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番外編・後 彼女と出会うその前に


「コーデリア……」


 ざらついた声が、うす暗い路地裏に響いた。

 細身の青年だ。服はくたびれているが、布地は上等で刺繍も細かく、平民の服装では無かった。

 痩せこけ、頬骨の浮いた青年だったが、目にはぎらついた光が宿っている。


(あいつのせいで、俺は……)


 青年が見つめるのは、王都老舗の菓子店だ。

 菓子を買い求めにきたコーデリアが出てくるのを、青年は待ち構えていた。


 青年――――ベディールは、コーデリアの一番最初の婚約者だ。

 ベドルダ伯爵家の四男であるベディールが、ベドルダ伯爵家を継ぐのは難しい。

 士官するなりして生計を立てねばならなかったところに、コーデリアの両親から、婿入りの話が持ち掛けられたのだ。


 コーデリア・グーエンバーグ。

 伯爵家の長女であり、男兄弟はいなかった。

 

 コーデリアの夫となれば、ゆくゆくは伯爵家の当主だ。

 ベディールはすぐさま婚約を結び、コーデリアと顔を合わせることになった。

 

 当時15歳だったコーデリアは、年齢より大人びた印象の少女だった。

 すっと背筋を伸ばし、初対面のベディールに対しても、臆すことなく挨拶をしたコーデリア。

 化粧は薄く飾り気も無かったが、おおよそ美人と呼べる容姿だった。

 

 地味な女だが、婚約者としては合格だ。

 そう判断し、悪くない婚約だと思ったベディールだったが――――


『初めまして、プリシラです。ベディール様と言うんですね?』


 彼が心奪われたのは、コーデリアではなく妹のプリシラだった。

 プリシラを目にした瞬間、コーデリアが背景へと成り下がる。

 それほどまでに鮮烈で愛らしい、美しい少女だったのだ。


(……っちっ、だが、美しいのは顔だけだったな……)


 苦々しく、ベディールは吐き出した。

 最初、プリシラは一途に情熱的に、ベディールへと視線を送っていた。

 だからこそ、コーデリアを捨てプリシラへと乗り換えたのだったが……。

 

 両想いになってからの蜜月は、ごく短期間で終わることになる。

 プリシラは我慢を知らず、あれも欲しいそれも欲しいと、高価なプレゼントを次々とねだるようになった。

 断るとなじられ、プレゼントを贈っても感謝は一瞬だ。

 

 プリシラのわがままに、ベディールの愛情は急速に目減りしていった。

 いくらプリシラの容姿が良くとも、慣れてしまえばそれまでだ。

 度重なる無茶ぶりに堪えかね、破局してしまったのだった。


 プリシラに懲り婚約を破棄したベディールだが、悲観してはいなかった。

 ベディールは銀髪の美男子で、何人もの女性と浮き名を流していたのだ。

 

 女は星の数ほどいる。

 適当な美人を見繕い、婚約を結んでやるのは簡単だ。

 ……そんなベディールの予想はしかし、当たることは決してなかった。


(くそっ……!! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって……!!)


 家格の同じ伯爵令嬢たちには、身の程知らずだと切り捨てられ。

 ならばと子爵令嬢に婚約を持ち掛けても、無理ですとにべもなく拒絶され。

 弱小男爵家の令嬢にさえ、断られてしまうありさまだった。


 かつてベディールは令嬢に人気があったが、あくまで気楽な恋のお相手としてだ。

 コーデリアを捨てた悪評がついて回るベディールを、伴侶にと望む令嬢はいなくなっていた。


(俺があんな目にあったのは、全てコーデリアが婚約破棄を受け入れたせいだっ……!!)


