それは別れを告げる時
「それにしても、ずいぶん驚いたわね」
応接間でヘイルートと向き合いながら、コーデリアは口を開いた。
「まさかあなたが、レオンハルト殿下の部下だったなんて、殿下に教えられるまで全然気づかなかったわ」
「敵を騙すには味方から、ってやつですかね?」
「それはちょっと違う気がするわ………」
正体を明かしてなお、ヘイルートはいつも通り飄々と笑っていた。
「トパック達に拉致された日、殿下が私の元に駆け付けることが出来たのも、あなたのおかげということ?」
「そんなところです。あの日、コーデリア様を訪ねたらもぬけの殻で、慌てましたよ。どうにかトパックの馬車の行方を突き止めた、俺のことを褒めたたえるといいと思います」
得意げに胸をそらすヘイルートに、コーデリアは深く頷いた。
「えぇ、そのことはとても感謝してるわ。あなたのおかげで、私も殿下も助かったんだもの」
「うっ………そこで真面目に返されると、それはそれでこそばゆいですね………」
頭をかくヘイルートに、コーデリアは姿勢を正し、問いを重ねた。
「…………あなたが私に近づいてきたのは、殿下の指示だったのよね?」
「えぇ、そうです。コーデリア様に近づき危険が無いか調べ、殿下にお知らせするのが俺の仕事でしたが、途中からは趣味も兼ねてましたね。騙しててあれですが、俺なりに友情を感じてたのは本当ですし、見逃してくれません?」
「そうね、私も友人を失いたくはないけど…………。でもいったい、殿下に私の何を報告してたのよ? まさか、私の秘密や、恥ずかしいことを告げ口したりしてないわよね? ………もしそうなら、裏切り者として全力で軽蔑するわよ?」
笑顔を浮かべつつ睨んでやると、ヘイルートが両手を上げた。
「わ、そんな怖い顔をしないでくださいよ。俺が殿下に伝えたのはコーデリア様の安全にかかわる事柄と、コーデリア様のお菓子の好みくらいです」
「本当にそれだけ?」
「俺が言っても説得力はないかもしれませんが、殿下のことは信じてやってください。コーデリア様の身を案じてのこととはいえ、一方的に監視をつけるような行いを、殿下も負い目に感じていましたからね。……だからこそ、コーデリア様のことを根掘り葉掘り聞くのでは無く、ちょっとしたお菓子の好みを知るくらいで満足してたんですよ」
どうやらヘイルートは主君のレオンハルトのことを、それなり以上に慕っているらしい。
「………わかったわ。それについては納得するけど、少し不思議ね。あなたのような自由な人間が、殿下相手とはいえ王族の部下をやってるなんて、正直意外だわ」
「…………俺は、殿下と同じだからですよ」
「殿下と、同じ?」
「こういうことです」
「っ‼」
ヘイルートの瞳が金色に。
瞳孔が人にはありえない、縦に細長いものへと変化していた。
「その瞳は………蛇?」
「ご名答です。もっとも殿下と違い、蛇そのものの姿には変化できませんがね」
「………殿下から、自分と同じような先祖返りが複数いるとは聞いていたけれど」
まさかこんな身近にいるとは、驚きだ。
「…………どうも、俺の母方を何代か遡ると、東の砂漠へと行き着くらしいです。あちらの国では人に姿を変えた蛇の精霊の伝承が、まことしやかに語り継がれているようですからね」
「でもヘイルート、あなたの外見は、この国の人間そのもので………」
「突発的かつ部分的な、先祖返りってやつですかね? 俺だってこの蛇の瞳が発現しなかったら、母方の先祖なんて調べようと思いませんでしたよ」
「………あなたの両親も、その瞳のことを知っているの?」
「知っていますよ。受け入れてはくれませんでしたがね」
ヘイルートがへらりと笑った。
「ま、それも当然ですね。両親には蛇の瞳を隠すよう言いつけられ、俺も従っていましたが………ある日殿下にバレてしまったんです」
「それはもしかして、殿下のみが感じられる『匂いのようなもの』で感づかれたということ?」
「その通りです。どうも俺の匂いとやらは、他の人間とは違っているようで、結果的に俺と殿下は互いに先祖返りであると知り、今に至るということです。ほらお互い、自分の秘密を明かせる相手ってのは貴重でしょう? 殿下は俺の瞳を気味悪がることも無く友人のように接してくれましたし、そんな殿下のためなら、ちょっくら間諜の真似事を請け負うのも、やぶさかではないと言うやつです」
ヘイルートが肩をすくめた。
「ま、間諜やるのに都合のいいことに、俺の先祖返りの能力が役だったってのもあります」
「…………殿下のように、炎を操ったりできるの?」
「いやー、あんな派手なのは無理ですよ。でも、地味に人より身体能力は高いですし、特殊な視覚も持っていましたからね」
「視覚ということは、人には見えないものが見えるのかしら?」
「見える、というのともちょっと違って、眼球というより、唇やその脇で感じているいうか………でも、あえて近い感覚を上げれば視覚というか………」
「…………よくわからないわね」
