番外編・前 彼女と出会うその前に
お久しぶりです。
皆様の応援のおかげで、このたび一迅社アイリスNEOにて書籍化していただくことになりました!
発売日は2020年2月4日(火)で、イラストは氷堂れん先生。書き下ろし短編も収録されています。
書籍化作業を行っているうちに、自然とコーデリア達の物語の続きが浮かんできたので、更新を再開したいと思います。
まずは番外編の前編です。
ライオルベルン王国第二王子レオンハルト。
今年19歳になった彼は、獅子の精霊の先祖返りだった。
人並外れた身体能力に、相対した人間の心の在りようを嗅ぎ分ける特殊な嗅覚。
いくつもの異能を有するレオンハルトだが、先祖返りがもたらすのは恩恵だけでは無かった。
それすなわち――――
「あいたたたたっ‼ 殿下‼ 殿下ちょっと待ってください!!」
ヘイルートの叫び声が響いた。
猫じゃらしを握った右手に、赤い線が走る。
うっすらと血が滲み始めた傷は、レオンハルトがつけたもの。
仔獅子姿で猫じゃらしに飛びつき、勢い余って引っ掻いてしまったのだ。
「みゃう……」
ぺしょん。
仔獅子の耳が伏せられ、尻尾が下へと垂れていく。
尻尾の先端が地面へと触れようとした時、仔獅子の姿がかき消えた。
「……すまない。はしゃぎすぎたようだ」
人の姿と言葉を取り戻したレオンハルトに、ヘイルートはへらりと笑った。
「傷、浅いですし、じきに消えてなくなりますよ」
ヘイルートが告げる間にも、血が止まり傷口が塞がっていく。
傷跡がみるみる薄れ、十数秒後には元通り。かさぶたさえ無い、筆だこのみが目立つ手になった。
ヘイルートは、蛇の精霊の先祖返りだ。
身体能力が高く、人より傷の治りも早かった。
先祖返りの秘密を抱える人間同士、レオンハルトとヘイルートは身分を超えた友情を築いている。
レオンハルトは定期的に獅子に変じる必要があるが、獅子の姿の時は理性の箍が緩む副作用があった。
だからこそ今日も、事情を知るヘイルートに見張り役を頼んでいたところだ。
「俺も先祖返りとして、反射神経には自信があったのですが……。
殿下のスピードは予想外でした。そこいらの猫よりずっと機敏でしたよ」
「……猫じゃらしがあれほど魅惑的に見えるとは、俺も予想外だったよ」
「俺も殿下も、猫じゃらしをなめてたんですね……」
ヘイルートが、猫じゃらしを手に苦笑した。
先祖返りの性質は、色々と謎が多い。
猫に似た姿の仔獅子が、どの程度猫じゃらしに反応するのか……。
好奇心でヘイルートが猫じゃらしを振った瞬間、仔獅子の瞳が鋭く、全身が狩りの体勢に移行した。
「仔獅子といえど獅子は獅子、ってやつですかね?
ちょっとだけ、草食獣の気持ちが理解できたような……。獅子って人間も食べるんでしたっけ?」
「人間を主食にはしないはずだが……」
無暗に獅子の本能を刺激するのは危険ということで。
猫じゃらしは封印されることになったのだった。
◇◇◇◇◇◇
ヘイルートは雑談と、軽い打ち合わせをし帰っていった。
画家であり身が軽い彼に、レオンハルトはいくつか仕事を依頼している。
ヘイルートの残した報告書を手に、レオンハルトは目を細めた。
「コーデリアは相変わらず、妹に迷惑をかけられているようだな……」
伯爵令嬢コーデリア。
一年半ほど前、とある夜会で彼女を目にして以来、その姿と名前を、そして匂いを、レオンハルトが忘れた日は一日もなかった。
例えるなら、冬空に咲く花。
背筋が伸びるような清冽さと、同時に甘く柔らかさを秘めた香りだった。
(コーデリア……)
今でも鮮明に思い出せる彼女の香りに囚われそうで、レオンハルトは軽く頭を振った。
陽光を紡いだような金の髪が、秀麗な顔に影を落とす。
レオンハルトは気を紛らわすように、意識して手元の報告書へ視線を向けた。
「……………」
読み進めるうち、レオンハルトの眉がしかめられる。
明るく穏やかな性格の彼にしては珍しい、不機嫌さを隠せない表情だ。
コーデリアが妹に婚約者を奪われ、三度目の婚約破棄に落ち込んでいること。
そして婚約破棄の事実に、安堵を覚えてしまった自分がいることに、レオンハルトは苦悩を滲ませた。
(最低だな……)
コーデリアの元婚約者と妹、そして自分自身を、レオンハルトは呪った。
彼女の心を踏みにじった彼らが許せなくて。
彼女が他の男のものにならなかったのが嬉しくて。
湧き上がるほの暗い喜びを潰すように、報告書を強く握り潰す。
「………これではヘイルートに悪いな……」
しわが寄った報告書には、コーデリアの元婚約者の肖像画が描かれている。
王子という身分のせいで、コーデリアに近づけないレオンハルトのために、と。
コーデリアの周りの人間のスケッチを、ヘイルートは描いてくれていた。
ほんの手慰みだと言っていたが、目の前にその人物がいるかのような完成度だ。
労力を割いてくれた彼に申し訳なく、レオンハルトは報告書のしわを伸ばした。
「コーデリア……」
彼女に会いたかった。
王子である自分が会いに行っても、戸惑い煙たがられるだけだろうが……。
それでも直接彼女に会い、言葉を交わしてみたかった。
近くへと行き、その香りを堪能したくて――――。
「ぎゃう?」
――――レオンハルトは首を傾げた。
柔らかな金色の毛が、首の動きにつられ揺れ動く。
(しまった……!!)
仔獅子姿で、レオンハルトは頭を抱え込み……
「くにゃう……」
……抱え込もうとしてできず、短い前足の肉球を顔に押し当てた。
人間のように苦悶する仔獅子という、世にも珍しい姿だった。
(ここはどこだ……?)
足元は石畳で、視線の先では乗合馬車が走っていた。
城下町のどこかのようだ。
感情の命じるままに足を動かし、我に返った時には王宮を抜け出してしまっていた。
(……最近は、無意識に仔獅子の姿に変わることは無くなったはずだったが……)
コーデリアに会いたい思いが高じ、仔獅子の姿になってしまったようだ。
幸い、今日は重要な要件や仕事は無かったが――――
「みゃっ‼」
ぴくりと仔獅子の鼻が動いた。
感じる。間違いない。
近くに彼女が、コーデリアがいるはずだ。
冬の花に似た香りに、レオンハルトは導かれるように動き出す。
人間の、王子の姿でないなら迷惑も掛からないはずだ。
仔獅子の姿の今、理性の手綱はぜい弱。
浮き立つ心のまま、肉球で弾むように駆けていった。
香りが強くなり、あと少し、もう少しでたどり着くところで。
「ぎゃう……?」
目にした人物の顔に、仔獅子はうなり声を上げたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
次に番外編の後編を更新して、その後続編を更新する予定ですので、よろしくお願いいたします。
書籍版については、表紙をこのページ下部に貼り付けてあります。
活動報告に情報をまとめてあるので、そちらもご確認いただけたら嬉しいです。