 ベディールだって、コーデリアとの婚約を、簡単に破棄できるとは思っていなかった。

 ごねられようと、脅すなりなんなりして従わせるつもりだったが、予想に反し、コーデリアはすんなりと婚約破棄を受け入れたのだ。


『……わかりました。婚約破棄を受け入れるわ。約束をあっさりたがえる不実な方を、グーエンバーグ伯爵家の次期当主にはできないもの』


 ベディールを容赦なくなじる言葉だった。

 せめてしおらしく、涙の一つでも見せればかわいげがあったが、コーデリアは傷ついたそぶりも見せず、事務的に婚約破棄の手続きを行っただけだ。


 あの時、コーデリアがベディールに縋りつき捨てないでと懇願していれば。

 ベディールはプリシラに騙されることも、その後困窮することも無かったはずだ。


(だからこれは、俺の正当な行動だ)


 コーデリアには、責任を取ってもらう必要がある。

 強がっていても所詮は女だ。

 二人きりになり体をしつければ、ベディールの言うことを聞くに違いない。

 

 幸いと言うべきか、ベディールがコーデリアを捨てた形になっている。

 ならばコーデリアが復縁を求め、ベディールはそれに応えたという筋書きを作ってしまえばいいのだ。

 コーデリアの両親はコーデリアへの関心が薄かったから、再婚約にも反対しないはず。


(そろそろ、コーデリアが店から出てくるころか……?)


 コーデリアをさらうべく、菓子店へと近寄ろうとしたところで――――


「……猫?」

 

 進路を塞ぐように、金色の猫が立っている。

 猫にしては手足が太いような、視線が険しすぎるような気もするが、小動物なのは変わりない。


「邪魔だど――――っぎゃっ⁉」


 蹴りを入れようとした足に、鋭い痛みが走った。

 ズボンの切れ端が舞い血が滲む。

 生意気にも、猫が引っ掻いてきたようだ。


「このっ!! ふざけやがって!!」


 踏み潰し、蹴り飛ばそうとする足が空ぶった。

 ちょこまかと動き回る猫に翻弄されるうち、店から出たコーデリアが道を歩いている。


「くそっ!!」


 猫に構っている場合ではない。

 コーデリアは、大通りに馬車を待たせていた。

 馬車に乗り込む前に追いつく必要があった。


「待ちやが――――なっ⁉」


 がくん。

 背後から衝撃を受け、ベディールは倒れ込んだ。

 

 猫が後ろから飛び掛かってきたのかと、ベディールは視線を巡らし――――


「ひいっ⁉」


 獣と目が合った。

 猫ではない。そんな可愛いものでも小さくも決して無かった。


 ベディールよりも遥かに大きな金色の獣が。

 覆いかぶさるようにして体を押さえつけてきた。


「な、な、な……!!」


 鼻に生暖かい息がかかった。

 獣の顎が鼻先に。

 近い。大きい。逃げられない。近づいてきて。

 ベディールの顔へと牙を立て―――――



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ぎゃあああああぁぁぁ――――――っ!!」


 叫び声に、コーデリアは背後を振り返った。

 そんなコーデリアを守るように、侍女が叫び声のあがった方角に目をやる。

 コーデリアが伯爵領から連れてきた、懇意にしている優秀な侍女だった。


「何事……?」


 コーデリアは目をまたたかせた。

 叫び声が常軌を逸したものだったのと、聞き覚えのある声のような気がしたからだ。

 様子をうかがっていると、侍女が通行人をつかまえ情報を集めていた。


「男が突然叫び、化け物を見たと錯乱しているようです」

「化け物……? どこに?」

「……見当たらないそうです。何かの勘違いか、幻覚なのか……。男が刃物を取り出そうとしたので、周りの人間が取り押さえたようです」

「物騒ね……」


 コーデリアは眉をしかめ、野次馬たちの集まる方角を見た。

 人だかりの向こうから、何やら喚き散らす男の声が聞こえてくる。


(あの声、まさかベディール……?)