「ですよねー。俺も上手く説明できませんが、とにかくそのおかげで、この前コーデリア様が隠し部屋にいるのもわかったんですよ」
「どういうこと?」
「俺は殿下から、隠し部屋の扉が屋敷の中からバレないかどうか、念のため確かめてくれと言われたんです。それで、入り口がどこにあるのか探していたら、」
「その特殊な視覚で、隠し部屋の位置が正確にわかったということ? 確かにそれはすごいわね」
扉の壁への偽装はしっかりしてあったし、防音にだって気を使っていたはずだ。
「俺のこの感覚って、言葉にするなら『熱を見る』ってのに近いと思うんですよ」
「熱を見る………」
「直接手で触れなくても、その物体が温かいのか冷たいのかわかるんです。さすがに分厚い城壁ごしじゃ無理ですが、屋敷の中の壁ぐらいなら、その向こうにある熱源、人の体温を察知することができるんですよ」
「それはまた、間諜をやるのに便利そうな能力ね………」
その気になれば、様々な用途に使えそうな感覚だ。
「『熱を見る』、か………。説明してもらっても、私には全然想像できない感覚ね」
「強引に視覚化するなら、俺が趣味で書いてる絵に近いです」
「あの、色彩が乱舞してる絵に?」
以前見せてもらった絵は、人の肌が赤く髪が青にといった具合に、常人の感性からはかけはなれた配色の物だったのを思いだす。
「そうです。俺は元々、殿下にお会いしなかったら、画家一本で生きていくつもりでしたからね。画家として名をあげ、俺の絵を有名にし多くの人間に見てもらって………そうすることで、いつか同じような『熱を見る』能力を持った人間に、出会えないかなと期待しているんです」
「………そうだったの。同じ視界を共有できる人間を、あなたは探していたのね………」
レオンハルトの『匂いのようなもの』。そしてヘイルートの『熱を見る』感覚。
一見すれば便利な能力だが、本人は誰とも、自身の感覚を共有することができないのだ。
(それはきっと、少し寂しいことなのでしょうね……)
だからこそ、レオンハルトとヘイルートは、身分を超えて親交が続いているのかもしれない。
二人の持つ特殊感覚はそれぞれ違うものだが、それでも常人とは異なる感覚を持つ者同士、親近感を感じていたのかもしれなかった。
「ま、そう悲観することでも無いですがね。世界は広いって言うでしょう? この国にはいなくても、他の国になら可能性はあります。獣人なんかの中には、ひょっとしたら俺と同じ特殊感覚を持つ人間もいるかもしれません」
「獣人……………」
「今日はね、俺。お別れを告げに来たんです。殿下とコーデリア様が無事くっついたことですし、今度は獣人の多く住まう、ヴォルフヴァルト王国へ行ってみる予定なんです」
「……………寂しくなるわね」
もったいないお言葉です、と。
ヘイルートが縦長の瞳孔に、いつもの軽い笑みを浮かべたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「これでコーデリア様とも、しばらくの間お別れですか………」
伯爵邸からの帰り道、ヘイルートは一人呟いた。
陽はまだ高く、ヘイルートの内心とは裏腹に、空は明るく晴れ渡っていた。
「今まで嘘をついていた俺を、友人として受け入れてくれたコーデリア様はさすがの器ですが……」
友人、という言葉に、ヘイルートの胸は鈍く痛んだ。
―――――――コーデリアとの出会いは、レオンハルトからの頼みごとを受けてのものだ。
最初は仕事の一環、ただの護衛対象のようなものだったのだが。
(惹かれちゃったんだよなぁ…………)
聡明な彼女との会話は楽しくて、伯爵家を背負う強さの奥にある弱さや優しさに気づいた時には、もう手遅れだった。
恋心を自覚したヘイルートだったが、彼女は主であるレオンハルトの想い人だったのだ。
(殿下もコーデリア様も、俺にはもったいない大切なお方だ。……幸い二人は、俺のこの想いに気づいていないようだったしな)
細心の注意を払い、隠していた甲斐があるというものだ。
ヘイルートにとってレオンハルトは、主君であると同時に友人のような存在だった。
彼の想い人であるコーデリアを奪うような真似は出来なかったし、恋心を表に出す気も無かったのだ。
だからこそ、二人が結ばれることも歓迎だったのだが、
(失恋は、思ったよりこたえるものなんだな………)
それでも、今は少しだけ。
彼ら二人の恋を、間近で見続けるのは辛かったから。
いつか心の底から、コーデリア達を祝福できるようになるためにも、
「さてっと、ヴォルフヴァルトに行く以上、顔料も補充していかなきゃいけないですし、忙しくなりますね」
――――――――――蛇の瞳を持つ画家は、始まる前に終わった恋に別れを告げたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ヘイルートの『熱を見る』能力は、蛇の持つピット器官をベースにオリジナル要素を付け加え、魔改造したものだったりします。