心臓に悪いお方です
ニニを見て、レオンハルトが唇をゆるめた。
「ニニに会うのは初めてだが、聞いていた通り、真っ白で愛らしい姿をしているな。それに、君によく懐いているみたいだ。俺を怖がりつつも、主人である君を守ろうと、前に立ちふさがったんだからな」
「ありがとうございます。……ニニはいい子ね」
「うにゃ」
ニニの背中をコーデリアが撫でると、ぱたりと尻尾の先端が揺らされた。
柔らかな毛が、指の間をかすめくすぐったい。
ニニを褒めるように、しばらく撫でていると、
「……羨ましいな」
「殿下?」
レオンハルトが、隣に膝をつき座っていた。
コーデリアがニニの撫で心地をたんのうするのが、羨ましいのだろうか?
「殿下も、ニニを撫でたいのですか?」
「いや、違うよ。ニニが羨ましいんだ」
「えっ?」
「ニニは今、君に触れられて、君の優しい笑顔と思いを独占してるんだ。……嫉妬してしまうだろう?」
囁きが、耳の近くで落とされる。
レオンハルトは長身だ。
普段はコーデリアが見上げているが、今は特別、顔と顔が近くなっている。
その事実に気づいたコーデリアは、慌ててニニを撫でる手に意識を集中させていく。
「……ニニは猫ですから」
「俺が仔獅子の姿になれば、ニニのように触れてくれるかい?」
ニニを撫でるのと反対の手が、レオンハルトにすくいあげられる。
猫でも仔獅子でもない、長くなめらかな人間の指が、そっとコーデリアの手を握った。
心臓の鼓動が、ますます早くなってしまう。
「仔獅子になっても、殿下は殿下です。ニニのように撫で回すなんて、恐れ多くてできません」
「俺がして欲しいと言っても?」
「……精一杯、努力したいと思います」
コーデリアはかすれた声で答えた。
距離が近くて、手に触れられていて、恥ずかしいやらなにやらわからなくなってくる。
「ふふ、君らしい、真面目でかわいらしい答えだな」
「……これで勘弁してください」
コーデリアは、色々と限界だった。
(静まって、私の心臓と動揺………)
コーデリア自身もびっくりだった。
今までコーデリアは、四度の婚約破棄を経験している。
つまり、四人の男性と婚約関係になり、それなりの付き合いをしてきたのだが、今ほど心乱されたことはなかった。
レオンハルトに出会って、コーデリアの世界は大きく変わっている。
こんな熱く、甘い思いがあふれるなんて、初めての体験だった。
早鐘を打つ鼓動を感じていると、レオンハルトの体温が遠ざかった。
「そうだな。今日はあまり時間もないし、これくらいにしておこうか」
「……助かります」
先に立ち上がったレオンハルトが、手を差し伸べてくる。
コーデリアは手を引かれ立つと、素早くドレスの裾を直した。
「殿下は今日、政務があられると聞いていましたが、大丈夫でしょうか?」
「1つめの案件が、予定より早く終わったんだ。ここに来たら君に会えるかも、と、仔獅子の姿でやってきたんだが……。途中でフェミナの馬車を見かけたんだ。もしやここに、フェミナが来ていたのかい?」
コーデリアは考えを巡らせた。
(私とフェミナ殿下のかかわりについて、誤魔化すのは難しそうね……)
レオンハルトに心配をかけたくはなかったけど。
こうなっては隠すことは無理そうだった。
「はい。殿下の婚約者になった私の顔を、見にいらしたようでした」
「そうか。……フェミナの訪問は突然だっただろう? 兄として、王族として謝罪するよ。フェミナは何か、迷惑をかけなかったかい?」
「嫉妬されてしまいました」
「……嫉妬?」
「フェミナ殿下は、殿下に懐いていらっしゃるでしょう?」
「あぁ、そうだな。母親は違うが、フェミナのことは大切な妹だと思っているよ」
「フェミナ殿下にとっても、殿下は大切な兄君なんです。そんな殿下を私に取られるように感じて、嫉妬しているみたいです」
「……そうだったのか。ここのところ、フェミナと過ごす時間が無くて、寂しい思いをさせていたのかもしれないな……」
「お忙しかったですものね。それに私も……」
コーデリアは言いよどんだ。
言葉の先を口にすると恥ずかしいと、直前で気づいたからだ。
「それに私も?」
「……忘れてください」
「……気になるな。もしや何か、フェミナに暴言でもはかれたのかい? だったら――――」
「ち、違います!! ただ、そのですね……」
恥ずかしさを押し殺し、コーデリアはどうにか口を開いた。
「……それに私も、もし、殿下のような素敵で優しいお方が自分の兄だったら……。殿下にずっと自分の傍にいて欲しいと、そう願うフェミナ殿下のお気持ちがわかります」
「…………」
レオンハルトは無言だった。
コーデリアが顔色を窺うと、小さな笑い声と共にため息をつかれた。
「はは、残念だよ。こんなに君がかわいいのに、もう帰らなければいけないなんて……。ずっと君と一緒にいられる、ニニが本当に羨ましいよ」
「殿下……」
コーデリアの右手を、レオンハルトがそっと持ち上げた。
「フェミナについては、こちらで注意しておくよ。また君に手紙をよこすから、詳しくはそちらで相談することにして、今日のところはお暇させてもらおう」
別れの挨拶とあわせて。
コーデリアの手の甲へ、口づけが落とされた。
「殿下……」
「みゃっ!!」
口づけを残し、レオンハルトは仔獅子の姿で去っていった。
「心臓に悪いお方ね……」
コーデリアは一人赤い顔で、右手を見ていたのだった。
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次話は日曜に更新予定です。