殿下に庇われてしまいました
「……レオンハルト殿下?」
コーデリアは呆然と呟いた。
第二王子レオンハルト。
御年20歳。
文武に長け、人柄も優れていると評判の王子だ。
そんな彼が今、頭からワインを被り、コーデリアの前に立っていた。
カトリシアの嫌がらせから、自分を庇ってくれたのだ。
「きみ、大丈夫かい?」
心地よい低音の声が、レオンハルトから響いた。
(あら、すごいわね)
こちらへと振り返ったレオンハルトに、コーデリアは素直に感心した。
男性の顔に対して、こんなにも美しいと思ったのは初めてだ。
金の髪は王冠のごとくまばゆく、切れ長の瞳が、完全な均整を誇る輪郭の中で輝いている。
元婚約者のトパックも整った顔をしていたが、目の前のレオンハルトは格が違った。
ワインを被ってなおいささかも損なわれない美貌が、コーデリアへと向けらける。
乙女の心を捕えて離さないであろう、この上なく麗しい王子様だったが、
「私は無傷です。殿下のお優しさに、心からの感謝を捧げさせていただきます」
コーデリアの頭は、既に冷静さを取り戻していた。
滑らな所作で、王族への最高位の謝意を表す礼をする。
気づけば、周囲には沈黙が降りていた。
いきなり飛び出したレオンハルトの美貌と、彼の登場に動揺することも無く完璧な作法を披露したコーデリアに、野次馬たちの視線は釘付けになっている。
奇妙な静寂を引き裂いたのは、上ずった高い悲鳴だった。
「違います違いますわ!! 違うのよ私っ、私そんなつもりじゃっ!!」
ぶざまに髪を振り乱した、公爵令嬢のカトリシアだ。
ドレスを強く握りしめ、目の前の現実を否定するように激しく頭を振っている。
公爵令嬢とは言え貴族でしかない自分が、公衆の場で王子であるレオンハルトを害してしまったのだ。
驚き怯え震え、周りを気にする余裕もなく悲鳴をまき散らしていた。
「嫌よいやいやいやっ!! どうしてこんなことに―――――っ、ひいっ⁉」
コーデリアはカトリシアへと近づくと、右腕を持ち上げ、振りかぶった。
カトリシアが、ぎゅっと目をつぶり縮こまる。
ワインをかけようとした仕返しにコーデリアに殴られる――――――
――――甲高い肉を打つ音。
発生源は、コーデリアの両の掌。
勢いよく両手を打ち付け、盛大に音を鳴らしたのだ。
「カトリシア様、これで少しは落ち着きましたか?」
「は、はい……?」
口をぽかんとあけ、カトリシアがうなづいた。
間近で発生した大音に悲鳴は止まり、わずかばかりの正気が戻ったようだった。
「良かったです。偶然とはいえ、よろめいた拍子にグラスが飛んで、その先に殿下がおられたんですもの」
コーデリアは、カトリシアの震えを止める様に、そっとその手を握った。
「驚かれるのも仕方ないです。でも人間、誰だってよろけて転びかけてしまうことくらい――――」
「失礼なっ!! この私が、人前で無様に体勢を崩したりなんてしませ、っ⁉」
思わずと言った様子で反論するカトリシアの手をきつく握りしめ、その言葉をさえぎった。
「カトリシア様は転びかけて手が滑って、ワイングラスを手放してしまった。それでいいですよね?」
手を握りしめる力を強め、周囲にも聞こえるように言い放つ。
全ては不幸な事故だと。
そういうことにしなければ自身の身が危ういと、ようやくカトリシアも気づいたらしい。
「そ、そうですわ!! 私ったらうっかりしていました!! 殿下にはご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでしたわ!!」
慌てた様子で、あらためてレオンハルトへと謝罪の礼をする。
先ほどのコーデリアの礼とは比べ物にならない醜い所作だったが、幸いレオンハルトは気にしなかったようだった。
「顔をあげてくれ。幸い、ワインを被ったのは俺一人だ。コーデリアが無事だったなら、何も問題はないさ」
レオンハルトはそう言って、麗しい微笑みをコーデリアへと向けた。
きらきらしい笑みに一礼を返しながら、私の名前を知っていたのねと、コーデリアは少し感心した。
彼とは舞踏会や式典の場で同席することはあれど、直接話したことは無いはずだ。
婚約破棄の件で多少有名になったとはいえ、たかが伯爵令嬢にすぎない自分の名前がすぐに出てくるとは、うわさ通り、なかなかに優秀な王子かもしれなかった。
「コーデリア」
名前を呼ぶ声に頭を上げ、レオンハルトへと顔を向ける。
