思わぬ訪問者が来たようです
「うん、これで完全に、痛みは消えたみたいね」
右足首をさすりつつ、コーデリアは呟いた。
ザイードとの一件があってから二十日ほど。
足首の痛みは、すっかり消え失せたようだった。
(……これでもう、殿下に抱き上げられることも無いはず)
ここ最近のレオンハルトとのやりとりを思い出し、コーデリアは頬を赤くした。
足首が痛まないよう、レオンハルトと会うたび、抱き上げられている。
彼の優しさは嬉しかったけど……やっぱりまだまだコーデリアには、刺激が強くて仕方ない。
(これから、私は色々慣れていかなきゃいけないわ……)
『獅子の聖女』と呼ばれるようになったコーデリアは、レオンハルトと婚約を結ぶ予定だ。
ザイードの件の後始末や、レオンハルトの立太子で忙しいせいで後回しになっているため、婚約を正式に交わす日取りは決まっていないが、そう遠くない日のはずだった。
(王族の一員になる以上、今まで以上に気合を入れないとね)
そう頷き、気合を入れたコーデリアだったが、
「にゃー」
「……ニニ」
足元から聞こえた声に、顔をほころばせた。
ニニは真っ白で、毛並みの長い猫だ。
毛先をほわほわとさせながら、コーデリアの足に体を擦り付けていた。
「ニニ、どうしたの? ご飯の時間ならまだだいぶ先よ?」
「にゃっ!!」
ぽふぽふと、ニニの前足がコーデリアのドレスの裾に押し付けられた。
爪はきちんとしまわれていて、薄い青の瞳が、期待の光を宿しコーデリアを見上げている。
その期待に応えるべく、コーデリアはしゃがみこみニニをそっと抱き上げた。
ニニは高齢の猫だ。
元野良猫のため、正確な年齢はわからないけれど、最低でも12歳以上になる。
ニニに負担をかけないよう注意しながら、膝の上に静かに乗せてやる。
ぐんにゃりと温かな感触に、コーデリアは小さく微笑んだ。
(柔らかいわ。……子獅子の姿の殿下とも、少し抱き心地が違うのよね)
レオンハルトは、獅子の精霊の先祖返りだった。
鬣の立派な姿や、小さな子獅子の姿に、自由に変化できるのだ。
子獅子に化けた時は、一見猫のような外見だが……。
本物の猫と比べると耳が丸く、手足が太く、骨格がしっかりとしたやや硬めの撫で心地だった。
「ぐるるるるるる」
ニニの背中を撫でてやると、ぐるぐるとのどを鳴らした。
もっと撫でてと、ふわふわの頭を押し付けてくる。
飼い主冥利に尽きる姿だった。
(ふふ、こうしてニニと一緒に暮らせる日がまたくるなんて、一年前の私に言っても、信じてくれないでしょうね)
ニニは幼い頃、コーデリアが拾った猫だ。
愛情を注ぎ、かわいがり……結果として、妹のプリシラに目を付けられてしまった。
コーデリアは必死に抵抗したが、両親に無理やり、ニニを奪われてしまったのだ。
そうしてニニを手に入れたプリシラだったが、彼女は飽き性だった。
一月もする頃には興味を失い、餌を満足にやることもなく放置だ。
すっかりやせ細ったニニの姿を、コーデリアは決して忘れたことは無かった。
プリシラの魔の手が及ばないよう、祖母の知り合いにニニを預けるのが、当時の無力なコーデリアの精一杯だ。
幸いニニは、新たな飼い主に程なく馴染み、かわいがられ暮らしていたようだった。
しかし、そんな飼い主も祖母の知り合いだけあって高齢で、つい先日急死してしまったのだ。
ニニの処遇に悩む遺族と相談し、コーデリアが引き取ることになったのだった。
(少し悩んだけど、ニニは私を覚えていてくれていて、もうプリシラに奪われる心配も無かったものね)
記憶の大部分を失ったプリシラは、領地の屋敷で父親が面倒を見ている。
プリシラと、そして母親について、コーデリアはまだ複雑な思いを抱えていたけれど……。
それでも、ずっとプリシラを中心に回っていた伯爵家が大きく変わったのは、まぎれも無い事実だった。
「にー」
ニニが子猫のような甘い声で鳴き、前足でコーデリアの膝を押している。
綺麗な水色の瞳がうっとりと細められ、コーデリアに全身で甘えていた。
(かわいい……。でも、こうしてまったりニニを可愛がれるのも、きっとあと少しなのよね)
コーデリアは足の怪我もあり、ここのところ屋敷にいることが多かった。
何度か王宮に足を運んだし、屋敷でもそれなりに働いていたが、おおむね穏やかな日々だ。
レオンハルトの正式な婚約者になれば忙しく、今のようにゆったりとニニを可愛がる時間もなくなりそうだ。
(私が失態を犯せば、殿下にも迷惑をかけてしまうわ。しっかりと、隙を見せないようにしないとね)
コーデリアが、決意も新たにしていると、
「コーデリアお嬢様、来客がいらっしゃったようです」
執事が、部屋の外から声をかけてきた。
「……どなたかしら? 今日は誰も、来客の予定は無かったはずよね」
「フェミナ殿下です」
レオンハルトの異母妹、すなわち王族の姫君だ。
(……なぜ、フェミナ殿下がいきなり屋敷に?)
コーデリアは首を捻った。
先ぶれも無い訪問は非礼に当たるが、王族とあっては安易に断ることも出来なかった。
「ニニ、ごめんね。撫でるのはまた後ね」
「……みゃう……」
ニニを膝の上から下すと、コーデリアは玄関へ向かったのだった。
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