聖女と呼ばれてしまいましたが――――
「聖女様だ………」
「彼女が、あの………」
「レオンハルト殿下のお心を射止めたという………」
王宮にやってきたコーデリアの耳を、いくつもの呟きがかすめていく。
かつて、レオンハルトと出会った日の舞踏会のように。
貴族たちに姿を観察され、話の種にされるのは慣れていたが、今はあの頃とは少し異なる点がある。
畏怖、尊敬、そして打算含みの称賛。
かつて嘲られ憐れまれるだけだった自分への反応は、真逆といっていいものだった。
(思えば、かなり遠くに来たものね………)
四度も婚約破棄をされた令嬢として嘲笑の的になっていたのは、まだほんの二か月前の話である。
だが、今やコーデリアを取り巻く状況は一変した。
『獅子の聖女』
聖獣を従えたコーデリアは、獅子であった初代国王の加護を受けた聖女の再来と歓迎されていた。
(聖女とか………我ながらその呼び名はないわ…………)
コーデリアは遠い目をした。
恥ずかしいことこの上ないが、今更否定するわけにもいかないのが辛いところだ。
聖獣の正体がレオンハルトであると公表することは出来ないし、そもそも現在の状況は、ザイードを排除するためとはいえ、コーデリア自身のした行為が原因だった。
あの日黄金の獅子を従え、聖剣を手に、いくつもの奇跡としか言えない事象を引き起こしたコーデリア。
現在の魔術師が数十人がかりでようやく扱える強力な炎を、咆哮一つで操る獅子とコーデリアを、人々は聖獣と聖女と崇め奉っていた。
そのおかげで、王子であるレオンハルトとの婚約が認められやすくなったのはありがたいが。
(自分でこの状況を作り出しといてあれだけど、掌返しがすごかったのよね………)
婚約破棄の件であざ笑ってきた人々が、まるでそんな過去など忘れたかのように、媚を売ってくることも多かった。
そして巷では、『コーデリアが四度までも婚約破棄を経験したのは、いずれ王太子であるレオンハルトと聖女が結ばれるよう、聖獣様の力が働いたからである』という説がまことしかやかに囁かれていて、コーデリアとしては苦笑いするしかなかった。
(それに、私の過剰なまでの聖女扱いは、ザイードの悪行から目を反らさせるためでもあるのよね……)
ザイードは死に、王族からも除外されていたが、彼の悪行が無かったことにはならなかった。
当時王太子であった彼が、嫉妬心で多くの人間を巻き込み、新運河の要である水道橋を壊そうとしたのは、王家にとって都合の悪い醜聞だ。
このまま放置すれば、次期国王となるレオンハルトの治世にも差し障るだろうと、コーデリアを大々的に聖女扱いし宣伝することで、国民の関心をそらそうという思惑だった。
(私の聖女扱いも、政治の一環というものなのだろうけど、やはり少しすっきりしないわね)
だが、レオンハルトの求婚を受け、ゆくゆくは王妃になるということは、そういった駆け引きや、清濁併せ呑む器量が必要になってくるということだ。
伯爵領の統治を自分なりに頑張っていたが、一国の頂点に立つということは、求められる責任も能力も比べ物にならないということ。
あっさりと掌を返す貴族たちを御しつつ、国の未来を担っていかなければならないのだ。
(重いわね…………)
正直、まだまだ不安でいっぱいだったけれど―――――――
「コーデリア!」
「殿下、なぜここに?」
「仕事を早く終わらせてきた。今日は久しぶりに、君に会える日だったからね」
軽く言っているが、レオンハルトとて王太子となったことで、仕事に忙殺されていたはずである。
こうして顔を会わすのだって、ザイードとの一件があった日以来だった。
「殿下、お気持ちは嬉しいですが、ご自愛ください。無茶はなさらないで欲しいです」
「君のためなら、これくらい無茶の範囲に入らないよ」
…………爽やかな笑顔で言い切られてしまった。
「それじゃぁコーデリア、さっそく抱き上げさせてくれ」
「……………殿下のお言葉は、時々意味が分かりません」
「右足、まだ痛みが残っているだろう?」
「大丈夫です。痛みはほとんど消え、気にならない程です」
「俺が気にする」
「歩行には差し障りありません」
「でも、痛いものは痛いだろう?」
コーデリアは視線をそらした。
全快したように振る舞ってはいるが、歩くと痛いのは本当だ。
そしてコーデリアについて、どんな些細なことも見逃さないのがレオンハルトだった。
「君が一人で歩けるのだとしても支えたいと、俺はそう思うんだ。………その痛みが心のものであれ体のものであれ、痛みを和らげ少しでも多く君の笑顔を見ることが、俺の望みなんだよ」
「殿下…………」
この人はずるいと、コーデリアは思った。
こちらの強さを認めてくれて、その上で甘えていいと言ってくれるなんて。
(つい頼って、甘えたくなっちゃうじゃない………)
レオンハルトを王妃として支えると決めたのに、これでは本末転倒である。
嬉しいやら恥ずかしいやら、コーデリアが内心葛藤していると、レオンハルトに手を握られてしまった。
「抱き上げられるのが嫌なら、物陰で獅子の姿に変わった後、君を背中にのせて――――――」
「人間の姿のままでお願いします」
コーデリアは即答した。
王宮で獅子の姿のレオンハルトに騎乗など、『聖女』の名を宣伝するような行いだ。
今でさえ、『聖女』などという器ではなく参っているのだから、避けるべき事態だった。
腕を伸ばしてきたレオンハルトに身を預けると、体がふわりと宙に浮いた。
腰と膝裏に腕が回され、間近に美しいレオンハルトの顔が迫るこの体勢は。
(…………お姫様抱っこと言う奴では……………?)
気づいた瞬間、猛烈に恥ずかしくなるが、後の祭りである。
上機嫌なレオンハルトに抱き上げられ運ばれていると、耳元に呟きが落ちた。
「『聖女』という呼び名だが、俺はそう恥ずかしがるものでも無いと思うよ」
「………どう考えても、私には不相応な呼び名です」
「君は両親の影響か自己評価が低いようだが………。その知性や優しさ、国を思う心は褒められ、認められるべきものだと思う。それに…………」
「それに?」
「君が『聖女』になってくれたおかげで、兄上の蛮行を止められ、今こうして、堂々と君を抱き上げ甘やかすことができるんだ。そう思うと、君が『聖女』になってくれて良かったと、心の底から感謝するよ」
レオンハルトの琥珀色の瞳が、はちみつのように蕩けた。
本当に嬉しそうに笑う彼に、コーデリアも思わず釣られ、小さく唇が笑っていた。
(『聖女』なんて柄じゃないとわかっているけど………)
彼と共に歩む助けになるのなら、『聖女』という呼び名も、そう悪いものでも無いと思えた。
自分が聖女と呼ばれる資格などあるのか、王妃が務まるかどうか不安だったけれど―――――――
(レオンハルト殿下といっしょなら、きっと大丈夫よ)
―――――――そう信じ、『獅子の聖女』は微笑んだのだった。