 かつての婚約者ベディールは、コーデリアにとって苦い思い出のある相手だ。

 両親が勝手に決めた婚約者だったが、それでも婚約者には変わりない。

 良き伴侶となるべく、努力していたのだが……。


 コーデリアの思いを踏みにじるように、ベディールはプリシラを選んだ。

 ベディールに捨てられたのが、コーデリアの初めての婚約破棄だった。

 辛くて悲しくて、自分の全てが否定されたようで苦しくて。

 それでも泣きわめくことは伯爵令嬢としてのプライドが許さなくて、事務的な手続きに没頭し気を紛らわすしかなかったのだ。


(……嫌な相手を思い出してしまったわ……)


 もし、叫び声の主がベディールだったら、巻き込まれると面倒なことになるはずだ。

 足早にその場を去り、固い表情で馬車の扉に手をかけると、


「……んっ?」


 馬車の屋根から何かが降ってきた。

 頭の上に、一輪の青い花が乗っている。


「デルフィニウム……?」


 今が見頃とはいえ、なぜここに?

 デルフィニウムを手に、コーデリアが首を傾げていると、


「みゃあ」

「きゃっ?」


 背後から声と気配。

 振り返ると走り去っていく金色の猫と、足元に散らばるデルフィニウムが見えた。


「まさかあの猫が……?」


 デルフィニウムを持ってきてくれたのだろうか?

 疑問を浮かべつつも、コーデリアはデルフィニウムを手元に集めた。


 柔らかな青の花弁に、中心部が白く可憐だ。

 まだ摘みたてなのか、瑞々しく風に揺れている。


 コーデリアは青のデルフィニウムが好きだ。

 屋敷の庭に植えるとプリシラに奪われてしまうため、間近に見るのは久しぶりだった。


「綺麗ね……」


 ぽつりとつぶやく。

 デルフィニウムを手に、コーデリアは馬車に乗り込んだのだった。



  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 馬車で去ったコーデリアに、仔獅子姿のレオンハルトは胸を撫でおろした。


(無事帰ってくれてよかった。これでベディールにこの先、コーデリアが悩まされることも無いはずだ)


 レオンハルトは、ベディールの顔と名前を知っていた。

 ヘイルートの報告書に、スケッチが添えられていたからだ。


 先ほどベディールが、コーデリアを待ち伏せするのを見つけたのだ。

 コーデリアがみすみす彼に陥れられるとは思わないが、万が一の可能性もある。

 

(到底、ほおってはおけなかったからな)


 レオンハルトは最初は仔獅子姿で、次に獅子の姿で、ベディールを足止めしたのだった。

 その結果ベディールは、刃物を取り出そうとした不審者として取り押さえられている。


(ちょうどいい機会だから、これから畳みかけることにしよう)


 ベディールについては、レオンハルトも警戒していた。

 そのおかげで、いくつか重要な情報が手元に集まっている。

 ベディールはプリシラに貢いだ分を補てんしようと、実家の伯爵家の金に不正に手を付けていた。


(街中で刃物を振り回そうとした不審者に、横領の罪が加われば牢獄に入れらるはずだ)


 この先、コーデリアの安全が脅かされることは無いはずだ。

 レオンハルトは一人頷くと、コーデリアが去って行った方角を見つめた。


(……デルフィニウム、喜んでもらえたかな?)


 どこか暗い顔をしていたコーデリア。

 気分を晴らしてやりたかったが、この仔獅子姿でできることは限られる。

 道のわきに自生していたデルフィニウムを贈ることが、今のレオンハルトの精一杯だった。


(いつかコーデリアに、もっと花やドレスが贈れたらいいな……)


 王子である自分が、彼女に思いを伝える日はきっとこないけど。

 それでも少し、今だけは。

 コーデリアへの思いに、レオンハルトは身を焦がすのだった。


 


 

お読みいただきありがとうございます。

次から、本編続編の開始です。


明日4日には、書き下ろし短編を収録した書籍版も発売されますので

あわせて楽しんでもらえたら嬉しいです!

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