「全ては不幸な事故だった。……本当にそれで君も納得し、カトリシアを許せるのかい?」
レオンハルトの琥珀色の瞳が一瞬刃の輝きを宿し、カトリシアを射ぬいた。
静かだが鋭い視線に、再びカトリシアが震えだした。
「君がもし、彼女を許せないというなら――――――」
「許します。だって、殿下は彼女のことを、罰したくはないのでしょう?」
「へぇ? どうしてそう思う? ワインを被ることになった俺が、頭にきているとは思わないのかい?」
「逆です。私がそう考えたのは、殿下がワインを被ったからこそです」
答えると、レオンハルトが愉快そうに瞳を眇める。
周囲の人間には聞こえない様、そっと声を潜め呟いた。
「面白いね。何故、そんな結論に達したんだい?」
「殿下には、他にいくつもの選択肢があったからです。カトリシア様がグラスを振りかぶった時、彼女の名前を呼んで制止する、あるいは、直接その腕を掴むといったように、単に彼女を止めるためだけなら、ワインをわざわざ被る必要は無かったはずです」
なのに、わざわざコーデリアの前に立ち、ワインを受け止めたということは。
「グラスを振りかぶった姿勢のカトリシア様の動きを止めれば、彼女がワインを誰かにかけようとしたと、言い逃れが出来なくなってしまいます。そうすれば、カトリシア様は恥をかきますし、制止した殿下に対して、逆恨みを抱く可能性もあります」
そして厄介なことに、それはカトリシアとレオンハルト二人だけの問題では終わらない。
気性が荒く迂闊なカトリシアだが、彼女はそれでも公爵家の令嬢だ。
「恨みが巡れば、公爵家と王家の間に溝ができてしまうかもしれません。殿下はそれくらいなら、この場で自分がワインを被って、不幸な事故だという形で、全てを片付けようとしたのだと思いました」
カトリシアがグラスを振りかぶってからの一瞬で、そこまで考えたのだとしたら、たいしたものだ。
コーデリアは内心拍手を送りつつ、自らの推理を吐き出していった。
「ワインを被ったお召し物が駄目になってしまうのは残念ですが……。その一着の犠牲で、殿下は公爵家と王家の仲たがいの芽を摘み、被害者となった自分が『不幸な事故』と場を治めることで、公爵家へと恩を売ることも出来ました」
いくらレオンハルトやコーデリアが『不幸な事故』と言おうと、コーデリアとカトリシアの確執を知る野次馬たちは、それを事故だとは信じないはずだ。
だがそれでも、表向きは『不幸な事故』扱いにすることには意味がある。
『公爵令嬢が公の場で伯爵令嬢を害そうとした』と公に非難されるよりは、公爵家にとって何倍もマシだ。
野次馬たちの誰もが、『不幸な事故』などではないと知っているからこそ
『不幸な事故』という形でカトリシアの罪を許したレオンハルトに対し、公爵家は弱みを作ったことになる。
「公爵家と王家は確か、来年度の公爵領への関税でもめていたはずです。公爵家の遠縁のブランシュバイク子爵家の継承問題についても意見が一致していないはずですし、殿下の持ち札は多いにこしたことは無いはずです」
王家や公爵家を取り巻く状況について述べると、レオンハルトが瞳を細めた。
「優秀だな。関税の件だけではなく、大して話題にもなっていないブランシュバイク子爵家の問題についてまで把握しているとはな」
「ありがとうございます」
「俺がワインを被った意図を、あの短時間で見抜いたことといい、君は本当に賢いな」
「そんなことはありません。殿下が、ただの伯爵令嬢である私を助けるのには理由があると、そう考えたら、すぐにわかりました」
疑問だったのだ。
レオンハルトには本来、カトリシアとコーデリア・プリシラ姉妹のもめごとに首を突っ込む必要などなかったはずだ。
コーデリア姉妹とレオンハルトの間に親交はなかったし、伯爵家にも大きな権力はない。
なのにコーデリアを庇いワインを被ったのには、何か別の思惑があるはず。
そう考えれば、あとは簡単なことだった。
公爵家へ恩を売るために、コーデリア達を庇う形になったのだ。
その程度のコーデリアの思考の軌跡は、レオンハルトも当然理解していると思ったのだが
「……不愉快だな」
「え?」
「俺が君を助けたのは、全て打算づくの行動であったと、そう考えているのだろう?」
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