爵家の後継者となってくれたのだ。
昔からコーデリアによくしてくれている、兄のような相手だった。
「伯爵家の引継ぎ作業は、どれくらい進んでいるの?」
「概ね順調だ。……プリシラの様子は変わらないし、おまえの母親も糸が切れたように、大人しくしててくれるからな」
「そう……」
妹と母親の近況を聞き、コーデリアの胸が鈍く痛んだ。
……痛んだが、それだけだった。
(薄情よね……)
そう思いつつも、コーデリアの心は乾いたままだった。
記憶を失った妹や、泣きわめき老け込んだ母親よりも。
従兄弟であるジストの方が、大切なのが正直なところだった。
一つ首を振ると、頭を切り替え、伯爵家引継作業について打ち合わせしていく。
やはりどうしても、手紙のやりとりだけでは進まない箇所があるのだ。
これ以上、実家関連でレオンハルトに迷惑をかけないよう、ジストに協力してもらい問題を片付けていきたかった。
「……しかしコーデリア、本当によかったのか?」
一仕事終え、優雅に紅茶で一服……。
とはいかず、二人で疲れを隠せず休んでいると、ジストが気づかわしげな声をあげた。
「おまえ、レオンハルト殿下との正式な婚約に向けて忙しいんだろ? 今日はこうして、直接話し合えたおかげで作業が捗ったが……。無理をして時間を割いたんじゃないか?」
「そんなことないわ。いずれ片づけなければいけない作業だったもの。早いうちに、ささっと終わらせた方がいいでしょ?」
「まぁ、それもそうだし、助かったけどな……」
書物机に山と積まれた書類を、ジストがうんざりとした表情で見やっている。
「……しかし本当に、伯爵家の後継者となると、やるべきことが多い。多すぎるぞ? おまえはあのプリシラたちを抱えて、よく一人でやってこれたな」
「私一人の力じゃないわ」
コーデリアはそう言うと、背後に控えていた侍女に視線をやった。
「お父様やお母さまは頼りにならなかったけど、使用人たちには恵まれているもの」
「ふふ、コーデリアお嬢様。恐れ多いお言葉ですわ」
侍女が礼儀正しく、それでいて柔らかな笑みを浮かべた。
笑うと口元にしわのできる彼女は、コーデリアが幼い頃から親しんだ相手だ。
まだ祖母が存命だった頃から、グーエンバーク伯爵家に仕えてくれている。
厳格だが筋の通った祖母が集めた使用人たちは、いずれも忠誠心が厚く有能だった。
コーデリアが若干十代の、しかも女性の身で伯爵家を切り盛りすることができたのも、祖母の代から残ってくれた、使用人たちの助けがあればこそだ。
「使用人を上手く働かせることができるのは、れっきとした貴族としての才覚だ。おまえは自分が思うよりずっと優秀だし、立派にやっているよ」